執事の独白

「いや、別にあのお二人の仲を裂きたいわけじゃないんですよ?」
 結論から言えば、本当にそれだけの事なのだ。

 レオンは先代が財閥総帥だったころから仕えているベテラン執事である。
 今現在はその先代の忘れ形見である一人娘に仕え、彼女を立派な財閥総帥とライダーのエージェントに育てることに注力している。
 その一人娘、現在は自分の傍にいない。次期財閥総帥の仕事の一つとして、とある会社を視察中だ。執事の自分がついていないのは少し不安だが、代わりに高塔の社長兄弟が付き添っているから問題はないだろう。
 最近の彼女は、ライダーのエージェントよりもこちらの仕事の方が多い。カオスイズムが大人しいうちに、こっちの仕事も叩き込んでおきたい。そう彼女が決めたからだ。
 立派な志だと思う。16歳と言う若い身の上ながらも、財閥総帥候補とライダーのエージェントの二足の草鞋を履こうと常に努力を続ける少女。
「一人か」
 物思いにふけっていたら、来客――宗雲が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ」
「ワインを頼む」
 テンプレ通りの挨拶に対して注文で返す宗雲。彼は大抵この注文なので、レオンも手慣れた手つきでワインを出してグラスに注いだ。
「一人か」
 ワインを出すと、先ほどの質問を繰り返された。はぐらかす理由もないので、「ええ」と一言答える。
「ご主人様は〇〇社を視察中です。私抜きでやってみたいとおっしゃられて」
「それで一人で出かけたのか。肝の座った奴だ」
「高塔兄弟が付いておられるので、多少の事は問題ないかと」
 ぴくりと宗雲の眉が動いたのを見逃さなかったが、他人のプライバシーに必要以上に踏み込むつもりはないので見なかったことにした。
「いつもの四人はどうした」
 いつもの四人。つまりジャスティスライドの事だろう。何かと主と一緒に行動しているからか、傍から見ると一緒にいないのは違和感があるのかも知れない。
「ジャスティスライドの皆様は、今日はそれぞれ仕事に出ていますよ」
 仮面ライダー屋はそれなりに繁盛している。仮面カフェでもさりげなく宣伝しているのもあって、今では頼れる四人組と噂になっているようだ(ちなみにイケメン四人組と言うのも高評価の一つらしい)。
 とにかく、主とジャスティスライドは常に一緒に行動しているわけではない。何かと行動しているのが多い故、先輩ライダーたちは誤解しがちなようだ。そこはきちんと言っておかねば、とレオンは固く誓う。
 だが、宗雲の考えは違っていたようだ。

「わざと彼女とあの青年を引きはがした、と言うわけではないのか」
「……滅相もない」

 一瞬詰まったのは、ちょっとだけそれも考えたから。
 正妻の子ではないとはいえ、彼女はたった一人の後継者。故に、伴侶は慎重に選ばなければならない。地位と責任はあればあるほど、その未来は狭まってしまう。
「良いお方ですよ。少なくとも、そちらの眼鏡よりかは」
「確かに」
 眼鏡と言う表現に宗雲は笑った。今頃くしゃみでもしていることだろう。
 ……くしゃみと言えば。

「彼が本当に良いのかと言えば、そうとも言えないのですがね」

 よく言えば純真無垢。悪く言えば無知。そんな彼が、彼女の周りを取り巻く淀みや闇を理解し、受け入れられるのか。
 そもそも出会いからして運命――偶然だったのだ。本来なら知り合うことすらなかった二人が出会い、恋に落ちてしまった。それ故の問題点。
「何もかもを教えるには時間がなさすぎる、か」
 ワイングラスを置く宗雲。お代わりを注ごうとしたら首を横に振られたので、ワインを元に戻した。
「そもそも素直に受け入れてくれるとは思えません。故に、本当に良いとは思えない。ですが」
 解っている。未来を見越して俯瞰的に見て、彼は相応しくない。だが人の想いはそう簡単に割り切れるわけがないし、何よりその結論を受け入れてもなお、彼は彼女に手を取ってもらおうと願うだろう。
 本音を言えば、別の道を歩んでほしい。だが、自分の我儘でその道を選んでほしくない。応援だってしたい。それは何故か?

 簡単だ。彼女は敬愛する先代の忘れ形見であり――自分が守るべき大事な主なのだから。

 だからこそ、見守りたいのだ。まあ、余計な茶々を入れたりはするが、それは自分のわずかながらの楽しみとして許してほしい。
「今のうちに存分に恋をさせておこう、とでも?」
 宗雲の問いに対し、レオンは意味深な笑みで応えた。

 

「ああ、疲れた」
 挨拶、挨拶、挨拶。今日で何回人に向かって頭を下げただろうか。
 いらっしゃいませの挨拶と頭を下げた回数だけなら昔やった接客業のバイトの方が数が多いが、今回は自己紹介やら会社説明やらのおまけ付き。疲れはこっちの方がはるかに上だった。
 お茶をどうぞ、とレオンがお茶を出してきたので受け取って飲む。程よい温度と味の緑茶だ。
 代わりに脱いだ上着を渡し、うーんと伸びをする。これで疲れが取れたわけではないが、自室に戻るぐらいの元気は戻ってきた。
 今日は仕事が終わったし、ゆっくり寝よう。明日はエージェントとして……。
「ご主人様、明日は××社の方に行かれるんですよね?」
「あ、そうだった」
 レオンの言葉で現実に戻る。そうだ、今のうちに挨拶回りなど次期総帥としてやっておきたい事を片付けたいと言ったのは自分だ。ちょっと忙しいぐらいでくたびれ切ってどうする。
 たかだか三日間ぐらい、あの人に会えないぐらいでへこむな、自分。
 でも、それでも。
(会いたいな)
 そう思うぐらいなら許されるだろうか。
 許してくれないと困る、と思う。こちとら幼い身で大人たちと渡り合い、時には命をかけて走り回っているのだ。ほんのちょっとだけ、ほんのちょっとだけ好きな人と一緒にいたいと思ってもいいじゃないか。
 そんなことを思いながら、とぼとぼと自室へと戻った。

 自室に戻り、余所行きの服を脱ぐ。キャミソール1枚になるが、この部屋は常に快適な温度に保たれているため風邪をひくことはない。
 脱いだ服はそのままになるが、片付けるほど心も体も余裕はない。明日起きたら真っ先に片付けよう。とにかく、今は眠い。寝足りない。
「ああ、はいはい、あしたもがんばります……」
 我ながら変な寝言だと思うが、そうつぶやいて布団に潜り込んだ。
 目を閉じる。
 せめて夢の中で会えるといいな、なんて思いながら。

 本当に、疲れていた。だから自分の頭を撫でる優しい手に気づかなかった。
 ん?と思って目を開けると、ぼやける視界の中に見覚えのあるネイビーの影がいるのが見えた。ぼんやりとした頭でその影を見定めようとするが、優しい手につい頬が緩みそうになる。
 ネイビーの影――魅上才悟がいつもと変わらぬ声で聞く。
「大丈夫か?」
「……うん」
 何でいるんだろう、どうやって入ってきたんだろう、と彼のように何故何故と問い詰めたくなるが、口は思うように動いてくれない。
「みかみくん、どーしたの?」
 何とか口を開いたが、出てきた言葉は舌ったらずで内容もよくあるそれだった。それしか言えないのか、と自己嫌悪に陥るが、才悟は少しだけ心配の色をにじませた声で答える。
「執事から、キミが疲れていると聞いた」
「レオンが」
「ああ」
 頭を撫でる手を止める才悟。もう撫でてくれないのかなと思っていたら、そっと手を握ってくれた。
「魅上くん、もう寝る時間じゃない? よかったの?」
「キミのピンチに比べれば、些細な問題だ」
 ピンチとは大げさと思うが、逆に言えば己の睡眠時間を天秤にかけて――否、かけることもなく自分を選んでくれたのが嬉しかった。
「キミは頑張り過ぎだ。いつでもオレに……オレ達に頼ってくれ」
「うん、じゃあ……」
「じゃあ?」
「寝るまで、一緒にいてくれる?」
「ああ」
 甘えるような口調でおねだりすると、才悟が空いた手でそっと頭を撫でてくる。それが暖かくて、とても嬉しい。
 そのぬくもりに誘われて、再び目を閉じた。

 

 自分は間違っていない。レオンは改めて思う。
 才悟に「ご主人様が疲れている」と情報を流し、二人きりにさせた。本当ならしなくてもいいはずなのに、あえてそうした。
 誰かに知られたらいいのかとか言われそうだが、笑って流せる。そう思った。何故なら。

「人の恋路を邪魔して、ライダーに蹴られたくありませんからねぇ」

 特に彼の得意技は蹴りですから。
 そう心の中で付け加えて、レオンはくすくすと笑った。