現実世界。
レビが突然倒れたので最初はパニックになったが、リッキーが「精神がここにはいないだけだ。じきに元に戻る」と断言したので、荒らされていなかった家で療養させる事にした。
もちろん、レビが倒れている間何もしないわけにはいかない。リッキーとおてんこさまにレビを任せ、シャレルは一度自分の家に戻ることにした。
完全に破壊されているかもしれないが、まだ何か役立つものがあるかもしれないと思ったからだ。
「で、ここが貴女の家?」
退屈だから、とついて来たブリュンヒルデが、荒らされた家を見回して言った。隠すつもりはないので、素直にうなずく。
懐かしい家はあちこち蹂躙されたものの、その原型は何とかとどめていた。
この状態だとろくなアイテムはないだろうなー、と思いながら、シャレルはご丁寧に玄関から入る。あちこちガタが来ているが、歩けないほどではなかった。
床が抜けないように身長に歩きながら、居間や台所などを見て回る。こっちの予想通り、使えそうな物は全然なかったが。
ブリュンヒルデが壊れたまな板などに何故か興味を示していたが、詳しく説明するつもりはない。シャレルはその先へと歩く。
シャレルたちの家は二階建てで、一階は台所や居間、応接室と両親の部屋だ。二階が子供たちの部屋と物置、ちょっとしたスペースがある。
二階に上がる階段が壊れていたので、自分の部屋に行く事はできない。とても役立つものがあるとは思えないので、そのままにしておく。
一階で調べていないのは、母親の部屋だけだ。父の部屋は襲撃される前に一回覗いた事があるのだがほとんど何もなかった。
意外と何も残さない父に驚いたものだが、今考えるとこうして荒らされて跡形もなく壊されるより、数少ない思い出の品を自分で持ち歩いた方がいいと思っていたのだろう。
父の部屋とは逆に、母の部屋はしょっちゅう入っていた。面白い話を聞きたさに何度も出入りしたのだ。
母は襲撃を食らった時、残された孤児たちを助けるために街中を回っていたのを最後に、誰も見ていない。タイミングよく行方不明になった父とあわせて考えると、母も事件が終われば無事に帰ってくるだろう。
ノブを回して開けようとするが、何か引っかかるのか扉は全然動こうとしない。
鍵は開いているので、扉自体の問題のようだ。
「開かないの?」
「うん。まあ手はあるけどね」
覗きこむブリュンヒルデを下がらせて、シャレルは剣で扉を切った。
「結構手段選ばないタイプね、貴女」
「自分の家だから」
ブリュンヒルデの呆れたツッコミを適当に返しながら、母親の部屋の中に入る。
ここも例外ではなく、ほとんどの物が破壊されたり燃やされたりしていた。やっぱりここもダメか、と思いながら出ようとすると、何かが視界を掠めた気がした。
「……?」
ちょっと気になるので、もう一度部屋の中へと視線を移す。今度は徹底的に見て回ると、机のあたりに何かが引っかかっていた。
徹底的に破壊して回ったために、何かが転がり落ちたのだろう。拾ってみると、それは走り書きだった。ところどころかすれているが、読めないわけではない。
目を凝らして見てみることしばらく。自分がわかった言葉だけを拾ってみた。
「大地の後継、地に這い蹲る者、天へと逃げようとする者。土から離れて生きるために出来る事。太陽と月、相互関係。宿命の絆。犠牲となるもの……」
「太陽は月になれず。月は太陽に非ず。大地は太陽と月には届かず。
しかし忘れる事なかれ。月は常に太陽と共に在り、太陽は月が在ってこそ意味を成す。
大地は海と共に在り、奇跡を為せる唯一の力。万物の根源、全ての始まり。終焉を導く、全ての終わり。
始まりと終わりが集いし場所にて、ここに汝への想いを封ず」
言葉を拾っている最中、いきなりブリュンヒルデが聞いたこともない詩を謡い始めた。流石に気になるので、ブリュンヒルデの方を向いた。
「何それ?」
「ニーベルンゲン様が謡う原始の詩よ。終焉の笛――ギャッラルホルンとも呼ばれるけどね。古くから伝わるこれは、長い時を生きてきた種族は全員刻み込まれてるはずよ」
そのギャッラルホルンは新生と終焉を謡っているらしく、今の状況に当てはまりそうなものもあれば当てはまらないものもいくつかあった。
例えば、太陽と月。
太陽仔と月光仔は対を成す存在と言われ、何だかんだと常に一緒に行動していた時が多いらしい。父が太陽の血を濃く受け継ぎ、伯父が月の血を濃く受け継いだ。
そして自分と従姉も、太陽と月を背負っている。だが、どう足掻いても自分は従姉にはなれないし、従姉は自分ではない。
それから大地。
これは生命の社である太陽樹という例もある。大地や海は、命を生み出せる力を持っている。始まりはそこから来たのだろう。
しかし、同時にその命は原種の欠片という存在も生み出したし、生存競争の果てに世界は一度滅びた。終わりは、その事を指しているのかもしれない。
となると、始まりと終わりが集いし場所とは……。
「おそらく、大地の揺り篭……アースクレイドルを指した詩なんでしょうね」
ブリュンヒルデがシャレルの頭を整理するように言った。ぽりぽりと頭をかきながら、もう一度走り書きに目を通す。
詩と共通している言葉は「太陽と月」ぐらいだろうが、どことなくアースクレイドルを指した詩と同じものを感じる。これは一体どこを指しているのだろうか。
しばらく考えたが、いい答えは全然思いつかない。
悩むよりももっとやるべき事を思い出し、シャレルは紙切れを持って外に出た。
「……はっ」
どうやら疲れてうとうとしていたらしい。
ジャンゴはぼーっとしていた頭を何とか活発にさせ、いまだ腕の中にいるリタの方に視線を向けた。
疲れ果てたリタは、今は穏やかな寝顔を見せている。
「はぁ……」
今はせめて穏やかな眠りの中にいてほしい。ジャンゴは切実にそう思う。
彼女の中に根付いているダークをどうにかする方法は、まだ解らない。自分がリンゴに噛まれた時とは違って、パイルドライバーで浄化すればいいという問題ではないのだ。
中にいるダークに直接ダメージを与えられる方法。それさえあれば、リタを助ける事ができるかもしれない。しかし、どうすればいいのか。
いつ彼女の中のダークが目覚めるか解らないので、迂闊に遠い所に行けない。バイクで走っているうちに目覚め、首を絞められたら一巻の終わりだ。
とは言え、いつまでもここにいても、事態は好転しない。それにここはサン・ミゲルではない余所の町。いつまでもここにいるわけにはいかないだろう。
一体どうすればいいのか。それが解らない。
誰もいない廃屋の中、ため息だけが広がっていく。それで思い出したかのように寒さがやってきて、薄い布団しかまとっていないジャンゴは身震いしてしまった。
と。
「なーんや、心気悪そうな顔やなー」
懐かしい声がしたかと思うと、ザジが転移で目の前に現れた。いきなりの友人の登場に、現金だなとは思いながら、ぱっと顔を輝かせてしまった。
ザジは抱き合っている二人を見てにまりと嫌な笑みを浮かべたが、ジャンゴが一睨みするとすぐにその笑みを消した。流石に状況は解っているらしい。
ジャンゴの腕の中にいるリタは、今のところはまだ眠っている。魔力やそういうのに詳しくないジャンゴから見るに、今は大丈夫だとは思っているのだが。
「どう?」
「……今ん所は安定しとるわ。せやけど、いつ何が起きるかは解らへんねん」
「そうか……」
峠はまだ越えない――というより峠自体が見えない。このままではリタだけでなく、自分も衰弱死してしまうかもしれなかった。
(シャレル)
遠い未来にいる自分の娘に向かって呼びかける。
(助けて。このままじゃあ、リタが……!!)
助けて、と誰かが言った気がした。
「?」
誰かなと思って辺りを見回しても、それを言ったと思われる人物はいない。人はいても、「助けて」と言ってくるほどの状況ではなかったし、言ってくる性格ではないと知っていたからだ。
「シャレル?」
急に辺りを見回し始めたシャレルに、リッキーが話しかけてきた。
不振がられないように手を振ってごまかしていると、もう一度「助けて」という声を聞いた。耳ではなく、脳や感覚がそれを聞き取った。
(父様!?)
間違いない。リンクは切れているが、確かに父の悲鳴を自分は聞いたのだ。
あの父が悲鳴を上げてしまうほどの何かが、過去で起きた。それが何なのかは、何となくではあるが予想はつく。
今まで散々、過去と未来がリンクする事があったのだ。今回もきっとその類だろう。――つまり、ダークに関係する何か。
全てが終焉へと繋がり始めている。自分ひとりの問題ではないと言うのはよく解っているが、自分ひとりで片付けなくてはならない問題でもあるのだ。
「……おてんこさま」
シャレルがこっそり呼びかけると、おてんこさまはシャレルの方を向いた。
ちょいちょい、と招く仕草をすると、いぶかしがりながらもおてんこさまはついて来る。そのままリッキーやブリュンヒルデには内緒で、二人は自分たちの家を出た。
そのまま太陽樹――アンデッドの襲撃時も、何とか生き延びたのだ――へと向かう。その間も、おてんこさまはずっとぶつぶつと今後について対策を練っていた。
「一体どうしたんだ」
根元まで来ると、おてんこさまはいらいらしながら聞いてきた。何となく出会った時の頃を思い出しながら、シャレルは「ちょっとね」と話を切り出した。
「おてんこさま、元の時代に帰そうかなって」
当然、シャレルの一言におてんこさまは猛反対した。ダークが降臨するか否かの瀬戸際に、自分だけ帰るなんて納得いかないのだろう。
確かにおてんこさまとダークとの因縁は長く深い。だが、おてんこさまは今の時代のおてんこさまではなく、「父が太陽少年だった頃」のおてんこさまなのだ。
おてんこさまは元の時代に帰り、その時代のダークと戦うべきなのだ。
そして何より。
「父様がおてんこさまを待ってる。だから、おてんこさまも帰った方がいいよ」
「だが!」
「太陽樹……ソルもそれがいいって」
シャレルはそう言うと、軽くおてんこさまを押す。
力は入れていないのだが、ついおてんこさまは太陽樹の方へと押され……そして消えた。