Change Your Way・20「第一小節~第三小節」

「「『唄女』?」」
 サバタとカーミラの声が見事に唱和する中、リリスは適当に見つけた椅子に腰掛けて、自分の目的を淡々と語る。顔見知り程度の自分たちに話すあたり、結構切羽詰っているのかもしれない。
「『唄女』は『歌姫』とはまた違った……強いて言えば、攻撃性の高い『歌』を唄う者のことです。大抵が女性ですから、『歌姫』と対を成す存在としてこの名前がつきました。
 ですが、その体質もあって、ここ最近『唄女』は発見されていないんです。まあ、大げさに力を振るう存在ではないでしょうが、それでもここ最近は絶滅したかとまで言われてたのですが…」
「それらしい存在を見つけた、というわけか」
 サバタはリリスの言葉を繋ぐ。最後の言葉を取られたリリスは怒ることなく、その言葉にうなずいた。『歌姫』と『唄女』。相反した力を持つ、『歌』を唄う女たち。
 ふとヴォートの事が気になってベッドの方を見やるが、彼はまだ起きる気配が無い。ゆすり起こそうかと思ったが、起こして聞くような事は何も……。
 ぴた、とサバタの手が止まった。ある。彼には聞きたいことがある。
 ベッドの近くの椅子に座っていたカーミラもそのことに気づいたらしく、急いでヴォートをゆすり始めた。
「……ん…ううん…」
 眠りが浅かったらしく、ほんの少しゆすっただけで彼は目を覚ました。最初ぼんやりと辺りを見回していたヴォートだったが、何とか意識が戻ってきたらしい。
 サバタを見、カーミラを見ていたヴォートの視線が、リリスの辺りでぴたりと止まる。
「……『歌姫』さま……」
 ぼそりと呟いた言葉を、サバタは聞き逃さなかった。思わずリリスの方を見てしまうが、彼女の方は呟きを聞き取れなかったらしく小首をかしげていた。
 手を差し伸べるカーミラにヴォートは首を横に振って、一人で起き上がる。めまいを抑えるように頭を抱えていたが、顔色は悪くなかった。
 落ち着きを取り戻したヴォートは改めてリリスの方に視線を向けるが、向けられた本人は困った顔でヴォートの視線から逃げた。
「あの……」
「あ、私はヴォートと言います。貴女は?」
「私はリリスです」
「そうですか……」
 どうやらリリスに彼が言う『歌姫』、深海王セレンの面影を見たらしい。ヴォートは見てわかるくらい落心していたが、やがて顔を上げた。
「あの、貴女は『歌姫』さまのセレンというお方をご存知ありませんか?」
 ヴォートの質問にリリスはまた小首をかしげた。『聖女』としてたくさんの『歌姫』を纏め上げてきた彼女だが、全ての『歌姫』の名前を把握してるわけではなさそうだ。
 また出てきた「セレン」の名前に、今度はサバタが身を乗り出す。こっちはこっちで聞きたいことがあるのだ。
「お前、その深海王セレンとやらは人間だったか?」
 クストースの事は大っぴらに言えないので、言い方が悪くはなるが確信をつく質問をする。予想通り言い回し方でヴォートやリリスの顔色がさっと変わるが、サバタは気にしていられなかった。
 ジャンゴが言うには、ザナンビドゥは豹によく似た存在になったという。もし深海王セレンとやらがクストースなら、彼女も何かしらの獣に似た存在になれるはずだ。
 そうそうバケモノ然とした姿で人前に姿を現すとは思わないが、それでも人ならざる何かは感じられたかもしれない。サバタはそれに賭けたのだ。かなり分の悪い賭けではあるが。
 だが、ヴォートは首を縦に振った。「イモータルやヴァンパイアのような不自然な所はどこにもありませんでしたよ」と付け加えて。
 どうやら賭けは負けのようだ。まあ、そうそう簡単にしっぽをつかませてくれるような存在だとは思ってはいなかったが。
(さて、どうするか…)
 ちらりと隣に立ったカーミラの方に視線を向けると、彼女もどうも困っているようだ。手がかりらしいのがほとんどない以上、どうしても後手に回らざるのは得ないのだが…。
「……サバタさん、聞いてますか?」
 唐突にリリスに尋ねられて、ようやくサバタは自分が思考の海に漂っていたことに気がつく。カーミラの方はきちんと話を聞いていたようだが、自分は全然聞いていなかった。
 慌てて彼女の方に視線を移すと、珍しく彼女は呆れたような顔で肩をすくめた。その仕草は正に人間そのもので、彼女が人形の体を持っていることを忘れそうになる。
 それはさておき、リリスは一息ついてから「そのセレンが『唄女』の可能性があるんですよ」と告げた。
「ヴォートさんの話が正確ならば、ですが、彼女が私の探している『唄女』の可能性が高いです」
「本当か?」
 サバタが尋ねるとリリスはこくりとうなずいた。
 リリスが言うには、『唄女』にあって『歌姫』に無い特質的な「音程」がセレンにはあるらしい。それが解ったのは、彼女が唄った歌のタイプからである。
『歌姫』では唄えない『歌』、それは「ノクターン」と「レクイエム」だ。力を込めないで唄う分にはいいのだが、実際に力を込めるとなると、音程の問題でこの二つのみ唄えないのだ。
 だが『唄女』ならそれが唄える。攻撃的な喉を持つ彼女らなら、死と滅びに繋がる歌を唄いこなせるのだ。その代わり、癒しの曲である「ゴスペル」や「アヴェ・マリア」が唄えないが。
 リリスは『聖女』だった頃から、『歌姫』の特質を知っていた。だからヴォートの話を聞いて、歌のタイプからセレンが『唄女』だと判別したのだ。
 ともあれ、セレンの正体がある程度解って来たのは大きな一歩だった。これなら何とかして先手を打てるかもしれない。
 サバタは誰にも知られないようにほっと安堵の息をついた。

 話はまとまった。明日はみんなでその『唄女』・深海王セレンを探そうと言うことになり、後は自由行動となった。
 カーミラはサバタたちに許可を取ってから外に出てみた。もう日の入りに近い時間なので、日傘は差さずに日焼け止めを塗っている。
 真横から来る日差しに少し目を閉じながら、町並みをのんびりと歩くと、街を行く人はなかなかの美人に一瞬見とれそうになるが、すぐに視線をそらしてもとの日常に戻っていく。
 その人々の中に、カーミラたちが探す『唄女』らしき姿はない。
(そう簡単に見つかるとは思いませんけど)
 心の中でぼそりと呟くと、サバタも同意の“反応”を返してきた。暗黒や月の力を交換し合うことが出来るカーミラたちは、こうしてテレパスを送りあうことも出来る。
 ……精神的なリンクのおかげでスムーズに力を使いこなすことが出来る反面、知りたくないこと、知られたくないことまで解ってしまうのが難点ではあるが。
 それはさておき。カーミラが外に出たのは、まずは自分の目で『唄女』を見たかったからだ。手がかりは少ないが、こうして歩いていれば意外と情報が転がってくるかもしれない。
 まずは動くこと。そう思ってカーミラは『唄女』を探しに出た。サバタには話してあるが、ヴォートとリリスには話していない。
 これは自分の勝手な思考から生まれたものだ。サバタはともかく、ヴォートとリリスまで巻き込む理由はない。そう思ってカーミラは二人に黙っておいたのだ。
 ふと空を見上げると、オレンジ色の空はあっという間に黒が入り混じった藍色へと変わっていた。日が落ちてからはあっという間に夜になる。
 街の人々は家路につく者が多いが、暗黒仔に近い存在であるカーミラにとっては夜の方が行動しやすいので宿に帰る気はなかった。人の波をかいくぐり、適当にふらつく。
 通りすぎる家が明かりをつけ始めるころになると、さすがに今日は収穫なしかと思って宿に帰ろうとする。

 ――そんな中、カーミラの耳をかすかに歌がくすぐった。

 自分の歌ではない。誰かの歌。
 あまりにもかすかなので、一つ間違えれば耳鳴りか何かと誤解しそうだが、確かにカーミラはそれを歌だと思った。
 発信源を探そうと集中する。サバタとのリンクを意思的に切ると、歌がはっきりと耳に届くようになった。
「…あっちですね」
 歌に導かれるままに、カーミラは闇夜となった街の中を歩く。
 着いたのは小さな公園だった。あるのはブランコと砂場、ベンチくらいのもので、遊ぶと言うより一休みするための場所のようだ。
 その公園のブランコで、一人の女性が軽くこぎながら鼻歌に近い歌を唄っている。歌の中身はよくは知らないが、簡単なバラードだとわかる。
 結構真似できそうな音程なので、カーミラも少しあわせて唄ってみた。オリジナルとは程遠いが、それなりに綺麗なハーモニーとなったと思う。
 女性の方もカーミラに気づいたらしく、少し声量を上げてカーミラにあわせてきた。もしこの場に誰かがいたとしたら、足を止めて聞きほれてしまうくらいの素晴らしい歌が響く。
 やがて、女性の方が声量を低くして歌を閉める。オリジナルの方が終わらせてしまった以上、カーミラも続けることが出来なくなって声をすぼめた。
 完全にハーモニーが消えると、女性がぱちぱちと簡単に拍手をした。
「貴女、いい声をしていますわ。オペラ歌手になれますね」
 その褒め言葉にカーミラは苦笑した。人として生きていた頃、上流貴族のたしなみとしてピアノと歌は教え込まれたのだ。
 もし自分が人として生きていたら、オペラ歌手ではなく何処かの伯爵夫人だっただろう。……相手がハスターだったら、オペラ歌手の道も考えたかもしれないが。
 苦笑するカーミラを見て、女性の方はくすくすと穏やかな微笑みを浮かべた。その微笑みはどこか海を連想させて、物静かだ。
 女性がふわりとブランコから立ち上がる。足元まである長い髪がさぁっと波のように揺れ、綺麗なゆらめきを見せた。
「お帰りになられるのですか?」
 カーミラがそう尋ねると、女性はこくりとうなずいた。
「私はここに家を持っておりませんので」
 つまり、別の所から来たということになる。近場にあるとは言え、彼女一人でここまで来たのだろうか。
 世紀末と言われ、モンスターやグールがあちこちで氾濫する中、一人旅はかなり物騒なはず。ヴォートの時もそう思ったが、この女性はそれに輪をかけて危険ではないかと思った。
 女性はそんなカーミラのまなざしを受けて、またくすくすと笑う。
「ご安心を。グールぐらいなら撃退できるほどの力はありますので」
 それでは、と手を振られてしまい、引き止める手段を失ったカーミラは彼女を見送ってしまった。

 翌朝。
 あの劇場に戻ったセレンに、来客者があった。
「あら、珍しいですこと」
「確かに」
 巌のような顔でカリフスはセレンの挨拶を受け流した。
 クストースは縦の繋がりは強いが、横の繋がりは結構薄い。全員心に傷があるので、必要以上の接触を避けているのだ。
 故にセレンにとってカリフスは「頭の固い同僚」なだけであり、カリフスにとってセレンは「つかみどころのない女」なだけである。こうして会話すること自体珍しい。
 その彼が来たと言う事は誰かの言伝を頼まれたと言うこと。その相手は……。
「運命王、ですか?」
 セレンの推測にカリフスは深くうなずいた。
 推測が当たったことに少し喜びながらも、何故彼が来たのかと勘ぐってしまう。普通なら彼女についている混沌王ヤプトが来てもおかしくないのだが、彼も何らかの用があってこられないのだろうか。
 その疑問は胸に収めておくことで、髪の毛一筋も出さないようにする。いつもの凪を思わせるようなゆったりとした微笑みを浮かべて、カリフスを見やった。
 その笑みをどう取ったかは解らないが、彼は表情を一つも変えずに運命王の言伝を伝える。
「『月下美人とその片翼の者は、決して殺めてはならぬ』
 これがあのお方からの命だ」

 一体どういうことかしら……。
 カリフスが帰った後、セレンはずっと考えていた。
 月下美人を殺すなと運命王は命じた。それはいい。自分は運命王の命には従うつもりだ。
 だが、その前に自分は混沌王の命も受けている。彼は個人的な頼みという形で命令したが、今までその内容は運命王の命令そのものだと思っていた。

 月下美人と仲間を殺すな。
 運命王の命令。

 月下美人と仲間を殺せ。
 混沌王の命令。

 二つの相反する命令は、セレンを悩ませ続ける。