IN THE END・5 - 1/2

 目が覚めてからすぐにやった事は、窓に飛びつくことだった。月はもう見えない場所に移動したようだが、まだ周りは暗い。夜明けまでは時間がありそうだ。
 夢の残影を振り払い、ふらふらと立ち上がる。今この時にあの夢を見てしまうとは、まるで何かの策略のようなものに思えるが、カーミラにはそれがサバタからの激励のように思えた。

 ――俺はここで待っている。早く助けに来い――

 最後に見たあの黒翼の少年は、顔こそ見えなかったが確かにサバタだった。片方の翼を無残にもぎ取られ、ひたすら「タスケテ」と呟いていたあの少年。
 自分が復活した理由。外的要素などがたくさんあるとしても、真の理由はサバタが自分を求めていたからだとカーミラは信じていた。そして、それに応じた以上、自分はサバタの力になるのだ。
 とりあえず、少し寝ただけでも大分鋭気と体力は回復した。調べてないエリアはもう数少ない。カーミラは全速力でチェックしながら塔の中を駆け上がった。

 螺旋の塔最上階。戒めの槍の封印の間、その手前。部屋を覆い隠していた霧はなく、カーミラは手前の橋を危なげなく渡った。
 封印の間では、予想通りハスターと眠りながら衰弱しているサバタがいた。ちらりと確認すると、息も絶え絶えでかなり体力を消耗していることが分かる。
 急いで、しかも自分の力のみだけで、ハスターを撃退してサバタを救わなければいけない。ここに来るまでの戦いで大分槍の扱いに慣れたものの、楽勝どころか互角にもなっていないだろう。
 それでも、やるしかない。カーミラは血を浴び、啜り続けても色が変わることのない漆黒の槍を構えた。
「午前三時四十七分……。おめでとう、日の出前にはここまでこれたね」
「約束です。サバタさまを返していただきましょうか」
 警戒は解かぬままに、カーミラは譲渡を促す。反論するかと思いきや、ハスターはあっさりとうなずいた。
「そこにいるから、家でゆっくり寝かせてあげるんだね」
 視線に促されて、急いでサバタの元に行く。心音を確かめると、かすかにだが鼓動はあった。後は急いで家に帰って休ませてやればいい。
 サバタを抱えて、さあ暗黒転移をと手を上げるが、その手はハスターの一言で止まった。

「サバタ君を“生きたまま”連れ帰ることができれば、だけど」

 はっとしてサバタの顔色をもう一度見ると、もう彼の顔は白を超えて土気色になりかけていた。自分が力を使いすぎたせいで、コントロールするサバタの体力はほぼ無きに等しいのだ。
 暗黒転移などの簡単な技は自分だけでも使える。だが、それだけでもサバタの残り少ない体力は尽き、彼は息絶えてしまうだろう。
 となると、自力でサバタを背負って降りるしかない。しかも、彼に負担がかからないように慎重に。だが、そんな悠長な事は目の前のイモータルが許さないだろう。
 真相に気づいたカーミラがハスターを睨むと、彼はにやりと笑った。
「彼なんて見捨ててしまえ…と言いたいところだけど、それは君が許さないだろうね。
 どうだい? あの時は失敗したけど、僕と君の世界で、3人で暮らしてみないか?」
「断ります!」
 ハスターの申し出を速攻で断るカーミラ。
 もうあの塔の中が自分の世界ではない。太陽都市が自分の世界ではない。全ての大地が、星の全てが自分とサバタさまが生きる世界なのだ。
 ここで閉ざされた世界に戻るつもりはない。カーミラはサバタを安静な形で寝かせて、槍を構えた。
「私は、貴方とともには行きません」
 親の決めた結婚。そして、その笑顔の中に隠された狂気。それに気づいていれば、悲劇は起こらずに自分は人間として生きられたのかもしれない。
 だが、それはサバタに会えない事を意味する。自分の意思で決めた、全てを捧げるべき人。つがいの鳥。
「私が全てを捧げる人は、貴方ではありません!」
 決めたのだ。イモータルとして再生され、サバタの教育係として彼の前に会った時から自分はサバタについて行くと。サバタに全てを捧げると。
 固い人形の殻を壊して――否、固い人形であろうとも――、彼のそばにいたい。離れたくない。
 共に生きて、幸せになりたい。
 一陣の風が巻き起こる。それはあの時に起こした破壊を導く風でも、イモータルの時の得意技だった『死せる風』でもない。
 穏やかだが、邪なるモノを討ち払う聖なる風。
「私はサバタさまと共に生きて行きます! 私の世界は、サバタさまが生きている世界です!!」
 槍に風が集まり、一つの鋭利な刃と化す。イモータルすら切り裂く聖なる刃――「古の乙女」メイデン・ルーン。
 風と共に繰り出される槍は、言うなれば死神の鎌のごとく残忍な輝きを持ってハスターを袈裟懸けにする。凄まじい暴風雨と槍の一撃により、ハスターは大きな傷を負いながら吹き飛ばされる。
 油断していたこともあり、大ダメージを食らったハスターは堪えながら立ち上がろうとするが、間髪いれずにその鼻先に槍を突きつける。
 何十とアンデッドを切り裂いてきたはずのその刃は、今も鋭利な輝きを放って切れ味の鋭さを示している。目の前でわざとちらつかされ、ハスターはようやく負けを認めた。
 戦意を失ったハスターにはもう用はない。カーミラはサバタを抱きかかえて部屋の外に出ようとする。無論、背中を向ける時も常に警戒を怠っていない。
 ――はずだった。
 サバタに負担をかけないように慎重に歩き、部屋の外に出る瞬間。
「僕の……カーミラ……!」
 うめき声に近いささやきが聞こえたかと思うと、ダークマターの黒い波動が湧き上がる。慌てて振り向いた瞬間、溜め込まれていた波動が放たれた。
「くっ!」
 殺してでも自分のものにしたいと言うのか。
 恐ろしいまでの執念と狂愛に目がくらみそうになる。いや、実際にダークマターの波動にあわせて目がくらんだ。
 ダークマターが二人を飲み込みそうになる。その瞬間。

 サバタの手が、動いた。

 後ろ――ハスターに向けて手のひらを突き出したかと思うと、ダークマターを吸収する。
「何だと!」
「サバタさま!?」
 ダークマターが完全に吸収されると、サバタの手は力を失ってぱたりと落ちた。顔色を見てみると、ダークマターを吸収したからか、少しだけ顔色がよくなっていた。
 対するハスターはと言うと、どうやら全力を込めたものだったらしく、サバタと同じように力を失って崩れ落ちた。
 カーミラは改めて、サバタを見、ハスターを見た。
 二人とも、自分を強く思ってくれる。だが、サバタさまとハスターは全てからして違っていた。貪欲なまでに全てを求めたハスターに、苦しいほどに全てを拒絶したサバタさま。
 だが、ハスターは自分を求めてはいなかった。それだけははっきりと言える。そしてサバタさまは、自分を求めていた。それもはっきりと言えた。
「……哀れな人」
 カーミラはそれだけを残して、サバタを抱えながら部屋を出た。

「見極めはお済みになりました?」
「ああ。いい収穫だった」
「では、彼はどういたします?」
「あの双子は邪なる気に覆われておっても、その魂は我輩らに近かった。だが、あの者は完全に魂すら闇に染め上げられておる。危険だ」
「分かりました。一人帰ってきていますので、その者と共に“浄化”を」
「ああ、留守は頼むぞ」

 転移魔方陣で最上階から一階に戻る。転移魔方陣はキーワードさえ言えば自動的に移動するので、サバタの力を消耗せずに移動することができた。
 螺旋の塔を出ると、ジャンゴが心配そうな顔からほっとした顔になってカーミラたちのところに駆け寄ってきた。
 おそらく、カーミラが出て行ってからすぐにここに来て待っていたのだろう。目の端に浮いている隈が、その証拠だった。
 ジャンゴはぐったりしているサバタに気づき、すぐにカーミラの代わりに彼を背負う。正直、サバタをここまで背負って歩いてきて疲れていたので、交代はありがたかった。
 空を見上げると、東の空がうっすらと明るくなっている気がする。もうすぐ日の出なのだ。まだ傘がいらないうちに家に帰れそうだと思うと、少しほっとした。
 家までは二人とも無言で歩いた。カーミラはジャンゴになんて説明すべきなのか分からなかったし、ジャンゴは聞かないほうがいいと遠慮していたのだ。
 かすかに聞こえるサバタの息をBGMにして、二人は家まで歩いた。
 家にたどり着くと、カーミラはサバタを背負っているジャンゴの代わりにドアを開け、サバタの部屋まで走って簡単なベッドメイクをした。
 ジャンゴがサバタに負担がかからないように、慎重にベッドに寝かせる。もう一度心音を確認したら、確かに鼓動が聞こえたので二人してほっと安堵の息をついた。
「ごめん、後はよろしく」
 ジャンゴはそう言ってあくびしながらサバタの部屋を出て行った。恐らく自分の部屋に戻って寝るつもりだろう。カーミラは一呼吸遅れながらも、ジャンゴに向かって頭を下げた。
 彼が静かにドアを閉めたのを確認してから、サバタのベッドの脇に椅子を寄せて座る。こんこんと眠るサバタは、今どんな夢を見ているのだろうか。
 何気なく、サバタの唇に指を置いてみる。未だ誰とも口付けを交わしてないであろうそこは、微妙な柔らかさでカーミラの指を受け止めた。
 比翼の鳥。片方しかない翼を持つ自分とサバタさま。だが、その距離は短いようでいて遠い。あの人は、手を繋ぐだけでそれ以上の事は決してしない。
 何かを求める概念が希薄なのだ。サバタさまは何かを求める前に「いらない。必要ない」というラインに押し込めてしまう。それでも、自分を望んでくれたのが嬉しかった。
 もっとずるくなってもいいのに。私は貴方と共に行くと決めた。私のないものが貴方にあるのなら、貴方の無いものは私にある。

「……ああ、そうすればよかったんですね」

 カーミラはようやく気づいた。自分とサバタさまは比翼の鳥。互いに互いの翼を持った鳥なのだ。一人で飛べないなら、二人で共に飛べばいい。
 片方が力を使いすぎれば片方は力をなくす。そのデメリットこそ、自分とサバタさまの関係を大きく現したものではないか。……いや、デメリットではなく二人のつながりを強める絆。
 貴方は私を受け入れてくれた。そして私は貴方を受け入れた。もはや離す事のできない私とサバタさまの魂は、こうしていくことでつながりを強めていったのだろう。前世も、そして来世も。
「まずは、貴方から受け取ったお力を返しましょう」
 唇に置いていた指をどかし、代わりに自分の唇を置くように口付ける。初めて交わす口付けは、ほんの少しだけ甘い味がした。

 死は最期ではなく、貴方とのひと時の別れ。
 何度も彷徨い、めぐり合い、私達は本当に一つの魂に戻ろうとしていく。
 元は私と貴方は一つの魂だったのだから。

 そして最後には、本当にひとつの魂として還るでしょう。
 やがて幸せと共に、天へと昇るでしょう。

 カーミラが唇を離すと、サバタはその目をうっすらと開けた。

 ――そして、笑った。
「そして始まり」