弟離れ

 どかっとソファに座ったのを見て、おてんこさまが物珍しそうにこっちを見た。
「ずいぶんとご機嫌斜めだな」
「ふん」
 そりゃそうだろう――サバタはそう思った。自分はどちらかと言うとキレやすい。ちょっとした事でも腹を立てたりしやすいのだ。
 それでも前までは、皮肉屋を演じることで上手く自分の感情をコントロールしていたのだが、ここ最近はそれも難しくなっている。
 多分、自分が少しずつ変わろうとしているからなのだろう。いつまでも同じ場所にいることはできないし、いたくはない。だから変わらなくてはいけない。
 ……心では、そう納得しているのだが。
「上手くいかない事でもあったか」
「……何故分かる」
 思いっきり核心を突かれた一言に、ついいつもの態度が消えてしまった。その顔を見たおてんこさまはかかと笑う。
「顔に書いてある」
 その一言に大きく動揺してしまう。
 弟ならともかく、自分は顔に出すなんて事は滅多にない。今も自分は見た目は普通に振舞えていると思っていた。だが、おてんこさまは違うと言う。
 年の功と言うやつなのだろうか。彼(?)は太陽意思の使者として、長い間太陽仔と共に戦ってきた。だから、人の感情もある程度分かるのかもしれない。
「大方、お前の一言で誰かが怒ったんだろう」
 またおてんこさまの素晴らしい読みに、とうとう言葉が出なくなってしまう。何故こうもあっさりと。
 もう勘弁してくれと思う反面、どうしてそこまで解るんだと聞きたい衝動に駆られる。どうしてそこまで何もかもが解るのだろう。
 自分は解らないことだらけで、そのまま溺れてしまいそうだというのに。
 しかしそれを口に出せたら、サバタというキャラクターではない。教えてくださいなんて頭を下げる自分を想像し、余りの情けなさに頭を抱えたくなった。
(教えてください、か)
 でも、今日はそう言いたくなるくらいに解らないことがあったのも、また事実だった。
 きっかけは些細なことだった。ジャンゴたちと適当に会話していたら、突然ひまわり――ザジがキレた。
 どうせすぐにけろりとした顔で元に戻るとタカをくくっていたら、予想以上にそれは長引き、とうとう杖を振り回すまでにもなった。
 ジャンゴたちはわかりきった顔で簡単になだめてから、「それじゃ」とあっさり帰ろうとした。当然自分もついて行こうとしたのだが。
「何でサバタまで帰ろうとするの」
 足を止められた。
 ジャンゴたちが帰るのだから、自分も帰って当然。キレたひまわりはもう慰めたのだから、自分たちがここにいる理由は全くないはずだ。
 なのに、ジャンゴたちは自分が帰ろうとした事に怒った。
「お前が帰るんだから俺も帰る。それだけだろうが」
「僕が残ってたら帰らなかったの!?」
「それは……」
 口喧嘩にまで発展するかと思った時、ジャンゴが呆れたように一言付け加えた。
「サバタ、頼むから少しは考えて!」
 その一言にかっとなり、サバタはそのままの勢いで家に帰った。あの後ひまわりはどうなったのか、ジャンゴたちはどうしたのか、それは解らない。
 おてんこさまはその時の騒動や兄弟喧嘩の事は知らない。だが、彼の視線は暗にサバタを責めていた。
 お前が悪い、と。
(冗談じゃない!)
 自分は被害者のようなものなのだ。なのに、何故こうも自分を加害者のように扱ってくるのだろう。それが赤の他人ならともかく、弟であるジャンゴが。
 いらいらしたままソファに寝転がると、ふうとおてんこさまのため息が届いてきた。
「甘えん坊に甘えさせてやれ、というのは無理な話なのかも知れんな」
「何だと?」
 おてんこさまの言葉に、また反応してしまった。
「言葉通りだ。ただ単に、ジャンゴやザジは甘えてばかりのお前に対してキレただけに過ぎんよ。いつまでジャンゴにしがみついているつもりだ、とな」
「俺が甘えていただと!?」
 聞き捨てならない。一体いつ自分がジャンゴに甘えたというのか。そもそも、自分が甘えているなどとどこから出てきたのか。
 起き上がってにらみつけるものの、おてんこさまはどこ吹く風だ。
「ジャンゴに対してちょっかいをかけているのは、『俺に構え』『俺だけを見ていろ』と怒鳴ってるようにしか見えんよ。
 そうする事で、ジャンゴはお前だけの面倒を見ざるを得ないし、お前もジャンゴだけが必要になるから、ずっとそうしていたいとな」
「そんなわけ」
「『そんなわけない』か? だが私は、お前がジャンゴ以外の誰かといるのを最近見たことがないぞ?」
 ……言葉に詰まった。
 反論したかった。嘲笑ってやりたかった。一体何を見ているんだと馬鹿にしてやりたかった。
 だが、現実は口は言葉をつむぐ形にすらならず、自分は指一つ動かせない。話をそらすにしても、視線はずっとおてんこさまから動かせなかった。
 体全体で、おてんこさまの言葉を認めているのと同じだった。

 ――サバタ、頼むから少しは考えて。
 それは紛れもなく、ジャンゴの悲痛な叫びだった。
 いい加減、弟離れしてくれと。自分だけを見て生きていくのはやめてくれと。

「ザジは大人だ。お前なんかよりもな。だからこそ、甘えてばかりのお前を見てイラついたのだろうな。お前の態度が悪すぎた」
 そこまで言われて、サバタはようやくおてんこさまも事情を知っていることに気がついた。
「……誰から聞いた」
「ジャンゴがぶーたれていたのでな。話し相手になってやっただけだ」
 全く、サバタは僕がいないと駄目なんだから。
 それを切り口として、ジャンゴはかなりおてんこさまに愚痴を言ったらしい。よっぽど自分の態度に対してストレスがたまっていたのだろう。
 ジャンゴは懐の広さで、自分のわがままや甘えを受け入れていた。そして自分はそのジャンゴにずっと寄りかかっていたままだった。
 教えてくださいと頭を下げる姿よりも情けない姿に、サバタは頭を抱えた。
「あの馬鹿……」
「お前も馬鹿だろうが」
 おてんこさまの一言が耳に痛い。弟が馬鹿なら、自分は甘えん坊の馬鹿。一体どっちが恥ずかしいのだろう。
 しばし、沈黙が満ちる。
 ぎゅっと目を閉じると、ひまわりのかんしゃく姿がぼんやりと浮かんできた。今彼女は何をしているのだろう。まだ自分に腹を立てているだろうか。
「……お前がヴァナルガンドの元にいたころ、リタも同じようにかんしゃくを起こしたことがあってな」
 おてんこさまがぼそりと言った。
「急に大声で泣き出すわ物は投げるわ、極めつけは『ジャンゴさまなんて大嫌い』の一言だ。あれはジャンゴも相当堪えたんだろう。
 その日一日はずっと『泣かせるつもりはなかったのに』『あんな事言われるなんて思ってなかった』とおろおろしてたぞ」
 その時の様子を思い出しているのだろう。おてんこさまは笑っていた。
 弟のおろおろした顔。とても見てみたいのだが、多分無理だろう。同じ状況になっても、自分相手では怒るのがオチだ。
「まああのままではどうしようもないから、一緒にいてやったらどうだとアドバイスしてやったよ」
「一緒にいてやれ、か……」
 自分のキャラじゃない、と言いそうになり、やめた。それこそ、また甘えになると思ったからだ。
 どうすればいいのか、自分にはまだ解らない。
 ただ、今行動しなければ変わらないということだけは解った。

 数分後、サバタが家を出て行ったのを確認してから、ジャンゴが家に戻って来た。