天気はゆっくりゆっくりと崩れていく。
快晴だったあの日から5日目、雨が降り出した。
アンデッドダンジョンに篭もること半日。ようやく外に出たジャンゴは土砂降りに困り果ててしまった。
「レインコート、家においてきちゃった……」
家を出る時、兄から「今日は振るかもしれないぞ」と言われたはずなのに。どうやら、この土砂降りは忠告を無視した自分への罰のようだ。
夕立の類ではないため、雷は鳴りそうにない。ジャンゴは屋根のある場所でしばらく雨宿りすることに決めた。とは言え、人の家に勝手にあがりこむわけには行かない。サン・ミゲルに戻ってきている人は少ないが、やっぱり知らない家に上がりこむのは気が引ける。
「ここから一番近い場所……太陽樹」
成木まで育った太陽樹なら少しは雨をしのげそうだ。ジャンゴは走った。ざあざあ降る雨は、ジャンゴの髪や服をどんどん重くする。
太陽樹には、先客がいた。
「……リタ」
この雨で太陽樹が心配になったのか、傘を差したリタがじっと立っていた。
「ジャンゴさま……」
か細い声で言ったはずの声に、リタが反応した。
濡れ鼠のジャンゴを見て、一瞬目を丸くしたが、すぐに視線をそらす。その仕草が、ジャンゴの心の中で乾いた風を一つ吹かせた。
すぅすぅと乾いた風が、ジャンゴの目尻に雨を溜め込ませる。
土砂降りはまだ終わらない。今更太陽樹の影に入っても無駄だと分かっているが、ジャンゴはとぼとぼと太陽樹の影に入ろうとする。が、
「……早く家に帰ったほうがいいですよ」
リタの一言に、完全に足を止めた。
「ごめん……」
「やめて下さい!」
ジャンゴの口から漏れた言葉に、リタは過敏に反応した。
「もう聞きたくありません!」
空いた手で耳を塞ぎ、首を横に振る。傘を差しているはずのリタの足元に、水滴の後がいくつも出来た。
「リタ、僕だって言いたくないよ! だけど!」
「嘘です!」
「嘘じゃない!」
出会ってからこの方、こんなに言い合ったのは初めてだった。互いに言いたいことが分かり合えているのか、それすら分からないというのに、二人はただただ言葉をぶつけ合った。
「いい加減にしてくださいジャンゴさま!」
リタがきっとジャンゴを睨んだ。涙でぼろぼろの顔に、ジャンゴは胸を詰まらせる。
だが一番胸を詰まらせたのは、言葉だった。
「ジャンゴさま、最近私に『ごめん』以外の言葉を言ってくれた事、あるんですか!?」
何も、言い返せなかった。
もう何を言っても自分の心に嘘をつくような気がして、ジャンゴは黙りこくる。
リタは何も言わないジャンゴを睨んだ後、くるりと踵を返して去っていった。
その後、どこをどう歩いたのか――そもそもいつ歩き始めたのか――、ジャンゴは全く覚えていない。
気がつくと、ジャンゴは図書館前まで来ていた。
「ジャンゴ君!?」
買い物帰りらしいレディが、濡れ鼠のジャンゴを見て目を丸くする。レディは何の反応もしないジャンゴの手を無理やり引っ張り、図書館の中に押し込んだ。
ゆらゆらとカップの中のココアが揺れる。
湯気の出ているそれを、ジャンゴは一口だけ飲んだ。
(あったかいなぁ……)
冷え切った身体が芯からあったまる感覚が、ジャンゴの止まった心を動かした。
「服が乾くまで、ここにいなさい」
レディは何も聞かず、ただそれだけを言った。その気持ちが嬉しくて、涙腺が大きく緩む。
気がつくと、ジャンゴは自分の気持ちを吐露していた。
「……僕、リタに酷いこと言ったんです。…彼女の気持ち、全然分かってやれなくて……。寂しくさせないようにって思えば思うほど、自分勝手なことばっかり言って……」
涙腺が決壊し、涙がいくつかココアの中に入る。
涙入りのココアを飲み干し、ジャンゴは嗚咽を漏らした。
「でも、どうすればいいのか分からないし、何を言えば仲直りできるのか、それも分からないし、僕いったいどうすれば…」
ころん
突然口の中に入った異物を、ジャンゴは舌で転がしてみた。
(…チョコレート?)
しょっぱい口の中が、甘い味で満たされる。気がつくと、レディがにっこり笑っていた。
「ゆっくり考えなさい。泣けるようになったら大丈夫よ」
「レディさん……」
何が大丈夫なのか分からないが、口の中のチョコレートはジャンゴを充分に慰めてくれた。そういえば、とジャンゴはふと思う。
(僕、最後に泣いたのはいつだっけ?)
父を失った時も、母を失った時も、自分は泣かなかったような気がする。仇を求めて、イストラカンに旅立った時も自分は泣かなかった。
(それだけ、自分は大丈夫じゃなかったってこと?)
泣かないから大丈夫じゃなくて、泣くから大丈夫なのかとジャンゴは理解した。
服が乾いたのは夜だった。
ジャンゴはレディに何度も感謝をし、家に帰った。
家ではサバタが本を読んでいた。ジャンゴがただいま、と言うと視線を向ける。
「飯食ってさっさと寝ろ」
帰ってきたジャンゴにそれだけ言って、サバタはまた本に視線を落とす。
そのサバタの優しさが身にしみて、ジャンゴはまた泣きそうになった。
布団を被って寝る時、ジャンゴは父親の口癖を思い出した。
「明日もまた日は昇る、か……」
自分とリタの関係にも、日が昇るときが来るんだろうか。
そう思うとまた涙が出たが、ジャンゴは流れるままにした。今は、好きなようにしてもいいと思ったから。
父親の口癖をもう一回つぶやいて、ジャンゴは今日という日に別れを告げた。