ジャンゴが家に戻ると、珍しくサバタとカーミラが真剣な顔で話し合っていた。
兄とカーミラがあまり話し込んだりするのを見たことがない。兄とザジなら、簡単な皮肉や口論の応酬をしているのを良く見るが、この二人はいつも無口で一緒にいる。
人の関係は十人十色と言うが、この二人の関係はその中でも変り種じゃないかとジャンゴは思っている。話さずとも心が繋がっているというのが、あまり信じられなかった。
それはさておき。
ジャンゴが二人に近づくと、サバタとカーミラはようやく彼の帰宅に気づいたらしく慌てて立ち上がった。別に二人の邪魔をする気はなかったのに、とジャンゴはいたたまれない気持ちになった。
が、二人の顔は恋人同士の語らいとは無縁の真剣な顔立ちで、ジャンゴはその気持ちを即座に消した。
「兄さん達、どうしたんだ?」
手に持っていた買い物は今のところ適当にテーブルに置いて、ジャンゴは二人に近づいた。サバタはそんな弟の顔を一度見てから、カーミラの方を向いた。
今回は何も言わなくても分かる。サバタとカーミラは、自分に話すべきか迷っているのだ。それはあたかも、商店街で会ったザジと同じような感じだった。
ただ今回は二人とも話す事を決めたらしい。サバタがこっちに着て座れとジャンゴを手招いた。ジャンゴは買い物を全部台所に置いていってから、兄の手招きに応じた。
ソファにつくと間髪いれずにカーミラがお茶を出してくる。そのお茶を一口飲んでから、ジャンゴは兄の言葉を待った。
「……ジャンゴ。グール大量発生事件の事を、思い出せるか?」
サバタもカーミラが出したお茶を一口飲んでから、ジャンゴの方を向いてまず一つ質問してきた。
唐突な――そして少しだけ心をえぐる――質問に、ジャンゴは目をくりくりと動かしながら一つずつ思い出していく。初めての喧嘩、壁と思っていた殻、悲しいまでの寂しさ、初めてのキス。
あの時の事は昨日のことのように思い出せる。全てはあれから始まった。自分とリタの秘め事が。
そのことも話さないといけないのか、と視線で訴えると、サバタも弟の事情が少しだけ分かったらしく、「簡潔に話してみろ」とだけ言った。
思いやりにほっとして、ジャンゴはリクエスト通りに手短に話し始めた。特に、『彼女』の事を重点的に。
話を聞いている間、サバタは渋い顔を崩さなかった。時折何回かうなずくが、相槌ではなく話の内容を自分なりにまとめようとしているようだ。
やがて、自分が話せることを全部話すと、サバタは深くため息をついた。
「兄さん?」
「ああ、今の話で何となく繋がりが見えた気がする」
「へ?」
いきなり意味不明な事を言われ、ジャンゴはきょとんとした顔になる。と、今度はカーミラがジャンゴに説明した。
「最近出現したイモータルですよ。さっき貴方が話してくれた『彼女』、聖女さまに化けていた『ソフィア』、サバタさまが会われたという『スキファ』と『フリウ』、それから『ハスター』。
彼らは共通点がないように見えるんですけど、一つだけ共通点があるんです」
「共通点?」
まだきょとんとした顔のジャンゴに、サバタが重い声でその共通点を告げる。
――彼らは、自分たちに接触することを優先しており、全員はぐれイモータルだった。
「……あ!」
言われてジャンゴはその挙げられた共通点が間違っていないことに気づく。確かに彼らの出現ペースは気まぐれかつ幅が開いており、どう考えても取り仕切っているボスがいるとは思えなかった。
そして、彼らは自分たちを必要以上に倒そうとしていなかった。『ソフィア』はケーリュイケオン奪取が目的だったこともあるが、ザジを殺そうとはしなかった。
何故だろう。イモータルにとってヴァンパイアハンター、特に太陽少年は第一に抹殺しなければいけない仇敵である。その太陽少年に力を貸している月下美人、ひまわり娘もまた然り。
全ては繋がっているのかもしれない。なら、繋げているのは誰だ? 何故繋げる必要があるのか?
ジャンゴはふと、さっき会った白い少女の事を思い出した。
自分に似ていないはずなのに、何から何まで自分に似ているような気がしたあの少女。
彼女は一体何なのだろうか。たった一瞬すれ違ったはずのだけなのに、どうしてあそこまで彼女の事が気になるのだろう。
(デ・ジャ・ヴュ? ……違う、もっと根本的な何かが…)
自分と彼女の本質が似ている気がする。だから最初出会った瞬間に、自分は足を止めてしまったのかもしれない。まるで自分の鏡――自分の裏と出会ってしまったような感覚。
もしかしたら、事件の繋がりと彼女には何か関係があるのだろうか。
ないかもしれない。しかし、あの出会いをただの偶然に片付けるには、心の引っ掛かりが大きすぎた。
「ジャンゴ?」
黙りこくった自分が気になったのか、サバタが自分を呼んだ。心配させないために一応ちゃんと返事してから、ジャンゴはまた考えに没頭する。
だが、いくつものちらばった点を線にするには手がかりが少なすぎて、ジャンゴは考えるのを少し止めた。
半ヴァンパイアへの変異能力を手に入れてから、リタはある能力を手に入れた。
精霊体を察知する能力。そして、召喚の力。
このことをこっそりザジに相談したら、魔女の名を継承する彼女は「人間、一つは何らかの魔力的特性を持ってんねん。たぶんそれはリタの特性や」と答えてくれた。
そういえば、確か祖母と共に暮らしていた頃、予防接種と共にもう一つ何かの検診を受けた気がする。予防接種と一緒だったから、何かの病気になっていたのかと不安だったが…。
今にして思えば、あれは自分の魔力的特性を知るためのものだったのだろう。祖母は自分の特性を調べてから、預け先を考えていたのかもしれない。
ともかくリタは果物屋を営んでいる途中、太陽樹に来ていた。太陽樹の華は、時期に関わらず薄桃色の花びらを開いていた。
脈々と鼓動を打つ幹に手を触れる。感じられるのは太陽樹から生まれる生命の賛歌。そして、その礎となった暗黒樹――ドゥラスロールの波動。
人々の負の感情を元に復活したため、イモータルの身でありながら太陽の光を吸収することができた暗黒樹。ある意味、彼女も半ヴァンパイアとも言える存在だった。
……だからだろうか? 彼女がジャンゴに『敵』以外の関心を持ち始めたのは。
太陽樹を育て、太陽の果実を収穫出来るリタは、自分の力を本当に知る前からドゥラスロールの波動を何となくだが感じられることが出来た。
最初は黒きダーイン――兄への思慕が強かったものの、少しずつその心境がジャンゴへの憧れに変化しているのをリタは見逃さなかった。
同じ立場にありながら、ジャンゴは光のサイドに立ち、ドゥラスロールは闇のサイドに立った。だが、実際にはジャンゴが闇のサイドに近く、ドゥラスロールが光のサイドに近い。
これは性格や置かれた立場などもあるのだろうが、一番は周りの環境だろう。今はドゥラスロールは光当たる場所で生の賛歌を歌っているが、ジャンゴは薄暗い闇の中で必死になって生きている。
せめて、彼女の言葉が、彼女の心が、ジャンゴに届けばいいのに。ドゥラスロールも、そう願っているはずなのに。
だが、ジャンゴには精霊体となった者と会話する力はない。おてんこさまは太陽の力を借りて、自らの体を実体化させているから人々と会話することが出来るのだ。
と。
生命の鼓動に脈打っていた幹が、少し揺れた気がした。
慌てて手を離して太陽樹を見上げても、樹に変わりはなくただ美しい花を咲かせている。だが、何か揺らぎを感じた。
――……聞こえる……?
花が咲くような、か細くもハッキリした声がリタの脳裏に直接届く。最近聞きなれてきたドゥラスロールの声だ。改めて手をつき、自分も応答する。
ドゥラスロールの思念が焦ったものからほっと落ち着いたものに変わった。太陽樹の異変から、何かを悟ったのだろうか。
――揺らぎが……、凄まじい揺らぎが、ジャンゴを狙ってる……。ジャンゴに伝えて……!
「揺らぎ?」
聞きなれない言葉に不穏さを感じて、ついリタは口に出してしまう。すぐにあたりを確認して人がいないことを確かめてから、リタはもう一度ドゥラスロールに話しかける。
が、彼女は同じ事を繰り返すだけで「揺らぎ」が何なのかは一向に伝えようとしない。……伝えないというより、彼女はそれぐらいしか分からないのかもしれない。
精霊体となった彼女は、自分よりはるかに感覚に優れている。その感覚が、これから起こる何かを察知したのだろう。ジャンゴが大きく関わる何かを。
それが何なのかは、精霊体ではないリタにはわからない。だがドゥラスロールにそう警告され、リタの危険信号が鰻上りになる。自分も絶対に巻き込まれる、それも大元に。そう感じた。
リタは幹から手を離し、空を見上げた。空は快晴であり、何も答えない。
手が伸びる。
支えるように。誰かに引っ張り上げられるように。
見上げた空は何もなく、ただ絶望と希望が入り混じった色だけがある。
泣きたい。でも泣けない。
なぜなら、もう体が反応しないから。
体が全て凍りつくのなら、自分の心も凍りつくのだろうか。
凍り付いてしまいたい。
それだと、あの娘のことも忘れられるから。
凍り付きたくない。
それだと、あの娘のことを忘れてしまうから。
しかし現実は冷たく過酷で、もう足はすでに自分のものでなくなっている。
凍りつく音を立てて足からゆっくりと水晶化し、そして
「……?」
ジャンゴの目はそこで覚めた。
夢の欠片がそこらに引っかかっている。ジャンゴは頭を振って回収しようとするが、振れば振るほど夢は音すら立てずに消えていった。
「……何だろう?」
何となしにポツリと呟くが、それに答えるものはいない。
サン・ミゲルの郊外。
螺旋の塔だけでなく太陽樹すらよく見えるそこに、白い少女とザナンビドゥが立った。ザナンビドゥは変異する前の若者の姿で、興味深そうにサン・ミゲルの町並みを見つめている。
隣の白い少女が、杖で地面を叩く。清らかな鈴の音が鳴ったかと思うと、彼女等の後ろで変化が起こった。
土塊が、意思を持ったかのようにひとりでに固まり、一つの形を成す。
あっという間に、土塊はザナンビドゥの変異後の姿によく似た豹になった。ザナンビドゥが軽く口笛を鳴らすと、生み出された豹たちは次々と雄たけびを上げる。
「準備は良いか?」
「いつでもオッケーッすよ!」
ザナンビドゥがびっとサムズアップすると、白い少女は一つうなずいて杖を軽く振った。それだけで、土塊の豹たちは我先にと駆け出して行った。
サン・ミゲルへと。