モラトリアム・ガール - 2/4

 荷物をコインロッカーから出した後、宿を探す。
 幸いにも古びてはいるが旅館をすぐに見つけたので、そこに入って部屋を取った。
 年齢は聞かれなかった。もし聞かれたら嘘をつくことも考えていたので、心の中で安堵の息を漏らす。
「ごゆっくり」
 従業員の挨拶を背中に受けた後、荷物を下ろした。テーブルに置かれている旅館説明を手に取ってみる。
「ここは温泉があるのね」
「温泉……。風呂か」
「ええ」
 風呂とは違うのだけど、あれこれ説明できるほど凛花も詳しくない。それより先に、心配なことがあった。
「魅上くん、浴衣は着れる?」
 こっちの問いに首を横に振る才悟。まずはその着方を教える必要があるようだ。

 ばしゃん、と水が跳ねる。
 凛花は湯船のふちに頭を預けながら、ぼんやりと天井を見つめていた。
 どうしてこうなったのか。
 当初の予定では一人で逃げ出し、自分のもやもやが落ち着いたら帰る予定だった。その結果がどうなろうとも、自分なりに受け止めて受け入れるつもりだった。
 だが実際はどうだ。才悟がついて来て、ちょっとしたお泊りデートのような流れ。プレゼントは嬉しかったけど、何か腑に落ちない。
 自分と彼はそういう関係じゃないから? 違う。
 自分の問題に彼を巻き込んだから? それも違う。

 では、何故?

(時たま本当に心が読めないって時があるのよね)
 誰よりも純真無垢で、真っ白で、ライダーーーヒーローになろうとしていて、それでいてよく解らない。
 他人に心の内を見せないと言えばウィズダムシンクスの連中や意外なところで阿形松之助もそうなのだが、才悟の心の内を見せないそれは彼らとは全く違う何かだ。
 強いて言うなら、「何もない」。空っぽの箱を眺めている感じになるのだ。

 ――最近は凛花の方が、才悟の事解ってきてる感じだよな!

 伊織陽真の言葉を思い出す。どこがだ。今全然解ってないんだが。
 ぱしゃり、と水を顔にかける。
 第三者から見れば、今の自分たちは恋人か兄妹といったところだろうか。幸せかどうかは……解らない。まさか不幸せに見えるわけはないだろうが。
(なんだかなぁ)
 もやもやを落ち着かせようとして、結局もやもやが増えている。何のために家を飛び出したのか全く解らない。
(全部、魅上くんのせいよ)
 他責は滅多にしない主義だが、今回だけは全部彼に押し付けたい。自分の家出についてきたことも、家出について何も言わないことも、しれっとプレゼントなんてしてきたことも。全部全部。
 でも結局はそれらの一挙一動に、いちいち胸をざわめかせている自分が悪いという結論にたどり着いてしまう。
 ゆっくりと深呼吸すれば、温泉の香りが身体全体にいきわたるよう。
「はぁ~あ」
 吐き出す。ため息のような感じだが、まあ実際ため息をつきたくなったのだから仕方がない。
 凛花はざばりと立ち上がり、風呂から出ていった。

 部屋に帰ると、才悟は既に上がって部屋に戻ってきていた。ちゃんと浴衣を着ているのを見て、一人で着れたんだと内心ほっとする。
 時計を見れば夕飯の時間なので、夕飯チケットを手に食事が出るレストランへと向かった。
 夕飯はビュッフェスタイルだった。また才悟は水だけ持って席に着こうとしたので、トレイを持たせて一緒に回ることにした。
「好きなのを選んで取るの」
「どれがいいのか解らない」
「気になった物を選べばいいわ。一緒に並んで」
「恩に着る」
 そんな感じで夕飯を選んで取り、テーブルに並べる。お互い相手が選んだのをつまんだりして、満腹になるまで食べた。
 部屋に戻れば二つ並んだ布団が二人を歓迎する。布団は一つ枕は二つ……なんてことにならなくてよかった、と心から思う。
 時間は八時ごろ。才悟はそろそろ眠い事だろう。凛花の方も眠くないと言えば嘘になる。
「もう寝る?」
 そう聞けば、彼はあくびで応えた。
 それにしても。
 普段はジャケットとパーカーと厚手の格好だからか、薄手の浴衣姿は新鮮に見える。鎖骨など普段見えないところも見えたりするので、そういう意味でも新鮮だった。
 じっと見ていると、相手の方もじっと見ていたので気恥ずかしくなって視線を逸らす。
「じゃあ、寝ましょうか。おやすみなさい」
「おやすみ」
 電気を消し、並んだ布団にそれぞれ包まって眠りにつく。……が、当然寝れない。
 早寝早起きの才悟と違い、こちらは宵っ張りまで仕事したり自分の時間を堪能するタイプ。早い時間に寝ようとしてもなかなか寝れない。
 仕方ない。才悟が寝たらこっそり起きて、自分の時間を少しだけ堪能しよう。明かりをつけることはできないが、外を眺めるだけでもだいぶ違うはず。
 ……そう思ったのだが。
 どれだけ待っても才悟のいびきはおろか寝息らしいものも聞こえてこない。
 こういう時伊織陽真なら寝てるか解るのかな、と思いつつ、彼の寝顔を覗きに行く。音を立てず、静かに、静かに。
 彼の顔が見えるところまで近づくと。

「寝られないのか?」

 才悟が目を開けて凛花の方を見た。
「……うん」
 取り繕えるほど嘘は上手くないので、素直にうなずく。
「オレも寝られない」
「そう」
 寝転がったまま、お互い見つめ合う。朝焼けに似た色の目が、自分を捕らえていた。

「オレは、キミにとって重荷なのか?」

 唐突な言葉が、凛花の胸を鋭く刺した。
「……どういうこと?」
「駅でキミを見かけた時、キミは思いつめた顔をしていた。何をしでかすか解らないくらいに」
「え」
「だからすぐに荷物をまとめて、駅に向かった」
「……」
 鏡でもない限り、自分の顔を見ることはできない。なので自分がそんな顔をしていたか解らないのだが、才悟がそう言うのなら、本当にそうなのかも知れない。
 だがこの家出(旅行)を考えたきっかけは、唐突な「逃げたい」という欲求からだった。そんな顔をしていたとしてもおかしくはない。 
「今は、マシ?」
 そう問うと、才悟は少しうつむいた。と言うことは、まだ陰りがあると言うことか。
 顔に手を当ててみるが、いまいち解らない。鏡持ってくれば良かったな、と他人事のように思う。
「キミが遠くに行ってしまうのが、怖かった」
 ぽつりとつぶやく才悟。
 それが死の暗喩だとしても、物理的なものだとしても、才悟にとって耐えられない恐怖だったのだろう。だからなりふり構わず飛び出したと言うわけか。
 才悟にとって大博打どころか、その選択肢しか縋れるのがなかったのだ。
 凛花は言葉を失った。
 脳では解っているのだ。自分の行動一つで色んな人が動くし、迷惑も掛かる。だけど、その重みに耐えられないと思う日は確実にある事も、凛花は知っている。
 結局自分は、潰れる事を選べばよかったのだろうか。
「キミが潰れるのは嫌だ。だけど、キミが遠くに行くのももっと嫌だ。こんな時、どうすればよかったんだ?」
「……!」
 今の自分の思考を覗き見たかのような言葉。
 こっちが聞きたい、と言いたくなるのをこらえ、代わりに苦笑いを浮かべる。多分誤魔化そうとしているのはバレるだろうけど、今凛花ができる行動はこれくらいしかなかった。
「オレたちは、重荷なのか?」
「……どうだろうね」

 ただでさえイケメン十六人をとっかえひっかえしながら街歩いてるって噂流れてる中歩くのはしんどいし、そのイケメンは一人一人個性的だから付き合うのもしんどいんだこっちは。
 ある男はスーパーポジティブとか言って能天気だし。
 ある男は最強最恐最凶とか言ってうるさいし。
 ある男は自画像制作のためなら周りの迷惑考えないし。
 ある男は酒クズだし。
 ある男は超が付くほど面倒くさがりだし。
 ある男は二言目には解体してやると物騒だし。
 ある男は隙あらば口説いてくるし。
 ある男は四字熟語ばかりでわけ解らないし。
 目の前の男だって気が付けば何故何故ばっかり聞いてくるし。
 そんな男たちと毎回付き合う自分は偉い。誰か褒めてほしいってくらいに疲れる時もある。ええ、ええ、重荷ですよ貴方たちは。それでも、私に何かあればこうしてすっ飛んでくるし、大事だって言ってくれる。そんな貴方たちがいらないなんて誰が言いましたか。馬鹿め、二歳児め。私が駅に行かなければずっと待ってたくせに。一体、何だ。こっちに何を言ってほしいんだ。ちゃんと話してほしいよ、本当に、もう。

 肯定もしなければ否定もしない言葉こそ、今の凛花の本音だった。
 重荷に感じることもあれば、誰よりも信頼できることもある。それらをひっくるめて、大事な仲間と言うのではないだろうか。
 とりあえず才悟の何故何故モードが途切れた辺り、この返しは問題なかったようだ。
「……」
「……」
 互いの視線が絡み合う。恋するそれとは違う、複雑な色が混ざり合ってると凛花は思った。
 ずり、ともう少し近づく。今や才悟の寝ている布団の中に二人が入っている状態だが、お互いそのことに触れることはない。
「ねえ」
 手を伸ばして、包み込むように彼の顔に触れる。才悟はまだ、動かない。

「私の事、どう思ってるの?」