そんな感じで立ち直ってから、一か月が経った。
毎日の仕事は失恋のショックを引きずらせなかったし、周りの環境も少しずつ変わっていった。
カオスイズムのやり口も徐々に巧妙になってきているし、色ボケしかけた脳みそでは到底かなわないような敵も出てきている。
常に進化と前進あるのみ。そう考えて、ライダーのサポートの仕事に徹した。
そんな中。
「魅上くんの様子がおかしい?」
伊織くんをはじめ、魅上くんを除くジャスティスライドの面々からそんな相談を持ち掛けられた。
「食べるスピードが落ちてるし」
「トレーニングに身が入ってない」
「ふとすると、悲しいって気持ちが見えるんだ」
それぞれが魅上くんの様子のおかしさを告げる。……確かに、様子がおかしい。
とはいえ、それらはまとめて上げればおかしいと感じるぐらいの違和感で、一つ一つは些細な事。ジャスティスライドで片づけられないのだろうか。
素直にそう言うと、三人そろって首を横に振った。どうやら私に相談する前にそれぞれが解決を試みたらしい。で、目に見えた結果が出なかった、と。
参ったなぁ。その三人が駄目ならお手上げじゃないのか。
でも私はエージェント。彼らができないなら私も無理です、なんて気楽に言えない。
「伊織くんはバディなんだから、もっと突っ込んでみればいいんじゃない?」
打開策の一つとして伊織くんに働きかけてみれば、その伊織くんはうーんと唸った。
「おれもそう思ってちょっと粘ってみたんだ。そしたらさ、『嫌われたかもしれない』って」
「何だそれは」
蒲生くんのツッコミに私も内心頷いてしまう。嫌われた? 誰に?
ツッコまれた伊織くんはひょいと肩をすくめる。この様子だと、彼もよく解らないらしい。
解決策が見出せないまま悩んでいると、気配を消していたらしいレオンが「ちょっといいですか?」と声をかけてきた。
「とりあえず魅上さまを仮面カフェにお呼びしませんか? 何となくではありますが、魅上さまの不調の理由が解りましたので」
そして翌日。
レオンの提案通り、魅上くんを仮面カフェに呼び出した。
久しぶりに見る魅上くんは、確かにいつもの雰囲気が欠けている感じ。
「いらっしゃいませ」
私とレオンが挨拶すると、「ああ」とだけ返事が返ってくる。カウンター席に座ると、いつも通り「水をくれ」と言ってきた。もちろん、こちらもいつも通りに水を用意する。
「レオン、これ」
「ああご主人様、少しお待ちを」
注いだ水を渡そうとすると、レオンが待ったをかけてきた。
一瞬だけ魅上くんの様子をチラ見して、彼に気づかれないようにそそくさと私を巻き込んで厨房に戻る。
「な、何?」
「申し訳ありませんが、ご主人様が水を渡してくれませんか?」
「へ?」
魅上くんに水を渡す。以前ならいつものルーティーンワークだったが、最近は忙しさやら仕事やらにかまけてすっかりと忘れていた。
……と言うより、あの一件以来、もう私が渡さなくてもいいじゃないかと投げやりになっていた。
我ながらおこがましい考えだけど、魅上くんが水を美味しいと言ってくれるのは、私が手渡ししているからだと思いたかった。
だけどあの時、伊織くんが渡した水でも美味しいと言っていたのを聞いて、本当におこがましい考えだと思い知らされた。だから、最近は他の人に任せていた。
今更私が渡したところで、魅上くんの調子が戻るとは思えない。でもレオンはあえて私を指名した。
仕方ないので水を受け取って渡しに行こうとすると、またレオンが引き留める。
「あ、水だけでなく、ご主人様が作られたお漬物も持って行ってください」
「あれも?」
私はエージェントになる前から漬物を漬けている。自慢じゃないけど、料理上手のレオンや深水くん、皇紀さんも褒めるほどの出来だ。
たまに仮面カフェでお通しとして出しているけど、大半が美味しいと言って食べてくれている。そういえば、魅上くんには食べさせたことなかったな。
床下収納から野菜を漬けているタッパーを取り出し、ほど良さそうなのをいくつか見繕って小皿に出す。水と漬物。まるで居酒屋のお通しだ。
準備が出来たので、カウンター席の魅上くんに渡す。漬物以外は一か月前まで行われていたルーティーンワーク。
「はい、お水。こっちの漬物はサービスよ」
一か月前と同じように水を出せば、一か月前と同じように「ありがとう」と返事が返ってきた。
ぽろり
水を飲んだ魅上くんが、何故か涙をこぼした。
「えええ、どうしたの?」
「わ、解らない。何故オレは泣いてるんだ? いや、この水は何故こんなに旨いんだ。漬物も、すごく旨い。何故だ? どうなってるんだ?」
「お、落ち着いて!」
混乱する魅上くんに、私も混乱してしまう。
とにかく落ち着かせて、一つずつ疑問を解決させていくことにした。とは言っても、最初の疑問は考えても解らないので保留。
「まずね、その漬物、私が漬けたものなの。味はレオンや深水くんの保証付きだから美味しいんだと思う」
「そうなのか。キミが漬物を作れるのは初めて聞いた」
「ごめんなさい、話す機会もご馳走する機会もなかったものね。でもたまに作って出してるから、その時は食べてほしいな」
「解った」
まず一つ疑問は解決した。魅上くんは間髪入れずに次の質問、「何故水が旨いのか」に移る。困った。
「水は……いつものと変わらないはずよ。別に特別な何かを入れたとか聞いてないもの」
「そうなのか? ここ最近は変わらず旨いが、何故か旨く感じなかった」
「うーん……」
魅上くんの説明は解りにくいが、何となく言いたいことは察することが出来た。要は、いつもと変わらないのに美味しく感じられなかったと言うことらしい。
レオンの方に視線を向けると、彼も困ったように肩をすくめていた。こうなると、原因は魅上くんのメンタルの問題かもしれない。
となると、泣いたのもそのメンタルの問題? ……そこまで考えて、伊織くんの言葉を思い出した。
――おれもそう思ってちょっと粘ってみたんだ。そしたらさ、『嫌われたかもしれない』って。
嫌われたと思っている相手は誰なんだろう。一瞬、私の事かなと思ってしまったけど、即座に否定した。だってここ一か月邪険にしたわけじゃないし、何よりそこまで好かれてるとは思えない。
聞いた方が良いかな。でも聞いたらなおさら落ち込みそうな気がするし。
ちょっと悩んだけど、黙ることにした。こればかりは魅上くんのメンタルの問題で、デリケートな部分だから。
「とにかく、今は美味しいの?」
「ああ」
「それなら良かった」
全部の疑問は解決してないけど、魅上くんが美味しく水を飲んで漬物を食べているならそれでいい。
肝心の魅上くんは首をかしげてるまま。
「水のお代わりいる?」
コップが空っぽになっていたので聞いてみると、「もらう」と返事が返ってきた。
あの後。
魅上くんはだいぶ調子を取り戻したらしい。さすがに全回復とはいかないが、行動に支障がないぐらいには元気になったそう。仮面カフェにも顔を出してくれる。一人だったり、伊織くんと一緒だったり、ジャスティスライドのみんなと一緒だったりと様々だけど。
でも不思議なことに、もうそのことで嫉妬したり変にうじうじしなくなった。慣れなのか、それとも余裕なのか。それは解らない。
結局のところ、魅上くんが嫌われたかもしれないと不安がっていた人については聞かないまま。
聞いておけばよかったな、と思う反面、やっぱり聞かないでおこうとも思える。それもまた解らない。
ただ一つだけ解ってることと言えば、私が漬けた漬物を気に入ってくれたって事かな。