IN THE END・2

 螺旋の塔。
 かつて太陽仔の一族の繁栄の証である太陽都市の証とも言える塔。その麓が、約束の丘。
 そこでカーミラが見たのは黒髪の男性と、その男性の足元で倒れているサバタだった。
「サバタさま!」
 慌ててカーミラが駆け寄って抱き起こすが、サバタは死んだように何の反応も見せない。脈はあるので、死んだわけではないのだが…。
 それでもこのままの状態では何があるか分からない。カーミラは何度もサバタをゆすって起こそうとする。
 反応は、ない。
 前に自分を蘇らせた時と同じように、意識を手放したままぴくりとも動かない。
「サバタさま!」
 もう一度叫んでゆすってみるが、やはり反応はない。まるでそこだけ時間が止まったかのように、サバタは少しも動かないのだ。
 医者か何かに診せようと、サバタを背負おうとするとその脇から声がかけられた。
「暗黒少年君だけでなく、こっちも見て欲しいんだけど?」
「!?」
 声をかけられてようやく相手の存在に気づいたカーミラは、顔を上げて絶句してしまう。
「やあ、『死せる風運ぶ嘆きの魔女』……僕の可愛いお姫様」
「……ハスター……」
 にっこりと微笑みかけられ、カーミラは震える声でその男の名前を呼んだ。

「久しぶりだね、カーミラ。元気にしてたかい?」
「……」
 何て皮肉を。
 歯軋りするのを堪えて、カーミラは相手――ハスターを睨む。
 イモータルとしての二つ名である『死せる風運ぶ嘆きの魔女』の名を知っているのなら、カーミラが辿った運命も知っているはず。
 一度浄化され、こうして復活したことまで知らなくても「元気にしていた」と聞かなくても、彼女がどうなのかは分かっているだろう。なのにそれを聞いてくるのにはわけがある。
 挑発だ。理由は分からないが、ハスターはこっちを挑発しようとしている。
 普段ならそれに乗る気はないが、サバタが倒れているのとここに彼がいる理由がいまいち分からないこの時、乗ってみるのも悪くはないと思った。
「貴方こそ、元気にしていましたか?」
 普通に乗るのではなく、こっちも同じ問いを返して挑発を返す。その挑発の返しは少しだけ効いたらしく、柳眉が少しだけ動いたのをカーミラは見逃さなかった。
 それはつまり、動揺させることが出来るほどの何かが、ハスターには確かにあった事になる。
「それはもちろん。色々あったけどね……ほら」
 にやりと笑う中、一筋だけ流す汗が彼の顔を焼いた。その様子を見て、カーミラの顔が警戒から驚きへと一変する。
 普通の人間ならただ感触と跡を残して流れるだけの汗が、彼の顔を焼いている。と言う事は。
「貴方、イモータルへと……」
「そういう事。君や、今の君の相手と同じさ。日の光に耐えられるニュータイプなイモータル」
「サバタさまはイモータルではありません!!」
 サバタを汚されたような気がして、ついカーミラは声を荒らげる。自分だけがイモータルと呼ばれるのならまだいいが、サバタまでイモータル扱いされたのは許せなかった。
 彼は人間だ。生まれてから数奇な運命に踊らされ、人ならざる力を与えられたとしても、彼は人間の心を持っている強く優しい人間だ。
 何も知らない者ならともかく、全てを知っている者にそう言われるような人間ではない。そう思って、カーミラはサバタを抱きしめる手に力を込める。
 ハスターはそんなカーミラを興味深そうに――あるいは嫉妬深そうに――見ていたが、やがてふっと一つため息をついた。諦めと言うより、呆れに近いため息。
 その笑みもカーミラにとっては気に食わない笑みだったが、表に出さないように自制をする。
 自制は人として生きていた頃に覚えた生きる術の一つだ。人知られずに生き、常に他人の影に怯えて生きていた頃、その感情を出さないために。暗い心に負けないために覚えた術。
 今ここで怒りを露にし続ければ、ハスターに負ける。カーミラはそう思った。
 イモータルと化したハスターはまだ己の手を出していない。そして自分は……まだ自分の力を認識していない。暗黒仔に近い存在ではあるが、暗黒仔ではないのだ。
 サバタも倒れている今、この場を切り抜けられるのは己の知恵と機転のみ。助けは期待できない……と言うより生まれてこの方、カーミラは助けなど考えたことがない。
 慎重に行動しなくては。カーミラは自分に言い聞かせて、相手の動きを待つ。しかし、彼の次の行動は彼女が予測していたパターンとは全く違ったものだった。
「カーミラ、僕とゲームをしようか。君が賭けるのは君自身だ」
 にやりと笑って、カーミラの腕からサバタを奪う。かなり強引に動かされても、サバタは目を覚まさなかった。
 サバタを自分の腕から奪われてカーミラは激昂しかけるが、自制を言い聞かせて隙をうかがう。例え自分に何があっても、サバタだけは取り返さなくてはいけない。
 ハスターの方はそんなカーミラの心の揺れを見ているかのように、笑みをますます濃くする。
「僕はこの月下美人の暗黒仔を賭ける。分の悪くない賭けだろう?」
 そう言った瞬間、片手で抱えていたサバタがふっと消えた。
「! サバタさま!!」
 さすがにこれは自制を忘れて、ハスターに掴みかかろうとしてしまう。当然のことながらあっさりかわされてしまい、軽々と抱きしめられてしまった。
 とたんに香るイモータルの匂い。――そして懐かしい匂い。
 その匂いに一瞬我を忘れて、懐かしい過去に身を委ねかけてしまうが、すぐにサバタの顔が思い浮かんで気を引き締めた。
 顔と顔は接近し、どちらかが近づけば軽く口付けられるだろう。カーミラの警戒度は完全にレッドゾーンを振り切った。もはや自制もなく、厳しい顔でハスターを睨みつける。
 ハスターはそんなカーミラの視線を真正面から受け止めてから、抱きしめていた手を離した。バランスが崩れて倒れそうになるのを、カーミラは足を踏ん張らせて耐えた。
「ゲームは簡単。これから僕はこの螺旋の塔で、グールなどを呼んだ後に隠れる。君は一人で僕を探し当てて見せるんだ。
 制限時間は丸一日。君が見事僕を見つけ出せれば、君の勝ちだ。だけど制限時間を過ぎても見つからなければ……」
 自分の負け。つまり、サバタさまを助け出すどころか、自分は彼のものになってしまう。知らず知らずのうちに、奥歯がぎりぎりと鳴った。
 負けられない。何があっても、このゲームには負けられない。実質上、自分は分の悪すぎるゲームに乗せられているが、それでも勝つしかないのだ。
「私は勝ちます。勝って貴方からサバタさまを取り戻します」
 カーミラの宣言に、ハスターはふっと一つ笑いを残して消えた。

 ハスターが消えてしばらくして、ようやくジャンゴが約束の丘へとやって来た。自分に比べて大分遅いが、彼も兄のことが心配になって探し回っていたのだろう。
 カーミラの顔を見てほっとした顔になるが、サバタがいないことですぐに顔を引き締めた。
「兄さんは?」
 開口一番そう聞いてきたジャンゴに、カーミラは静かに首を横に振った。聡いジャンゴはそれだけで、兄に何かがあったのかを悟ったようだ。
 いつの間にか影が長く伸び、日没が近いということを示していた。自分がハスターと対峙した時は、まだ中天近くにあった日が、あっという間に水平線に近い所まで来ている。
 春の気配はあるものの、まだ冬だ。そのことに妙に感心しながらも、カーミラは「家に戻りましょう」と、ジャンゴの前を歩いていった。
 その様子を見て、やはり何かあったなと思いながらジャンゴも後を追った。

 家に戻ってから、カーミラは家を出てからの事を全てジャンゴに話した。自分が着いた時にはすでにサバタが倒れていたこと。サバタと自分がかかったゲームのこと。
 ――そして、ハスターのこと。
「そのハスターって奴、本当にイモータルなのか?」
 ジャンゴの質問に、カーミラは素直にうなずいた。サバタと同じニュータイプとか言っていたが、本質はイモータルと同じだろう。
 サバタと同一と言っていた事を言えば、ジャンゴは何に怒るだろうか? ふとカーミラはそんなことを思った。
 その代わり、カーミラはハスターについて一つ分かった事を教えることにした。
「彼は私がイモータルだった事を知っていましたが、今の私がどうなっているかは知りません。恐らく、まだ私をイモータルと見ていると思います」
「だから彼は貴女に接触したと?」
 この質問にもうなずいておく。……本当の所、彼はイモータルとして『仲間』を求めているわけではない。だが、その話は今と目の前にいる少年には無関係だろう。
 そう、無関係だ。彼が出てきた以上、誰も関係がない。自分ひとりの戦いだ。
 できれば、サバタさまも巻き込みたくなかった。だが、一番最初に彼がターゲットにするのも分かっていた。
 分かっていたのに、止められなかった。それがカーミラの心に大きくのしかかっていた。
「……カーミラさん?」
 押し黙ったカーミラを心配して、ジャンゴが顔を覗き込んでくる。サバタによく似た顔立ちに近づかれ、カーミラは一瞬サバタかと誤解してしまった。
 自分はそれほど動揺しているのかと思いながらも、彼らは双子なのだということも自覚する。相反する力を持ちながらも、確かに彼らは絆があるのだ。
 ――本当は、救う力があるのは自分ではなく、ジャンゴの方なのかもしれない。
 カーミラはそんなことを思っていた。

 一人欠けた食卓と言うのがこんなに寂しいものだとは、ジャンゴは今まで知らなかった。家族が一人欠ける感覚。孤独感を感じさせる空気。
(せめてリタかザジでも誘えばよかった)
 ジャンゴはふとそう思って、速攻に否定した。誘えばサバタが不在の理由を問い詰められる。ジャンゴは黙っている自信も、騙しとおせる自信もなかった。
 この事は秘密にしよう、と二人で相談したばかりである。今日はこの空虚感に耐えるしかない。
(……空虚感?)
 ジャンゴの手が止まった。
 空虚感を感じるのは、目の前にいる女性に対してどう振舞えばいいのか分からないからではないのか?
 今自分の目の前にいるのは、兄の大切な女性であり、自分が浄化した相手でもある。どんな顔をして彼女と会話しろと言うのか。
 浄化した事を謝れと? 復活した事を喜べと? どちらにしても、ジャンゴには皮肉のようにしか言えないことを知っていた。そして、それは彼女も同じことだと言うことも。

 結局、二人は黙々と晩御飯を片付けた。