寂しい気持ち・5日目

 ジャンゴとリタが喧嘩した翌日も雨だった。
 外に出たくなかったジャンゴは、家で一日薄着でボーっとして過ごした。……それがいけなかった。

「38度5分。風邪だな」
 あの日から二日目。
 朝から頭痛が激しいジャンゴは、朝御飯を全部食べられなかった。
 様子がおかしいことに気づいたサバタは、ジャンゴを寝かせて熱を測った。で、さっきの言葉というわけである。
「振られたショックで風邪か。少女漫画な奴め」
「……そういうわけじゃない……」
 頭からすっぽりと布団を被ったジャンゴは、兄の皮肉に辛そうに答えた。
 確かにあの言葉はジャンゴの心に深く突き刺さった。だが、風邪を引いたのは自分の体調不管理だ。あの言葉のせいではない。
(あの日、レインコートを忘れた自分のせいだよ)
 たかが雨。されど雨。長い間雨に打たれ続けた罰なのだ。
「薬は?」
「…ごめん。どこにあるのか忘れた」
「買って来たほうが早いか」
 サバタはそう言うと、さっさと部屋を出た。

「ジャンゴが風邪やって?」
「早いな」
 薬を買ったサバタは、宿屋の前でザジに引き止められた。
「一応、リタには何も言うてへんけど……」
「そうか」
 詳しい事情こそ分からないが、ジャンゴとリタの仲がぎこちなくなっていることぐらいなら分かる。サバタとザジとしては、さっさと仲直りして欲しいものなのだが……。
「ま、こんな所で立ち話もなんや。ちょい来てや」
 ザジはサバタを招く。断る理由もないので、中に入ることにした。

 カウンターに座ると、ザジが水を出してきた。一杯飲むサバタ。
「雨は明日あたり止むんやないかって、みんな言うとる」
「そうか」
 サバタは窓を見た。確かにガラスを叩く雨粒は昨日よりも小さく、雨上がりが近いことを感じさせた。
 ザジもコップに水を次いで、一口飲む。
「……あっちはまだ、雨模様やな」
「だな」
「どないしよう?」
「どうにかしなければならないのか? 自分の問題は自分で片付けるべきだろう。
 ……少なくともジャンゴは自分で何とかする気だぞ」
 サバタの正論にザジは黙り込む。
 ザジも分かっている。ただ、あの二人がぎこちないままでいるのを見ているのが、辛いだけなのだ。
(互いを思いやりすぎて、自分の気持ちがわからへんようになってもうたんやろうけど……)
 どうしてああまで、自分の気持ちを押し殺して寂しい思いをしなければいけないのか。
(この世ってのは意地が悪いわ)
 ザジは本気でそう思った。自分といい、ジャンゴといい、リタといい、サバタといい、生きていくには辛いことが多すぎた。
 だからせめて、小さな幸せを壊さずに生きていこうとしているのに。寂しい気持ちを埋めようとしているのに。
「俺はもう行くぞ」
 サバタの声で、ザジは現実に引き戻された。
「……やっぱ、リタには話すで」
「好きにしろ」
 サバタはそれ以上何も言わずに、宿屋を出て行った。

 

 こんこん

 家のドアがノックされていることに気づいたジャンゴは、重い体を引きずってドアまで行った。
 鍵を開けると、外からドアが開いた。
「スミレちゃん」
 意外なお客だった。スミレがクロをつれて見舞いにやってきたのだ。
「サバタちゃんから風邪だって聞いたの。お兄ちゃん、大丈夫?」
「ん、熱があるだけだから。よく眠れば治るよ」
「じゃあ寝てなきゃ駄目じゃない!」
 慌てたスミレはジャンゴをベッドまで押していく(背丈の違いがありすぎるので、ジャンゴは何回も転びそうになった)。
 ベッドに横になると、スミレも安心したようだ。片手に持っていたバスケットをジャンゴに見せた。
「これ、お見舞い。病気の人も食べられるように、っておじいちゃんが作ってくれたの」
 ほわほわと湯気が立っているおにぎりが3個ほど。ふりかけがかかっていて、魚のにおいがするのか、クロが物欲しそうな顔で見ていた。
「いただきます」
 一言断ってから、ジャンゴはおにぎりを一口かじった。消化をよくする為か、おにぎりは予想以上に柔らかかった。
(おにぎりか……)
 小さい頃作ってもらったっけ。ジャンゴは父と母がいた頃を思い出した。
 あの頃は幸せだった。何も分からず、知ることもなくただただ両親に甘えられたから。

(じゃあ、今は? 幸せじゃないのか?)

 父も母もいない。何も知らずに生きていけない。それは不幸せなのか?
 それは違う。ジャンゴはすぐに否定した。確かに両親はいない。だが今の自分には兄が、おてんこさまが、ザジが、リタがいる。不幸せではない。寂しくなんかない。

(寂しくなんかない……。でも、今は寂しい……)

 ジャンゴはそこに、答えの欠片を見たような気がした。