虹顔市を離れて一時間ほど。電車やバスを乗り継いだ先に、それはあった。
「皇凜花、これが?」
「ええ。私のママの墓」
凜花はそう言って、手に持っていた花をそっと下ろした。
二人は今、凜花の母が眠る墓の前にいた。
父と同じように、母も月命日などにはこうして墓に来ては掃除をするなりしていた。ただここ最近はカオスイズムとの戦いも激化していて、なかなか顔を出す機会もなくなっていた。今日はようやく暇が出来たので、墓参りに来たのだ。
ただ本当なら凜花一人で来る予定だった。しかし、何かあると大変だからと才悟も同行すると言い出してきた。凜花は自分の母親の事だからと断ったのだが、才悟の「一人は危険だ」の一点張りに押され、こうして二人で来る羽目になってしまった。まあこうして雑草が無造作に生えている墓地を見て、才悟の同伴は助かったと思う。
枯れた花を出して、汚れた水を適当に捨てる。才悟が持ってた水の入った桶を出してきたので、柄杓で新しく水を入れた後、買ってきた花を入れた。
「あとはこの墓に水をかければいいのか?」
「そうね。水をかけた後は雑巾で拭くから」
囲いにバッグから出した雑巾を置くと、才悟は柄杓から水をすくって墓にかけ始めた。雲が少ししかない青空の下、水をかけられた墓は涼しそうに見える。凜花は桶に残った水でさっと雑巾を濡らすと、墓石を丁寧に拭き始めた。
花を入れ替え、墓石を掃除し、周りに生えた雑草もあらかた抜き取ってゴミ袋に入れると、凜花は雑巾を仕舞い、替わりにマッチと線香を取り出す。才悟に線香を持たせると、さっとマッチに火をつけた。まとめた線香に火が付くと、独特の香りが鼻腔をくすぐった。
そっと備えると、凜花は目を閉じて手を合わせる。隣の才悟も、それに合わせて目を閉じて手を合わせた。
一分ほどの沈黙。
目を開けて才悟の方を向くと、彼も既に目を開けていた。バッグからペットボトルの水を出すと、彼は無言でそれを受け取る。ちなみに自分はお茶だ。
これまた沈黙のままお茶を半分ぐらい飲む。カンカン照りと言うわけではないが、日が照っている以上やはり暑く、冷たいお茶が染み渡る。
「……キミの母親は、どんな人だったんだ?」
同じように水を飲んでいた才悟が、ぽつりと尋ねる。
聞かれるとは思っていなかったので凜花は少しびっくりするが、すぐに墓石に目をやる。
「正妻じゃないのに財閥総帥の子を身籠っちゃったから、そりゃもう後ろ指刺されまくりよ。でもママはそういうのに負けなかった。……と言うか、気にしてなかったわね」
養育費はもらえたものの、悠々自適な生活とはいかなかった。だからまず最初にしたのは働き口を探した事らしい。元々貧しいから住み込みのメイドとして働いていた身。多少の金ではその状況が変わるわけがなかったのだ。
唯一の救いは、自分たちの周りがそんな母子家庭を受け入れてくれ、支えてくれた事。
おすそ分けをしてくれたり、身体の弱い母が仕事に行く際、自分の面倒を見てくれたり。彼ら彼女らの支えがなければ、自分は今こうして立っている事はなかっただろう。
それでも無理がたたってか、母は凜花が高校に入る前に倒れてしまった。金に関しては何とかなったものの、病状に関しては時すでに遅く、彼女は生きて退院することは叶わなかった。事情を知らない人が引き取ろうかと言ってくれたが、凜花はそれらを断った。自分たちの事情は複雑だし、もう面倒を見られるほど子供でもないと思ったのだ。
「大変だったんだな」
紫苑辺りが聞いたら泣き出しそうなぐらいのハードな人生に対し、才悟は淡々と呟いた。彼が冷たいわけではない。ただ単に、それ以外の言葉が見つからないだけなのだろう。現に彼の目からは困惑と悲しみが見て取れた。
そんな彼を慰める様に、凜花は薄く微笑む。彼の思いやりは嬉しかったし、今こうして生きている以上全ては過去の話なのだ。深く考える事はない。
さて、墓の掃除も終わり、お参りも無事に済んだ。もうやる事はないので、ゴミ袋を手にするが才悟はまだ立ち尽くしたままだ。
「魅上くん?」
呼びかけるが、才悟は動かない。まるで墓の前で何かを話しているかのようだ。
何を話しているのだろうか。娘には世話になっているとか当たり障りのない挨拶が頭に浮かぶが、どうもしっくりこない。これは後で才悟に聞こうかと思い、凜花は改めてゴミ袋を持ち直した。
才悟がその場を離れたのは、数分後だった。
片づけを済ませて身軽になった二人は、駐車場でバスを待つ。時刻表ではあと少しだが、道の混み具合で大きく変わる物なので、それほど当てにしていなかった。
「魅上くん」
もう一度才悟の名前を呼ぶ。すると今回は凜花の呼びかけに反応して、こっちの方を向いた。
「どうしたんだ?」
「どうしたって言うか……さっき、お墓の前でずっと立ってたよね? あれはどうして?」
凜花の問いに対し、才悟は最初目を丸くする。……が、すぐにいつものどこかぼんやりとした顔に戻る。
「オレには母親と呼べる存在がいない。だから、どういう存在なのかが知りたかった」
「……!」
才悟に言われて、彼の生まれを思い出す。クローンと言ういびつな生まれ故、彼は父も居なければ母も存在しない。だから、両方とも解らないのだろう。
もちろん、幽霊と直接話していたと言うわけではないはずだ。だが、墓場での語らいは、才悟に何かを教えてくれたようにも見えた。少なくとも、凜花にはそう見えた。
「何か解った?」
思わずそう聞いてみると、才悟は首をかしげる。さもありなん。幽霊と直接会話など不可能なのだから。
だがその目を見る限り、何も得られなかったと言う事は無いようだった。才悟は何を見て、何を聞いたのだろうか。
「墓から何かが聞こえたとかはなかった。だが……」
「だが?」
「キミを今も心配しているような何かを感じた。母親の愛と言うのは、そう言うものなのだろうか」
「……」
解らない。
才悟が言うような気配は感じなかったが、小さいころから自分を優先し、何よりも大事にしてくれていたのはよく解っていた。その愛が、今もあり続けていると言うのだろうか。もしそうだとしたら、それはとても嬉しい事だった。
「多分、そうだと思うわ」
だからそれを素直に言う事にした。世の中の母親全員がそうではないが、少なくとも自分の母親はそうだとはっきり言える。
「ママは心配性だから、今も心配なんでしょう」
「そうなのか?」
「ええ」
過去の母親の姿を思い出す。何かと自分に大丈夫かと聞いてきたが、その度に「お母さんこそ大丈夫?」と返してきた思い出。決して父や自分には弱い姿を見せなかった母。そんな母が、自分は好きだった。
「なら心配ないと言うべきだったな。皇凜花にはオレや執事、色んな人に囲まれている。心配されるほどのような事はない、と」
至極当然に真面目に言う才悟に、思わずくすくすと笑う。確かに今はレオンやライダーをはじめとした色んな人に囲まれ、少なくとも寂しい思いはしていない。
それに何より、と、隣の才悟をちらりと見る。あの時自分を助けてくれた手。交わした永遠の契約。今も自分を心配してくれる瞳。彼がいるなら、自分はきっと大丈夫だ。
「ありがとう、魅上くん」
真面目な眼差しのままの才悟に向かって微笑む。才悟の方はお礼を言われるとは思っていなかったのか、目をぱちくりとさせていた。どういたしましてと言う顔は、ほんの少し赤い。そんな顔が可愛いな、と思っていると、タイミングよくバスが到着した。
バスに乗り込むと、才悟がぽつりと言う。
「オレは親というのが解らない。それでも、親になれるんだろうか」
それに対する凜花の答えは、ただ一つだった。
「なれるわよ。絶対に」
断言できる事だった。何故なら、才悟は優しく強い人の心を持っているから。
迷ったり悩んだりしても、あの時手を差し伸べた優しさがあるのなら、才悟はちゃんと父親になれる。凜花はそう確信していた。
才悟は最初目を丸くしていたが、すぐに断言された嬉しさで顔が柔らかく緩んだ。
「そうか、オレも父親になれるのか」
「ええ」
「それじゃあ、いつかはよろしく頼む」
「任せて」
才悟の言葉にどこか違和感のようなものを覚えたものの、凜花は微笑みながら頷いた。
――凜花がその違和感のようなものの正体に気づいたのは、寝る直前の事。