それはただの夢なのか。
それとも本当に有った記憶なのか。
小さいころから虫が好きだった。植物が好きだった。
一人でいることは別に苦痛ではなかったし、他の人が怖がるような場所も怖くなかった。だから一人で虫や植物を追いかけていた。
その日もそんな感じだった。ボールや遊具で遊ぶ子供たちの元から離れ、虫を追っていた。
「ちょうちょ」
ひらひら飛ぶ蝶が好き。
「ばった」
ぴょんぴょん飛び回るバッタが好き。
「あり」
せっせと物を運んで歩くアリが好き。
そんな虫たちを眺めては手を伸ばす。いつも通りの日常。今日もそうなると信じて疑わなかった。だが。
「何してるの?」
後ろから急に声をかけられた。
驚いて声の方を向くと、そこには幼い少女がいた。ここらでは見たことがないので、新しく来た子だろうか。
「何してるの?」
少女が同じ言葉で問いかけるが、自分は答えない。答えられないのだ。
何故なら、こういう時にこうすべきという思考ルーチン……コミュニケーション能力が育っていないから。
なまじ一人で過ごしていたゆえの弊害。
「……虫を見てた」
それでも何とか言葉をひねり出して、少女に解るようにアリを指す。説明された少女は、ややおっかなびっくりな態度で指さす方に視線を向けた。
しまった。自分の失言に気づく。女の子は虫を怖がるもの。せめて綺麗な蝶を指さすんだった。
しかし少女の方はこっちの動揺に気づくことなく、アリを見続けている。さっきの態度はいきなり説明されたことへの驚きだったのだろうか。
ともかく。相手がアリを怖がらないのならいい。
「虫、好きか?」
「わかんない。ちょうちょさんはキレイだよね」
これまたはっきりしない意見だ。とりあえず、嫌いではないと考えることにした。
でも、相手は女の子な以上、虫よりも綺麗な花の方が好きだろう。そう思って、さっきアリを指した指を奥の方に向けた。
「じゃああっち行こう。ちょうちょもだけど、キレイな花があるから」
「ほんと?」
「うん」
そうして少女の手を取って歩き出す。
目が覚めた。
「……」
頭を何度も振って、夢の残滓を追い払う。それでも、こびりついた何かは自分の心を夢に引き戻そうとする。
「……」
あの夢は、何だったのだろう。
幼い少年と、同じぐらいか少し年下の少女が一緒に遊ぶ夢。誰かによく似ている少年と、これまた誰かによく似ている少女の夢。
もしかして、自分の小さいころの記憶なのだろうか。
(思い出せない)
記憶を奪われた身。もしそうだとしても、はっきりと言えない。
いつもなら気にしないことのはずなのに、今は何故かそれが悲しかった。乾いた目に、涙は浮かばなかったけれど。
その日はいわゆるオフの日だった。
普段ならトレーニングに打ち込むものの、今日は何故か全くやる気が起きず、仕方なく久しぶりの自然散策をしていた。
中央公園は自分好みの自然溢れるエリアで、様々な虫や植物に出会える。お気に入りのスポットだ。
(ベニシジミ)
よく見る蝶がひらひらと飛んでいる。
(ツツジ)
少し視線を落とせば、鮮やかな色の花がびっしりと咲いている。
(……トノサマバッタ)
今の時期はやや珍しい虫が、視界の端をかすめて飛んでいく。
一匹ぐらい捕まえてみようか、そんな気まぐれのまま手を伸ばすと。
「何してるの?」
後ろから急に声をかけられた。
――デジャヴ。
『覚えて』いる。
あの夢と、全く同じ状況。……もしかしたら、過去にあったかも知れない状況。
夢の時よりは大分落ち着いた状態で振り向くと、そこには少女がいた。
自分がよく知る少女が。
「何してるの?」
少女がもう一度問いかけたので、口を開いた。
「虫を見てた」
魅上才悟の言葉に、エージェントの少女は柔らかく微笑んだ。