『保険』が引っかかったと聞き、オヴォミナムは急いでその場所に行った。
本当なら、器を完成させるために心当たりのある場所へと行くつもりだったのだが、『保険』の方も大事なのでそっちの方へと急ぐ。
使い魔でもある吸血人形の報告通りに大聖堂の地下へと行くと、そこには月下美人候補である黒翼姫レビが倒れていた。
「ふ、まさか本当にこんなのに引っかかってくれるとはね」
オヴォミナムは嘲笑いを浮かべながら、ドゥネイルのコピーである吸血人形を破壊した。
吸血人形は素材を作り上げる時にアレンジすれば、誰かそっくりに仕立て上げることも可能である。さすがに性格や記憶そのものまではコピーできないが、外見程度なら完璧に似せることができる。
同じ影の一族だった白きドゥネイルの劣化コピーなら、簡単にできるというわけだ。
「ま、これで保険はかけることができる。彼女ぐらいの力の持ち主なら、原種の欠片の制御も可能だろうしね」
幸い、かけられた封印は少し緩んでいる。ちょっとゆすればすぐに弱くなるだろう。その時こそ、彼女の出番となる。
意識を失っているレビを抱えると、オヴォミナムは最初の目的地だった場所へと飛んだ。
返りたい。彼はそう言った。
「どういう事だ?」
エフェスの言葉が理解できず、フートは首をかしげる。
問われた方は自分で自分を抱きしめながら、辛そうに言葉をつむいだ。
「エフェスはフート。フートはエフェス。ただそれだけのこと。
でもエフェスには何もない。ダークがエフェスに何も与えずに外に出したから。だから、エフェスはフートの元には返れない。返らなくちゃいけないのに返れない」
「全然解らない」
「いつか解るよ。……ううん、解っているんだけど解ろうとしないだけ。フートにとっては、エフェスはもういらないものだろうけど」
本人は解ると言っているが、フートにはさっぱりだった。解っているけど解ろうとしない?
(……あの声!)
考えているうちに、一つのヒントが浮かび上がる。最近フートの脳内に響いては、常にどこかに導こうとしている「声」。
あの声とエフェスが関係あるのなら、彼の言う『返りたくても返れない』という意味が少しだけ解る気がする。エフェスは間違いなく、自分の……。
――自分にとってはいらないもの。そうだろう?
「「!!」」
タイミングよく聞こえてきた「声」に、フートだけでなくエフェスも顔色を変える。
相手を捕まえた「声」は、チャンスを逃すことなくフートを圧迫しようとしてきた。頭の中だけでなく、体すべてを押さえ込むようなプレッシャーに、ついにひざをついてしまう。
頭上にあるはずの太陽が、ふっと掻き消えた気がした。
――いらないから排除した。そして今は形を以ってここにあるだけ。そのような存在だ。
お前の代わりにもならない。かりそめの体とかりそめの魂しか持たない、お前のレプリカ……。
「黙れ……!」
搾り出すように声を上げるが、相手はそれに屈することなく続けてくる。早く来い、早く従え、早く受け入れろ、早く……。
呪詛のように続くその言葉に、フートの心が消え去りかけたその時。
「うわぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
エフェスの絶叫で、フートは何とか意識を取り戻した。震えるひざに渇を入れて、何とか立ち上がる。
首を何回も激しく振ると、声も諦めたのか、覆い被さるようなプレッシャーがどんどん引いていった。ようやく落ち着いて周りを見渡す余裕ができ、エフェスの様子も確認できた。
そのエフェスはというと。
立ち上がったフートとは違い、彼はぺたんと座り込んで立ち上がることができそうになかった。さっき絶叫して腰が抜けたのか、それともこの日差しがきつすぎるのか。
少しよろめきながらも彼に近づいて、その肩に触れる。一瞬、静電気のような痺れが走ったが、それだけだった。
「……やっぱり、フートの元には返れない」
「そのようだ」
ここまで来ると、フートもある程度はエフェスの正体が解った。とはいえ、解ったところでどうしようもないのだが。
「お前はこれからどうするんだ?」
そう問うと、エフェスは何のことだか解らない、という顔でこっちを見上げてきた。
何かをするって、何?
「エフェスが? これから?」
「ああ」
それでもエフェスは解らないという顔だ。
『自分で』何かをするということがまだ解っていない――解ろうとしていないから、誰かが何かを言わないと動かないのだろう。――無意識ならともかく。
さて、どうするべきか。
降り注ぐ日差しのことを忘れ、フートはその場に座り込んだ少年をどうしようかと考え始めた。
少女たちの失踪事件にイモータルが関係あると踏んだシャレルとおてんこさまは、その失踪事件を追うことにした。
まずは適度に情報を集め、事件のことを知る。狙われた少女たちの特徴、行方不明になった日、最後に見かけた場所など。
さすがに詳しく解らなかったが、それでもこの町の住人が知っている程度の情報は集まった。
「狙われているのは十代前半か……」
集めることのできた情報をまとめながら、おてんこさまがつぶやく。
そう、狙われているのはなぜか十代前半――それもシャレルぐらいの年齢の子なのだ。行方不明になった日や最後に見かけた場所などはばらばらだが、これだけは全部の事件に共通していた。
幼女趣味の人間が無差別にさらっているだけにしては証拠などが一切見つからないあたり、何か大きな犯罪組織が動いているのではないか、という噂もあるくらいだ。
「ただの犯罪組織なら、ギルドのエージェントが動いておしまいなんだろうけど」
ロングブーツのずれを直しながら、シャレルがぼやく。
この事件、ギルドのエージェントが動いてるにしても一方に止まる気配がないあたり、イモータルが動いてると見て間違いないだろう。だが、いったい何のために?
こういう時、物語なら生贄のためという理由なのだろうが、イモータルは普通の人間の命を軽く見ている。一山いくらの人間の命をかき集めたところでどうにもならない、そう考えているのだ。
その一山いくらの人間の命をかき集めてまでやりたい事。それが読めない。
もう少し情報がほしいが、この町で得られる情報はもうこれが限界だろう。別の町に行くか、それとも事件の中心に飛び込むか。
「……行くか」
断言して立ち上がる。おてんこさまもそれを見て真剣なまなざしになった。
「どうするつもりだ?」
「セオリー通り、おとりで行くんだ。ボクなんかはダイレクトにターゲットにあうだろうからね」
「ふむ、なら私は尾行と行くか」
話はまとまり、後は適当にぶらつくことにした。犯人がさらう時間帯が決まっていればその時間帯にぶらつくのだが、相手は無差別にさらっているのでこうして回るしかないのだ。
日は落ち、夜になろうとしている。おてんこさまにはつらい時間だが、だからと言って明日に回すこともできない。
(父様にも一応連絡してみるか)
ふとそんなことを思い立ち、シャレルはジャンゴとのリンクを繋いだ。
最初は鍵がかかっている家に入り込んだことで大騒ぎになったが、ジャンゴの家に用事があった事、鍵は渡してくれた合鍵を使って入ってきた事を説明すると、その騒ぎも収まった。
どんな用事なのかは、一言も語ってくれなかったが。
「リタ、家に帰らないの?」
日が沈んでもここから動く様子がないのでジャンゴが問いかけるが、リタは「お構いなく」と微笑んだ。
いつものリタなら、店のこともあって夜まで遊んだりはしない。そもそも自分の家に来るということ自体あまりないのだ。
合鍵を渡したのは、一人暮らしの彼女を案じてのこと。同じ一人暮らしであるザジにも一応渡してはあるが、それが使われることは滅多になかった。
それが今日に限って、合鍵を使ってまで家に上がりこみ、夜になっても帰ろうとしない。
(一体どうしたんだ?)
彼女の分を加えた晩御飯を作りながら、ジャンゴは考える。
乱暴な面もあるが普通は慎ましく真面目な性格の彼女が、ここまで普段とは違う行動をとる理由。ずっと微笑んでいるような彼女が、ここまでいつもとは違う理由。
もしジャンゴがもうちょっと成長していれば、その理由をある程度邪推するだろうが、まだ幼いといっていい年齢の彼にはただ疑問符を浮かべるしかなかった。
ふと、居間の方を見る。
リタは手近なところにあったチラシなどを見ていたが、こっちの視線に気づくとにっこりと微笑んだ。
その笑みは、いつもとは微妙に違っていた。
「ふう…」
適当に味付けした料理を盛る。そんな時。
――父様? 今何してるの?
娘から急にリンクがつながれた。
いきなり何だと思いながらも、とりあえず「今は家にいる」とだけ答える。原種の欠片について調べていたことは、一応伏せておくことにした。
未来の自分がどう話したかは知らないが、原種の欠片はまだ黙っておいた方がいいと思ったのだ。
シャレルはしばらく黙っていたが、「こっちはちょっと失踪事件を追ってるんだよね」と言ってきた。
――失踪事件?
さすがにちょっと気になるので聞き返す。手短かつ簡潔なものだが、彼女は答えてくれた。
十代前半の少女たちが片っ端からいなくなるらしく、手がかりもその行方もつかめないことから失踪事件として取り扱われているらしい。
エージェントたちも動いているのだろうが、まるっきり何もつかめないらしく、イモータルの仕業ではないかと二人は考えているらしい。
残念だが、自分がぶつかった事件に失踪事件はない。行方不明になったのを探したのは兄ぐらいだ。
しかし、狙われているのが少女ばかりというのが気になる。しかも十代前半となると、もろシャレルの年齢にあたるのではないだろうか。
まさかシャレルがさらわれる事はないだろうが、それでも心配なのは事実だ。少し警戒しろ、とだけ言ってリンクをこっちから切った。
一息ついて料理を運ぼうとすると。
「ジャンゴさま?」
「うわっ!!」
いきなり顔を覗き込まれ、危うく料理を落とすところだった。
リンクしている間は棒立ちだったので、リタが接近していることに気づかなかった。その態度にも首を傾げつつ、ジャンゴはリタとともに居間に行く。
部屋に帰っていたサバタを呼び、客人一人を入れた晩御飯に手をつけた。
ジャンゴは気づかない。
リタの目の色が木々を思わせる緑ではなく、血を思わせる真紅になっていることに。
――もうすぐだ、もうすぐ……