兄離れ

「ぜぇったい無理無理! やめた方がいいって!!」

 よく晴れたある一日。久しぶりに来た学校の屋上で、俺――ジャンゴは目の前の少女――アルニカに向かって怒鳴っていた。
「何よ、やりもしないで無理だなんて決め付けないでくれる? ちょっとした頼みみたいなものじゃない」
「ちょっとどころじゃねーって!」
 もう何度も何度も説得してるってのに、アルニカは断固として聞いてくれない。やりもしないで、って言うけど、俺に言わせれば無茶もいい所だ。
 アルニカの頼みというのは、「サバタ兄ちゃんと手合わせしたい」。
 ……最初聞いた時、何の冗談だって思った。
「だってジャンゴがあれだけ強い凄いって言うんだもの。いっぱしの戦士としては、手合わせしたいって思うじゃない?」
「思うじゃないって言われても……」
 そりゃ確かに俺だってサバタ兄ちゃんは憧れだし、手合わせして勝ってみたいとは思う。だけどそれはあくまで俺の考えというか目標。
 戦士っつーより普通の女の子(だと思う。とりあえず)のアルニカは、そういう手合わせとか真剣勝負ってのには向いてない気がする。
 それに、アルニカのレベルじゃとても兄ちゃんと互角に戦えるだなんて思えない。2分ぐらいで兄ちゃんがあっさり勝つだろう。ほんのちょっと手を抜いて。
 逆に言えば、それだけ兄ちゃんが凄く強いってこと。そう考えて、ちょっとだけ誇らしくなった。
「ちょっと、何にやにやしてるのよ。サバタの事で何でジャンゴがのろけるわけ?」
 さすがアルニカ。俺の顔の動きで、何を考えてるのかをしっかり読んだようだ。伊達に俺と一緒に行動してない。
 っていうかほっぺ引っ張るな! 結構つねりっていてーんだぞ!
 ギブアップと手を上げたら、すぐに手を離してくれた。つねられた場所をなでてると、アルニカがけらけらと笑った。
「で、OK出してくれるよね?」
 もう一度のお願い。ただ今までと違うのは、「OK出さないともっとひどい目にあわせるわよ」と手が訴えてる所だった。
 こりゃここでOK出さないと、本当にひどい目に合わされそうだ。
「解ったよ、とりあえず兄ちゃんに言ってみるから」
「やったぁ!」
 よっぽどうれしかったのか、両手を上げてまではしゃぎまくるアルニカ。ぴょんぴょんと飛び跳ねたりはしなかったけど、そういうところはマジで女の子だ。
 ……と、俺はあることに気がついた。
「アルニカのこと、どうやって紹介すりゃいいんだ?」
 何せ会ったのは兄ちゃんを追っかけてた旅の途中。何回かは顔を合わせてるんだけど、戦ってる途中だったりで自己紹介なんてしてる暇がなかった。
 アルニカの方は兄ちゃんを良く知ってるけど(何せ俺が色々話したからなー)、兄ちゃんの方はアルニカを知らない。どう説明しよう。
 兄ちゃんはああ見えても結構天然ボケた所があるから、間違えたら「彼女出来たんだな」なんて誤解しそうだ。そしたら、話がこじれること請け合い。
 旅の仲間か? それとも頼れる相棒か?
「サバタに挑戦したがってるジャンゴの知り合い、って事でいいじゃない」
「え?」
 知り合いって、それ。
「変な説明して誤解されたら大変でしょ?」
「まあ、そうだけどさ」
 アルニカも俺と同じ事を考えたらしい。誤解されたら手合わせどころの問題じゃないから、適当な知り合いと言うことでまとめたんだろう。
 でも、「知り合い」。
「それじゃ、サバタにそう言っておいてね!」
「え? あ、おい!」
 呼び止めたんだけど、もうアルニカには聞こえてなかったらしい。足取り軽く屋上から出て行った。
 残された俺は、もう突っ立ってることぐらいしか出来ない。
「俺の知り合い……」
 確かに、こうして喋ったりじゃれ合ったりしてたんだから、俺とアルニカは知り合い同士だ。だけど、何かそれで片付けられるのが嫌だった。
 今まで一緒にやってきた事や色々な事が、全部ちょっとした出来事になったような気がした。
 アルニカだって嫌がらせとかでそう言ったわけじゃない。俺や兄ちゃんを思いやって、そんなさらりとした言葉で片付けてくれた。
 だけど。
 やっぱり、寂しいと思う気持ちは晴れなかった。

 サバタ兄ちゃんには、アルニカが言った通り「兄ちゃんに挑戦したいって言ってる知り合いがいる」とだけ言った。
 兄ちゃんは俺の言った事を普通に受け取り(嘘つくなんて思ってないんだろうな)、「だったら早めの日がいいな」とすぐに日付を決めた。
 4日後。
 それが兄ちゃんの出した手合わせの日だった。
 何か微妙に間があるような気がして、そんなんでいいのかと聞いてみたけど、兄ちゃんは複雑そうに笑うだけで答えてくれなかった。
 そして当日。
 兄ちゃんはもう手合わせの場所の空き地に行ったけど、俺はまだ家にいた。
 家にいろと言われたからじゃない。逆に「ジャンゴも見た方がいい」と言われたけど、どうしても外に出ることが出来なかった。
 理由は、解らない。
 アルニカがひどい目にあうのを見たくないのか、それとも逆に兄ちゃんがやられるのを見たくないのか。もしかしたら、二人が戦うのを見たくないのか。
 解らなかった。
 解らないのが、怖かった。

 でもいつまでも家にいるわけにはいかないし、とぼとぼと足取り重く空き地まで歩いていった。
 どのくらい家に閉じこもってたか解らないけど、さすがにもう二人とも始めてるはず。そんな事を思ってたら、遠くから兄ちゃんの声が聞こえた。
「まだ、遅いッ!!」
「きゃあっ!」
 蹴りか何かが決まったのか、アルニカの悲鳴が後から聞こえてくる。
(あーあ、やっぱり)
 ヴァンパイアハンターで超一流な兄ちゃんと手合わせなんて、最初から無茶な話だったんだ。頭のいいはずのアルニカが、それが解らないはずはない。
 なら、何で。
 何で急にアルニカは、兄ちゃんと手合わせしたいって言い出したんだろう。兄ちゃんは、何であそこまでアルニカに厳しく当たるんだろう。
(……厳しく?)
 俺の思考はそこで止まった。
 よく見ると、兄ちゃんのやり方は昔とほとんど変わってない。つまり、昔俺と稽古した時とほとんど同じ。
 なのに、何で俺は「厳しい」って思ったんだろう。自分のことを思い出して? それとも相手がアルニカだから?
 目の前では、まだ兄ちゃんとアルニカが試合っている。やっぱりアルニカの攻撃は当たらず、兄ちゃんの攻撃だけが当たっていた。
 でも徐々にアルニカの動きが良くなってきてる気がする。攻撃は当たらないけど、兄ちゃんの攻撃を上手く最小限で抑えられるようになって来ていた。
 もうそのまま5分ぐらい続いただろうか。
「くっ!」
 アルニカの攻撃が、やっと兄ちゃんに当たった。当たったのは左手だけど、それでも今は結構痛いと思う。
 攻め時と見たのか、アルニカが大きく突っ込んでいく。重みを乗せた痛い一撃だって、傍から見ている俺でもわかる。でも、それを大人しく受ける兄ちゃんじゃない。
 あっという間に手首を返し、その勢いのまま、隙だらけになった背中を大きく木刀で叩いた。これが普通の試合なら、決着がついていたと思う。
 打ち所が悪かったのか、アルニカがばったりと倒れる。
「アルニカっ!」
 大きく倒れたアルニカの元に駆け出す。抱き起こすと、彼女は「うーん」と呻って頭を何度も振った。その目は、まだ終わっていないと言ってる気がする。
 でも俺はもうやめて欲しいって思った。もうここまで解りやすいまでに決着が着いたんだから、もう終わりにして欲しかった。
 兄ちゃんの方に視線を向けると、兄ちゃんは俺の言いたいことがわかったらしい。
「もう終わりにしようか」
 それだけ言って、兄ちゃんは背中を向けて家に帰って行った。兄ちゃん、と声をかけたけど、兄ちゃんは足を止めることはなかった。
 俺はそのまま後を追うか、それともアルニカの側にいてやるべきなのか解らなくなってしまう。
「行けば?」
 背中をさすりながら、アルニカが言う。
 服を着ているから打たれた場所が赤くなってるかは解らないけど、やっぱり痛そうだ。放っておけと言われても、放っておけない。
 でもアルニカはにこりともせず、俺の背中を押す。
「いいのかよ」
「いいのよ」
 私の怪我はそんなにひどくないから、と後押しされ、俺は兄ちゃんの後を追う。
 いいのよ。
 その一言も、俺の心に空っ風を一つ吹かせた気がする。今は風一つないのに、凄く寒かった。
 ぶるぶると体を震わせると、その寒いのも少しは収まった。いつまでもしょぼくれてるわけにもいかないし、急いで兄ちゃんの後を追う。
 慣れた道を早足で行くと、あっという間に兄ちゃんに追いついた。兄ちゃんはいつもと変わらない足取りだったけど、俺が後ろにいるのに気づいて振り向いてくれた。
「兄ちゃん」
 呼ぶと、兄ちゃんはうっすらと笑った。いつもの笑みとは違う、どこか遠い笑み。
「あの子はなかなか筋がいいよ。我流であそこまで磨いたんだから、師を見つけて修行すればもっと強くなれる。かなりの腕のハンターになるだろうな」
 手放しの褒めに、何となく嬉しくなった。
 そうだぞ、凄いんだぞ、と誇らしく自慢したくなった。
「そりゃそうだろうけどさ」
 でも、口から出たのは、自慢でも共感でも何でもない一言だった。アルニカのことを褒められて嬉しい、誇らしいけど、だけど。
「そりゃそうだろうけどさ!」
「ジャンゴは」
 さえぎるように、穏やかな声で兄ちゃんは言った。
 真顔だった。
「アルニカちゃんを、庇ってたな」
「――え」
 あまりにもとっさ過ぎて、俺は頭の中身が空っぽになってしまった。言い訳一つ、浮かばなかった。
(言い訳?)
 つまり、兄ちゃんの言葉を認めたも同じだということ。兄ちゃんが言った事が、真実だということだ。
「いいんだよ、それで」
 兄ちゃんはまたうっすらと笑った。さっきと全く同じ、遠い笑みを残して、そのまま家に帰って行った。
 今なら解る。あれは間違いなく、嬉しいと思っていても寂しがってる笑みだった。
 解ってしまったから、俺はどうすればいいのか解らなくて、そのまま立ち尽くしてしまった。

 遠いのは、兄ちゃんが遠ざかったからか。それとも、俺が兄ちゃんから離れたのか。どっちか解らないけど。
 間違いなく、俺と兄ちゃんは、ほんの少し離れていた。