IN THE END・1

「接触したいと?」
「ああ。彼の者を蘇らせた月下美人……、我等の筋書きを超えてみせた者だからな」
「月下美人……。そういえば、我等の神と一番近しい存在でしたね」
「だからこそ、一番最初に倒れた者でもあろう。見てみたくなったのだ」
「お待ちを。貴方様が出ることでほころびが出かねません。今しばらく、自粛を」
「しかしな……」
「ちょうどいい者なら一人、見つけております。……あの“夢子”と同じ、邪なる存在ですがね」
「……分かった。それならその者で見るとするか……」

 日差しがきつい。
 普通の人間なら「ああ、暑いな」と思う程度だが、暗黒仔に近い彼女にとって日差しの具合は死活問題に繋がるかもしれないものだった。
 少し外に出る程度なら日焼け止めで済むが、散歩などになると日傘が必需品となる。それも、完全に太陽の光を遮るものが。
 と言うわけで、カーミラは日傘を差して街中を歩いていた。

 ――サン・ミゲルの住人は、あっさりとカーミラを受け入れた。
「来るもの拒まず去るもの追わず」の精神もあるのだろうが、一番大きかったのは「誰もカーミラの顔を知っていない」ことだった。
 死せる風運ぶ嘆きの魔女としてイモータルの一人だった頃を、誰一人として知らないのだ。人として生きていたのも十年以上前のこと。覚えている者もいないだろう。
 それゆえ、カーミラは長い間願って止まなかった「普通の生活」を過ごしている。他愛のない会話、のんびりとした散歩。隣には愛する人とくれば、正に夢のようなのものだった。
 もちろん、この平穏がいつか壊されるものだと言うのは良く知っている。自分には仮初のものしか与えられないことも。それでも、一日でも長く続いて欲しいと願っている自分がいる。
 吹きすさぶ風に春の気配を少しだけ感じながら、カーミラはサン・ミゲルの商店街をのんびりと歩く。すれ違いながら挨拶をしてくる人には、きちんと挨拶を返した。
 途中、宿屋で足が止まる。
 誰かに見られている感覚。誰だかは分かるし、何故なのかも分かる。だからこそ、カーミラは足を止めてしまった。
 こうしてここで足を止めてしまうたびに、自分の存在を嫌と言うほど思い知らされる。所詮自分は、二度目の仮初の生を与えられた者。世界から爪弾きにされた者に等しいのだ。

 今のところ、カーミラはジャンゴたち兄弟の家に住んでいる。最初ジャンゴは少し渋っていたが、サバタの脅迫に近い説得で譲歩してくれた。
 条件はジャンゴたちが家を留守にしている時は、きちんと家を守ること。それから家事の手伝いだ。このくらいだったら別に苦労とは思わない。実質、同居を無条件で許されたようなものだった。
 家に帰ると、仕事を終えてきたらしいジャンゴも帰ってきていた。
「お帰りなさい」
 ジャンゴは一人でボーっとお茶を飲んでいたらしく、ドアが開く音で慌ててカップを下ろして出迎えた。
「サバタさまはどちらに?」
 そう聞くと、ジャンゴは首をかしげた。首を傾げるという事は、サバタは家にはいないことになる。そのことにカーミラも内心で首をかしげた。
 サバタがいない。それは不安でもあったが、疑問でもあった。まだ、彼の心の中には何かささくれがあるのだろうか。自分には言えない何かが。
 いつもこうなのだ。サバタはいつも自分には何も言わずに、目の前から消える。なのに、自分は何となくだがサバタの心が分かってしまうのだ。
 羨ましい、と世の恋人達は言うかもしれない。が、カーミラにとってサバタの心の中が読めてしまう事は一種の拷問に近かった。
 自分では何も出来ないと言うことを改めて思い知らされる、その瞬間が苦しかった。

 サバタはその日、部屋で寝るつもりだった。
 カーミラ蘇生の時の傷はもうすっかり癒えているが、その代償なのか朝から体力と気力がほとんどない日があるのだ。朝起きようとして動くことも出来なかった時、その日だとすぐに悟った。
 仕方なく、起こしに来たカーミラに「今日は寝る」とだけ告げて、サバタはずっとベッドの中にいた。
 人を一人蘇らせると言うのは、これほど辛いことだったのか。
 原因不明の疲労で眠りにつくとき、サバタはいつも同じ事を考えていた。一度おてんこさまやザジにも診て貰ったが、やはり原因はつかめなかった。
 ただ、セイと共に診てくれた時、ザジは不思議なことを言っていた。
「比翼の鳥っちゅーのは、片方の翼だけでは飛べへんのや」
 比翼の鳥。
 もしそれが自分とカーミラを指すのなら、どうやって自分たちは空を飛ぶと言うのだろうか。……そもそも、自分は空を飛べるほど純粋なのか。
 そこまで考えて、サバタは頭を振った。別に今更そういうのにこだわったところでどうにもならないだろうに。
 ごろりと寝返りを打つと、少しは体が軽くなった気がする。ちょうど厚くカーテンが張られた窓に顔を向ける形になった。

 ――カーテン越しに、誰かに見つめられている感覚。

「!?」
 その時だけは、何故か体のだるさを感じなかった。弾かれたように飛び起きてカーテンを開けるが、窓から見えるいつもの景色に不審な点は一つも無い。
 自分の勘違いかと思ったが、ある一点を境にさっきの感覚に間違いはないと確信する。確かに自分は見られている。それも悪意の入り混じった目に。
 サバタはカーミラとジャンゴに申し訳ないと思いながらも、こっそりと窓から外に出た。

 外に飛び出すと、サバタは自分を監視していた者をおびき出すために人のいない開けた場所へと移動した。サン・ミゲル内で一番向いているのは、螺旋の塔前の約束の丘。
 思い出したように戻ってくる体のだるさを押して待っていると、ようやく待っていた気配が現れた。
「遅かったな」
 気力を振り絞っていつもの――人形だった頃の癖が染み付いているため、ほとんど変わってないが――皮肉な笑みを浮かべる。
「ああ、大分待たせただろうし、こっちも大分待ったよ。
 ――あの人が『帰ってくる』までね」
 監視者の言葉に、サバタの体が跳ねた。条件反射で、腰のホルスターに吊ってあるはずのガン・デル・ヘルに手をやろうとするが、あっさりと空を切った手は持ってきていないことを示していた。
「…ちっ……!」
 ウカツだった。監視者を追跡するのだから、武器を持ってくるのは常識以前の問題だ。
 暗黒少年として生きていた時は、服と同じぐらいにあって当然だった自分の武器。それが今は部屋に置き去りになっている。機転の回らなかった自分の頭に、逆に感心してしまう。
 サバタにとっては永遠に近い一瞬が過ぎ、その一瞬でようやく相手が姿を現した。
 年のころから見るに、青少年と言ったほうがいいほどの男性だった。背はサバタより頭一つ高く、細腰な立ち振る舞いが女性たちにはたまらなく感じるだろう。
 大雑把に切られた黒髪も、細腰な立ち振る舞いとミスマッチして逆に女性にもてる要素となっている。掛け値なしの色男だ。
 だが、サバタにとってはそのような外見は何の意味もなさなかった。
 彼が意識を集中させたのは唯一つ。冗談みたいに赤い瞳。――イモータルの証である暗黒の瞳。
 サバタはますますガン・デル・ヘルを持ってこなかった自分を叱咤した。全く、脳みそまで自分は疲れ果てていたか。
「やあ。月下美人の暗黒仔、サバタ君」
 男が口を開いた。
 その挨拶はまるで最近会っていなかった友人に呼びかけるような口ぶりで、サバタには挑発の言葉に聞こえた。
 ガン・デル・ヘルを構える代わりに、常人だったら怯えてすくみ上がるような視線を投げかける。しかし、相手の方はそんなサバタをせせら笑うように微笑んだ。
「厳しい目だねぇ……。そういう所は彼女からしつけられてないのかい?」
「……彼女……だと…?」
 サバタの問いかけに、男は微笑みを邪笑に変えて答えた。

「そう、嘆きの魔女さ。君は良く知っているだろ?」

 次の瞬間。
 サバタは腹に重い一撃を食らい、意識を手放してしまった。

 その時、カーミラは寒気に襲われた。
 カップを持っていた手が激しくぶれ、テーブルにお茶の雫を散らす。痙攣のような手の震えは、しばらく止まらなかった。
「カーミラさん!?」
 痙攣を起こしたようなカーミラに、ジャンゴが驚いて近づいてくる。不安がらせないように笑顔を浮かべると、カーミラは急にサバタの安否が気になって来た。
 部屋を覗いてみたら、もぬけの殻だった。具合が良くなって散歩しているのだろうと楽観視していたが、よく考えてみたら何故出て行ったのだろうと疑問がわいてくる。
 そういえば、最近のサバタはどうしていつも疲労が激しいのだろう。自分はこうして平気に歩きまわれるのに、サバタはぐったりとソファに座っていることが多い。
 自分を蘇らせるのに全ての力を振り絞ったのは分かる。だが、その力がいつまでも回復されないのはどういうことだ。
 それだけ人の再生とはとんでもない事なのだろうか。それとも、何かが原因でサバタはずっと疲労し続けているのだろうか。
 なら、何が?
 何かがサバタの回復の邪魔になっている?
「……サバタさま……!」
 今の事情と今までの事情が大きな不安となり、気がついたらカーミラは外に飛び出していた。
 慌ててはいても、習慣として日傘を持っていくのは忘れない。日に焼かれないように慎重に走りながら、サバタを探す。日はもう中天を過ぎ、少しずつ傾きかけている。
 厳しかった日差しが和らぎ、暗黒仔にとっては過ごしやすくなっていくのだが、それでもカーミラの心は焦りを感じていた。
 嫌な予感が消えない。胸が痛むこの感じは、何かを暗示しているようでいてならない。
 まるでサバタが傷ついたようなこの感じは……。
 とたんにカーミラは胸を掻き毟り、苦痛を耐えしのぐ。搾り出されるような痛みは、掻き毟った痛みにいくらか相殺され、ほんの少しの安堵を与えた。
 搾り出されるような痛みに背中を押される形で、一歩一歩歩き出す。サバタの居場所は分からないので、一つ一つ心当たりを探すしかない。
 ――ないはずなのだが。
 何故かその時、カーミラは根拠も何もないカンでサバタの居場所がどこだか分かってしまった。
「螺旋の塔へ……」
 サバタに町を案内された時に、真っ先につれてこられた場所。暗黒仔でありイモータルのダーインと死闘を繰り広げた場所と言われた塔。
 大人しい彼女にしては珍しく、急かされたように螺旋の塔前に急ぐ。…が、まだ地理に不慣れなので、カーミラが約束の丘に着いたのは三十分も後のことだった。