歌が響く。限りなく威力を落としたものだが、カーミラの周りの床を粉砕させるには充分だった。
「きゃあっ!」
元々腐食していてぼろぼろだった床が抜け、カーミラは劇場の地下へと落ちる。今度は日の光がどこからも差しようがない完全な闇だ。
カーミラにとって闇は憩う場でもあるが、今の状態ではのんびりとは出来ない。槍を構えてセレンがいるであろう上を見上げた。
セレンが何処かへ行く気配はない。こういう時、大抵は上に繋がる穴をふさいで水を流すものだが、相手はどうもそれをする気はないようだ。
かと言って、ここに下りてくる様子もない。相手は何をしたいのだろうか。
「♪――――――――!」
また歌が響く。今度は少し長めで、声量も劇場全体に広がるほどのものだった。
「……――♪」
「!? ぐっ!」
どこかから聞こえた歌は拘束の力を持っているらしく、サバタは聴いた瞬間に膝をついてしまった。相手が見えないので、音を元から吸収するブラックホールも使えない。
それでも這い蹲るように動いて、歌の大元である深海王のところへ行こうとする。暗黒転移を使いたいところだが、この状態ではカーミラのサポートなしでは10メートルも跳べないだろう。
カーミラのこの歌を聴いているはず。急いで合流して応戦体勢を整えなくてはいけなかった。
「くそ……っ」
歌の拘束力が強くて、立ち上がれば歩くこともままならない。それでもサバタは一歩一歩確実に歩いていくが、バランスを崩して倒れてしまった。
攻撃が来る――そう思って体を固くするサバタだが、タイミングよく(悪いのかもしれないが)歌が途切れて拘束から解放される。
体の芯からの痺れを強引に振りほどいて立ち上がると、ようやく辺りを見回せる余裕も出来た。視界も徐々にだが回復していく。
薄暗いのと老化しているのもあってわかりにくかったが、今サバタがいるのは二階観客席だ。奥までとは行かないが、舞台から一回客席までよく見通せる。
「…いないか」
歌はここらから聞こえてきたのだが、カーミラも深海王もいない。どうももっと奥にいるようだ。
カーミラと連絡が取れれば相手を見つけて追い詰めることも出来るだろうが、彼女の方からリンクをきってしまっている。連絡を取るどころか、相手の無事を確かめることも出来なかった。
はやる気持ちを抑えて、サバタはもう一度辺りを確認してから一階に降りた。今はこうしてしらみつぶしに探していくしかない。体は未だに不調を訴えているが。
そしてまた、歌が響いた。
「一緒に来たあの少年……彼が月下美人ですの?」
上からセレンの声が聞こえる。拘束させる『歌』が響いているはずなのに、それは確かに肉声で聞こえた。
「そうですよ。暗黒少年でもありますけどね!」
カーミラは膝をついたまま、上にいるであろうセレンに向って声を張り上げる。問いかけ方にあのハスターに似たものがあったが、彼女の場合は本当に知らなそうだった。
月下美人を知ってはいてもサバタのことは知らない。一見不自然に思えるが、代替わりをしたのはエターナル事件でのこと。意外と知られていないのかもしれない。
それはさておき、カーミラからサバタの事を聞いたセレンは歌をやめてしばらく沈黙していた。拘束の魔力を持った歌が消えたことで、カーミラはようやく立ち上がる。
さて、どうやって上に上ろうか。
真上にちょうどセレンがいるので上るのは危険かもしれないが、かと言っていつまでもここにいるわけにはいかない。どうにかして上がる必要があった。
今カーミラがいる地下は舞台の設置のためにある小部屋らしく、壁は粗雑で荷物はなかった。まあここに来るのは劇に関係ある人物だけなので、そう装飾する必要はなかったのだろう。
階段が近くにないだろうか。それならリカバーは早いし、サバタと合流できるかもしれない。
上にいるセレンが黙って見逃してくれるかどうかはわからなかったが、カーミラは階段を探し始めた。今は上に上がってサバタと合流する方が先だ。
暗闇の中、半分近く手探り状態で探す中、歌が彼女の後を追いかけてきた。今度は拘束するものではなく、明らかな攻撃のもの。
空気が震えて刃となり、カーミラを襲った。
「♪――――――――――――――――――――――――!!」
音という名の槌が床を砕き、壁を粉々にする。同時に刃でもあるそれは、カーミラの肌にいくつか浅い傷を付けていった。
「……つぅっ……!」
浅い傷が集中力をかき乱していくが、カーミラは歯を食いしばって耐える。
急がなくてはいけない。
早くサバタさまと合流して、クストースを倒さなくては……!
深海王の『歌』はサバタの耳にも届いていた。攻撃範囲ではないため、歌だけが聞こえたが、その感じられる魔力が攻撃的なものだとサバタに教えていた。
「カーミラ!」
無差別に唄ってるとは思えない。おそらく誰か――カーミラを狙ってのものだ。となると、相手とカーミラはかなり近い場所にいる。
「……地下か!」
考えてみれば、舞台の設定のために劇場に地下室があってもおかしくない。カーミラが何故そこにいるかは解らないが、場所さえわかれば合流する手はあるはずだ。
観客席から直接舞台に行き、裏へと回る。明かりもない暗闇の中、サバタは誰かが立っているのを見た。
ほっそりとした女性――によく似たシルエット。よく似た、というのは、足の部分が魚の尾になっており、腕や背中からヒレが生えているからだ。その姿は、鯨かサメを思わせる。
間違いない。彼女がクストースの深海王だ。
サバタは腰に据え戻していたガン・デル・ヘルをもう一度構えなおし、彼女の頭に狙いを定める。相手がイモータルでないのなら、暗黒銃の一撃はかなり効くはずだ。
暗闇のおかげで相手はまだ気づいていない。音を出さないように注意しながら、暗黒弾のチャージを始めるが。
……ざぁぁぁっ……
歌ではなく、波が流れる音が響く。
同時に、サバタは自分の足元に違和感を感じた。
「……っ!?」
足元を見ると、いつの間にかそこには水が張られていた。さっきの音は水が張られる音だったのだろうか。張られている程度で深さはそれほどないが、何か罠臭いものを感じた。
…ざばぁぁん!
波の音が、もう一度響き渡る。今度はささやかなものではなく、それなりに大きめなもの。
音と比例した大波がサバタに襲いかかる。右に飛び退ることでかろうじて交わすが、場所を移動したことで水音がなり、相手にサバタの居場所を知らせてしまった。
それを見逃す相手ではない。即座に振り向いて、歌という名の刃を飛ばす。
「♪――――――――――――――――――――――――――!!」
魔力を持つものなら直視できるほどの強力なものがサバタに襲い掛かる。チャージしていた暗黒弾を撃つことで相殺したが、水を頭から被ってしまう。
濡れた体にタイミング悪く風が流れ、サバタの体温を下げる。体が冷えると力を出せなくなるので、すっかり相手の術中にハマってしまったと言えた。
ともかく、撃ち合いが一通り終わり、サバタと深海王が改めてにらみ合う。相手はどういう原理なのか、さも水の中のように空中を泳ぐような形で立っていた。
魚のヒレが動くたびに、水がはねる音がする。「深海王」の名の通り、彼女は水も武器なのだろう。『唄女』であり、「深海王」でもある彼女にとって、海に近い劇場は絶好のフィールドだ。
(誘いをかけられた以上乗るしかなかったが、見事相手の思惑に嵌められたか)
内心で舌打ちをする。カーミラがいない状態で、深海王を相手にしたのが無茶だったのかもしれない。自分は受け皿であり、力を主に使うのはカーミラだからだ。
こうなったらどうにかして相手をまいて、カーミラを探しに行くしかない。だが相手はクストース。それを許してくれるかどうかは分の悪すぎる賭けだった。
それでもやるしかないかと腹をくくって、サバタは相手の隙をうかがい始める。冷えた体でどこまでやれるかは分からないが、やれるだけの事はやらなければならなかった。
にらみ合うこと一分ほど。水は知らないうちに引き、今は木と石膏で固められた床がサバタを支えている。
――最初に動いたのは、深海王だった。
「…月下美人。そして、暗黒少年。
貴方の存在は、確か『あちら』ではない存在でしたわね」
「……どういう意味だ?」
深海王の言葉がわからず、サバタは警戒心を解かぬままに彼女に聞く。問われた彼女はひょいっと肩をすくめた。
「どういう意味も。そのままの意味でしてよ。あちら側の貴方はあの少女と共に、自壊の道を歩んでいたんですの。
それがどう歯車が狂ったのかは知りませんが、少女は黄泉帰り、貴方はこうして生きている。私の主である運命王はそれに興味を持たれたみたいですわ」
「運命王……」
ジャンゴが言っていたクストースの主。ジャンゴに似ているらしい、白尽くめの少女。
その少女は自分が『生きている』ことに興味を持っている。深海王が言っていることが正しければ、自分が死んでいないことが不自然だから。
――自分が死ぬ?
壊れたように笑う自分。
手にあるライター。
粉々に砕けた暗黒銃。
自分の胸から生えたように刺さっている剣。
炎の赤と、鮮血の赤が入り乱れた、残酷でいてなお美しい光景――。
「……っっ!?」
突然“視えた”ヴィジョンに、サバタの頭が警告のような頭痛を発する。
――今の、ヴィジョンは、自分の、『未来』、なのか?
ふらふらとよろめくサバタに、深海王がくすくすと笑った。
「いかが? 自分のあるべき姿を見るのは」
「……あるべき、姿だと……!?」
「ええ。私もよくは知りませんけどね、本来なら貴方は今生きていないはずなんですの。ですが、何かをきっかけに貴方は現世にいる。
あの夢子さんたちが何か細工でもしたのかしら?」
「知るか……」
激しい頭痛を堪えながらも何とか答えるサバタ。
もしあのヴィジョンが深海王の言う自分の未来だったとしても、そうほいほいと従う気はない。抗い続ける事が自分の戦いなのだから。
今自分が生きてこうしているのには何か意味がある。今はクストースを倒すことが、自分が生きている理由になるのだろう。サバタはそう思ってガン・デル・ヘルを構えなおした。
頭痛はまだひどいが、その痛みを逆に集中点にして、深海王に狙いを定めるが。
「♪―――――――――――――――――――――――――!!」
一瞬早く、深海王が歌を飛ばしてきた。魂そのものを震えさせる感動的な夜想曲(ノクターン)。今度は回避できないほどの広範囲で、サバタは一瞬反応に遅れて無防備な姿をさらしてしまう。
(避けられない!!)
覚悟を決めて身構えた。