Change Your Way・23「最後の音」

 やっとのことで上に繋がる階段を見つけたカーミラは、軽く置くだけで足が抜けそうなそれを軽々と上っていく。どういう仕組みなのかは解らないが、出てきた場所は舞台袖ではなく廊下だった。
 最初出てきた場所がわからずに少し混乱するが、壁などで何とか現在位置のおおよそを割り出すと、サバタを探し始める。
 受付辺りに戻ってくると、カーミラは入り口近くにリリスとヴォートがいることに気がついた。
「二人とも、来たんですか!?」
 急いで駆け寄るとヴォートは顔を真っ青にしながらもうなずいた。そんな彼をかばうように、リリスが間に割って入る。
「怒らないで下さい。彼は例え相手が何であろうとも、この先にいる「深海王セレン」に会いたいんだそうです」
「ですが……」
「会わせてやって下さい」
 リリスの頑として引かない態度にとうとうカーミラが折れた。誰かのそばに必ずいる、危なくなったらすぐに逃げるという条件付で、リリスとヴォートを中に案内する。
 人が増えた――おまけにその中に走れない人がいる――ので、カーミラははやる気持ちを抑えてゆっくりと歩いた。警戒は崩さず、槍は持ったままだが。
 それにしても、とカーミラは思う。どうしてヴォートはそこまでセレンに肩入れするのだろうか。
 出会ったのはたった一回。会話もほとんどした事がない。互いに相手を良く知ったというわけでもないのに、なぜヴォートはセレンにこだわるのか。
 セレンの方はヴォートを気にしていたような素振りはなかった。おそらく彼女にとっては覚えるほどでもない、ただの観客のうちの一人だったのだろう。
 決して報われることのない一途な思い。
 それを抱くことは悪いとは思わない。だが、今は……。

 カーミラの思考を遮るかのように、歌が聞こえた。

「! これは!!」
『歌姫』であるリリスが、すぐに攻撃性を純粋に高めた「夜想曲(ノクターン)」だと悟る。歌に込められた魔力がすぐ近くで荒れ狂い、余波でカーミラたちの周りのガラスなども少しだけ崩れていった。
「サバタさま!?」
 範囲からして、無差別に破壊しているものとは思えない。すぐにカーミラは、もうサバタとセレンが戦っていることに気がついた。
 リリスたちの方を見ると、状況を察してくれたらしく走り始める。勿論、カーミラも歌の元を目指して走り始めた。
 目指すは、観客席。

 魔力が強い者ならはっきりと光が見えるぐらいの強力な音波が、サバタの周りをえぐり、彼自身も吹き飛ばした。舞台裏から舞台まで大きく飛ばされ、痛みにむせ返ってしまう。
 まるで悪役が主人公に倒されたかのような倒れ方に、サバタは少しだけ自虐的な笑みを浮かべてしまう。
(主役はお膳立てされて出てくるもの、か。
 ……だが主役がどちらかはこっちで決めさせてもらう)
 装填されていたままのナイトメアを撃ち、深海王がいるはずの場所を焼き払うと、悲鳴だかよく解らない鳴き声が響いてきた。
 それはまるで鯨を思わせるもので。
「……また来るか!?」
 さっきの津波を思い出して身構えるサバタ。見れば足元はもう水に満ちていて、さざなみが立ち始めていた。
 不思議なことに、何か壁が張られているかのように観客席までには水が来ていない。舞台と観客席の間に不可視のフィールドでも張られているのか、それとも範囲が狭いのか。
 何だとしても舞台にい続けているのは危険だと思い、サバタは観客席へと避難する。水は襲ってこないものの、代わりに歌が彼を襲ってきた。
 直撃を受けた観客席の一つが爆発し、破片が飛び散る。
「食らえッ!」
 飛び散る破片はスプレッドで消滅させる。反撃に連射弾を深海王に向って撃つが、彼女の周りを取り巻く水が波という名の壁となって、サバタの一撃を防いだ。
 それなら、とナイトメアをもう一度装填して、壁を飛び越えるように角度を調節して撃つ。サバタの予想通り、暗黒のグレネードは壁を越えて深海王をダイレクトに直撃した。
 遠くで、ぱきっと何かにヒビが入ったような音が聞こえた。

 ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!

 人の悲鳴というより、鯨の鳴き声に近い声が観客席全体を揺るがす。サバタはもう一撃繰り出すべくゼロシフトで接近しようとするが、鳴き声で暴走し始めた波に弾かれた。
 びしょびしょに濡れた服がどんどん重りになって、サバタに大きな負担をかけていく。この戦い、長引けば長引くほどサバタにとって不利だ。
(後一撃で全てを賭けるしかないか……!?)
 そう覚悟は決めるが、あまりにも分が悪い賭けだ。まずあの波の壁を破らない限り、自分の全力の一撃――ダークマター・エクステンション――が打ち込めない。
 打ち込めたとしても、その一発で相手が倒れるかどうかも解らないのだ。ジャンゴから聞いたところによると、虹色のプレートが弱点らしいが、遠目からではどれだか判別できなかった。
 何かが足りない。自分にはない、何かが足りない。
 サバタの思考がその『何か』にたどり着く前に、荒れ狂ったままの波が彼めがけて飛んでくる。
「くっ!!」
 さっきのノクターン以上の威力だと瞬時に察知してゼロシフトで抜け出そうとするが、それより一足先に波がサバタの周りを取り巻く。
 覆い被さるように波がサバタを狙うかのように見えたが。

 ごぉぉぉぉぉぉっ!!

 轟風が波を吹き散らす。ばしゃっとはじける音を立てて波が砕けるが、中心にいたサバタは水を全然かぶっていなかった。
 それどころか、濡れていたはずの衣服は全て乾いていて、冷えていた体が少しだけ暖かくなっている。
「サバタさま!」
 出口からの声に振り向くと、カーミラとリリス、ヴォートがそこにいた。
「お前達…!?」
「話は後です! サバタさま、援護いたします!」
 サバタに手を差し伸べながら、カーミラは深海王の方を向く。情けないと少し思いながらも、サバタはその手を受けてようやく立ち上がった。

 ――深海王は動かなかった。

 余裕から来るものではなく呆然と驚愕から来る棒立ちに、さすがにサバタは眉根を寄せた。
 彼女の視線にあるのは自分たちではない。もっと奥――出口に近いほう……。

「「……あなたは……」」

 ヴォートと深海王セレンの声が唱和した。

 動く者はいなかった。
 全員がセレンとヴォートに注目しており、その二人は互いを見つめあうだけで何一つ言わないし、身じろぎ一つしない。
 ただ沈黙があるのみ。
「……………………………………………ヴィアテ…………」
 その呟きを聞き取れたのは、近場にいるサバタとカーミラではなく、セレンの視線の先にあるヴォートでもなく、一番遠くにいたはずのリリスだった。
 セレンが言った『ヴィアテ』。それからヴォート。
 リリスはその時悟った。ヴォートがここに来ることにこだわった理由と、『唄女』が今になって現れた理由。
 彼女は、きっと……。

『どうしました? 戦意がなくなっているようですが』

「「!?」」
 沈黙を破ったのはここにいる誰でもない、若い男の声だった。
 サバタたちには聞き覚えのない声だったが、深海王セレンには心当たりがあったらしい。ぼそりと「ヤプト……」と呟いた。
『どうやら貴女は月下美人を殺す気もないようですし、ここまで戦意を失われてしまうと、もうクストースとしての使命は果たせないでしょうね』
 男の声は朗々と続ける。反響しているような感じではあるが、本人はここにはいない。魔力で声だけを飛ばしているようだ。
 言いたい放題なセレンは、顔色一つ変えていない。まるでそう言われても当然と言わんばかりの顔で、男の言葉を受けている。
『使命を果たせないというのはあってはなりません。全て我らの筋書き通りに進んでこそ、使命を果たしたといえるのです。ザナンビドゥのような失敗は、もう許されませんよ。
 深海王セレン、貴女は死して我らの力となりなさい!』
 その声と共に、舞台に大穴が開かれた。床が抜けたのではない。床が自然と開いて“隠された”それを見せたのだ。
 サバタとカーミラは近づいて見て目を丸くする。床が抜けた先にあるものは色こそ灰色ではあるが、確かにパイルドライバーだったのだ。
 ヴァンパイアを浄化する唯一の手段であるパイルドライバー。ジャンゴがそれをザナンビドゥにかけた時は、相手は灰にならずに猫になったと言う。
 ならこれは? ヴァンパイアではない『亜生命種』である彼女を、これが浄化するというのか?
 興味深くしげしげと見ていると、セレンは穴のふちに静々と向う。「死」を宣告されたはずの彼女は、まるで自分の出番が来た俳優のような穏やかな足取りだ。
「……セレンさま!」
 何とか話を理解できたらしいヴォートがセレンに近づこうとするが、彼女は振り返りもせずに歩いていく。サバタとリリスは近づこうとするヴォートを止めるが、カーミラだけは黙って見ていた。
 セレンは、あえてヴォートを見ないでいる。それがカーミラには解っていたのだ。人を想う気持ちが、カーミラにセレンの感情を読み取らせていた。
 だが、同時に彼女はヴォートの気持ちも解っていた。彼はセレンを助けたい気持ちでいっぱいなのだ。例え彼女の正体が何であろうと、彼女と彼女の『歌』を信じていると。
 だから彼女はあえて止めないでいる。それが逆に二人のためになると思ったからだ。

 セレンが飛び込むのは自分が「使命」を果たすためなのと、ヴォートを思ってこそ。
 ヴォートが止めるのはセレンに生きて欲しいのと、彼女の『歌』をもう一度聴きたいから。

 セレンが飛び込んだ。
 同時に灰色のパイルドライバーが起動し、舞台全体が光に包まれた。
「……っっ!!」
 声にならない誰かの叫びが響く。
 それはヴォートのものだったのか、リリスのものなのか、カーミラのものなのか、自分のものなのか、サバタには判別が出来なかった。

 唯一つだけわかったのは、これで第二のクストースである「深海王セレン」は消えたということ。

 ……ぅぅぅぅぅぅん…………

 鯨の鳴き声を、聞いた気がした。