「着いたわ」
ブリュンヒルデの一言でシャレルは辺りを見回すが、それらしいのはどこにもなく、ただの荒野が広がっていた。「大地の揺り篭」なのだから、地中にあるのだろうが。
シャレルがきょろきょろと見回しているのを見て、ブリュンヒルデはぶつぶつと何か呪文のようなものを唱える。すると、轟音と共に柱みたいなものがせり上がってくる。
ブリュンヒルデがまた呪文を唱えると、鈍い音を立てながら柱から入り口が現れる。何で知ってるんだと思ったが、それは言わないでおく。どうせ「蛇の道は蛇」と言われるだけだ。
せり上がってきた入り口のサイズは、大人一人が入れるほど。狭いとは思うが、侵入者を防ぐためのものだと考えれば、これでいいのかもしれない。
ちょっと覗き込んでみたが、中は暗くて何も見えなかった。一応夜目は利くほうだが、ここからでは良く見えないので、中を確認できない。
ここでいても仕方がないので、シャレルは乗り込もうとするが、ブリュンヒルデはそこに留まったままだった。
「……? どうしたんだよ」
変に思ったので後ろを向いて聞くと、ブリュンヒルデは肩をひょいっとすくめる。自分はここに残る、という意味だろう。
まあ話を聞く限り、ここはイモータルの祖先がいた場所。つまり、ブリュンヒルデにとっては聖地に等しいのだろう。無理やり連れて行くのは酷な気がする。
これから彼女がどうするかは解らないが、少なくとも人と同じようにひっそりと暮らしていくのならそれでいい。その場合、二度と会うことはないだろうが……。
「それじゃあ、行って来るよ」
手を振ると、律儀にもブリュンヒルデも手を振ってくれた。
ひょいと中に入り込むと、鈍い音をして扉が閉まる。がくん、と縦揺れがしたかと思うと、急降下に近い勢いで下へと降りていった。どうやらエスカレーター式らしい。
降りる事三分ほどで、エスカレーターが止まる。着地の衝撃でよろめいたが、尻餅をつくのだけはこらえた。
また鈍い音と共に扉が開く。外に出たシャレルは、目の前に広がる光景に息を飲んだ。
そこには、地中とは思えないほど広々とした一つの街があった。地面は自分の姿が映りそうなくらいに磨き上げられた大理石の石畳で、壁は様々な機能が備わっているのが一目瞭然だ。
地中施設ゆえに大きな建物はないが、様々な施設へと続く道が伸びていて、生活するには困らなさそうである。ただ、どの施設も科学的なものばかりだったが。
施設の一つを覗き込んでみると、培養カプセルと共に高性能そうな器具が埃を被っている。宿泊設備も整っていて、ここで何らかの実験や調整をしていたのだろう。
超巨大シェルターとも言えるアースクレイドルだったが、食料に関しての施設がどこにもない。これはここに住んでいたのが、プロトイモータルだからなのだろう。
ここのどこかに、ブルーティカとフートはいる。
シャレルは深呼吸を一つしてから、誰もいない通路を歩いていった。
ザジとおてんこさまが来てくれたので、何とかサン・ミゲルに帰るめどがついた。彼女らにリタを任せ、自分はバイクで帰ることにする。
「一日はかかると思うから、その間リタをよろしく」
「ああ」
「任しとき」
頼りになる二人の友は、しっかりとうなずいてから、リタを連れてサン・ミゲルへと転移した。
サン・ミゲルに帰したところでどうにかなるとは思えないが、太陽樹があるので少しはマシなはずだ。それに、廃屋で震えているよりも大分安心する。
ジャンゴはバイクのキーを差し込み、エンジンを動かす。しばらく整備していなかったマシンは少しぐずついたが、短い時間でいつも通りになった。
乗り込んでアクセルを全開にすると、爆音をとどろかせて走り出す。久々の感覚に戸惑いながらも、ジャンゴはバイクを乗りこなして先へと進んだ。
(急がないと)
脳内には、それだけしかなかった。
急がないと、世界が滅びてしまう。
急がないと、ダークが目覚めてしまう。
急がないと、リタがリタでなくなる。
自分にとって、どれが一番耐えられないのだろうか。ジャンゴはふと思った。
太陽仔として、常に自分は世界の運命と共に在った。ダークを敵とし、ソルの手駒として戦い続けてきた。その間、誰が一番近くにいたのだろうか。
ちょっとうるさい太陽の精霊。常にその関係が揺れ動く兄。父の形見。太陽仔としての証。……そして彼女。
血錆の館で初めて出会い、それから彼女は常に自分を待ち、自分を支え、自分を追いかけてくれた。全ては自分のために。自分がいるから、彼女が在る。
――逆に言えば、ジャンゴと言う存在がいなければリタはリタでないとも言えるかもしれない。
もちろん、自分とリタが出会ったのは偶然だ。伯爵が大地の巫女をさらわなければ、さらった巫女がリタでなければ、二人は出会わなかった。
だがその偶然が大きな結びつきを生み、それを運命と呼ぶ人もいる。リタはそれにすがりついた時があったのかもしれない。
そうでもしなければ、彼女の弱い心はすぐに崩れただろうから。
リタは強い子だ。そして同時に弱い子でもある。自分を守れるくらい強い一面もあれば、その絆に不安を感じる弱い一面もある。ダークはその弱い面に付け込んだ。
そして今、リタは自分を守ろうとする強い面で、ひたすらダークに抵抗している。リタにとって世界が傷つくより、自分を傷つけてしまう事が怖いのだ。
自分が一番耐えられないのは、リタの心が壊れていくのを見ていくことなんだと、ジャンゴは悟った。
(どうか無事でいて)
切ないまでの気持ちで、ジャンゴは祈る。
何とかする方法は、いまだに思いつかないし、いまだにやってこない。でも、何とかしないといけない。
このままではリタが壊れてしまうから。
祈る気持ちと焦る気持ちが交錯し、バイクのスピードが自然と上がる。普段ならオーバーヒートを避けるためにスピードを落とすのだが、今はスピードをもっと上げた。
事故を起こせば、あの世行きは間違いない。それでもジャンゴはためらわなかった。めまぐるしく変わる風景を走る中、ジャンゴの気持ちはサン・ミゲルに飛んでいたのだから。
道はまだ長い。走り行く中で、ジャンゴの脳はまた別の事を考え始めていた。
(それにしても、おてんこさまが戻ってきたのはどうしてなんだろう)
シャレルが「元の時代に戻った方がいい」と言って帰したらしいが、何故太陽樹がそれを受け入れたのか。
太陽の精霊なくともソルジャンゴになれた自分の事を考えると、やはり太陽意志か何かが大きく関わっているとしか思えない。しかし、おてんこさまがそれを知らないのは不自然すぎる。
おてんこさまと太陽意思。その二つはイコールではないと言うのか。
(シャレルなら感づくかもしれないけど……)
直観力も鋭く、霊力と言うエレメントを持つ娘なら、何となく太陽と暗黒、月光の関係を悟っているのかもしれない。その中にあり続ける大地の意味も。
だがジャンゴはシャレルではない。色々と推論は立てられても、これだという直感が出てこない。逆に考えれば考えるほど、色々と悩みこんでしまう。
考えるのはやめた方がいい、とジャンゴは思った。ただでさえバイクの運転は不安定なので、下手に注意をそむければ、待っているのは死だ。
景色はめまぐるしく変わるが、まだサン・ミゲルの風景は見えてこない。
一人サン・ミゲルに取り残されたリッキーの元に、ブリュンヒルデが帰って来た。
「どういう風の吹き回しだ?」
皮肉でも何でもない言葉に、ブリュンヒルデは「ただの気まぐれよ」と答えた。
「一応話に食い込んだ以上、さっさと帰るのも何となく納得いかなくてね」
その気持ちは解る。リッキーも役目が終わった以上帰ってもいいのだが、ここで舞台から去るのは納得行かなかった。
例え自分の出番が終わったとしても、この劇の終わりがどうなるかを見届ける権利はある。バッドエンドなのか、ハッピーエンドなのか、その終わり方がどうなるのか。
遥か昔から始まった太陽仔と暗黒仔の戦いという劇は、ジャンゴというキーパーソンの登場で第一部に幕が閉じられ、第二部が始まった。第二部の主役であるシャレルは、今こうして劇を作っている。
全体を通しての敵であるダークは、常にその影を見せるだけで姿は見せなかったが、第二部の後半にてようやくその姿を現すようだ。
しかし、その敵である太陽意思ソルは? 彼はおてんこさまとして姿を出しているというのか?
「……このままじっとしてるのも、退屈だのぅ」
ぼそりとリッキーがつぶやいた。自分らの役は終わった。なら裏で何を話していても、きっと観客には届かないだろう。
「どうだ? ぬしの知っている情報と理樹の知っている情報。互いに交換と行かぬか?」
始まりは噂。
そして始まった終焉への回避。
二つに分かれる人々。
大地を変える者――地霊仔。ヒトを変える者――地の後継。
そして介入されてしまった、虚空からの支配者。
長く続いた代理戦争。
その間に目覚めた新世代(アドバンスド)。
誰も予想できなかった奇跡。
「終わり」から「始まり」に。「かつて」から「これから」に。
そして、彼らが望む結末とは……。
「――新世界」
二人の声が唱和した。
ごぽっ
水泡がはじける。
青い闇だった。
目を閉じても目を開けても、青い闇だけだった。目に痛いほどの、青しかなかった。
ああ、また戻ってきてしまった。戻されてしまった。
今度はもう出ることは出来ない。出られても、奴がこびりついている。
……いや、最初から奴はこびりついていたのだ。自分がそれに気づかなかったのと、知らないうちに自分は守られていたから。
ごぽっ
水泡がはじける。
――……い……来い…来い………コイ……来…………い…………来……イ……!
ノイズのような呼び声が聞こえる。
流されるまま、目を閉じた。