IN THE END・4

 お婿さん、と言われても、幼いカーミラにはよく分からなかった。ただ一つ分かったのは、これから人に会いに行くということ。
「貴方の未来のお婿さんはね、貴方と同い年の優しい男の子よ」
「カーミラちゃんと、きっと仲良くなれるわ」
 二人に手を引かれながら、まだよく考えることの出来ない頭で頑張って理解しようとするカーミラ。ドレスのすそがぱたぱたとはためくたびに、そっちに気をとられるのでロクに分からなかったが。
 それでも真剣に話を聞いてるうちに、目的地へとたどり着いた。一見すると豪華な城と間違えるくらいに大きな屋敷。うちと比べてどっちが大きいだろうか。
 手を引く相手が母親だけになった。祖母は年を感じさせない足取りで先に進み、大きな扉に張り付いているノッカーを叩く。
 さほど長く待たせずに、扉が開いた。開けたのは白と黒を基調としたメイドのうちの一人だ。
 彼女は自分たちがここに来た理由はもう分かっているらしく、一言二言祖母と会話しただけですぐに自分たちを屋敷の中に入れた。屋敷の外を探索したかったが、母が手を引っ張るので諦めた。
 外装を裏切らず、中も豪華一色だった。大人が何人肩車しても届きそうにないぐらい高い天井。カーミラと同じくらいに大きく見えるシャンデリア。落として割ったら大変そうな花瓶。
 ふわふわとして草むらの中を歩いているような感じになる赤いカーペットの上を、茶色の革靴で歩く。何となく場違いのように思えたのは気のせいか。
「ねえ、私の服、変じゃないよね?」
 気になったので、手を引きっぱなしの母親に聞いてみる。母親は一度カーミラを頭から足までよく見たが、すぐににっこりと笑って「問題ないわよ」と答えた。
 母親にOKサインを出されたので、ほっとするカーミラ。足元は見ないで、前を向いて一歩一歩元気に歩き出す。走り出したりすると怒られるので、あくまでゆっくりとだ。
 カーミラにとっては長く感じた廊下の向こうには、外のドアと同じくらいの大きさのドアが待っていた。その威圧感に押され、少しだけ脅えてしまう。
 握った手から脅えが伝わったらしく、母親がカーミラの頭を優しくなでた。暖かいぬくもりがまた彼女に元気を与えた。メイドはそんな母娘のやり取りに気づかずに、ドアをノックした。
「旦那様、お客様の……」
 メイドが自分たちの家族の名前を言い、しばらくしてからふくよかではあるがどこか油断のならない雰囲気を備えた壮年の男性がドアを開けた。
 男性は祖母と母、そしてカーミラを値踏みするような眼で見ていたが、やがて笑顔になって3人を招いた。
「よく来てくださった。歓迎しますぞ」

 通された部屋も、また豪華だった。廊下よりも大きく、派手になっているシャンデリア。細かい装飾が施された家具の数々。さりげなく、だが存在をちゃんと主張している立派な芸術品。
 いかめしい顔をしているライオンの彫刻に少し脅えながらも、カーミラは勧められたソファに母や祖母と共に座る。ソファとクッションは見た目を裏切らず、雲のような柔らかさがあった。
 きょろきょろしていると怒られそうなので、真剣な顔で祖母と男性――母が言うには、この屋敷の主らしい――の話を聞く。しかし、話の内容は難しくて、半分も聞き取れなかった。
 かろうじて聞き取って理解した内容から推測するに、ここの家の子は一人っ子らしく、その子がカーミラの未来の花婿になるらしい。どんな子なのかはよく分からなかったが、悪い子ではないようだ。
 話を聞き取るのはやめ、カーミラはちょっとうつむいてこれから会う子について考え始めた。
 どんな子なのかな。悪い子じゃないんだろうけど、会ってないからちょっとだけ怖い。優しい人だといいな。
 会ったらちゃんとご挨拶できるかな。変な子だと思われないかな。話があう人だといいな。
 そうだ、会ったらお屋敷やお庭を案内してもらおう。きれいな場所がいっぱいあったから……。
「ああ、ようやく来たか」
 カーミラの思考を中断させたのは、屋敷の主人の一言だった。その声に釣られてカーミラは顔を上げると、いつの間にかメイドたちに囲まれて、一人の男の子がいた。
 わざと崩した形に切りそろえられた黒髪の向こうに、きらきらとサファイアブルーの目が光っている。ライトブルーの自分とは対照的だ。
 服はきちんと整っていて、そんなに派手ではない。こっちはシンプルなドレスなので、少しほっとした。
 少年はぱたぱたと一人で屋敷の主人の元まで行き、丁寧に頭を下げた。
「私の息子のハスターだ。年はそっちのカーミラちゃんより2歳上だが、仲良くやれるだろう」
「はじめまして!」
 はきはきとした好印象的な明るい声で挨拶するハスター。母達にせっつかれる前に、カーミラも頭を下げて挨拶をした。
「はじめまして。カーミラです」
 あがることなく、きちんと自分の名前を名乗ることが出来た。屋敷に来てからカーミラはほとんど無口だったため、鈴を鳴らすような彼女の声に主人とハスターは感嘆の息をこぼした。
 カーミラは挨拶して後ろに下がろうとしたが、母親の手がそれを止めた。困惑して母の顔を見ると、母はあごでハスターを指した。
 視線をハスターの方に戻すと、彼も父親にカーミラを指し示されたらしい。自分と同じ、困惑した顔でこっちを見ていた。
 二人の疑問を理解したらしく、祖母がカーミラとハスターに向かって言う。
「カーミラ、ハスター君と一緒に遊んでおいで。ワシらはもう少し話してるからね」

 カーミラはハスターに手を引かれて庭に出た。
「きれいな庭だろ?」
 ハスターの自慢に、カーミラは素直にうなずいた。これが「お前の所よりすごいぞ」とかだったら、意地でもうなずかなかったが。
 確かに。この庭はかなり美しい。芝の手入れはもちろんされているし、木々も青々と茂っていて自然の色を失っていない。バランスを崩さないように設置されている彫刻も、傷や汚れ一つ無かった。
 カーミラが好きな花畑は無かったが、それでもきれいな庭に感動した。
「凄く広いし、凄くキレイです」
 正直な感想を言うと、ハスターはにこっと笑った。

 その光景が、ぴたりと止まる。
(……!)
 次に見たヴィジョンは、それから3年経った頃のもの。

 鉄格子の挟まった窓から、キレイな月が見える。
「……ふぅ」
 変わらない。
 月は小さい頃からちっとも変わらない。
 自分はこんなに変わったというのに。
 カーミラの服は、あの時――力を他者の前で見せてしまったあの時――からずっと変わらない。赤一色のドレスのままである。
 あの時。
 今でもはっきりと思い出せる。婚約者であるあの男の家に通い始めてからまる二ヶ月経った日。いつもと変わらないはずの語らいが、何かをきっかけにして大きく壊れた。
 ハスターは強引にカーミラを奪おうとした。いきなりの展開に、カーミラは面食らい、激しく抵抗した。が、所詮は女の体力。男のハスターには勝てなかった。
 彼の狂った手が服にかかった時、彼女の意識はほとんど消えた。だから何が起こったのかは正確には分からない。うっすらと覚えているのは、荒々しい風の音。
 そして、恐怖に満ちたハスターの顔。何に恐れていたのか、よく分かる。あれは自分の力と同時に、その時の自分の顔に恐怖していた。
 それからカーミラはこの個室に“封印”された。自分の力を恐れた親族全員が、命が果てるまでここに閉じ込めたのだ。以来、自分はずっとここで暮らしている。
 外に繋がるものは、鉄格子の挟まった窓から見えるかすかな風景。それから食事とちょっとした本ぐらいだ。最初は外に出たいと切実に思ったが、日が経つにつれ、その気持ちは少しずつ落ちていった。
 今更外に出て、何があるというのか。どうせ出たところで、待っているのは恐怖に満ちた視線だけだ。以前は自分の心を癒した草花も、今は届かぬ存在でしかない。
 なら、もうこの部屋を自分の世界にしてしまおう。この世界に生きる者は、自分と本の中にいる登場人物だけ。窓の外は、ただの張りぼての景色だ。

「張りぼての景色で生きるお姫様、と言うのもなかなかいいね」

 心の声を読まれたかのような一言に、カーミラははっとなった。
 声の方を向くと、いつの間にかハスターがそこにいた。あの日以来一度も会っていなかったので、てっきり自分を恐れていると思っていたが……。
 ハスターの方はそんな彼女の動揺など気にせずに、軽い足取りでカーミラの元に来る。椅子に座っていた彼女を立ち上がらせて抱きしめた。
「少し痩せたかな」
「……何しに来たんですか?」
 抱きしめられてもときめくことはない。逆に、不審と疑問で胸がざわめいた。
 その不審と疑問を裏付けるかのように、ハスターが笑った。――邪笑の形に。

「別に、君の世界に僕も入れてもらおうかなって。二人きりの世界、ロマンチックだろう?」

 その瞬間、カーミラは全てを悟ってしまった。
 自分をここに幽閉したのは自分だ。親族は全員、自分を生かすつもりなんてなかった。最初から魔女として殺すつもりだったのだ。
 だが、彼の大きな横槍で自分はここに幽閉された。それは彼女を助けたいという優しい願いからではない。ただ自分のものにしたい。それだけなのだ。
 愛は愛でも、自意識の歪みから生まれたよじれた愛情。自分の都合のいい形に狂わせた、独占欲と言う名の愛情――。
 カーミラは身震いした。
 殺されるのは嫌。だがこのままこの男の世界に閉じ込められるのはもっと嫌――!!

 風が、吹いた。
 そして、その風が消えたとき、カーミラの周りには赤いもの以外何もなかった。

 

 夢が、途切れる。

 全てが闇に落ちる中、カーミラはもがれた黒い片翼を持つ少年が必死になって手を伸ばしているのを、確かに見た。
(タスケテ)
 声が聞こえる。
(タスケテ、タスケテ)

(タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ)

「サバタさまッッ!!」
 その一言で、目が覚めた。