ボクらの太陽 Another・Children・Encounter39「大地が赤い」

 流れる視界が、見覚えのあるものへと変化してきた。枯れた荒野に、死の匂いがかすかにする草原。
 流石に24時間ぶっちぎりとは行かず、途中で休みを入れながら走ってきたが、予想以上に速くサン・ミゲルへと帰れそうだ。ジャンゴはそのことに安堵のため息をついた。
 あと少し。後もう少しで、懐かしい故郷へ帰れる。
 望郷の念は逆にジャンゴを落ち着かせ、バイクのアクセルを慎重に踏ませた。ここで事故を起こして帰れない、では死んでも悔やみきれない。
 ぼんやりとではあるが、サン・ミゲルの目印でもある螺旋の塔が見えてきた。ここまで来れば、あと数時間で何とか着けるだろう。何の邪魔も入らなければ。
 ここまで何の妨害もないのが逆に不審に思えるが、今はそんな事を考えている暇はなかった。

 

 一足先に帰ってきたザジとおてんこさまは、宿屋の二階にリタを寝かせた。
 道具屋でも良かったのだが、それだと事情を知らない街の住人たちに問い詰められてしまう。サバタも倒れている以上、余計な騒ぎは起こさないための処置だった。
 穏やかな寝息を立てているのにほっとしながら、何故彼女がと思う。
 彼女にダークが憑く理由は、やはりジャンゴを狙うためだろうか。それなら、サバタを狙う方が手っ取り早い気もする。
 リタが「地の後継」の血を持っているから? いや、太陽仔に近い太陽樹を世話する大地の巫女が、イモータルに近いと言う事はありえないはず。
 なら、何故。
 そこまで考えて、ザジは枕元にあるフォトスタンドが目に入った。
 大分前に全員を集めて撮った写真が、色あせることなくきっちりと収まっている。ジャンゴとサバタが隣り合って仲良くしているのを、リタと自分は微妙な目で見ていた。
 自分たちのその表情を見て、ザジはああなるほど、と納得した。この顔をしていたなら、確かにダークにとっては取り付きやすいだろう。
 嫉妬――自分たちはあの兄弟の絆に嫉妬している。
 太陽と月という互いの存在を求め合うものを背負った、深い絆を持ったあの兄弟を愛しながら、あの兄弟を深く憎んでもいる。あの二人だけで全てが成ってしまう。それを認めたくなかった。
 自分ですらそうなのだ。もっと長い間一緒にいたリタは、想像できないほどの愛憎を秘めているに違いない。
 ジャンゴとサバタはそれに気づいていない。人を思いやるのが下手な二人は、互いの事で精一杯でこっちには見向きもしない。だからダークは目をつけた。
 光を持つ者同士が近づきあいすぎると、その時に生まれる影は必要以上のものとなる。大地はその影響を受けて、影に食われた。
(あの二人のせいだけやないけど)
 それでも、彼らに大きな原因があるのは否めない。もしかしたら、ダークはこれも見越してサバタとジャンゴを引き離したとでも言うのだろうか。
 ふぅ、とため息をついて、ザジはフォトスタンドから視線をそらした。
 窓の外は、雲こそあるが晴れているのは間違いない。リタの中にいるダークも、その光の影響で少しは弱くなっているのだろうか。
 そんな事を考えていると、おてんこさまが具現してリタの傍に寄った。彼は倒れたサバタの様子を見てもらっていたのだが……。
「サバタはどないした?」
 ザジの問いに、おてんこさまの顔が暗くなる。どうやらまだ眠りっぱなしのようだ。
 ただ寝ているのではなく、おそらく何らかの精神世界にいると言う事は予想できる。だがそこはいったいどこなのか。そして今の事件とどんな関係があるのか。
 おてんこさまの顔は暗い。それは今の事件に対しての不安だけではなく、別のことについてもあるようだった。
 未来にいるというジャンゴの娘に対してのものか、それとも自分自身のことなのか。
「おてんこさま?」
 ザジが呼びかけるが、おてんこさまは自分の考えに夢中になっていて返事してこない。三回ぐらい呼びかけると、ようやくこっちを向いてくれた。
「どうした?」
「何考えとるんですか。さっきから」
 答えてくれないかもしれないが、一応聞いてみる。すると意外にも、はっきりとした声で答えてくれた。
「私は太陽の精霊であり、太陽意志ソルそのものではない。その事が急に気になりだしてな」
「は?」
「人々が太陽を忘れた時、私はここに降臨する。だが、そのきっかけとは何だ? 太陽意志ソルが今と決めた時に私を形作る。では太陽意志ソルの言う「今」とは何だ?
 銀河意志ダークと対抗している太陽意志ソル。その考えが……私には読めん」
 その言葉に、ザジはまた考え込みそうになってしまった。
 確かに言われてみれば、太陽意志ソルもその実態から何までが不明だ。誰も実体を見たことがないし、声などを聞いたこともない。使者であるおてんこさますらも。
 銀河意志ダークに対抗している事。その方法の一つとして、おてんこさまを派遣している事。それぐらいしか判明していない。
 結局、人知を超えたものの考えなど、人間には解らないものだろうか。
 ザジはひそかにため息をついた。
 と。
「ん、んん……」
 リタが起きた。まぶたが震えたかと思うと、緑色の目を開ける。
 赤や黒の目でないことにザジは安堵し、起き上がろうとするリタをそっと抑えた。
「寝てないとあかんで」
「でも……」
「何とかなるから」
 そう言い聞かせると、リタは不服そうではあるがベッドに横になった。彼女の中にいるダークは、今何を考えているのか。
 気分転換に花瓶の水を替えていると、おてんこさまがリタの方に近づき色々と質問を浴びせていた。心身ともに疲れている彼女に対して辛いとはわかっているのだろうが、聞かずにはいられないのだろう。
 困り果てているリタと真剣な顔のおてんこさまを見て、ザジはひそかにため息をついた。少しはこっちの都合と言うものを考えてほしい。
(……都合?)
 ザジはその言葉に、何となくソルやダークの共通点を見たような気がした。
 あの二人(?)は、人の都合を考えていない。

 黒いもやの向こう側は、闇ではなく良く解らない空間だった。結晶体があちこちに浮かび、どこからどうやっているのか解らないが、何かが流れている。
 一瞬息を止めてからおずおずと息を吐くと、空気は確かにあった。体に害をなすものではなく、普通の酸素が流れているようだ。
 静かだ。
 何のざわめきも、何のせせらぎも、何のささやきも聞こえてこない。何かが流れていると言うのに、流れる音は全然聞こえてこなかった。
 レビにとって、こういう場所は嫌いではない。うるさい喧騒まみれの世界より、こういう物静かな場所の方が心が落ち着くし、何より本がゆっくり読める。
「……どこだ、ここは」
 サバタが何もない空間に向かって、一つの問いを投げかける。当然答えは返ってこないものと思っていたが。

「ここは始まりの場所。万物はここから生まれ、そしてここに戻る」

「「!?」」
 レビとサバタがはっとして振り向くと、そこには青いワンピースの少女がいた。その微笑みは優しい女性のものだが、髪の色と目の色がその全てを否定していた。
「リタ!?」
 父が少女の名前を呼ぶ。と言う事は、目の前の少女は父たちの時代の少女と言う事だ。写真で見た大地の巫女が、今現在目の前にいる。
 しかし、髪の色は赤だっただろうか? 目の色は全てを飲み込みそうな漆黒だっただろうか?
 間違いない。ダークが彼女の精神を封じ込め、その体だけを利用しているのだ。自分たちの時代ではフートが狙われたように、父たちの時代ではリタが狙われた。
 ダークは、その身を支配している少女の口を使って、サバタとレビに話しかける。
「静かだろう? 何もないから静かだ。
 ここには命と言うものが存在しない。魂と言うものが存在しない。万物が生まれる場所は、無だ。そしてその無があるからこそ、今がある。
 過去、現在、未来。それらは全て、人の心が生んだ幻想に過ぎん。時間は久遠を流れ、刹那の中に消える。命など……心など、その流れを邪魔する小石だ」
 長き時を生きるものは、例外なくこうなるのかもしれない。二人は、同時に同じ事を思っていた。
 彼(と言っていいものか)にとって、時間というのは自分を生き永らえさせる為だけのくだらないもの。そして命はつまらないものに過ぎない。
 ソルも、そういう考えを持っているのだろうか。
 と、ダークがついと視線をそらした。つられてレビたちもそっちに視線を向ける。
 何もない空間。だが、ダークが指を軽く鳴らすと、何かの鼓動音が聞こえてきた。一定のリズムを保ちながら、それは確かに二人の耳に届いてくる。
「……あ……」
 ぼそりと漏れた言葉は誰のものだったか。
 鼓動音は、心臓の音によく似ていた。自分のモノではない。もっと穏やかで、それでいて優しい音。生まれてきた者全てに安らぎを与える、絶対的な音。
 母親のお腹の中で感じられる鼓動音が、聞こえてきたのだ。
 鼓動音は、視線の先――白い卵から発せられてくる。何の卵なのかは解らないが、確かにその中では何かが息づいているようだった。
「何故私がこの少女を選んだのか解るか?」
 唐突な質問に、レビたちは顔を見合わせてしまった。
「私にふさわしい器は、時を越えた先の奇跡の果てに見つけ出した。だが、私の望みをかなえてくれる器は、そうそういなかった」
「……貴様の望みとは、何だ」
 サバタが口を開いた。ずっと無言だった父が聞いたのは、それがずっと心の中で引っかかっていたのだろう。
 現在と未来、二つの時間域に手を出してまでやりたかったのは何か。そして、何のためにそれをしようと思ったのか。――何故大地の巫女を狙ったのか。
 ダークは形だけサバタの問いを聞くと、すぐに自分の話に戻った。
「永い時だ。貴様ら人間など、形すらなかった頃から私はいた。そしてその醜い形が生まれた時から、私は全てに絶望した。
 いつしか私に反するものが生まれても、私は絶望だけをし続けていた」
 反するものとはソルのことだろう。銀河意志と太陽意志の戦いは、自分たちヒトが生まれてしばらくしてから始まったようだ。
 それほどの長い時を、彼は無意味に過ごしていたとも言えるかもしれない。悠久の命は、何一つ変わらないということでもある。変わることが出来ないのだから、何一つ出来ないのだ。
 ダークはそれをきっと知らない。知らないから、意味のない行為を続けてきた。
「……さっき、そっちの月下美人が問うたな? 望みとはなんだと。
 私の望みは唯一つ。静寂なる全て。ノイズのない世界。真なる宇宙そのものだ」

 私の望みは唯一つ。
 ダークのゲームを壊すこと。
 そしてダークをまたからかって遊ぶのだ。
 人間がどうなろうとどうでもいい。生命など、勝手に生まれて勝手に死んでいく。
 だから私は、命など興味がない。興味があるのは、ダークの考えをひっくり返せる存在。それだけだ。
 私たちはそうやってゲームをし続ける。私たちが滅びるまで。
 宇宙に終わりを告げるその時まで。