精霊残華「~君と俺~」

 グール。通称『ボク』。
 一般的なアンデッドである。その存在は一般人にも知られ、「夜遅くまで起きているとグールが食べに来る」など子供のしつけにも使われるほどだ。
 日の光に弱く、大抵は洞窟などの暗がりに潜み、外に出るのは日が沈んでからである。
 グール。イモータルの下僕。

 決して人に操られることはないはずの存在。

 

「操られるって、一体どうやって!?」
 三度目のジャンゴの質問に、リタは一度目と同じようにグールの胸元を指す。
「詳しい説明は省略しますが、これらのグールは全てここに異常がありました。相手はここを乗っ取ることで身体を動かしていたんです。
 元々グールに意思はほとんど有りませんから、操るのは容易なはずです」
「だが、数が数だろう」
 割って入ったのはサバタだった。彼はジャンゴとリタとは違った場所で、同じように操られていたグールと遭遇していたのだ。
 ジャンゴたちが倒した数、サバタが倒した数。それらを合わせると、やはりこの異常の裏には何かがある。
「一体誰が……」
 四度目のジャンゴの質問に答えたのは、リタでもサバタでもなかった。

『私です』

「「!?」」
 三人の間に緊張感が走る。
 それぞれ手に武器を(リタは徒手空拳なので何も持っていないが)持ち、出てくるであろう相手の出方を待つ。次に来るのは武器による攻撃か、それとも魔法による攻撃か……。
 だがしかし。
 相手の反応は武器や魔法による攻撃などではなく、それどころか、三人の頭で予想されていた可能性には全くなかったものだった。

「♪――――――――――――――――――――――――――――――――!!」

 清らかで美しい声。
 それでいて人の心を揺さぶるかのような優しい声。歌詞こそないが、それは神を称え、神に見守られる子羊たちを癒す歌だというのはよく分かった。
 だが。
 この胸を圧迫するかのような苦しさは何だ。
 悪意も殺意も狂気も感じられないのに、何故か心の中で危険信号が激しく瞬く。注意を促す心音が、破れそうなほど大きくなる。三半規管が悲鳴を上げる。
 ジャンゴは急いで耳を塞ぐが、優しいまでに鋭い歌声は脳そのものに届いているかのように聞こえてくる。
「なに…これ……!」
 もはや自分の声も、遠くにいる他人の声のようにしか聞こえない。周りを見渡そうとしても、身体が石化したかのように何一つ言う事を聞いてくれなかった。
 それは他の2人も同じようで、苦しそうに顔をゆがめながら歌と言う名の攻撃に耐えていた。――否、サバタは違った。
 ガン・デル・ヘルを構え、何とか引き金を引く。撃たれたのは暗黒弾ではなく、ブラックホールだった。漆黒の塊は、そのまま浮遊するだけで何も吸収しない。……してないように見えた。
「…あれ?」
 唐突に息苦しさから開放され、ジャンゴはつい耳を塞いでいた手を頬に当てる。ようやく自分の意思どおりに動く身体に、逆に戸惑ってしまった。
 ブラックホールを生んだサバタも、ようやく一安心とばかりにため息をつく。つまるところ、これで歌から発せられる『力』を吸収したのだ。かつて同じ攻撃を食らったサバタだからこそ、出来た処置である。
 とにかく。これで三人は歌から解放された。
 声の出所から、何とか場所を探ろうとするジャンゴ。歌には悩まされたが、それでも相手の居場所を探る事は忘れていなかった。
 剣を構えようとするが。

『私から行きます』

 その声に、一旦剣を下げた。続いて、音もなく一人の少女が三人の前に現れる。
 現れた少女に、ジャンゴとリタは目を丸くした。少女は確か、昼ごろに出会ったことがある。
「リリス……さん?」
 リタの言葉に、少女――『歌姫』リリスは静かにうなずいた。

 隠れるのにいい場所はないか。
 セイにそう聞かれて、ザジはうーんと悩んでしまった。
 ザジはあまり旅をしたことがない。街と言う街で悪魔ッ子と呼ばれ、後ろ指を指されて生きてきた彼女にとって、街は恐怖の対象だった。
 今回のサン・ミゲルへも、師の強い命がなければ到底行く気にはなれなかっただろう。それほど彼女は街が怖かった。
 なら外はどうか。……残念ながら、ザジはちょうどかくまうのにいい場所を知らない。
「……ん?」
 ふと、ザジはサン・ミゲルを出ないほうがいいんじゃないかと思った。サン・ミゲル内で隠れる場所がないわけではない。イモータルがいない今、アンデッドさえどうにかすれば隠れる場所はいっぱいある。
「ザジ?」
 悩んでいた顔から急に明るい顔になったザジをいぶかしんだのか、セイが彼女の顔を覗き込んだ。数秒で答えをまとめたザジは、セイの顔に気づいて安心させるように微笑む。
「いい所、あるで!」

 彼女達は、商店街から姿を消した。
 夜の帳が下りる今では、それに気づいた者は誰もいない。

 翌日。
 さすがにザジがセイと一緒に行方不明になったことが分かり、商店街はちょっとしたパニックになった。
 サン・ミゲルの商店街にいる者は、半年前のエターナル事件の時からいる者が多く、家族のようなものだった。その家族の一人が消えたのだ。パニックにならないわけがない。
 特に遊び相手を失ったスミレの慌てぶりは尋常ではなく、ジャンゴとリタが交互に慰めてようやく落ち着いたくらいである(まるで家族のようだ、とはスミスの談である)。
 果物屋の仕事を放り出すことの出来ないリタの代わりに、ジャンゴとサバタは足を棒にしてザジとセイを探し回った。
 彼女等の命を守るために。

 サン・ミゲルの端の端。
 繁栄が招いた負の感情……、それを糧にして覚醒したドゥラスロールがいた暗黒街。
 複雑に建物が絡み合い、満足に光が差さないその一角にザジとセイがいた。
 ザジが隠れる場所として選んだのは、ここだった。かつて繁栄した繁華街の成れの果てであるこの場所なら、隠れる場所に不自由しない。
 ただ一歩間違えれば隠れるために入った者も迷子になってしまうが、転移魔法が使える彼女らなら、どんなに複雑であってもすぐに抜け出せる。問題はなかった。
 リタには悪いがいくらか拝借した大地の実をかじりながら、ザジはこれからどうしようかと考え始めた。いつまでもここにいられるわけではない。だが、自分が思いつく隠れ場所は数少ない。
 こんな時、ジャンゴたちはどうするだろうか。
 ジャンゴやリタなら逃げ続けそうな気がするが、サバタの場合なら絶対にこっちから打って出そうな気がした。理由はないが、彼ならそうすると思った。
(いっそ、ウチらも打って出るか?)
 その考えを検討し始め、すぐに首を横に振った。敵がどのようなものか分からないのに、打って出るのは無謀以外の何者でもなかった。セイの実力が分からないといえど、無茶は出来ない。
「友達のこと、考えてる?」
 唐突にそう聞かれて、ザジは顔を赤くした。まるで自分の心の内を読んだかのような一言に、反応が一瞬だけ遅れてしまう。
 慌てて首を横に振ると、セイはすぐに「嘘だ」と否定した。
「昨日俺に紹介してくれた友達……特にサバタって奴のこと、考えてるだろ」
 まっすぐに見つめられ、ザジは言葉が告げなくなった。今後の事を考えていたのだが、サバタの事を思い出していたのは事実だ。
「好きなんだ。そいつの事」
 ふてくされるような顔のセイに、ザジはついくすっと笑ってしまった。思っているから好きな人、とは。こう見えてもセイはまだまだ子供らしい。
「サバタはな、そういう奴やあらへん」
「じゃあどういうのだよ」
「んー、別に付き合ったりせえへんでも、いるとほっとできる奴かな。ま、セイの頭で分かるように言えば『男友達』や。サバタは」
 わざとぽんぽんと子供をあやすように頭を叩くと、セイの膨れっ面はますます硬化する。その顔が可愛くて、ザジは今度は心の中でくすっと笑った。
「ま、今ウチはフリーやから、セイが付き合いたいっつーなら付き合ってやってもええで?」
「いいの? そういう事言って。本気にしちゃうよ俺?」
 膨れっ面だったはずのセイがにやりと意地悪く笑った。しかも知らないうちにその手がザジの顔にかかり、2人の距離はかなり密接している。
「あっ、アホか!」
 今度はザジが膨れっ面になる番だった。一つ違うのは、顔が赤いということだが。その顔を見て、セイは腹を抱えて笑う。
「あはははは! ザジってかわいい~!」
「あんなー!!」
 顔を赤くしたまま、ぽかぽかとセイの頭を叩くザジ。ふざけあい、じゃれあうことで何処か寂しかった空気があっという間に暖かくなった。
 ひとしきり笑いあった後、ザジが口を開いた。
「なあセイ」
「何?」
 無邪気そうな顔を向けるセイに一瞬言うのをためらったが、それでもザジは言わなくてはと思ってその言葉を舌に乗せた。

「あんた、ケーリュイケオンやろ?」

 無邪気そうなセイの顔が、一瞬にして冷たい顔になった。
「いつから気づいてた?」
「…何となくなら、最初からやねん。でも確信は逃げる言うた時からや」
 そう、と一言つぶやいて、セイはザジから顔をそらした。ザジはそんな彼を安心させようと手を繋ごうとするが、その手はするりと抜けた。
 態度の豹変っぷりにザジは一つだけため息をつくが、内心では仕方がないと悟っていた。セイにとって、人間――特に魔法使いは信用できないはず。
 ようやく心を開いた魔女のザジに気づかれた今、どの位の絶望が彼の中で渦巻いているか想像もできないし、したくもない。
「セイは、人間として生きたいんか?」
 ザジの一言にセイが顔を上げた。
「どういう事?」
「そんまんまの意味や。セイは杖やけど、今は人間やろ? 人間として生きたいんか?」
 初めての質問にザジの顔をまじまじと見つめた。

 救いたいと思う。
 人として、生きて欲しいと思う。
 セイの顔が、人ならざるモノに成り果てる決意を抱いたジャンゴの顔に重なる。
 同情でも何でもなしに、人としてこうして自分の前にいる以上、人として生きて幸せになってほしいとザジは思った。

 そんなザジの優しいまなざしに、セイは吸い込まれるような錯覚を覚えた。