――さすがに駅で出会った時は、驚くなんてレベルじゃなかった。
「あの、魅上くん。何でここに?」
「キミに付いて行くためだ」
「……」
迷いなく言われて、エージェントの少女は思わず沈黙してしまった。
――ある日、凛花は唐突に次期財閥総帥の立場も、エージェントの立場も全部捨てたくなった。
前兆があったわけでもない。唐突に、「あ、逃げよう」と思ったのだ。
唐突だからどこに逃げるかも逃げて何をするかも考えていない。気づいたらトートバッグに二、三日分の着替えと最低限の日常品を詰め込み、ふらりと家を出た。
当然、誰にも話していない。だから一人で放浪……と思っていたのだが、中央駅で魅上才悟と出くわしたのだ。
そして冒頭。さも当然と言わんばかりの返答に、思わず沈黙・混乱してしまったのだった。
さてその魅上才悟、いつもの格好にナップサックを背負っている。そのナップサックは膨らんでいるので、いろいろ詰め込んであるようだ。
「あのね、付いて行くって言うけど、それほど遠出もしないよ。すぐ帰ってくるし」
「カオスイズムがいつどこに出るか解らない。一人は危険だ」
「それ言い出したら、私一人で出歩けないんだけど!?」
「そうかも知れない」
「いや『そうかも知れない』って……」
何とか説得して帰ってもらおうとするものの、こういう時の才悟は結構頑固なのは知っている。そして何より、体力勝負になれば自分は速攻白旗を上げざるを得ないことも。
こんな事ならランスに追っ手を撒く方法でも教えてもらえばよかった…と思うが、もう後の祭り。このまま二人で小旅行とならざるを得ないようだ。
と、凛花はここである事を思い出す。
「魅上くんは私に付いて行くってちゃんと他の人に言ったの?」
「伊織陽真には『出かける』と言った」
「……」
大雑把すぎる。これだと、すぐに戻ってくると勘違いしてもおかしくないではないか。
連絡するべきか。それともあえて放置しておくべきか。どちらにしても騒ぎになるのは確定だとして、どっちが騒ぎが小さいままで終わるだろうか。
悩みかけて……悩むことを放置した。逃げ出した身の上。今だけはそういう問題から解放されたい。
「すぐには帰らないわよ」
「解ってる」
それだけ確認を取り、彼の先を歩きだした。
どこに行くかも決めていない小旅行。とりあえずは電車に乗ることは決めたが、どの駅で降りるかは考えていなかった。
ゆっくり座りたいので快速電車を選び、そこからゆっくりできそうな場所を探す。ライダーフォンは置いてきたので、普通のスマホで検索すると良さそうな場所がすぐに見つかった。
……凛花はこの時、才悟のライダーフォンの事を思い出すが、あえて何も言わないでおいた。彼のライダーフォンから居場所を特定されても、すぐに連れ戻しに来ることはない。そんな気がしたのだ。
二人分の切符を買い、一枚を才悟に渡す。
「電車の乗り方は知ってる?」
「ああ」
「じゃあ、ついて来て」
興味深そうに周りを見回す才悟を連れて、凛花は目的の電車が止まるホームへ歩き出した。
『この電車は特急・〇〇行きです。お乗りの方は……』
乗車アナウンスが流れる。才悟は渡された切符の駅名を確認し、「この〇〇で降りるんだな?」と尋ねてきた。嘘をつく理由はないので、素直にうなずく。それよりも。
「魅上くん、本当に水だけでいいの?」
売店で昼ご飯を買っておいで、と言ったら、案の定買ってきたのはミネラルウォーターのみ。
才悟は「何を買えばいいのか解らなかった」と告げて、ミネラルウォーターの蓋を開ける。相変わらずの偏食(?)ぶりだ。
「そう言うと思って」
凛花は売店で買ったカツサンドを出し、才悟の席のテーブルに置く。
「お昼はこれね」
「恩に着る」
それからはお互い何も喋らない。二人ともお喋りな性格ではないし、会話するほどの問題がないのだ。
窓側の席なら外の景色を楽しむのだが、あいにく自分は通路側。才悟はそれほど外の景色に興味がないのか、ただ前をじっと見ている。
そんないつもと変わらない横顔を見ていると、一つ気になっていたことを思い出した。
「私が……旅行に行くっていつ気づいたの?」
家出とは言わなかったが、口ごもったことで何となく察したらしい。才悟がこっちを向いた。
「仮面カフェの近くで、いつもと雰囲気の違うキミを見つけた」
なるほど。
一応周りを確認しながら駅に向かっていたのだが、才悟は自分よりもはるかに視力がいい。こっちが捉える前に相手が捉えていたようだ。
それからは沈黙。これ以上話す理由はないのか、それとも黙っておく理由があるのか。もう一度才悟の様子を見てみる。
「……それから?」
「?」
「いや、仮面カフェの近くで私を見た後どうしたの?」
「すぐに家に戻って荷物を取りに行った」
「え」
「泊まりの準備をして、すぐに駅に行った。そうしたらキミが来た」
「……」
とんだ大博打だ。
その博打に勝ったからいいものの、もし自分が駅に行かなかったら彼はいつまでも待っていたのだろうか。どこぞの忠犬のごとくずっと駅で待ち続ける才悟を想像し、凛花は思わず深くため息をついた。
『まもなく終点・〇〇。ご乗車、ありがとうございました。この電車は……』
流れるアナウンスを聞いて、二人は降りる準備をする。
「降りたらどうする」
才悟の問いに対し、ひょいと肩をすくめる凛花。降りると決めた理由が「適当にぶらつける」ぐらいなので、どこに行くか、何をしたいかは何一つ考えていない。まずは降りてからだ。
二人が電車を降りると、涼しい風が二人を歓迎する。虹顔市にはない、どこかのんびりとした空気がここにはあった。
近くにある地図を見る。有名観光地ではないので、目立つランドマークは少ない(まあ観光しに来たわけではないのだが)。その少ないランドマークの一つに、灯台があった。
「魅上くんは、灯台って行った事ある?」
無言で首を横に振る才悟。
「私もないの。行ってみましょうか」
コインロッカーに貴重品以外の二人の荷物を預け、灯台への道を歩き出す。腕を組むこともなければ、会話もない。それでも、傍にいれることが嬉しい。そんな当たり前を話せるようになるのはいつの事か。
言葉少なに歩いて十分ほど。目的地の灯台は、予想以上に大きかった。
視界の端に、砂浜が見える。シーズンになれば、海水浴目当ての客でごった返すのだろう。
「虹顔市とは違うように見えるな」
「うん。……同じ海なのにね」
「ああ」
あいにく虹顔市はここまで大きなビーチはない。もちろん灯台もないので、与える印象は大きく違っていた。
気まぐれに相手の手に触れれば、さも当然のように握られる。それでも、微妙に流れる緊張感のようなものがもどかしく、またつらい。
そんな二人に声をかけるのは、地元出身のお節介な老人。
「お前さん方、良ければお土産屋も覗いて行かんか?」
「お土産屋?」
「ここは何故か流木がよく流れてきてのう。それらを加工したものお土産屋で売ってるんじゃよ」
「なるほど」
お土産屋。確かに、迷惑をかけているのだから、そのご機嫌取りとして何か買っていくのは妥当だろう。
魅上くんを除いても十六人分かな……と考え、ため息をつく。やっぱりエージェント業としての思考の癖はそうそう治らないようだ。
お節介な老人が案内してくれたお土産屋は、灯台から少し歩いた場所。
中を覗けば、不格好な動物から不揃いの小物まで。色まで含めれば何一つ全く同じ物のない売り物の数々が、二人を歓迎した。
いくつもの小物の中から、才悟が見出したのは小さなハートが二つ並んだキーホルダー。彼のキャラにしては珍しい物を手にしたな、と思っていたら、店主が「お客さん、気づくの早いね」と声をかけてきた。
「そのキーホルダーはね、二つ合わせると別の物になるんだよ。ほらね」
そう言って店主が組み合わせると、キーホルダーのハートが四葉のクローバーに早変わりした。
よく見ると、ハートが一つだけのもの、二つ並んでいるもの、クローバーになっているものの三種類がある。才悟が手に取っていたのは、その真ん中――二つ合わせる物だった。
彼の事だから気になっただけだろうなと思っていたが、何と同じキーホルダーをもう一つ手に取り、会計へと行く。
会計を済ませた彼から渡されたのは、四葉のクローバーの片割れ。
「これ、私の分?」
「ああ」
「いくら? 買わせちゃってごめんなさい」
「いや、オレからキミに贈りたい」
「え」
そして贈られる、二つで一つの繋ぐもの。戯れに繋げようとしてみたら、才悟も合わせて繋げて四葉のクローバーにしてくれた。
「ありがとう、大事にする」
鏡を見なくても顔が赤くなっているのが解る。今も昔も物を贈られるのはあまりなかったし、何より彼からと言うのが何よりも嬉しい。
才悟の顔を見ると、彼は相変わらずの無表情のように見えて、少しだけ耳が赤かった。