Change Your Way・1「白い幻影」

 そこはどこかは分からない。地下にあるのかもしれないし、はるか空にあるのかもしれない。
 唯一つだけ言えるのは、“そこ”は今の世界には似つかわしくないデジタルとファンタジーが融合したかのような場所だった。
 明かりらしいものはどこにもないが、壁や装具自体が発光しているので薄暗いどころか明るい空間。一定のタイミングで発光をくり返すその様は、まるで生き物を思わせる。
 その空間――床に幾何学的な魔方陣が敷かれている――には、5つ椅子が用意されていた。真ん中に一つ、あとは東西南北とちょうど真四角を作るように配置されている。
 配置されている椅子も、動物の彫像と融合しているかのような奇妙な椅子だった。背もたれに、一つ薄暗い赤い宝玉が据え付けられているのも特徴の一つだ。
 幾何学的な柱と魔方陣で構成されている空間に、一人の男が現れた。喪服を思わせる黒のローブに、かすかにウェイブがかった漆黒の髪と黒ずくめな眼鏡の男。
 何の気配もなかったというのに、その黒ずくめの男は最初からいたかのように自然に現れ、中央の椅子の近くに立つ。決して椅子には座ろうとしない。
 男がポケットから鈴を取り出す。穢れ一つ無い金色に輝く鈴だ。見た目も中身も何の変哲もない鈴を、軽く振って音を鳴らすと、涼しげで清らかな音色が波紋を描いて響く。
 波紋に導かれたように、一人の少女が現れた。かつてハスターを鮮やかに浄化して見せた、あの白ずくめの少女だ。彼女は当然のごとく、中央の椅子に座った。
 少女が座ったのを見て、男はもう一度鈴を鳴らす。今度は幾分か長めに鈴の音が響いた。
 その鈴の音に呼ばれ、最初に現れたのは白ずくめの少女と共にハスター浄化を手伝ったあの豹のような若者だ。イヤーカバーが動物の耳に酷似しているので、その雰囲気がある。
 格闘攻撃が得意な彼は、篭手と足の装甲がかなり厚く、右腕は肩まで装甲が伸びていた。
 彼は東西南北で現すなら西の方に据え付けられてある椅子に座る。白ずくめの少女に比べるとかなり崩した座り方で、背もたれに寄りかかっているようにも見えた。
 続いて現れたのは、足元にまで届く長い髪をさらりと流した美女であった。若者と比べて、彼女のスタイルはゆったりとしていて、髪と一緒に水色のローブを流している。
 彼女はローブに部分的なプロテクターを着けているだけだったが、要所要所をしっかりガードしていて、打撃に対する防御も完全のようだった。流美なデザインが魚を思わせる。
 もう若者が座っているのを見てから、彼女も音すら立てない優雅な仕草で椅子に座る。彼女が座ったのは東西南北で言う北だ。
 三番目に現れたのは鷹のような鋭さを持った壮年の男性だった。腰に剣を据え、威風堂々たる立ち振る舞いは見ただけで達人だと分からせる。
 彼は剣士にありがちな重装甲ではなかった。若者ほど軽装備ではないが、それでも一般の剣士に比べてその装備は少ない。一番の特徴は、篭手の先端が羽のように大きく開いていることか。
 東西南北では東の方の椅子に腰かけ、彼は完全に動かなくなる。退屈そうに足などを動かす西の若者とよい対称だ。
 最初に現れた黒い青年とその次に現れた白い少女と違い、彼ら三人はある特徴が一致していた。
 彼らは装飾とも装甲とも言いづらい、虹色に輝く不思議なプレートをつけていた。中心より少し下の辺りに、青い宝珠が張り付いている。
 若者は右腕の篭手の最上部に、美女はペンダントのように胸元にぶら下げて、壮年は額に。それぞれ微妙に形が違うが、確かに同じものだった。
 三人がそれぞれ自分の椅子に座ったのを確認してから、男はもう一度鈴を鳴らす。三人を呼び寄せた音が、もう一度鳴り響いた。
 今度現れたのは、誰とも特徴があわない少女だった。
 足首までの長いスカートのワンピースに、同じぐらいの長さのマント。ざっくばらんに切られた背中までの髪と、強く輝く眼が彼女の意志の強さを物語っている。
 何より一番目立つのは、背中に背負った大鎌だろう。光を反射してぎらぎらと輝くそれは、今もなお切れ味鋭い事と彼女の腕を同時に証明していた。
 彼女は現れた場所こそ南の椅子の近くだが、決して座ることはなかった。黒ずくめの男と同じように、椅子の近くに立つだけで座りはしない。

 ――南の椅子には誰も座らなかった。

 若者が空の椅子を見て、はぁとため息をつく。
「あのさー、いつになったらあそこの席に座る奴が出てくるわけ? オレもう待ちくたびれそうなんだけど」
 わざとらしいあくびに壮年の眉が大きく上がるが、美女がそれをやんわりとなだめた。若者の方もさすがに彼を怒らせるつもりはないらしく、ぱたぱたと軽く手を振った。
 そのじゃれあいを見ていた白ずくめの少女は、表情一つ変えずに「彼奴はまだ目覚めておらんからだ」とだけ答える。結構何回も聞いている愚痴のようだ。
「まあ、四人目の話はさておき」
 黒ずくめの男がぽんぽんと手を叩いて、場を緩和させる。若者は未だに納得の行かない顔をしていたが、場を押さえられた以上どうすることもできずにふてくされた顔になる。
 話を渡され、白ずくめの少女は肩をすくめたが、すぐに真剣な顔になって椅子から立ち上がった。あわせて、他の連中も気を引き締めた。
 白ずくめの少女が杖を鳴らす。

「浄土王・ザナンビドゥ」
 若者の姿が、豹と同一化した姿で爪を鳴らす。

「深海王・セレン」
 足が魚の尾ひれになった美女が、鯨の鳴き声で答える。

「飛天王・カリフス」
 壮年は、鷹の目でその声に応じる。

 合成獣のような存在となった三人に対し、白ずくめの少女は南の椅子の隣で立つ少女には何の声もかけない。彼女もそれに対して、不満を感じることなくただ無言で立っている。
 白ずくめの少女は杖を振るう。最初は若者――ザナンビドゥ、次に美女――セレン、最後に壮年――カリフスに向かって。
 杖の動きに合わせて、変化した動物の彫像と一体化している椅子に据えつけられている赤い宝玉が光り輝いた。彼らの真なる覚醒にあわせて、椅子は正当な主と認めたのだ。
「守護者(クストース)の名を頂きしモノ達よ、今こそ我らが大望を果たす時。目覚めと共に、行くがいい!」
 白ずくめの少女の一言で、彼らは姿を消した。

 太陽の街サン・ミゲル。
 街はもうエターナル事件やグールの大量発生を過去の事として片付け始め、平穏と安寧に身をゆだねている。それはジャンゴたちも含まれていることであった。
 図書館で大分前に片付けた大掛かりな仕事の報酬をレディから受け取り、ジャンゴは家に帰ろうとしていた。
 仕事の内容が内容だったため、報酬も破格だった。これならしばらくはゆっくりできるだろう。家族が一人増えたので費用もその分多くなったが、それほど苦痛ではなかった。
 うららかな陽気の中ジャンゴが歩いていると、途中でザジと会った。軽く手を上げると、ザジも返してきた。だが、その顔はいつもの陽気さが少しだけ欠けていた。
「……どうしたんだ?」
 気になってジャンゴが聞いてみると、ザジはようやく自分の顔の不調さに気づいたのか、はっとなって取り繕った。無論、それでごまかされるジャンゴではないが。
 自分に言いたくないことなのか、それともまだ相談できないことなのか。どっちなのか分からないジャンゴは、あえて聞かないことにした。
「呼び止めてごめん。それじゃ」
 苦笑で軽く謝って別れる。
 さりげなく後ろを見ると、ザジが少しほっとした顔になっていた。やっぱり話したくないことだったのか、と思って少し寂しくなる。
 ああいう形でザジを振ったものの、自分としては彼女とは友達でいたかったし、ザジの方も自分とは友達でいたいと思っていると信じていた。
 だから何か話せないことがあるというのが少し寂しく感じられたが、隠し事は誰にでもあるとジャンゴは自分に言い聞かせる。
(隠し事は誰にでもある、か)
 自分の言葉に、ため息が漏れた。そうだ、隠し事は誰にでもある。自分だって、心の内側に秘めた言葉を誰にも話したことはないのだ。
 そう、誰にも。血を分けた兄にも、自分と共にいることの多い精霊にも、自分のパートナーにも話したことはない。話したところでどうなる、という気持ちが強くて話せないのだ。
 話せば気が楽になるのは分かる。だが、それはあくまで自分の一時的な解放のため。それでは意味がないし、他人を利用したことで罪悪感は酷くなるばかりだ。
 人ならざる者となった苦悩、敗北感、孤独、諦念。……そして絶望。それらは未だにジャンゴの心を鎖で縛り、暗い影を落としている。同じ存在が増えた所で、変わることはなかった。
 ……いや、むしろ同じ存在――しかもそれが自分のパートナーだ――が増えてからますますその影は濃く、鎖は強くなった気がする。
(っていけないいけない。もう不幸自慢とかするつもりはないんだから)
 気づくとネガティブな方向に走りがちな思考を、頭を振って止める。前はずっとポジティブに考えてこれたのだから、前向きに考える事は難しくないはず。
「明日もまた日は昇るってね」
 父親の口癖をダーインに向かって言ったのも、もう一年近く前のことだ。それから自分はその口癖を裏切らない生き方をしてこれただろうか。
 していくのだ。これから。影にも負けず、鎖にも負けず、太陽を信じて生きていくのだ。そうでなければ父と母に顔向けも出来ない。
 そう考えると少し足取りが気楽になってきた。貰った報酬で、今日はご馳走でも作ろうかなと気楽な考えで遊びながら、ジャンゴは陸番街にある自分たちの家に戻る。

 途中、街門に近い場所で、一人の少女とすれ違った。

「……」
 ジャンゴの足が完全に止まる。
 別に敵意も感じられないし、何かしらの違和感も感じない。なのに、引っかかる。何かがざわめく。
 さっきまで見えていた残滓――白と銀の幻影が眼にちらついて離れない。まるで、自分と同じものを見たかのように。
 振り向いて見るが、白い少女の影はもうどこにもなかった。まるでさっきのすれ違いは幻だったかのように、街はいつもの風景をとどめている。
「…何だ、今の?」
 疑問が思わず口をついてでるが、答える者はいない。

 あの子は何?
 何故引っかかるんだ?
 何を感じたんだ?

 ――なんであの子は僕に似ているんだ?

 

 疑問が渦巻く中、ジャンゴは家に戻った。