IN THE END・3

 翌朝。カーミラは日が昇ってすぐに準備を始めた。
 とは言っても、改めて持って行こうと思うものは何一つない。いつも所持している日傘ぐらいだ。後は簡単な朝食を作り、メモと一緒に置いておく。
 空の様子を見て今日の天気をある程度予想すると、カーミラは家を出ようとした。
「カーミラさん」
 ドアノブに手を触れようとした瞬間、カーミラは後ろから呼び止められた。
 後ろを振り向くと、軽鎧に赤いマフラーといつものスタイルのジャンゴがそこに立っていた。自分はサバタが心配なあまり眠れなかったが、ジャンゴもそうだったのだろうか。
 ジャンゴは一度テーブルの上にある食事を見て、すぐにカーミラに目線を移した。日傘だけを手にしているが、その出かける先がただの散歩ではないという事は瞬時に悟ったようだ。
「ちょっと待ってて」
 そう言ってジャンゴはすぐに奥へ引っ込んだ。この隙に出かけようかと思ったが、そうしたらジャンゴは自分を追いかけてきてしまうだろうと思い、大人しく待った。
 さほど待たずに、ジャンゴは戻ってきた。その手にあるのはいつもの剣やガン・デル・ソルではなく、漆黒の槍だった。装飾も何もなく、柄と刃がなければただの棒と勘違いしたかもしれない。
 何故だろうか。カーミラには何となくその槍が自分のものだったような気がした。装飾も何もない槍だが、威力にはさほど関係なさそうだ。
 ジャンゴからそれを受け取ると、重みも何もなく、しっくりと手に馴染んだ。ふとすれば、持っていることも忘れそうなくらいに。
「それは、貴女の武器だ。
 ……兄さんが貴方を蘇らせた時に、自分の中から出した」
「!!」
 カーミラは自分の手にある槍をもう一度見た。漆黒の槍は、何も言わずにカーミラの手の中に在るだけだが。
 サバタの生き血を啜った槍。自分の魂を縛っていた槍。
 だからこそ、この槍は自分の武器なのだろう。槍が消滅せずに実体化して残ったという事は、これを自分が持てという啓示なのかもしれない。
「カーミラさん、兄さんを助けてやって」
 ジャンゴは深々とカーミラに頭を下げた。
「本当は僕も行きたいけど、そのゲーム……ううん、ゲームとかの問題じゃなくて、これは貴女にしか出来ないことなんだと思う。
 貴女は兄さんを一番必要としてるし、兄さんも貴女を一番必要としてるから。

 兄さんと貴女は、二人で一人なんだ。本当の意味で」

 二人で一人。
 その言葉で、カーミラはサバタの不調の理由に気づいた。自分が元気に歩きまわれるのに、サバタだけがずっと体調不良で外も歩けなかった理由。
 同時に、自分の力についても詳しく理解した。ただ力を理解できても、ハスターに完全圧勝とは行かないと思ったが。
 しかし、今はやるしかない。サバタがハスターの手に落ちている以上、自分もどこまで戦えるか分からない。……最悪の場合、ゲームの勝敗関係なく自分はまた消滅するかもしれないのだ。
 カーミラは槍を手に、約束の丘まで走った。

 まだ日が昇ったばかりなので、それほど日差しはきつくない。約束の丘にたどり着くと、カーミラは傘を畳んで仕舞った。暗黒転移の応用技である。
 扉は三つ。真ん中の扉は変異域に繋がる禁断の扉ゆえ、今は固く封じられている。開ける理由もないので、カーミラは右の扉に向かった。
 闇の力で封印されている扉は、カーミラが触れただけであっさりとその封印をといた。不慣れながらも、敵の気配を探りながら中に入る。
『やあ、よく来たね。カーミラ』
 と、いきなり聞き覚えのある声が自分の頭の中に直接飛び込んでくる。恐らく魔法で自分が来たのを感知し、こっちに声を飛ばしているのだろう。
 塔全体に声が響き渡ったのならある程度ハスターがいる場所を予想できたが、こう自分の頭の中だけとなると予想も立てられない。恐らくこれは、セットしてあっただけの魔法だから。
 そんなカーミラの苦悩を知らない――知っているのだろうが、鮮やかに無視して――ハスターの気楽な声は続く。
『僕はこの塔のどこかにいる。あー、安心して。間違っても『原種の欠片』が封印されているエリアにはいない。約束しよう。…ともかく、僕はこのどこかにいるからね。
 君の新たな『力』である月下美人君は無事だ。声を聞かせないと納得できないだろうけど、あいにく彼はまだ眠っていてね。起こすことも出来ないんだ。
 制限時間は今から丸一日。今君が入ってきたのは日の出直後だから、日が落ち、また上がってくるまでだな。それまで僕を見つけられれば、君の勝ちだ』
「サバタさまを、返してくれるんでしょうね!」
 カーミラにしては珍しく、語気の荒い声で尋ね返す。ハスターはわざとらしく声を出して笑った。
『ははは。常に温厚な君が珍しいね。でもそんな君もまたなかなかいいじゃないか。
 サバタって名前だったんだね。彼が自己紹介してくれないから僕は名前を知らなかったよ』
 白々しい事を。カーミラは心の中で毒づいた。
 彼はサバタの名前を知っている。昨日カーミラがサバタの名前を呼んだし、彼を『月下美人』と呼ぶという事はサバタの事を調べているはずだ。名前を見落とすなど考えられない。
『ああ、君が勝ったらサバタ君はちゃんと返すよ。僕はもう二度と君とサバタ君にちょっかいをかけないことを誓おう』
 口調にかなりうそ臭さを感じるが、今はそれを信じるしかない。
 サバタという人質を取られている以上、こっちはゲームに乗り、ハスターの言うとおりに動かなければいけないのだ。
(元々、こういう口調の人でしたけど)
 記憶にかすかに残っている思い出を掘り起こし、カーミラは少しため息をついた。
『それじゃ、健闘を祈るよ。カーミラ』
 うわべだけの激励の言葉を受け取った後、カーミラは先に進み始めた。探すにしてもなんにしても、まずはこの塔を詳しく知らなくてはいけない。

 ダーインの残香を求め、この螺旋の塔にもアンデッドが住み着いていた。特にここは戒めの槍としてヨルムンガンドも封印されているので、かなり強いアンデッドがうろうろしている。
 それら全てをカーミラは自分が持つ暗黒の力と風の力、そして漆黒の槍で薙ぎ払っていた。
 イモータルだった頃に使えた『死せる風』は使えなくなったものの、風の力自体使えなくなったわけではない。暗黒の力と織り交ぜながら、アンデッドを駆逐する。
(でも、暗黒の力はそう使えませんね)
 槍でブラックスライムをバラバラに崩しながら、カーミラは自分に言い聞かせる。元々暗黒の力はダークマターから来るもの。使いすぎれば己の精神に異常をきたす。
 ――それに。
 使えば使うほど、サバタの疲労は激しくなっていく。

 カーミラ復活後、サバタの体調がずっと良くなかった理由。それは彼女がサバタの力を使いすぎたせいだ。
 彼は自分のダークマターに閉じ込めていたカーミラを、強引な方法で引きずり出して復活させた。それゆえ、カーミラはサバタのダークマターの80%を受け継いでいる。
 だが彼女が完全な暗黒仔として目覚めなかったのは、サバタの月下美人の力のおかげである。彼がダークマターの暗黒面を受け持ってくれるおかげで、彼女は暗黒の力を安全に使いこなせる。
 サバタはカーミラから力を受け取ることで、今まで以上の暗黒の力や月下美人の能力を使いこなせるようになった。まさに、『二人で一人』である。
 しかし、この力にも大きなデメリットがある。どちらか一方が必要以上の力を出すと、一方は極端に疲労するのだ。復活したばかりのカーミラはそれを知らず、サバタを疲労させていた。

 今のサバタの疲労は、恐らく一歩間違えれば衰弱死にもなりかねないほどだろう。急いで自分の力をサバタに注がなくてはいけない。
 焦ってはいけない。だがのんびりしてもいけない。
 慎重に、そして迅速に行動しなくてはいけない。
 カーミラはそう言い聞かせて、槍を振るう。槍術どころか戦闘自体素人だったカーミラだったが、数時間ほど戦っていると、だいたいコツを掴んできた。
 器用なのも幸いして、自分自身の力である風の力を織り交ぜながら槍を振るう。自分自身の力なら、サバタをそう疲労させない。前に比べれば微弱だが、戦いには使えた。
「…まだ、いけます……!」
 疲労で倒れそうな意識を何とか保たせ、カーミラは槍でアンデッドを駆逐していく。いつしか槍も、彼女の戦い方に合わせて変化していた。
 突くのに向いているスピアタイプから、薙ぎ払うのに最適になっているグレイブタイプへ。槍も、彼女とサバタ自身だから変化したというのだろうか。
 槍が閃き、カーミラが舞う度にアンデッドが消える。だが、消える矢先にまた増えるのできりがない。これも全てハスターが召喚しているとでも言うのだろうか。
(それもあるでしょうけど、勢い任せにしすぎたこともあるんでしょうね)
 肩で息をし始めてきたので、適当な場所で少し休憩を取る。
 朝からの行動を、カーミラは自分自身で再評価してみた。塔に来るまではまあ良かっただろう。ジャンゴに呼び止められるというちょっとしたアクシデントもあったが。
 塔に入ってからすぐ。ハスターとの会話は、及第点は付けられないだろう。最後の最後で自分は自分を抑えられなくなりかけた。あのまま怒りに身を任せていたら…考えるだけでもぞっとする。
(ああ、そこから問題でしたのね)
 ハスターの挑発に、見事自分は踊らされていたようだ。そう思うと悔しくなる。

 螺旋の塔。とある場所。
 サバタは未だに衰弱しながら眠り続けている。素肌をさらしている場所はどこもかしこも汗だらけで、雪のように白い肌は、もはや青ざめていた。
 その隣にはハスターがいた。気まぐれに、彼の方を見やるその眼にはカーミラに対してあった親愛の情はまるでなく、完全な憎悪に満ち満ちていた。
「知ってるんだよ。君がカーミラの大切な人になっている事はね」
 月光のマフラーで隠されたサバタの首筋に手をかける。予想以上に細い首は、少し力をこめただけでもあっさりと折れそうだ。ハスターはその妄想に酔いしれる。
 が、すぐに冷たい顔に戻り、首から手を離した。こんな事をしなくても、もうじきサバタは死ぬ。愛する少女に力を吸い尽くされて、彼は死ぬのだ。
 愛する少女を命がけで蘇らせ、その少女に全てを吸い尽くされて死ぬ。最高の喜劇で悲劇ではないか。一番笑えるのは、本人達がそれに気づいていないことだ。
 …いや、おそらく賢いカーミラはもう気づいただろう。自分とサバタは一心同体。命を共有したつがいの鳥であることを。
 だがもう片割れの鳥は、滑稽にも自分一人で飛び立とうとしている。つがいの鳥を守るために、片翼を無理に翻して。何と愚かな事か。
 ハスターは笑った。声の出る限り笑った。
 やがて来る反響にハスターは顔をしかめたが、サバタは目覚めることなくただ消耗している。

 外では、完全に日が落ちていた。

 カーミラはようやく最上階近くまで上ってきていた。ここまでハスターとサバタさまらしい気配は全然しなかった。最上階まで調べつくしたら、降りながら調べまわるしかないだろう。
 窓からの光が消えたのを見計らって、大きな天窓に近づいた。まだ日の光の残影が残っているものの、宵闇までそう遠くはないだろう。
 しばらく眠っていようか。カーミラはそう思った。自分は限界だ。少し寝れば、体力も回復するだろう……。

 深い眠りが、カーミラを過去へといざなう。
 まだ、彼女が人だった頃の過去へと。

 初めて着たドレスはきれいな赤で、カーミラははしゃいだ。余所行きのドレス。お嬢様のドレス。
「おばあさま、おかあさま。これからどこに行くの?」
 ドレスを着た小さな淑女の質問に、祖母たちは笑顔に目を細めながら答えた。

 これからお前のお婿さんになる人のところに行くんだよ、と。