精霊残華「Who am I?」

 ――たかが杖に人の姿を与えるなど……

 俺は杖。持ち主に力を与える名前のない杖。

 ――セイは人間や。

 俺はセイ。魔法使いの少年。

 俺は杖? それとも人間?

 

 

 がたり

「「!?」」
 比較的大きな物音に、二人は大きく反応した。杖を構え、いつでも対処できるように構える。
 が、
「意外と単純な隠れ場所だな」
 ひょっこりと顔を出したのはサバタだった。相変わらずの皮肉屋ぶりだが敵ではない彼の登場に、二人は安堵の息を漏らす。
 そのサバタは軽々と障害物を乗り越え、二人の元に近づく。
「サバタ、何しに来たんや?」
 緩みかけた顔を引き締めて、ザジは杖を構えなおした。今の状態、サバタは味方とは言い切れない。彼の行動一つでは、敵と認識しなくてはいけないのだ。
 杖を構えられ、敵意に近い感情を向けられたサバタは、その感情から避けるように軽く肩をすくめた。
「別に。お前らがいなくなってから、街が騒がしくなったのでな。落ち着いて昼寝も出来ん」
 探し回っていたと暗に言った台詞。
 サバタはいつもこうだ。自分の感情に合わせてずけずけと物を言う性格だが、その言葉はひねくれていて本性を簡単に現さない。要するに、自分を見せるのが怖いのだ。
 ザジも同じだ。明るい態度と独特の言葉遣いで、自分の本性を隠している。自分の過去を笑い飛ばせるほど強くはなったが、本当の自分を見せられるほどまだ強くない。
(セイは、どうなんやろう)
 ザジは隣でサバタに警戒しているセイをちらりと見た。
 ケーリュイケオンのセイ。人間のセイ。全く違う、二つのセイ。
 セイは杖であることを自覚しており、人間としての身体は仮初のものだと思っている。しかしその反面、セイは確かに人間であることを自覚しているのだ。
「ザジ」
 一瞬誰に呼ばれたのか分からなかったが、名前で呼ばれたという事はセイが呼びかけたらしい。セイのほうに顔を向けると、彼は何かを決意したような穏やかで厳しい顔をしていた。
「俺は人間でいたい。だから、逃げ回るのはやめたい」
 今来たサバタにとっては分からない発言だったが、ザジにとってその発言はセイの答えだと分かった。

「ようやく場所を突き止めたか」
「はい。で、どうなさるおつもりですか」
「愚問を。私の手にあった物を取り戻す、それ以上の理由があるか?」
「……申し訳ありません」
「行くぞ。お前があれを誘導しろ。どんな手を使っても構わん」
「分かりました」

 ……………………………………………………………………………

「…私の手にあった物を取り戻す、か。
 それはいったい誰の台詞でしょうね?」

 ザジがセイの発言に首をかしげているサバタに軽く説明すると、彼は納得したように何度もうなずいた。
「なるほど。カーミラが聞いた話はほぼ当たっていたのか」
「カーミラ……? 俺、会ったことがある」
「何?」
 セイの言葉にサバタの眉がピクリと動く。ガン・デル・ヘルに手を伸ばしてはいないが、話次第ではセイを撃つこともためらわないのだろう。
 そのセイはくりくりと目を動かして、何とか記憶を穿り出した。そう、あれはいつものように欲望にまみれた者達から逃げ回っていた時。
「追いかけられていた時、その子に助けられたんだ。自分の力を嫌っていたみたいだけど、その時は自分の力が役立てて嬉しいって素直に喜んでた。
 自分も追われてる立場だから、一緒にいても大丈夫って一日だけかくまってくれたんだ」
 セイの思い出話に、サバタはカーミラらしいなと心の中で思った。
 自分の力を忌み嫌ってはいたが、自分の人生を嘆くことなく、人を恨まずに生きていた少女。偽りの生も受け容れ、優しさは失わなかった少女。
 サバタにとっての一番の救いだった彼女は、セイも救っていたようだ。
「……あんた、カーミラの恋人だったの?」
「な……っ!?」
 顔を覗き込んでのセイの発言に、サバタの顔に赤みが入る。からかわれてガン・デル・ヘルまで持ち出そうとするサバタを見て、ザジは大きく笑った。

 さて。
 サバタに居場所が知られた以上、何をきっかけにしてここがばれるか分からない。ザジとセイは別の場所に移動せざるを得なくなった。
 イモータルダンジョンに絞って考えると、後は螺旋の塔、大聖堂、地下水路、遺跡の4つ。
 そのうち、螺旋の塔は四方封印のことも考えて行くのはやめる。地下水路も匂いが移って臭くなりそうなので、できれば避けたい。残りは遺跡と大聖堂の二つだ。
「口に出して言うなよ? 俺が聞いたという事は、誰かに情報が漏れるということだからな」
 サバタがそう釘を刺した。言われなくてもそうするつもりだが。
 ザジは頭の中でピックアップした場所の検討をすると、確認のためセイの方を向いた。
 ――そこで、ええんやな?
 眼で語る。
 セイはそのザジの目をまっすぐに受け止めて、うなずいた。
「決まったみたいだな」
 その様子を見ていたサバタが、ほっと安心したようなしていないような微妙な声でつぶやいた。その声色にザジは少しだけ首を傾げるが、そんな大したことではないと思い黙ることにする。
「サバタ、ジャンゴとリタにウチらは大丈夫やからって」
「分かった」
 伝言を受け取ったサバタが暗黒転移で消えるのを見送った二人は、新しい隠れ場所へと歩いて向かった。本来なら急いで行くべきなのかもしれないが、逆に怪しまれると思ったからだ。
 迷路のように入り組んだ暗黒街を抜け、弐番街へ。昼でも暗い場所にいたため、時間の感覚が少しぼやけていたが、日の下を歩くことで少しずつ回復していった。
 肆番外へと続く道で、二人の足が止まった。

 黒い法衣に身を包んだ少女が一人、そこに立っていた。

「リリス……」
 セイが苦虫を噛み潰したような声で、少女の名前を呼ぶ。黒法衣の少女――リリスは、自分の名前を呼んだセイと隣に立つザジに向かって軽く会釈をした。
「お久しぶりです、セイさん。どちらへ行かれるのです?」
「どこも」
 ぶっきらぼうに答えるセイ。ザジは杖を彼女の方に構えて、いつでも戦えるように準備している。
 リリスの方は二人を交互に見て一瞬だけほっとした顔になるが、すぐに顔を引き締めた。胸元を押さえて、“歌”の体制に入る。
「♪―……」
「! ヤバイ!!」
 第一小節ですぐにどういう“歌”なのかを悟ったセイは、リリスに向かって飛び込んだ。“歌”は声が届く範囲まで効果があるが、途切れさせてしまえば効果を成さない。
『歌姫』と初めて対峙するザジは反応が遅れてしまい、慌てて杖を振ってフリーズの魔法をかけようとする。
 杖が冷気を帯び始めたその時。

「おやめなさい」

 何とリリスは“歌”をやめて、飛び込んで魔力を叩きつけようとしたセイを片手で止めた。
「なんやて!?」
 その光景にザジもフリーズの魔法を解除してしまう。溜め込まれた冷気が拡散し、冷たい風が吹く。
 リリスはザジの方を向き、セイを返すように力をこめた。バランスを崩しながらもセイはザジの隣に立ちなおし、最初に立っていた場所に逆戻りとなる。
 ザジが前に立ってセイをかばおうとするが、それより先にセイがザジの前に立った。
「リリス、お前の主に伝えろ!」
 厳しい声にリリスの表情が変わる。今まで難解も彼と対峙してきたが、こんなに厳しい彼の表情と声は初めてだった。視線が少しだけザジの方に移る。
(代替わりしたひまわり娘……。彼女のおかげですか)
 おなじ力を持つ女性でありながら、片方は崇められる者――「聖女」や「歌姫」の名を貰い、もう片方は忌み嫌われる者――「魔女」の名を貰った。
 皮肉なものである。今のセイにとって守ってくれるのが「魔女」で、利用しようと狙っているのが「聖女」や「歌姫」なのだ。
(全く、嫌な皮肉ですよ)
 もっとも、この争い自体皮肉まみれですが。
 最後の言葉は、心の中で呟くだけにとどめておいた。

 そんなリリスの内心を知ることなく、セイははっきりとした声で己の意思を告げる。
「俺は誰かに利用されて生きるのはもうまっぴらだ。俺はセイと言う人間として生きる!」
 彼の宣言をザジは驚くことなく聞き入れ、リリスも表面上は何一つ変わらずにそれを聞き入れた。
「…宣戦布告、ですか?」
「そう取ってもいい。今まで俺は『杖』として欲塗れの人間たちから逃げ回っていた。だけど、今からは違う!
 俺は人として生きる! 『セイ』と言う人間を好き勝手に利用しようとするなら、最後まで戦ってやる!」
 ザジは知らないうちにセイに手を握り締められていることに気がついた。彼にとって自分の手のぬくもりが、力を与えているらしい。真正面から自分の運命に立ち向かう力を。
 強く手を握り締められる感覚に、ザジも手を握り返す。勇気と力を与えられているのはセイだけではない。自分もそうだと分からせるために。
 手を繋ぎあって強く睨み返す二人に、リリスの表面上の感情が動いた。呆れとある種の感動の形に。
「いいでしょう。貴方のその言葉、ソフィア様にお伝えします。
 でもいいですか? いくら決意を抱いた所で、貴方に人としての居場所はない」
「ないなら作るまでや!」
 リリスの不敵な言葉に反論したのはザジだった。ないなら作る。それは自分の師から教わったことだ。
 セイもいつかは、この世界に自分の居場所を作れる。一人で作れないなら、自分たちみんなの力を借りるまでだ。
 ザジに反論されたリリスはふふっと顔をほころばせるが、すぐに顔を引き締めた。
「……私たちは北西の大聖堂にいます。いつまでいるかは分かりませんが、しばらくはいる予定でしょう。
 ここから逃げ出すか、それとも無茶を承知で来るか。貴方たちの好きになさい」
『歌姫』はそれだけを告げ、きびすを返してそのまま立ち去った。

 魔法によるものではなく自然のものによる冷たい風が、二人の足元を軽やかに通っていき、呼び戻される冷たさが呆然としていた意識を元に戻した。
「……行くんか?」
 ザジが尋ねると、セイはうなずいた。
「……」
 そのセイの真剣な顔を見て、ザジは深くうつむく。
 正直、行って“二人”で帰ってこれる可能性は限りなく低い。例えセイが自分でありたいと願っていても、相手はそう思っていない。さっさと杖に戻されるのがオチだ。
 だが、ここでセイの決意を翻せるほどの言葉を、ザジは持ちえていなかった。
(結局、ウチが大切にしてるものは、皆ウチを置いて行ってまうんや)

 気がついたら、ザジはその場にしゃがみこんでいた。