精霊残華「~魔法使いと魔女~」

 最近自分の家になっている宿屋で寝ていたザジは、とある音で目が覚めた。
 何か大きな物を投げ出したかのような大音。
「…うにゃー、一体なんなんや……」
 目を何度もこすりながら、おぼつかない足取りで階段を下りる。丑三つ時である今、手すりがないとすぐに階段から落ちるだろう。
 寝ぼけて階段から落ちて骨折、なんて間抜けな事故は極力避けたい。
 一段一段丁寧に降りていくと、やがて見慣れた一階に一つの違和感を見つけた。
 酒場を兼ねた一階は、テーブルと椅子が備え付けられているが、そのテーブルと椅子の群れの中に、何かがある。
「んー……?」
 寝ぼけていてロクに良く見えないが、それは何となく人のように見えた。
「うにゃ!?」
 頭に溜まっていた眠気が一気に吹っ飛んだ。足元に注意しながら急いで駆け下りると、確かに人間だった。まずは様子を見るために明かりをつける。
 顔や体格から見るに、ザジより1・2歳ほど年上の少年だ。肩までの色素が抜けた茶髪をそのまま結ばずに流している。
 シンプルなキルティングジャケットの上に、銀製のクィラス。防寒効果のすその長いアンダーコートからするに、旅人のようである。武器を持っていないのが気になったが。
 顔の近くに耳を近づけると、多少荒いが確かに呼吸音が聞こえる。死んでいないのは確かだが、それでもこのままだとどうなるか分からない。
 ザジは急いで二階から毛布を持ってくると、意識のない少年にそれをかけて、道具屋へと走っていった。

 

 

 

「ただの疲労だな。このままゆっくり寝かせておけばすぐに元気になる」
 シャイアンが少年の容態を診てそう断言する。隣でキッドが大あくびをしながら、処方する薬をそろえていた。
 少年を手当てするため、傷薬や魔法薬を出してもらおうとキッドを叩き起こした。キッドは薬は出せるが、実際の手当てや診察は出来ないということでシャイアンも叩き起こしたのだ。
 こんな深夜に叩き起こされたシャイアンは、嫌な顔一つせずに少年の容態を診てくれた。
「ホンマ、悪いな」
 ザジはそんなシャイアンに深く頭を下げる。シャイアンはそんな彼女の頭をなでて、別に気にしていないと告げた。が、隣のキッドは心底疲れた顔をした。
 ザジはそんなキッドにも頭を下げ、何とか少年を二階まで上げようとする。…当然、女の子のザジが一人で上げられるわけも無く、シャイアンとキッドとの3人がかりで少年を運ぶことになった。
 ようやく安静な場所で寝かしつけ、用の終わったシャイアンとキッドは帰っていった。ザジは2人にもう一度頭を下げ、落ち着いた寝顔で眠る少年を改めて見た。
 どこの子なんやろう。
 少なくとも、サン・ミゲル付近の子ではない。軽装ながら冒険者としての格好をしているあたり、どこかを旅していたのは間違いなさそうだ。
 しかしこの世紀末世界、武器も持たずにどうやってモンスターやグールを倒してきたのだろうか。魔法使いだとしても、杖などの武器がないのは変だ。
 魔法使いといえど、身を守るのが魔法一つでは危険すぎる。いつ魔法が効かない相手が現れるか分からないからだ。杖などの武器を持っているのが普通なのだ。
 だがこの少年の周りには武器らしいものが一つもない。リタのように徒手空拳が得意なのかもしれないが……。
 そんな事を考えていると、大あくびが一つ出た。そういえば、今は深夜。普通なら寝ている時間だ。
 とりあえず朝になって彼が目を覚ましたら聞こうと決めて、ザジは自分の部屋に戻って眠った。

 朝。
 正直あまり眠った気がせず、ザジの機嫌は心底悪かった。元々低血圧で朝が苦手なのだが、今日は特に酷い。
 イライラする気持ちを料理にぶつけてしまい、朝食の味はとてもじゃないが美味しいとは言えないものになってしまった。そのせいでザジの不機嫌度はますます上がる。
 マナーも悪く朝食をがっつき終わると、とんとんと誰かが二階から降りてきた。
 いらだつ心を抑えて杖を構えるザジ。鋭く誰何すると、降りてきた者は「え?」とザジが聞いたことのない声で答えてきた。
 その声でようやく昨夜の事を思い出し、ザジは杖をおろした。いらだった気持ちはもう消えている。
「目ぇ覚めたんか。具合はどうや?」
 警戒心を抱かせないように明るく聞くと、少年は一瞬困ったような顔になったが、すぐに「もう大丈夫だよ」と明るい声で答えてくれた。
 何も食べてなさそうなのでザジは食事を勧めかけるが、今日の朝食の出来の悪さを思い出してついためらってしまった。いくらなんでも不味い料理を食べさせるのは悪すぎる。
 急いで片付けようと思っても、目の前にお腹のすいている人がいるのに片付けてしまうのは独り占めしているように思わせてしまうだろう。
 ザジはしばらく悩んでから、「腹、減ってないか?」と食事を勧めた。少年はザジの勧めるタイミングに少し警戒したようだが、正直な自分の腹に負けて食べると言った。
 すぐに残っていた食事をあっためて、少年の前に置く。多少焦げ目とかがついてしまったが、この際仕方がない。
 フォークとスプーンを渡すと、少年はすぐに目の前の料理に手を伸ばした。勢い良く食べるそのさまを見て、よっぽどお腹がすいていたんだろうな、とザジは彼に少しだけ同情した。
「味はどうや? 不味いんなら残してええで?」
「悪くないよ。寧ろ美味しい」
 少年の答えにザジはほっと胸をなでおろす。自分では落第点でも、少年にとっては及第点だったようだ。ザジは一安心して、お代わりも進めた。
 結局少年はザジが残した分も全部平らげ、食事を終えた。イライラに任せて料理をたくさん作りすぎたザジにとって、正に歓迎すべきことだった。
 今日の出来の悪い料理をおすそ分けだなんて、とても出来るわけがなかった。出来たとしても返ってくるのは、感謝よりもどうしたの?という疑問だろう。
『何だこの不味い物体は』と、料理とすら認めそうにない少年が一人いるが。
 それはさておき。
 食後のお茶を飲みながら、ザジは少年にまず一番最初に聞きたかった事を聞いた。
「あんた、名前は何て言うんや?」
 ザジと同じお茶を飲んでいた少年は一瞬その手を止めるが、すぐに一息で全部飲み干してから口を開いた。
「セイ。俺の名前はセイって言うんだ」
「セイか。うちはザジ」
「男の子みたいな名前だな」
「む」

 ――普通、男につける名前じゃないか?

 ザジの脳裏にあの暗黒少年の声がフラッシュバックする。
『ひまわり』と呼ばれるのが嫌で改めて自分の名前を名乗った時、サバタはこう返したのだ。
 自分の名前に疑問を持っていなかったザジは、この時初めて自分の名前に疑問を持った。名付け親に一つ文句を言いたくなった。何でこんな名前をつけたんだと。
 だが、今彼女の目の前にいるのはサバタではない。昨日の夜(いや、日付が変わっていれば今日か)、ふらりと現れた魔法使いの少年・セイだ。
(こいつはサバタじゃない。セイや)
 ザジは自分にそう言い聞かせる。肝心のセイの方は、そんなザジを見て「?」と首をかしげていた。
 そんな彼の顔を見て、ザジは逆に心が落ち着いてきた。サバタが相手なら逆にキレて怒り出すところだが、彼相手だとどうもその気にならない。会ったばかりと言うのもあるが。
 気分を落ち着かせ、ザジは次に聞きたかった事を聞く。
「で、何であんな夜遅くに宿に来た? セイは一体何者や?」
 その質問に、セイはいきなり難解な問題を突きつけられたかのように難しい顔になった。答えるべきかと悩んでいるより、質問自体に何か引っかかりを感じているようだ。
 しばらく考え込んで、ようやく質問の意味を完全に理解したらしく、セイはお茶のお代わりを要求してからザジの質問にきちんと答える。
「俺、追われてるんだ。相手は良く分からないけど、見当はつく。
 こう見えても魔法使いだからさ、追っ手を何とかしようとしたんだけど追いつかれそうになっちゃって。で、最後の手段として転移魔法使ってここに飛んできたんだ」
「追われとるんか? 相手の見当はつくってどういうこっちゃ?」
 お茶のお代わりを入れていたザジの目が少しだけ丸くなる。セイはお代わりを注がれたお茶を一口飲んでから、ザジの続けざまの質問に答えた。
「相手は恐らく俺と同じ魔法使いだ。もう長い間追いかけっこしてる」
「……一体何やったんや、お前」
「別に俺が悪いわけじゃないんだって! ただ、人間って強い力を持つ者や自分とは違う力を持つ者を邪険にしたくなるもんだろ?」
 一般人にとっては理由になってない理由だが、ザジにはその理由がセイが追われる一番の理由だと理解した。
 人に疎まれ、蔑まれるという事はそれだけ恐ろしいということなのだ。かつて、同じ理由で生みの親から見捨てられ、悪魔の子と呼ばれ続けたザジだから分かる。
 セイは真剣な顔で取り合ってくれるザジにほっと一安心した。

 良かった。この人なら、大丈夫かもしれない。

 その言葉は心の中に仕舞っておいて、セイはザジに頼み込む。
「なあザジ。俺を、しばらくかくまってくれないかなぁ。正直俺、走り回るのに疲れたんだよ……」
 わざとらしく――いや、半分近く本気なのだが――深くため息をつく。逃げ回り、追い掛け回されるのが自分の運命だと悟ってはいるものの、始終走り回るなんてうんざりだ。
 ザジの方はと言うと。あまり事情を話さず、ここに転がり込んできた少年をかくまうべきかかくまわないべきかで少し悩んだ。
 一応ちゃんとした理由は話してくれたものの、それが彼の全部だとは到底思えなかった。何かまだセイは隠している。
 彼がイモータルに係わり合いがあるかもしれない可能性はあるのだ。
「うーん」
「頼むよ」
 悩んでいるザジを何とか動かそうと、セイは頭を下げる。その必死さに、ザジはセイを信じてみることに決めた。
 例え何かを隠してるにしても、今こうして真剣になって人に頼み込んでいるという事は信じられると思った。
「ええで。何日でも……とは言わへんけど、とりあえずしばらくはかくまったるわ」
「やったぁ!」
 ザジが答えると、セイは諸手を上げて喜んだ。その晴れやかな顔を見ていると、言って良かったなとザジは思った。

 と言うわけで。
 セイはしばらくここで暮らすことになるので、ザジはジャンゴたちに彼を紹介することに決めた。
 しかし、果物屋を営んでいるリタは午前午後ともども仕事に追われているので、昼飯時の短い時間を利用して宿屋に招いて紹介することに。
 ザジがどうやって来たのか、何故来たのかなどを話すと、ジャンゴは素直に彼に同情してくれた。
「大変だったね……」
「うーん、まあ」
 ジャンゴの言葉に複雑な感情を感じ取ったのか、セイは困った顔で返した。弟の隣にいたサバタは、セイを少し疑うようなまなざしで見ていたが、何かを言うことはなかった。
「セイさん、ここなら安全ですから、ゆっくり休んでくださいね」
 リタの優しい笑顔にセイはつい顔を赤くするが、ザジから「その子に手を出すとジャンゴに斬られるで」とからかい口調で注意されたので、ジャンゴも顔を赤くした。
 そんなほのぼのとした時間はあっという間に流れ、リタが午後の仕事に戻るとジャンゴとサバタも家に帰っていった。
 後に残るはザジとセイだけ。
 兄弟を見送ってから終始無言の2人だったが、ザジが何の気なしに二階に上がろうとするとセイは慌ててザジの後を追った。
「なあ、ザジはこれから何するんだ?」
「別に。今日はやる事決めてへん」
「ふうん。じゃあ俺も何もしないでいようかな」
 そう言って、何とザジに寄りかかってぐっすり眠り始めた。
 往来でいきなり寄りかかり、あまつさえぐーぐー寝始めるセイにザジはパニックになるが、やがて一つため息をつくとセイを背負って自室まで戻った。
「何つーか、手間のかかる弟が来た気分やな」
 あどけない寝息を立てるセイに、ザジはくすっと笑った。