虹顔市に雨が降る。普通の雨ではなく、梅雨の雨だ。
今外はどうなっているのだろう。雨音が聞こえる以上、雨が降り続けているのは解る。だが、このまま降り続けていれば、地滑りで偶然見つけたこの洞窟の入り口が塞がれてしまうかもしれない。外に出るなら、今の内だろう。
だが最悪な事に、ここで見つけたカオストーンを狙ってカオスイズムがあちこちうろついている。外に出れば彼らに取り囲まれて奪われること必至だろう。最悪、凜花自身も連れていかれる可能性もある。
ライダーフォンを見る。連絡を入れたいのだが、ここで大きな音を立てれば奴らに気づかれる可能性がある。そうすれば隠れた意味がなくなってしまう。
(どうしよう……)
凜花はお守りのように形見の石を両手に抱く。
こんな事なら、雨だからと言って誰かを誘うのを止めるべきじゃなかった。せめてライダーの一人がいれば、カオスイズムを蹴散らして家に帰れたと言うのに。
耳を澄ませる。今の所カオスイズムはこっちに気づいていないらしく、自分よりもカオストーン捜索に力を入れているようだった。ならチャンスはあるだろうか。凜花は足音を立てずに入り口まで近づく。
息をひそめて、ライダーフォンの電源を切る。今ここで誰かからの着信音が大きく鳴り響いたら、間違いなく気付かれて終わりだ。皆には悪いが、ここは一人で行動するしかない。
脳内で地図を描き、現在位置を大まかながら特定する。
(ここは確か商業地区と教育地区のちょうどど真ん中だから……)
活動しているのはウィズダムシンクスとジャスティスライド。だが前者はそろそろ仕事時間なので、助けは期待できないだろう。となると後者のジャスティスライドか。
そこまで考えて、ふっと頭に浮かぶ、ターコイズブルーの青年。
(魅上くん……も駄目ね。確か最近、虹顔市でしか見れないカタツムリを見つけて保護して回ってるって言ってたわ)
それにこんな雨の日、外には出ずに家の中でトレーニングでもしているだろう。同じように、残りの三人も家でくつろいでいるなりしていると思われる。何せ、今日は降水量がひときわ多いと朝の天気予報で言っていたから。
唯一の可能性があるとしたら、増水した川などに近づかないようにと言って回ってそうな蒲生慈玄か。ただここまで来るかは解らない。期待して待つには、不安材料が多すぎた。
(やっぱり、自分で何とかするしかないわね……)
深呼吸一つ。頼れそうなものがないなら、自分で何とかするしかない。生まれてきてから自分はそうしてきた。
凜花は改めて外の様子をうかがう。相変わらず雨は降り続けているが、逆に彼らから視界を奪っている……と思うしかない。でも確か、悪天候での戦闘訓練も積んでいると誰かが言っていた気がする。
立ち止まるか、進むか。考えていると、遠くでごごご……という音が鳴ったような気がした。それに合わせて、入り口から土がぼたっと落ちてくる。地滑りが始まったのかも知れない。
(まずい!)
凜花の頭に閉じ込められる危険がよぎり、思わず外に出てしまった。歓迎するかのように大雨が彼女の身体に降り注ぎ、服をさらに重くしていく。だがそんな事を気にする余裕もない凜花は、じゃり、と湿った土を踏み、カオスイズムがいそうにない場所へと走り出す。
ハンデはあれど、絶望的な鬼ごっこの始まりだった。
凜花の着ている服は耐水性と言うわけではない。故に降り注ぐ雨を吸収し、彼女に重みを与えてくる。対するカオスイズム戦闘員は水にも強い戦闘服なので、動きに問題はない。故に、あっという間に戦闘員たちは彼女を発見した。
「いたぞ!」
「追い詰めろ!」
戦闘員たちの足音が大きくなるにつれ、凜花は自分の考えの浅さを呪う。こうなるんだったら、閉じ込められるのを覚悟で洞窟に籠っていた方が良かったかもしれない。
しかし飛び出してしまった以上、もうあそこに戻る事はできない。今だと間違いなく気付かれてしまうだろう。
ぐじゅ、と汚い音を立てる靴。一応防水性のある靴を履いてきたのだが、この雨でその機能は完全に効果がなくなっている。砂利も入り込んでいるし、確実に凜花の足を重くしていた。
木々の間を警戒しながら走り回る。その間、電源を切っていたライダーフォンを取り出した。この際音が出る事には目をつむる。今は一刻も早く、レオンかライダーに連絡を入れなければならない。そう思って電源を入れた瞬間、すぐに着信音が鳴った。
『ご主人様、今どちらにいられます!?』
「解らないわ! 多分教育か商業のどっちか!」
『今GPSで探ります! 動かないでくださいませ!』
「無理よ! 今カオスイズムに追われてるもの!」
『何ですとぉ!?』
大げさに驚くレオンをよそに、凜花は辺りを見回す。視界が悪いせいでカオスイズムを見つける事はできないが、それは相手も同じだと信じたい。凜花はまた辺りを探りつつ木々の間を縫って走り出す。が。
バァン!
耳が今だ聞き慣れない銃声を捉えてしまう。業を煮やしたか、相手はとうとう銃まで使い始めたようだ。こうなると、移動にも危険が伴う。
とどまり続けるか、走るか。凜花はその二択に対し、後者を選んだ。相手の狙いはカオストーン。まだ持っているか解らない状態で、相手を撃ち殺すと言う事はないだろう。そう考えたのだが。
ぢっ、という鋭い音と、脚に走る鋭い痛み。銃弾が、凜花の脚をかすめたのだ。
「手ごたえあり! 逃がすな!」
戦闘員の声が聞こえる。遠くから足音まで聞こえてきたので、凜花はもう取り囲まれたとみていいだろう。鬼ごっこの終わりだ。
(どうしよう……)
カオスイズムはじりじりと距離を詰めてくる。レオンからの電話はいつの間にか切れてしまっていた。万事休すだ。
大人しくカオストーンを渡すか? いや、それでも彼らは邪魔者は消すと言って自分を撃ち殺すだろう。何より自分たちの重要性は相手も気づいているはずだ。ある意味ライダー以上に目を付けられていてもおかしくない。
もう一度レオンに電話するか? それも難しい。ライダーが間に合う前に自分が殺される方が先か。
ずきん、と脚が痛む。諦めろと言わんばかりのその痛みが、逆に凜花の闘争心に火が付いた。何とか立ち上がって、一歩踏み出す。諦めろ? 冗談じゃない。こうなったら最後の最後まであがいてやる。
それに何より。
ぶぉぉんっ!!
聞き慣れた音と共に、自分の元に降り立つバイク。ヘルメットを外すと、そこから現れたのは群青の髪の男――自分が絶対に来ると信じていた男だった。
「皇凜花、大丈夫か!?」
魅上才悟の言葉に完全に緊張の糸がぷつりと切れたのを感じた凜花は、微笑みながら意識を失った。
次に目を開いた時に見たのは、病院らしき天井だった。
否、実際に病院だった。すぐに看護婦が「大丈夫ですかー?」と落ち着いた声で話しかけてきたので、凜花はこくりと頷く。
「お目覚めになられましたか!」
「……」
逆方向からレオンと才悟が覗き込む。レオンは明らかに心配そうな顔だが、才悟の方は複雑そうな顔をしていた。その理由は何となく解るので、申し訳ないと言う顔で苦笑いを浮かべた。
看護婦が空気を読んですぐに出て行ったので、あっという間にその場は三人だけになる。それを見て凜花は改めて、「本当にごめんなさいね」と頭を下げた。それに対し、レオンはとんでもないと大げさに言うが、才悟はやはり黙ったままだ。怒らせたかな……と思って様子をうかがうが、どうもそうではないようだ。そんな二人の空気を読んだか、レオンは看護婦を連れて外に出て行った。
後に残るのは凜花と才悟の二人だけ。そんな二人を包むのは、重い沈黙だ。
「……ごめんなさいね」
先に沈黙を破ったのは凜花の方だった。才悟が目を丸くする中、凜花は言葉を続ける。
「魅上くん言ってたものね。困った事があったらオレに言えって。それを守らなくてごめんなさい」
「……ああ、そうだな」
思い出したらしく、才悟がぽつりと答える。
「心配した。執事から連絡があった時から……いや、その前から、キミに何かあったような気がした」
「え」
レオンからの連絡と言う事は、カオスイズムに囲まれた事に気づいた辺り。その前から彼は自分のピンチに気づいていたらしい。
「電話を受けた時、嫌な予感が当たったと思って飛び出した。虹顔市全部を走り回って、キミを探した」
「……」
虹顔市を、全部。いくらバイクがあったとしてもかなり時間と労力をかけた事だろう。それでも才悟は自分のピンチを悟って走り回ったのだ。
申し訳ないと思う。だが、嬉しくも思う。才悟がそこまで大事に思ってくれているのが解るからだ。それに。
「あのね」
落ち込んでるとも怒っているとも取れる複雑な顔のままの才悟の頭を、そっと撫でる。
「連絡を入れなかったのは悪かったけど、同じくらい予感はあったの」
「予感?」
複雑そうな顔が一転して不思議そうな顔になる才悟。思っている以上に表情豊かだな、とぼんやりと思う。
「私がピンチになったら、魅上くんが絶対に助けに来てくれるって予感」
才悟の顔が、ほんのりと赤くなった。