精霊残華「~聖女さま~」

「行方が分からなくなるとは……」
「申し訳ありません」
 女のつぶやきに、まだあどけなさを残しながらも固い声の少女が答えた。
 少女の謝罪に、女はゆるくウェイブのかかった紫の髪をもてあそびながら、その美しい顔をほんの少しだけゆがめた。
「どのような理由があっても失態は失態だ。本来なら厳しき罰を与えねばならぬが……、そなたはまだ失うには惜しい。
 そろそろ私の放った使い魔も戻るであろうし、もうしばらく働いてもらうぞ」
「はい」
 少女はお咎めなしになった事を内心で喜びながら、短く答えて先に歩く女の後を着いて行った。

 彼女等の足の先には、太陽の街サン・ミゲルがあった。

 

 

 

 彼女らに一番最初に会ったのは、いつものようにクロと遊びまわっていたスミレだった。
「もしもし、小さなお嬢ちゃん?」
 いきなり声をかけられたスミレは、相手の美しさと穏やかさに目を丸くする。
 知らない人に声をかけられたら注意しろ――祖父から学んだことだが、スミレにはこの女性が何か悪い事をするようには見えなかった。
 だからつい答えてしまったのだ。
「なぁに? お姉ちゃん」
 スミレが反応してきたことで、女性はにっこりと微笑んだ。
「いい子ね、お嬢ちゃん。私達、この街に初めて来たんだけど、どういう街なのかな?」
 幼いスミレでも分かりやすいように聞いてきたので、スミレの方も分かりやすく答える。
「えっとね、ここは太陽の街サン・ミゲルって言うの!」
 素直な彼女の答えに、女性の微笑みがますます深くなる。――その微笑みの意味が何なのかは、本人と従者の少女ぐらいしか分からなかったが。
 微笑むだけで自分の正体を明かさない女性に、さすがにスミレも不審に思ったのか、「お姉ちゃん達、だあれ?」と尋ねた。
 名前を尋ねられて、女性はようやく名前を明かしていないことに気づいたらしい。さっきまでとはまた違った笑顔で名前を名乗った。
「私の名前はソフィア。こっちは弟子のリリスよ」

 果物屋。
 そこではいつも以上に明るく、鼻歌まで出ているリタが店番をしていた。
「どうしたの?」
 アイテムを買いに来て、その陽気さに当てられそうになったジャンゴは、リタを落ち着かせる意味も兼ねて質問をする。
 対するリタの方は、ますます気分も足取りも軽やかになる。ジャンゴの質問は逆効果だったようだ。
「大ニュースですよ大ニュース! 聖女さまが来たんです!」
「聖女さま?」
 初めて聞く言葉に、ジャンゴは首をかしげた。そのジャンゴに詰め寄るように、リタはその『聖女さま』を説明する。
「聖女さまとは、傷つき倒れた者を癒されるお力を持つ素晴らしいお方なんです! しかもその歌声は、万民全てに幸と愛を与えるとも言われてるんですよ!!
 もう私、ずっと憧れてた人なんです! まさかここに来られるだなんて!」
「ふん。そこまで噂に尾ひれがつくと、逆に馬鹿馬鹿しいな」
 興奮状態のリタに冷や水をかけたのは、いつの間にかいたサバタの一言だった。憧れの人を一蹴されて、リタが膨れ面になるが、サバタの方は動じなかった。
 すぐに、サバタも珍しく会って見たそうな顔になる。どうもさっきのはいつもの皮肉のようだ。
「まあ、俺も奴には会ったことはない。奴の弟子なら何度も煮え湯を飲まされたがな」
「……? あ、そういう事か」
 ジャンゴはサバタの愚痴を最初理解できなかったが、すぐに過去の事を思い出して納得した。暗黒少年としてヘルの手駒だった時、何回か弟子と対峙したことがあるのだろう。
 さて、リタやサバタの説明は少しだけ続く。
 その『聖女さま』。実は代々血脈によって受け継がれる力にプラスアルファが入って、初めて『聖女さま』としての力が発揮されるらしい。それでも分け前に預かろうと弟子入り志願者は多いようだ。
 その弟子入り志願者の中で、特に強い力を秘める少女を『歌姫』として弟子にとっているようだ。実はリタも一度は弟子入り志願を考えたが、巫女長のサリアが硬く許さなかった。
 ――今にして思えば、彼女の中にある闇が目覚めるのを巫女長は恐れて弟子入りを許さなかったのだろう。
 弟子として選ばれた『歌姫』は教えられた魔法により、『聖女さま』ほどの力ではないが、人々に光を与えているらしい。歌で癒すことから『歌姫』の名前がついたのだとか。
「ふーん……」
 彼女らがそこまで言う『聖女さま』。その力に関しては信じられなかったが、実際に会ってみたいとジャンゴは思った。
「でさ、その人、どこにいるの? 名前は?」
 今回のジャンゴの質問は、リタが一番聞いて欲しかった質問らしい。小躍りしそうな身体を押さえて――それでも興奮する気持ちは声に出たが――、にっこりと答える。

「お名前はソフィア。さっきスミレちゃんが案内したと言ってましたから、今は適当にこのサン・ミゲルをぶらついていらっしゃるんじゃないでしょうか」

 宿屋。
 のんびりと窓の外を見ていたセイは、ふと窓の外で見えた人影に顔を険しくする。
「セイ、どないしたんや?」
 隣で図書館から借りてきた本を読みふけっていたザジが、セイの変わり具合に気づいて顔を上げる。隣に立って彼と同じ窓からの景色を見るが、おかしい所は何一つないように思えた。
 しかし、追われている身であるセイはその景色に危険を感じたのだろう。窓から離れ、外から見えないように姿を隠す。ザジはそんな彼を安心させるように肩を叩いた。
「平気平気。そう簡単に、ここは分からへんよ」
「そうかな……?」
「そやそや!」
 肩を叩かれ、明るい声で励まされても、まだセイの不安は消えなかった。過去に、そう言われて見つかった事は数え切れないくらいにある。
 ここから一人で逃げ出すか?
 いや、例え逃げおおせても、奴らは今度はザジを狙う。自分をかくまった、それだけの理由でザジを殺すかもしれないのだ。
 だが、この逃亡劇にザジを巻き込むことも出来なかった。出会ってからまだ2日ぐらいしか経っていないが、セイにとってザジは大切な女の子だ。
 ザジに迷惑だけはかけたくない。その思いが、セイを迷わせていた。

「セイ」

 手が握られた。
 思考の海から上がり、改めてザジを見ると、彼女は真剣な顔をしてセイの手を握っていた。
「巻き込みたくない、なんて思わんといてな。ウチはもう巻き込まれとるし、今更逃げる気なんてあらへん。
 セイが何処かへ逃げたいなら、ウチはどこまでもついてったる」
 本音だった。
 ザジにとって、セイは他人のように思えなかった。だから、最後まで付き合いたかった。
 手を握られ、真剣なまなざしをぶつけられたセイは、悲しそうな顔でザジに抱きついて、

 泣いた。

 夜。二つの影が、サン・ミゲルの街門近くに立っていた。
 一つは黒ジャンゴ、そしてもう一つはこの前吸血変異を制御したことでトランスの力を得た半ヴァンパイアのリタだった。
「大丈夫、リタ?」
 半ヴァンパイア暦の長いジャンゴが新米のリタを心配するが、リタの方はにっこりと笑って返した。気丈な子だよな、とジャンゴは思う。
 人ならざるモノになるという事は、それだけ自分の中にある黒いどろどろとしたものと向き合うことになる。ジャンゴは半年前からずっと、長い間それと戦い続けてきた。
 ジャンゴですら何度もくじけそうになったのだ。なったばかりのリタの心境は、どれほどのものなのか計り知れない。それでも彼女は、ジャンゴと共にいるためにこの道を選んだ。
「ジャンゴさま」
 物思いに沈みそうになった思考は、そのリタの声で引き戻された。暗い感情に支配されそうになった心を、首をふることで建て直す。
 彼女の手は、さっき倒したグールのある一点にずっと触れていた。触れていた場所は、人間で言う鎖骨の間。俗に言う胸元と言うところである。
「それが違和感の原因なの?」
「ええ。間違いなく」
 不思議そうな顔をするジャンゴの問いに、リタは確信を持った顔でうなずく。その確信を裏付ける証拠を、リタは語りだした。
「コギト・エルゴ・スム。“我思う、故に我有り”――ジャンゴさまはご存知ですか?」
「え? 全然知らないよそんなの……」
「我思う、故に我有り。自我を指す文だな」
 首を傾げるジャンゴに、暗がりからの声が手短な説明をする。ジャンゴたちは驚かない。その声は、彼らが良く知る、そして頼りになる者の声だから。
「力を持つ者――特に魔法使いの類なら、まず一番最初に教えられる事だ。
 絶大な自我を以て、初めて己の力を制御できる。例えどんなに卑小な力といえど、暴走すれば何が起こるか分からないからな」
 暗がりからふらりと現れたサバタに、ジャンゴはほっと安心する。声で兄だと判別できても、実際に顔を見なければ不安なものなのだ。
「暴走の恐ろしさは、お前が良く知っているだろう?」
 サバタにそう言われて、ジャンゴは深くうつむいた。
 確かに。黒ジャンゴの力を手に入れたばかりの頃は、制御できずに危うく人を襲いそうになったこともあった。絶大な自我で制御できるようになったのは、皮肉にもエターナル事件が終わってからのことだ。
 と、深くうつむいていたジャンゴは、まだ聞いていない事を思い出して顔を上げた。
「でも、その文章、何か関係があるのさ?」
 サバタとリタは顔を見合わせたが、魔法方面に詳しいのはリタの方なので、彼女が答えた。
「襲ってきたグールは全て、誰かに操られていました。

 イモータルではなく、人間に」

「ええっ!?」
 ジャンゴの目が見開かれた。