PM:915

 夜9時。
「あー、今回も面白かった」
 毎週見ているドラマを見終わった伊織陽真は、満足した顔でテレビのスイッチを切った。まだ寝るつもりはなかったが、つけっぱなしだと夜更かししてしまうので、キリのいいところで電源を切ることにしているのだ。
 その流れで寝る支度を始める。今日は最近始めた日記でもつけて、寝る前のストレッチを済ませたらもう寝よう。そんなことをぼんやりと考えつつ、寝間着に着替えた。
 寝室に行くついでに、ルームメイトの才悟が寝ているであろう布団部屋を覗き込む。珍しいことに才悟はまだ起きていた。
 ……ただ、様子がおかしい。
 部屋の電気をつけてないので何となくではあるが、どうも座り込んで何か考えているらしい。こんな時間まで起きているのもだが、こんな風に悩む彼も珍しい。
 ともかく、声をかけた方がいいだろう。そう思って陽真は声をかけた。
「才悟、何やってんだよ」
「伊織陽真」
「こんな時間まで起きてるの、珍しいよな」
「……」
 指摘すると才悟は押し黙ってしまう。触れられたくないのかな、と思ったが、どうもそうでもなさそうだ。ぶつぶつと何かつぶやいたかと思うと、ぼそりと「聞きたい事がある」とこっちに向かって言ってきた。
 長丁場になりそうな気がしたので、陽真は部屋の電気をつけて座り込む。
「で、聞きたい事って?」
 言い出したはずの才悟はまだ悩んでいる。悩んでいるうちに寝なきゃいいけど、と思っていたらようやく才悟が顔を上げた。

「伊織陽真、キスはした事あるか」

「……は?」
 唐突な質問に、陽真の頭はフリーズしかける。キス。接吻。口づけ。つまりは、そういう事。
「し、した記憶はないな」
 必然的に小声になって問いに答える。当たり前だがはっきりとしている記憶は2年間だけ。その2年間も男だらけの生活だったので、キスどころか恋愛の機会もなかった。
 だがそれは才悟も同じなはず。しかも、そのような浮世事を気にしてる暇があるなら、トレーニングに集中するような男だ。キスの二文字を知っていたと言う事自体驚いてしまう。
「何があったんだ?」
 とりあえず、何故才悟がそのような疑問を持つに至ったかを知る必要がある。陽真が聞くと、才悟はうつむいてぼそぼそと話し出した。

 きっかけは、部屋の掃除だった。
 広い部屋なので一人は大変だから手伝ってほしい、とエージェントの少女に頼まれ、それを引き受けた。そこまでは何の問題もなかった。
「高い所はお願いしていい?」
「問題ない」
 阿形松之助などと比べると自分は小さいが、高い所が掃除できないほど小さくはない。才悟ははたきを受け取り、高い所も丁寧に掃除していった。
 しばらくは何の問題もなく掃除が進んだ。静かな部屋に、はたきではたく音、ぞうきんをかける音、掃除の邪魔になる物を片付ける音が響く。
「進んでる?」
「ああ」
 会話はそのくらい。それでも近くに相手がいると解るだけで、安心感が得られた。
 お互いマイペースで掃除を進めているうちに、掃除の邪魔でどかしていた物が積み上がる。普段は丁寧に積み上げる少女だが、掃除と言うことで割と大雑把に片付けていたようだ。積み上げる度にかたかたと小刻みに震えていた。
 そして、とうとう限界が来た。
 彼女がうっかり触れたことで、バランスが崩れたらしい。がたっと大きな音を立てて、積み上げていた物が一気に崩れ落ちてきた。
「きゃ……」
「危ない!」
 ちょうど彼女の方を向いていたので、才悟は瞬時にその腕を掴んで引っ張る。……のだが、力が強すぎたらしい。バランスを崩した彼女が飛び込んでくるので受け止めようとして、自分も足を滑らせてしまった。
 勢いで尻もちをついてしまったが、それよりも。

 ――唇に、柔らかく暖かな感触。

 

「で、キスしてしまったと」
 もう口で説明できないくらい恥ずかしいらしく、才悟は無言でこくこくと頷いた。よく見ると、耳が赤くなっている。
「わざとじゃないんだよな?」
 そこを確認すると、才悟の首を縦に振る速度が上がった。ぶんぶんぶん、と擬音が見えるぐらいの速度で肯定するので、意図的にやったというわけではないようだ。そもそもできるようなキャラではないのもあるが。
「あの子はどうしたんだ?」
 もう一つ気になっていたことを聞く。才悟はそこまで考えが至らなかったようで、しばらくぽけっとした顔でこっちを見てきた。
「……何も、言ってこなかった。すぐにその場からいなくなった」
「そうかぁ……」
 説明は少ないが、どうも怒った様子はないようだ。まあ陽真が見る限り、彼女は才悟に想いを寄せているようだから、むしろ願ったり叶ったりではないかと思うのだが。
 そうなると、何が問題なのだろうか。
 エージェントの少女が才悟に想いを寄せるように、才悟もまた彼女に惹かれているふしがあった。所謂両片思い状態の2人が両思いになるだけなのだから、問題はないと思うのだが。
 ただ才悟の方は重く受け止めているらしく、握っている拳を見ながらぽつりと言った。
「オレはライダー失格だと思う」
「はぁ!?」
 唐突な発言に対して、夜なのにも関わらず素っ頓狂な声を上げてしまう陽真。ハプニングキスからどうしてそうなるのか、全く考えが読めない。
 対する才悟の方は真剣な表情のまま、拳を開いて中にあったカオスリングを見つめている。
「あの人の反応次第では、カオスリングを渡してライダーを辞めることも考えている」
「いやいやいや、それだとジャスティスライドの契約に引っかかりかねないだろ! マジでそれだけはやめてくれ!」
 陽真のツッコミでようやく契約の事を思い出したか、才悟はまた深くうなだれてしまう。
(そうだった、こいつそういう奴だった)
 蒲生慈玄とは別の方向で、彼もまたライダーと言うものに対して強い執着と信念がある。それ故に、信念からずれた行動を許せなかったのだろう。それが本人の意思とは全く関係のない事であっても。
 それにしても、話しかけたのは本当に良かった、と陽真は思う。もし何も気にせずにそのまま寝ていたら、才悟は本気でカオスリングを少女に渡しに行きかねなかった。聡い彼女だからすぐに説得してくれるだろうが、それでも大混乱は必至だっただろう。
「ならば、どうすればいい?」
 至極真っ当な質問に対し、陽真はぼりぼりと頭をかいた。
「まあ、まずは謝る事だよな。ごめんなさいって」
「ふむ」
「それから……まあ、そうだな~」
 そこまで言って、ふと思いついた。

「才悟はさ、あの子の事どう思ってるんだ?」

「え」
 予想外の質問だったらしく、才悟が目を丸くした。初めて見たなぁ、と陽真は心の中で思う。
「だからさ、あの子の事好きなのか嫌いなのか、好きとしてどういう好きなのか、全然何も考えてないわけじゃないんだろ?」
「……」
 完全に黙り込む才悟。本当に何も考えていなかったらしく、しばらくしてから「よく解らない」と答えてきた。
「嫌いではないのは確かだ」
「ふーん……」
 どうやら嘘偽りのない気持ちのようだ。あやふやではあるが、それだけ向き合っていなかったと言うことなのだろう。
「じゃあ、それも含めてちゃんと言っておいた方がいいぞ。変に誤解されてぎくしゃくするのは嫌だろ?」
 これには納得したらしく、才悟はこくりと頷いた。

 才悟が寝るの見てから、陽真はドアを閉める。
 ロフトに寝転がると、先ほどまでの会話を思い出していた。
(あの子の事どう思ってるか、か)
 才悟はよく解らないと答えた。彼の中では、まだ彼女への気持ちが理解できていないのだろう。果たして彼の中にある感情は何なのか。
 アカデミー時代の頃も思い出す。あの頃の才悟は、ただただカリキュラムを積み重ねる事を優先し、人との付き合いに対してはさほど興味を持っていなかった。そんな彼が、卒業試験の日に一人の少女を連れてきた。
 怪人に襲われていたのを助けてから、才悟と彼女とは縁が続いている。時に守り、時には守られ。陽真から見れば、ただの友達以上の関係のように見えるのだが、本人たちはどう考えているのかは解らない。
(いい関係に見えてるのは、おれだけなのかな)
 気になった。
 今度紫苑や慈玄にも聞いてみよう。そう思いながら、眠りに落ちた。