1本の桜がある

 桜前線が北へ北へと上りつつある一日。虹顔市の桜は徐々に花から葉に変わりつつあった。
 凛花が今見上げている桜の木も、半分が葉になっていて、緑とピンクの混ざり合った色となっていた。
「あら」
 開いた弁当箱の中に、桜の花びらが一枚入り込む。
 そのまま口の中に入れてもいいのだろうけれど、丁寧にそれをつまむ。薄ピンク色のそれは、今だけしか見れないと言うだけで綺麗に見えた。
 手のひらに乗せて、ふーっと息を吹きかけて飛ばす。花びらはくるくると舞いながら飛んでいき……見覚えのある人物の前に落ちた。
「皇凛花」
 見覚えのある人物――魅上才悟が声をかける。
「魅上くん」
 呼びかけに返事すると、才悟は「隣、いいか?」と聞いてくる。断る理由はないので頷いた。
 隣に座る才悟。視線がこっちの弁当に向いたかと思うと、ごそごそとショルダーバッグからビニール袋を取り出した。見覚えのあるマークからするに、コンビニで昼飯を買ってきたようだ。
 しばらくは無言で桜を眺めつつ昼食を取る。桜の花びらが落ちていく中、ぽつりと才悟が「ここに桜があるとは思わなかった」とつぶやいた。
 さもありなん。ここを知るのは仮面カフェの従業員か、ここを知り尽くした人ぐらい。凛花もここを知ったのは数年前だから、才悟は初めてだろう。まあ誰が知ろうが知らなかろうが、ここに桜の木があって、もうすぐ葉桜になると言うのは変わることはない。
「ここももうすぐ葉桜になるし、多分花見は今日までね」
「そうなのか」
 少し残念そうな顔になる才悟。自分も今日で終わりだと思うと残念だと思う。特に今日は、一人ではなく二人で見ているからなおさらだ。
 今年も花見の季節は終わりだ。そう考えると、ふと去年の事を思い出す。
(あの時は、確か……)
 虹顔市に来てまだ間もないころ。まずはこの街に慣れてほしいと言われ、色んな地区を見て回っていた時期だったか。
 あの時はこんなことになるとは思っていなかった。財閥次期総帥と言われて普通の人生は歩めないのだろうと思っていたが、ここまで波乱万丈な人生を歩むとは。
 しかしその分出会いもあった。人知れず戦う「仮面ライダー」と呼ばれる存在。頼れる仲間達。それらは自分の全てを変えたと言っても過言ではないと思っている。
 特に、隣の青年は……。
「……何故オレを見ている?」
 こっちを見ているのに気付いたか、才悟が首をかしげる。竜胆色の目がぱちくりと瞬いているのを見て、凛花は思わず視線を逸らした。
「ごめんなさい。何となく昔の事を思い出しちゃって」
「昔?」
「ええ」
 たった数年のはずなのに遠くに思える。才悟たちと出会う前の、虹顔市に来たばかりの頃。
 この街に慣れてほしいと言われたものの、いまいち街にも人にも慣れなかった。そんな中見つけた、一本だけ咲いていた桜。独りぼっちでも決して物怖じせずに咲きほこるその姿に、凛花は見惚れたのだ。
 それ以降、凛花は春になるといつもここで桜を見ながら食事を取る。一本だけ咲く桜に自分を重ねつつ、強く咲くその姿に力を貰うのだ。
 と。
 才悟の手が動き、自分の髪をそっと撫でる。大きくて暖かい手にドキリとするが、彼は気にすることなくさらに撫でた。
 やがて彼の手が止まり、一枚の桜の花びらがつままれた。
「髪についていた」
「そ、そう。ありがとう」
 取ってくれた才悟の髪にも一枚付いていたので、そっとつまんでやる。お揃いだ、と彼が真顔で言うので、ついくすくすと笑ってしまった。
 それから凛花たちは他愛もない話に花を咲かせる。みんなで行った花見から、二つの桜餅の食べ比べ。話題が桜に寄ってしまうのは、やはり近くに桜の木があるからだろう。
 話している中で、ふと才悟の横顔を見る。
 植物や昆虫を観察している時とほぼ変わらない表情。つまり、この桜に興味を示していると言う事だ。
「気になる?」
 そう聞いてみると、才悟はこくりと頷く。
「まるでキミみたいな木だ」
「え」
 唐突に言われて面食らってしまう。この木が? 自分に?
 言った方はそれで満足しているらしく、また木を見上げる。せっかくなので、才悟のように追及してみることにした。
「どうしてそう思ったの?」
 聞かれるとは思っていなかったのか、才悟はこっちを向いて目を丸くする。だが答えは用意していたらしく、すぐに木の方に視線を戻した。
「この木は色んな木に見守られて、綺麗に咲いている。執事や他のライダーたちに見守られている、キミのようだ」
「……!」
 考えた事のない視点だった。
 凛花の中ではこの桜の木は一人で咲く孤高の桜というイメージだった。だが才悟は、この桜を周りの木に見守られて咲いていると言った。それを自分のように、とも。全く違う才悟の視点が新鮮であり、驚きだった。
 改めて桜の木を見る。今度は桜の木だけでなく、周りの木々も含めてだ。
 確かに周りの木は桜より大きいが、桜より目立っているようなものはない。寄り添うように、それでいて見守るように、木は桜の周りを囲んでいた。なるほど、才悟の言う通り見守る木々だ。
「私が、桜」
 思わずつぶやくと、才悟が「変だろうか」と首をかしげる。凛花は首を横に振る。
「そう言う見方はなかったから」
「そうか」
 才悟の見方は独特だ。だが、悪い見方ではない。
 ありがとう、と言うと、才悟はまた首をかしげる。
「オレは特に何もしていないが」
「私にとっては助けになってくれたわ」
「そうなのか?」
「ええ」
 才悟は気づいていないのだろうが、自分は何度も励まされている。いつでも彼は、自分に寄り添い、時に励ましてくれる。そんな優しい男だ。
 ひらり。
 桜がまた一枚花びらを落とす。今度は二人の間に割って入るかのようにだ。
 その先が弁当になりそうだったので、凛花は慌てて弁当をひっこめる。そう言えば会話に夢中で昼食の事を忘れていた。才悟も同じようで、手に持っていたサンドイッチを口に放り込んだ。
 最後の楽しみにしていた大学芋を食べ終え、弁当箱を仕舞う。才悟の方も終わったようで、ショルダーバッグにコンビニの袋を仕舞っていた。時間は午後一時前。昼休憩の終わりとしてはちょうどいいだろう。そう言えば、今日はもう仕事上がりで暇だった。
「今日はもう暇か?」
 才悟が急に聞いてきた。そう言う辺り、どうやら彼は午後は予定がないようだ。
「ええ。仮面カフェの方は人が入るから」
「なら、オレと付き合ってくれ」
「え」
 突然の申し出に固まってしまう凛花。おそらく交際の申し出ではないとは思うのだが、反射的に顔が赤くなってしまった。
 言ってきた才悟の方は少しだけ目を丸くしつつも、話を続ける。
「少し遠いところに、菜の花が綺麗に咲いている所を見つけた。キミに見せたいと思ったんだが……どうだろうか?」
「そ、そうなの……」
 才悟の本心が知れて、凛花は安堵の息をつく。ほっとした半面、少しだけ残念な気持ちにもなったが、それは無理やり追い払った。
 それはさておき。菜の花畑はとても興味がある。凛花が「行きたい」と返事すると、今度は才悟が安堵の息をついた。

 一旦家に帰り、出かける準備をする。才悟の「少し遠い」は、人の足で数時間かかるのをよく知っているからだ。才悟の方も出かける準備をすると言って家に戻ったので、合流は凛花の家のタワマン前になった。
 動きやすい服装に着替えて降りると、才悟が既に待っていた。
「パンツ姿か、珍しいな」
「ふふ」
 いつものスカートも考えたが、どの手段で行くか解らなかったのでパンツを選んだ。才悟の表情と手に持っている物――バイクのヘルメットを見る限り、選択は間違えていなかったようだ。
「そっちもバイクなんて珍しいわね」
 そう。才悟は珍しくバイクに乗ってきていた。仮面ライダー屋のコンセプト上、全員バイクに乗れるのは知っていたのだが、こうして実際に見ると驚きが勝る。
 才悟の方は「そうか?」と聞きつつも、凛花にバイクのヘルメットを渡してくる。サイズが合うか少し不安だったが、その市販のヘルメットは、あつらえたかのように自分の頭にぴったりとはまった。
 凛花が被ったのを見て、才悟が手を差し伸べた。その手を取って、彼のバイクに乗る。
「入り組んだ道を行くから、少し揺れると思う。何かあったら言ってくれ」
「解ったわ。でもそんなに心配してないけどね」
「何故?」
 バイクに乗りつつも不思議そうな顔をする才悟。そんな彼に抱き着きながら、凛花は答える。
「あなたを信じてるから」
 そうか、とつぶやく才悟に向かって、凛花は微笑んだ。