穏やかな歌が終わる。ラジオパーソナリティがさっきまでの歌の解説を始めた。
『米津玄師で『アイネクライネ』でした。さすが代表曲なだけあって、いい歌ですね。では次のリクエスト……』
「魅上くん、手が止まってるわよ」
歌に聞き入っていたため、食事の手がおろそかになっていたらしい。エージェントの少女に咎められ、才悟は慌ててケーキにフォークを刺した。
それからしばらくは歌とは違う話題で話が進むが、才悟の脳裏では先ほどの歌の一節がこびりついていた。聞いてみようか、でも解らないだろうか……。
「魅上くん?」
迷いが顔に出ていたらしい。彼女がちょこんと首をかしげていた。その顔が可愛いと思いつつ、才悟は口を開いた。
「先ほどの歌が、気になっていた」
「さっきの歌? ……ああ、『アイネクライネ』?」
「それだ。その歌で、気になったところがあった」
「?」
少女が再び首をかしげる。そんな彼女をじっと見つめつつ、才悟は気になったフレーズを口ずさむ。
「『いつか来るお別れを育てて歩く』というところだ。お別れを育てる、とはどういう事だ?」
「……ああ、そこ」
言われてようやく解ったらしい。彼女の顔に、少しだけ寂しそうな色が混じった。
「私は米津玄師じゃないから解らないけど」
くるり。コーヒーカップの中に入っているスプーンが、一回だけかき混ぜられる。
「出会った以上、別れはいずれ来る。それを不安がっているんじゃないかしら」
「『出会いは別れの始まり』というやつか」
「そうね」
かき混ぜたコーヒーを飲む少女。ちなみに才悟の水は、半分ぐらいしか残っていない。
先ほど口にした言葉は、蒲生慈玄がぽつりと漏らした言葉の一つだ。格言かどうかは知らない。
しかし、いまいち別れを恐れる理由が解らない。才悟はもう少し突っ込んで聞いてみる事にした。
「何故、別れを恐れる? 幸せな思い出を築くぐらい好きなのだろう?」
この質問は予想外だったのか、彼女はうーんと軽く唸る。
ウェイトレスが空いた皿を下げるぐらいの時間が経ってから、ようやく彼女が口を開いた。
「その時は好きでも、時が経てばどうなるか解らないわ。幸せだからこそ、その反動が怖くなる。そう考える人もいるの」
「反動が、怖い」
「それだけじゃないんでしょうけど」
湯気が全然立っていないコーヒーが、一口分減る。才悟も合わせて水を飲んだ。
「ずっと好きだとしても、別れは必ず来るわ。――死別とか」
その言葉で、才悟は彼女の母の事を思い出した。重い病を患い、治る事なくそのまま息を引き取った女性の事を。
「……すまない」
彼女に母親の事を思い出させただろう事を謝罪する。しかし彼女の方は「どうして謝るの?」と不思議そうな顔になる。気にしていないのだとしても、彼女の口から死にまつわる事を言わせたのはいけない事のはずだ。
と、そこまで考えて、才悟は自分の変わりように気づく。
――戦場で死ねるなら本望だ。
――死にたくないと思えるほどの人生を、オレは歩んでいない。
少し前までの自分は、死と言うものを恐れていないと本気で信じていた。だが今は、それが薄っぺらいと思えている。
死。
自分はこの現象についてどう思っているのだろう。
「魅上くん?」
再び名前を呼ばれる。
才悟は思考の海から一旦上がり、目の前の少女をもう一度見つめ直した。
「オレは」
口の中がねばつく中、何とか言葉を絞り出す。
「死ぬことに恐れはなかった。というより、死ぬのが嫌だと思えるほどの人生を歩んでいなかったし、オレが死んでも誰も悲しまないだろうと思っていた」
彼女の顔がぴたりと固まった。無理もない。この気持ちを吐露したのは彼女が初めてだし、多分一生誰にも話さないだろうと思っていた。それでも口に出すべきだと思った言葉だ。
何故なら、これは自分が変わったと言うことの確認でもあるから。
「でも今は違う。キミに対して死を匂わせてしまった事を、オレは心苦しいと思っているし、恐れを感じてしまった」
死の対象は自分ではなく彼女の母親なのだが、それでも自分へのもののように感じてしまった。それに対して今、かすかながらも恐れを感じている。
自分は変わった。それは悪い事なのだろうか。それとも良い事なのだろうか。
二度目の沈黙。それは、予想以上に早く破られる。
「……それは、魅上くんがちゃんと死に向き合ってるって事じゃないかしら」
ぽつりと、少女が答えを呟いた。
「ママが死んでから……エージェントをしてから、私も改めて死について考える事がある。死ぬのは嫌だなとか、後悔せずに生きるには何をすればいいんだろうとか、いろいろ」
「いろいろ……」
「人の死って、予想以上に身近にあるのに、いまいち実感湧かないから」
解る気がする。
アカデミーで生活していたあの頃、死と言うものを強く感じる事がなかった。陽真たちが「死にかけた」「死ぬかと思った」と言っていても、それはどこか全く遠い話のように聞こえたものだ。
仮面ライダーとして戦っていてもそうだ。さっきも言った通り、自分は死ぬことに恐れはなかったし、何となく生きていられるのだろうと心のどこかで思っていた。
きっとそれは、死と言うものに真正面から向き合っていなかったのだろう。
追加注文したコーヒーが届いたのを見て、もう一度少女は口を開いた。
「そう言えば、伊織くんたちが言ってたわ。魅上くんは確かに変わっているって」
話の切り口が変わった。
「アカデミーにいた時はスタンドアローンどころか鉄砲玉じみた戦い方が多かったけど、今はフォーメーションを優先した戦い方をしてくれるって」
「そうなのか?」
初耳だ。
思わず口に出して聞くと、彼女はこくりと頷く。
「今の魅上くんの言葉で解ったわ。魅上くんは『自分が死なない戦い方』を覚え始めてるんだなって」
「自分が、死なない戦い方……」
口だけでなく、心でも反芻する。
戦い方に関しては、クラスを結成した事でフォーメーションを組む戦いが多くなったからと思っていたが、自分の心構えが変わっていたからなのだろうか。よく解らない。
才悟はかなり少なくなった水を口にした。だいぶ時間が経っているので、もうぬるい。
「オレは、死に向き合っているのだろうか」
改めて彼女に聞いてみると、その彼女は多分ね、と答えた。
「戦いに関しては私は素人だし、伊織くんたちの言ってることが正しいんでしょう」
「そうか……」
外からの声に、子供たちのそれが混じり始めた。どうやら下校時のようだ。
「長居しすぎたわね。出ましょうか」
人々から聞き込みをする少女の背中を見ながら、才悟はもう一度死について考える。
彼女は過去、目の前で大事な人の「死」を見ている。あの歌で言うなら、幸せな思い出によって育ったお別れを体験しているのだ。
自分は、どうだろうか。
あの頃は大事と思える者はいないと豪語してきた。だが今は、失いたくないものがたくさんできたと自覚している。死に対して、恐れを感じる時もある。
特に、目の前の少女を失ったとしたら。自分は。
「オレは、弱くなったんだろうか」
つい口に出てしまう。
その言葉をあやふやながら聞き取ったらしく、少女が「え?」と才悟の方を向いた。
「オレは、弱くなったんだろうか」
もう一度同じ言葉を繰り返す。彼女は一瞬小首をかしげるものの、いつもと全く変わらない顔と口調で「それはないわ」と否定した。
「死とちゃんと向き合えてる人が弱いだなんて、私は思わないもの」
きっぱりと断言する。そのささやかさと力強さは、才悟の迷いという霧をわずかながら吹き払った。
「ありがとう」
思いを込めて言うと、彼女は穏やかに微笑んだ。