お願い事を一つ聞く券

 執務室のデスクの引き出しの一つから、それを取り出す。
 名刺サイズに切られたペラペラな紙には、少し崩れた文字でこう書かれてあった。

 『お願い事を一つ聞く券』

 小さい子の肩たたき券を思わせるそれは、自分へのプレゼントに困った魅上才悟が贈ってくれたモノだ。この券を使えば、文字通りどんな願い事でも聞く、と才悟は真面目な顔で言っていた。
 レオンは冗談めかして結婚でもお願いしたらどうだと言ってきたが、当然そんな重大な「お願い」にこれを使うつもりはない。かと言って、これを使うに相応しそうなお願い事が思いつかない。
 凜花はふうとため息を付いた。
「お願い事、か……」
 なまじ一人で何でもやって来たからか、何かしてもらう、手伝ってもらうと言う事にはあまり慣れていない。ここ最近は仮面カフェのヘルプに回ってもらったりしてもらってはいるが、それをお願い事とするのは何となく気が引けた。
 何をお願いすればいいのだろうか。もう一度券を見る。
 ふと、デートという言葉が頭に浮かび……首を横に振る。自分と才悟の仲は、あくまでエージェントとライダーであるべきだ。そこに余計な感情を入れてはいけない。というより、多分才悟はデートと言うものが解らないだろう。自分がせっせとあれこれ教える図が頭に浮かび、凜花は深くため息を付く。
 とりあえず今お願い事を考えるのは後回しにして、凜花はポケットに券を入れる。お守りみたいなものとして持っているのが丁度いいのだろう。

 それからしばらくは、例の券の事を忘れるぐらいには忙しかった。カオスイズムは相変わらず暗躍しているし、仮面カフェの経営やコスモス財閥代表としての仕事は山のようにある。レオンを連れてあちこち顔を出したりしていると、あっという間に一か月は過ぎていた。
 才悟の方は例の券が気になっているのか、たまにこちらをちらちらと見ていたが、凜花はそれを仕方なく無視していた。お願い事をするほどの問題はなかった……というより、思い出している余裕すらなかったのだ。才悟も解っているのか、こっちを見るぐらいで何か言ってくることはなかった。
 そんな感じで時間は流れ、気づけばお願い事を思いつかないまま梅雨明けの時期に入ろうとしていた。これから暑くなるな、とぼんやりと思っていると、タイミングよくTVの天気予報の方も「明日から暑くなります」と言っていた。
「もう夏ですねえ」
 これまたタイミングよく冷たい水を出してくるレオン。湿度が高くムシムシしているので、ひやりと冷えた水がとても美味しかった。
 何気なくポケットに手を突っ込み……例の券がまだあるのを確認する。長い間入れているのでもうくしゃくしゃになっているが、使えない事はないだろう。
 お願い事は、まだ決まっていない。やっぱりデートが無難なんだろうか……と思っていると、ドアベルを鳴らして誰かが入って来た。お客様かと思って営業スマイルを浮かべたが、その相手が才悟だと知って固まってしまう。
「どうした?」
「あ、何でもないの。びっくりしただけ。いらっしゃい、魅上くん」
 券の事を思い出している時に来られたので、考えを見抜かれたような気がしたのだ。当然、そんな事はないのだが。
 さてその才悟は、レオンに水を勧められて頷いている。走って来たのか、首筋に汗が流れていた。何となく視線を向けてるのが恥ずかしくなり、思わず目を逸らす。才悟はそれにも気づいたらしく、凜花に視線を向けた。
「? 魅上くん?」
「やはり様子がおかしい。何かあったのか?」
「な、何もないわよ。ただ外暑かったでしょう? シャワーでも浴びて行ってほしいなって思っただけよ」
「そうか?」
 凜花に言われて気になったのか、才悟は自分の腕の匂いを嗅ぐ。その顔が少し歪んだので、多少なりとも匂いが気になったのだろう。放置状態だった水を一気に飲むと、「大浴場を借りたい」と言ってきた。その願いを断る理由はないので、二つ返事で了承した。
 才悟が大浴場に行くのを見送っていると、レオンがにやにやと笑いながら「一緒に行かれては?」と言ってきた。やましい気持ちを見抜かれた気がして、凜花は慌ててレオンを叩くふりをする。
「さすがにセクハラよ」
「おや、わたくしは『一緒に行かれては?』と聞いただけで、どこそこにとは一言もおっしゃってませんが?」
「レオン!」
 へらりと笑うレオンにもう一回拳を振り上げる。さすがに今回は本気と判断したらしく、レオンは手に持っていた皿を盾にして、お許しくださいと謝罪してきた。こっちも本気で喧嘩する気はないので、その謝罪で許すことにした。

 そうして初夏を過ぎ、本格的な夏がやってきた。
 テレビでは連日猛暑日を伝え、誰もがうだるような暑さに悲鳴を上げる中、凜花は一人教育地区を歩いていた。散策ではない。カオストーンの情報があったので、探しに来たのだ。
 ライダーは連れていない。今日は平日故に手隙のライダーはいないようだったし、カオスイズムの動きも大人しいので、一人で探索することに決めた。実際、一人でも情報は集まるし、怪しい人物が寄ってくる気配もない。
 しかし。
「……日傘持ってくれば良かったかしら」
 夏の日差しは凜花にも容赦なく降り注ぐ。店を出る前にレオンから日傘を勧められたが、帽子もかぶってるしと断って外に出てしまった。だがこの暑さは、帽子一つでどうにかなるようなものではなかった。大人しく申し出を受けるべきだったと後悔する。
 とにかく一刻も早くカオストーンを見つけて、仮面カフェに戻ろう。そう思って急ぎ中央公園へと走る。情報をまとめると、ここが一番カオストーンがある可能性が高いからだ。
 中央公園でも聞き込みする事しばし。ようやくそれらしい石の情報を掴み、現地に急ぐ。丁寧に探していると、目的の光る石が見つかった。しかし……。
「……これ、ただの光る石ね」
 きらきらと輝いてはいるものの、カオストーン特有の輝きはない。情報はハズレか……と思っていると、ぐらりと視界が歪んだ。

 目が覚めると、そこは見覚えのある天井……自分の家だった。
「……あら?」
 思わず声に出してしまうと、その声に合わせて「気が付いたか」と聞き覚えのある声が隣からした。声の方に視線を向けると、そこにいたのは才悟だった。
「魅上くん?」
「ああ」
 体を起こそうとすると、大きな手でそっと抑えられる。ついでに額に張り付いていたアイスノンを剥がされ、別のに取り換えられた。
「まだ寝てた方がいい。キミは熱中症で倒れたんだ」
「そうなの……」
 ここに戻る前の最後の記憶を引っ張り出す。確か強いめまいを感じたのだが、あれは熱中症のものだったようだ。納得したのでもそもそと寝直すと、才悟が手を握ってきた。
「何で無茶をしたんだ」
 その目は潤んでいた。責められているような気がして、思わずタオルケットの中に隠れてしまう。
「カオストーン探索ならオレも付き合ったのに」
「……魅上くん、仕事かなって思って」
「いや、今日は暇だった。それに……」
 そう言って取り出したのは、くしゃくしゃになった「お願い事を一つ聞く券」だった。いつの間に、と思ってポケットを探ると、そこにあるはずの紙きれはなく、視線を向けると、「抱き上げた時に落ちた」と答えてきた。さらに恥ずかしくなって、才悟から視線を逸らす。そんな凜花に、才悟は淡々と聞く。
「どうして使ってくれなかったんだ」
 声色こそいつものものだが、そこに宿る感情は暗い。それはそうだろう。必死になって考え付いたプレゼントが、こんな形で出てくるなんて思わなかったはずだ。
 でも凜花は解って欲しかった。ないがしろにしたのではなく、むしろ逆なのだと。
「……使えなかったの」
 ぽつりと呟くと、才悟が少し驚いた気配を感じる。だからタオルケットから顔を出し、彼の顔をちゃんと見て言った。
「魅上くんが頑張って考え付いたものだから、本当に助けてほしいって時に使いたかったのよ。でもそう言うのって、なかなか思いつかなくって……」
 才悟の顔が驚いたものへと変わる。凜花自身考えをまとめつつ、ぽつりぽつりと話を続けた。
「でも持ってたら、いつかは使いたい時が来るかも知れないし、何より魅上くんが支えてくれると思ったら、少し元気が出たの。だから持ってたのよ」
「オレが、キミを支える?」
「ええ」
「そうなのか……」
 納得したようなしないような、そんな感じの顔でうなる才悟。何故かそんな顔が愛おしく思えた凜花は、くすりと笑って「今思いついたわ」と呟いた。当然だが、才悟はそれを聞き逃さず身を乗り出した。
 真剣な眼差し。そんな目にドキドキしつつも、凜花は券ごと才悟の手を取った。
「今日は一緒にいてくれる?」

「……それだけでいいのなら、問題ない。キミの傍を離れない」
「うふふ、ありがとう」