精霊残華「~移り行く伝説の欠片~」

 魔女や巫女、ありとあらゆる魔法使い達の間で一つの伝説がささやかれている。
 それはある意味、太陽の精霊おてんこさまや銀河意思ダークに近いほど雲の上の伝説で、ある訳がないとも言われるほどの伝説。

 究極の杖の伝説。

 曰く。その杖は、持ち主に究極の英知を授けてくれる。
 曰く。実は呪いがかかっていて、死ぬまでその杖に操られてしまう。
 曰く。実はイモータルが人間を陥れるためにわざと流したデマであり、実際にそんな杖は存在しない。
 希望論や現実じみた説など、大小さまざまな噂や憶測が飛び交い、その杖の伝説のレベルを更に上に高めていた。その杖の偽物を使った詐欺までも出るくらいである。
 伝説のアイテムを使った詐欺は、大抵子供のおもちゃをそれらしく見せるものが多いので、すぐにばれることが多い。
 ……その点に関してなら、ガン・デル・ソルも詐欺にぴったりのアイテムだったりする。
 何がともあれ、実際にあるとしたらその杖自体に何かの力が宿っているというのは事実らしかった。偉人が持っていただけの杖なら、ここまで伝説が尾ひれをつけて泳ぎ回ることはないだろう。
 何故なら、その杖は持ち主が語られていないのだから。
 伝説になる以上(例えデマだとしても)、その杖が使われた事があるということである。それはつまり、杖を使った者、すなわち持ち主が存在し、共に伝説になるべきはずなのである。
 しかし、現実は持ち主が伝説になることはなく、杖だけが大きく取り扱われている。持ち主は自分の名前が伝説になる事を嫌ったのか、それともその持ち主が数え切れないくらい存在したのか。
 その疑問すら伝説の一部に加えられ、今では杖の伝説は魔法を極めんとする者なら知らない者はないくらいの知名度を誇っていた。
 魔導師たちはこぞってその杖の居場所を求め、伝説を読み漁ってはその場所を推理するが、今だかつて誰もそれらしい杖を手にしたことはない。
 ……いや、手にしているのかもしれないが、誰もそれに気づいていないだけなのかもしれない。意外と伝説とはそういうものである。

 長年、幾人もの魔導師たちが居場所を探ってはいるものの、決して見つかることの無い杖。そのはずなのに、その力だけが伝説として存在する杖。
 かつて誰が持っていたのかも知られていないその杖は、いつしか名前が与えられていた。

 ミスティック・ワイザー(神秘を知る者)、ケーリュイケオンと。

 その名前が、本来の名前なのかは誰も知らない。

 

「ケーリュイケオンだと? ああ、名前だけなら知っているな」
 サン・ミゲル。陸番街にあるジャンゴたちの家。
 そこの居間で古い戦記モノを読みふけっていたサバタが、客人の少女の言葉に反応して顔を上げた。
「ホンマか!?」
 彼にその質問を投げかけた少女……ひまわり娘と言う名の魔女・ザジは、サバタの言葉に顔を輝かせた。が、肝心のサバタの顔は、そのザジの顔を見て呆れた顔に変わる。
「お前な、『名前だけなら知っている』だけだぞ? 誰もある場所を知っているとか、そいつの正体が何なのかなんて一言も言ってない」
「でも、知ってるって事は、誰かから聞いたんやろ? な、誰から聞いた? どういうのやった?」
 サバタのツッコミにもめげず、ザジは質問を次々と繰り出す。正直この際、手がかりになりそうなものなら何でも良かった。例えそれが眉唾物の伝説であっても。
 子供が考えたようなちゃちな噂話だったら速攻否定するが、目の前にいるこの暗黒少年がそんな嘘を言うとは思えなかった。友達として付き合ってから半年、彼の性格の半分ぐらいは理解しているつもりだ。

 彼は自分によく似ている。境遇も。その心の内にある影も。
 唯一違うのは救いの相手ぐらいだろうか。

 ザジがふとそう思って顔を上げると、サバタは開いていた本を閉じて、記憶を洗い出しているところだった。何となく目に入った本のタイトル名を読んでみた頃に、サバタは何とか思い出したらしく目を開いた。
「カーミラだ。あいつが聞かせてくれた話の中に、そのケーリュイケオンの話があった」
 幼い頃、子守唄代わりに聞かせてくれた話の数々。その中に伝説の杖の話があった。
 彼女が聞いた伝説は、その杖はどんな物にも変化することが出来、常に姿を変えて人々の間を渡り歩いているという話だった。
 うろ覚えながらその話を語ると、ザジは目を丸くして顎をなでた。
「変わった話やな……」
 サバタから聞いた話は、ザジにとっては初耳の話だった。大抵は強い力を授けてくれるとか、魔に取り憑かれているとかのありきたりの話ばかりだったのだ。
 一風変わった伝説に、ザジの嗅感がこれは意外と当たりかもしれないぞ、とささやきかける。確かに姿形を常に変えていれば、その姿でばれることも無い。これほど安全な隠れ方はないだろう。
「それにしても、お前、その杖の話を聞いてどうするつもりだ?」
 閉じていた本をまた開き直して今まで読んでいた所を探しながら、今度はサバタがザジに問うた。問われたザジは話すべきか一瞬悩んだが、一応話した方がいいと思って口を開いた。
「あー、それな。ばばぁからの依頼やねん」
「依頼だと?」
 サバタの眉がピクリと動く。視線こそ本にあるが、心の中はザジの話に乗ってきたのだろう。
 証拠に、せわしく動いていたはずの目が、ある一点を境にぴったりと動かなくなる。しおりを挟む代わりに、ここまで読んだと記憶しているようだ。
 ザジはそんなサバタの様子を見て、心の中で乗ってきてくれたことを感謝しながらその『依頼』について話し始める。

 ザジがサン・ミゲルにやって来た理由。
 それは星読みからなるヨルムンガンド復活阻止ともう一つ、ケーリュイケオン探索のためだった。
 太陽仔の一族が建てた都市、それを沈めた街・サン・ミゲルなら何らかの手がかりがあると読んだ先代のひまわり娘は、ザジに手がかりを集めるように命じた。
 ザジもケーリュイケオンの事は知っている。だが、そのことについては師は硬く口を閉ざしていたのだ。
 その師が何故ケーリュイケオンを今になって探すようになったのか。問うてみると、彼女はこう一言だけ言った。
 つぐない、と。

 ザジの話を聞いたサバタは目をくりくりと動かした。いつもは無愛想かつクールで皮肉屋の顔をしている彼が、このような年相応の顔を見せるあたり、彼女の話は疑問だらけだったのだろう。

 何故、先代のひまわり娘はここに手がかりがあると確信していたのだろうか?
 何故、今頃になってケーリュイケオンを探すように弟子に命じたのか?
 そして、彼女の言う『つぐない』とは一体何なのか?

 さまざまな疑問が渦を巻くが、あくまでこれはザジの問題ゆえに余計な事を聞くのはやめておく。ザジもそんなサバタの思いやりに、また心の中で彼に頭を下げた。

 さて、サバタから新たな手がかりを得たザジは、通い詰めになっている図書館へまた足を運んだ。
「あら、ザジちゃん。また今日も調べ物?」
「ま、そんなとこや」
 司書のレディがにっこり笑って、「伝記ものや神話ものなら左から3番目、端の棚よ」とだけ言う。
 余計な事は聞かない。それは裏の世界だけでなく表の世界でも通じるルールである。事なかれ主義とも言えるが、当事者以外の人間が派手に動き回ると、混乱が増すからである。
 もっとも、その混乱が解決に導くための一番の近道なら、そう言えた事ではないが。
 ザジはレディのその態度に感謝しながら、慣れた本と本の間の道を通って目的の場所へとたどり着く。ざっと見上げると、最近そらで言えるようになった本のタイトルがずらりと並んでいた。
 その中から、いくつかピックアップして本を取り出す。いくらタイトルを覚えたとは言え、中身を全部読んだわけではない。まだ読みきってない本や、手をつけてない本もあるのだ。
 今回拾った本は「魔導事典」、「魔女と呼ばれる者たち」、「魔法機と太陽仔」という本だ。特に「魔女と呼ばれる者たち」はまだ一度も目を通していない。タイトルがタイトルなので、ずっと避けていた本だ。
 とりあえずそれは一番後にして、ザジは昨日読みきれなかった「魔法機と太陽仔」を読みはじめた。
 時間は、もう昼を過ぎようとしている。窓からの日差しでそれを悟ったザジは、持ってきていた大地の実をかじりながらページを繰った。
 やがて。
 ぼーん、ぼーん、と図書館の時計が3時を知らせる。「魔法機と太陽仔」を読み終え、「魔導事典」に取り掛かっていたザジはその音でふと顔を上げる。
 その仕草で、長い間細かい文字を追いかけていた目が不調を訴え、ザジはめまいをこらえながら頭を振った。

 ごとん

 体のバランスを崩し、自分の愛杖がごろりと転がる。
 つい一つぼやいてから手に取る。師から一番最初に貰った自分のもの。今は手になじんだ、ひまわり娘の証である杖。
 その杖を拾いながら、もしこれがケーリュイケオンだったらどうだろうと考えた。
「んー……」
 どうも、変わらない気がした。
 例えこれがケーリュイケオンだとしても、皆の口に上がるような効果は決して無いだろうと思った。卓抜とした英知も、自分を陥れるほどの呪いも、何一つ自分に降りかかることはないだろうと。
 バトンのように一つくるりと回転させて、ザジは自分の杖を立てかけた。そして、また読書を再開する。
 さっきまで思っていた事は、もう忘れていた。

 走る。とにかく走る。
 そうでなければ追いつかれてしまうから。
「はぁ……はぁ……」
 荒い息が、これ以上走ると身体に悪影響を及ぼす、と心に警告する。だが、だからと言って止まるわけにもいかなかった。
 止まれば、確実に追いつかれる。そして、その先に待つ運命はロクでもないことだと分かっていた。
 だから走る。目的地は決まっていない。とにかくかくまってくれそうな場所ならどこでも良かった。例えそこが地獄であっても。
 しかし逃亡者のそんな精神をあざ笑い、もっと早く走れといわんばかりに、攻撃が飛んできた。
「ぐっ!!」
 かろうじて避けるが、その攻撃のせいでひざが笑い始め、走るのが難しくなってきた。
「畜生!」
 気力を振り絞って反撃する。幸運か悪運か、自分の攻撃は追撃者にとってクリーンヒットだったらしい。「うあっ!」といううめき声を後に、また走り出す。
 が、限界を完全に超えた今、目がかすんでどこがどこだかさっぱり分からない。
「こうなったら……」
 最終手段を使うしかない。体力を消耗し歩くのもやっとな今、正直どこへ飛ぶか分からないが、やってみる価値はある。
 残りの力を振り絞り、逃亡者は飛んだ。