精霊残華「~KOGITO ELGO SUM~」 - 1/2

『我思う。故に、我有り』

 あいつは最後までそれを貫いた。
 だからウチは、あいつの意思をしっかり汲み取らなあかん。

 

「どうしたんだザジ?」
 急にしゃがみこんだザジにセイは手を差し伸べるが、ザジはいやいやとその手を拒絶した。
「セイも」
「?」
「セイもいなくなってまう」
「俺が?」
 セイは驚いた顔で自分を指差す。自分はいなくなるつもりはないのに、ザジは何でそんな事を言うのだろうか。
 何とかザジを慰めたいのだが、セイのボキャブラリーではザジを慰める言葉は見つからない。どうしようもなくなって、ザジの肩を叩くしかなかった。

 側にいるといったのは自分だ。だから、いなくなる事を考えなかった。考えたくなかった。
 でも。
 こうしてセイの覚悟をはっきりと感じてしまうと、逆にセイがいなくなる事を強く感じてしまった。
 自分を生んでくれた記憶のない両親、例え少しの間でも自分に同情してくれた人達、師匠。精神的で言うなら、振られてしまった初恋の相手のジャンゴもそうか。
 自分の下から去っていった人々。その中に、セイも加わってしまう。
「嫌や……。セイまでいなくなってもうたら、ウチ、どうしようもあらへん……」
 心の中の絶叫は、かすれた声となって外に出た。唇を割いて出た言葉を元に戻したいとザジは思ったが、もう出てしまった以上止める事は出来ない。
「おとうさんも、おかあさんも、おししょうさまも、リタも、ジャンゴも、サバタも、セイもどこかいってまう。ウチ、ひとりはいやや。ひとりでいたくない……」
 幼子のように言葉は切れ切れに、何とか形となって出てくる。ぽろぽろとこぼれ出た言葉と一緒に、涙も地面に落ちた。
「一人は嫌や……。セイ、もうどこにも行かんといて……」
 どんどん増える水滴の跡を見つめながら、ザジは言うまいと思っていた弱音を漏らす。一つ、また一つと増える跡が自分の目の前から消えていく人たちのように思えた。
 ぽん
「?」
 暖かい音と感覚に涙塗れの顔を上げると、セイが穏やかな顔で笑っていた。
「どこにも行かないよ。例え俺が杖に戻っても、俺は死ぬわけじゃない。ちゃんとザジの側にいる」
 額にキスの感覚を感じて、ザジの顔が少しだけ赤くなる。
 逃げ回り、「一緒にいる」の言葉を支えに生きてきた少年が、今はその言葉で自分を支えようとしている。その現実に、ザジはまた泣きたくなった。

 サン・ミゲルの拾弐番街。
 螺旋の塔あたりをジャンゴは探し回っていた。
 事の重要性はもうとある人物から教えられた。今、ザジとこないだ顔を合わせた新しい友人・セイが辛い思いをしているのかも。
 できる限り早めに二人を見つけたい。そう思ったジャンゴは、ロクに休みをいれずに探し回っている。しかし、彼女らは見つからない。
「うく…」
 休憩を取っていないツケが回ってきたか、ジャンゴは激しい眩暈を起こした。天と地がひっくり返ったかのような錯覚を覚えたかと思うと、次の瞬間本当にひっくり返っていた。
「やばー……」
 すぐに身体を起こすが、また眩暈を起こす。頭をぶんぶん振って意識をハッキリさせていると、目の前にリンゴ――大地の実が飛び込んできた。
 視線を追うと、そこにはリタとリリスがいた。
「ジャンゴさま、お体に悪いですわ。少々休憩を取らなくちゃ」
「あ、ありがとう」
 大地の実を受け取り、一緒に渡された水筒の水と一緒に飲み込む。重かった身体が少しだけ、元気を取り戻したような気がした。
「二人は見つかった?」
 大地の実を食べ終わったジャンゴが真っ先にそう聞くと、リタは首を横に振ったがリリスは「見つかりました」と答えた。
「本当!?」
「見つかったんですか!?」
 リリスの答えにジャンゴとリタが同じタイミングで聞き返す。問われた彼女は一つうなずくが、すぐに顔を曇らせた。

 大聖堂。
 かつてはここで神に仕える人々が祈り、祝福を与えていたのだろうが、白きドゥネイルと言う名のイモータルが封印されてからは誰一人として寄り付かぬ寂れた場所である。
 その白きドゥネイルもジャンゴが浄化し、今は彼女の残香を求めて下級のアンデッドが少しうろつく程度。そんな場所に、ザジとセイは立った。
 ザジの目は少しだけ赤かったが、それでも揺らぎのないしっかりとした眼だった。
 ……無論、まだ迷いはある。だが、ここで立ち止まっていても彼の決意に泥を塗ることも分かっていたのだ。
 人として生きたい。
 セイはザジの気持ちに応えようとしている。もういなくなるのは嫌だと我侭を言うわけにはいかない。自分は、セイについて行くまでだ。
 重苦しい扉を開け、一歩中に入る。前に立つのはザジだ。
 中に広がるのは、椅子などが全くない礼拝堂だった。破壊されたのか、それとも持ち逃げされたのかは分からない。…まあそんな事は今は関係ないが。
 名前を忘れた神を描いたステンドグラスに一つの違和感らしきもの――あまりに似合いすぎてそれも美術的背景の一つかと思えるほどだったのだ――がある。
 その違和感らしきものが、桜色の口を開く。
「よく来たな」
 二人を歓迎したのは、鈴のように清らかではあるが氷河のような冷たさを秘めた、穏やかな女性の声だった。

 ――『聖女』ソフィア。

 彼女の姿を認めたセイがザジの隣に立つ。
 そのセイを見て――セイだけを見て、ソフィアは手を差し伸べた。
「さあ、戻ってくるがいい。杖の精霊の最上級・ミスティックワイザー」
「俺はセイだ! 人間として、逃げ回っていた過去と決別するために来たんだ!!」
「お前は杖の精霊の最上級・ミスティックワイザーだ。セイなどと言う名前は、お前がただ気まぐれにつけた名前だろう。
 その人の身体も、その意思も、精霊として生きるために必要とされただけだ」
「それでも俺は人間だ!」
 ありったけの意志と力を込め、セイが自分の魔力を解き放つ。魔力の光の矢は、まっすぐソフィアを狙い、

 ――霧散した。

「「!?」」
 当たるどころか触れる前に消滅した魔力の矢に、ザジとセイの目が丸くなる。続いて攻撃しようとしていたザジは、危うく杖を落としてしまうところだった。
 と、
 ザジはこの広間のもう一つの違和感に気づく。
「……魔術文字か!?」
 細かな違いゆえ気づきにくかったが、いつの間にかソフィアの周りにいくつかの模様――文字が浮かび上がっている。魔力を秘めた文字がソフィアを守っているのだ。
 だが魔術文字は一種の魔方陣と同じもので、人が使うとしたらかなりの時間を要するものである。いくら待っていたとは言え、こんな短時間でそれを使うとは…。
 考えている間にも、魔術文字が飛んでくる。効果は何だか分からないが、こっちに害なすものである事は間違いない。
「ひゃっ!」
「うにゃっ!」
 迫り来る文字と言う名の弾丸から何とか逃げ出し、一歩も動かないソフィアに攻撃を当てようとするザジとセイ。
 しかし、数が数なので一つ一つが確実に彼女らを掠めて行き、肝心の攻撃は防御効果のある魔術文字に全て防がれる。
 やがて。
 爆弾代わりの魔術文字をほぼ直撃で受けたザジが派手に吹っ飛ぶ。
「ザジ!」
 吹っ飛ばされたザジを守るようにセイが立ち、

 真正面から魔術文字を食らい、

 

 

 ――杖に戻った。

 

 

 ……からん

 軽い音を立てて、セイ――ケーリュイケオンが地面に落ちる。
 それは華美な装飾が施されておらず、一見槌と見間違えそうなものだったが、確かに強い魔力を秘めた黄金の杖だった。
「セイぃぃぃっ!!」
 ザジがケーリュイケオンを抱きしめて叫ぶ。
「セイ、元に戻るんや! 早う人間に戻るんや! セイ! 聞いてるんか!? セイっっ!!!」
「無駄だ。ミスティックワイザーは元に戻った。その杖こそが本来の姿だ」
「そんなん違う!! セイは杖なんかやない! 人間や!! ウチの大切な人間や!!」
 初めて会った時のぼろぼろの姿。
 からかわれた時に見せた照れた笑顔。
 人間だと言った時の凛々しい顔。
 ザジの脳裏に、いくつものセイの姿がよぎる。どれも杖としての顔ではなく、人としての顔だった。ザジにとって、杖が本当の姿ではなく、セイと言う名の人間の姿が本当の姿だった。
 ソフィアが一歩近づき、ザジが顔を上げる。
「ケーリュイケオンを返してもらおう。それは私の物だ」
「なんやて!?」
「元々『聖女』の血筋を絶やさぬために生まれた杖の精霊、それがケーリュイケオンだ。それが一時イモータルの手に渡ってから、人から人へと移り渡ってしまっただけのこと。
 本来の持ち主は私だ。その杖を返してもらうぞ」
 残酷なソフィアの言葉に、ザジはケーリュイケオンを強く抱きしめた。セイは、誰のものでもないから。
 ザジのその態度に、努めて温厚でいたソフィアに苛立ちが混じり始めた。彼女から強引にケーリュイケオンを取り返す。
「全く……。あの人間態にどのような戯言を吹き込まれたかは知らんが、まやかしの姿に踊らされるとはとんだ『魔女』だな」
 そう言い捨ててその場を去ろうとしたその時。

「……れでも人間か」

「? 何?」
 深く凄みのある声が、ソフィアの足を縫いつけた。ザジの方を見るが、彼女はうずくまったまま身じろぎ一つしていない。気のせいか、と思って再び足を動かそうとするが。
「それでも人間か……それでも人間なんかあんたはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」

 ザジの中から、力がはじける。

 そして、大聖堂の崩壊が始まった。

 大聖堂の崩壊は、外にいたジャンゴ・リタ・サバタ・リリスの4人も確認できた。
「一体何なんだ!?」
 ジャンゴが慌てて中に入ろうとするが、リリスがその腕を掴んで止めた。
「行ってはなりません。恐らく、ザジさんの力に『ソフィア』の力が反応してあの大聖堂を崩壊させているのでしょう」
「だったらなおさら! 魔導聖書に乗っ取られた貴方の体を取り返さなくちゃ……」
「彼女は私の体の維持に、自分の力を使いすぎました」

 魔導聖書。通称「アポカリプス」。
 ケーリュイケオンに比べて知名度はかなり低いが、それも手にした者に強大な力を与えると噂される魔導具の一つである。ケーリュイケオンと違うのは、手にした者の身体を奪うという呪いか。
 元はイモータルが宿る『呪われた聖書』は、代々『聖女』の血筋の者が封印し続けていたが、力をあまり持たない『聖女』リリスは封印を守りきれなかった。
 結果。彼女は本に宿るイモータル・ソフィアに身体を乗っ取られ、ソフィアは力の拡大と維持のためケーリュイケオンを探し始めたのだ。
 身体を奪われたリリスに与えられたのは人形の身体――『歌姫』リリスの身体だった。彼女はソフィアに狙われているセイを何とか逃がそうと画策し続けていたのだ。
 だがあの状態では、恐らくセイは杖に“戻されてしまった”だろう。もはや、セイはこの世にいない。
 いや、最悪の場合、この魔力の暴走に巻き込まれてセイ――ケーリュイケオンは粉々になってしまうかもしれない。

 ――あの子に対してつぐなわなくちゃいけないから――

『聖女』の血筋を引きながら、あえて『魔女』と呼ばれる立場になった女――祖母の言葉が蘇る。
 リリスたち『聖女』の血筋の者はひと時の間ケーリュイケオンを所持していたが、それはセイを利用するではなくセイを救済するためのものだった。
 だがリリスの祖母は彼を閉じ込めることに反対し、彼を解き放った。その時彼女はそう言ったのだ。
 でもこうなる運命だったのなら、やはり自分たちで守らねばならなかったのではないか?
 杖として利用されて破壊されてしまう運命、外に解き放たれることなく守られる運命、どっちがマシだというのか?

 リリスが後悔と自責の念でうつむく隣で、サバタは崩壊していく大聖堂を無言で見つめていた。
 このまま行けば、遅かれ早かれ大聖堂は完全に崩壊する。――ザジとセイを巻き込んで。
 常に何かを、誰かを守ろうとしていた彼女らしからぬものだった。となると、恐らく彼女は無意識の中で大聖堂を破壊している。自分とセイを殺すために。
 確固たる自我を持つ者は自分の死を望まない。自分を殺すという事は自我を否定することに等しいから。
(……仕方ない。行ってやるか)
 サバタはそう思って一歩前に出る。
「兄さん!?」
 ジャンゴが引きとめようと手を伸ばすが、サバタはその手を払って大聖堂へ走っていった。

 崩壊する建物の中に入るので、暗黒転移は使えない。飛んだ先の頭上から瓦礫が落ちてきて死亡、なんてのは馬鹿話にしかならない。
 早く、そして慎重に走る。こっちめがけて落ちてくる瓦礫は全てガン・デル・ヘルで吹き飛ばし、サバタはようやく目的の場所へとたどり着いていた。
 ガラスが砕け、柱と壁全てにひびが入っている礼拝堂の真ん中で、ザジは放心したかのようにぺたりと座り込んでいた。
「目を覚ませ!」
 強くザジの頬を叩くが、彼女の意識は元に戻らない。それだけセイの消滅から目を背けたいと言うのか。
 鼓膜を破らんかの轟音に、サバタは慌ててケーリュイケオンとアポカリプス――本の形に戻ったイモータル・ソフィアを拾う。
 打ち捨てられたかのように転がっているリリスの身体までは残念ながら手を回せない。……本人も、自分の体をそんなに強く求めていないが。
「いい加減にしろ! お前は自分を殺す気か!? セイも殺す気なのか!?」

 ……かすかに、ザジが反応した。

「………セイ………」
 抜け殻のような言葉を、サバタはその耳で確かに聞いた。努めて理性的にザジの意識が回復した事を確認すると、サバタはザジをおぶって暗黒転移のために精神集中をする。
 正直、こんなにたくさん抱えて転移するのは初めての試みだが、自分たちの命が関わっている以上ためらう理由はなかった。
 柱のひびがとうとう壊れ目へと変わった瞬間、サバタたちの姿が消えた。