キミがよく眠れるように

 エージェントが倒れた。
 一人で調査している間に急に身体がだるくなったらしいのだが、まだ大丈夫だと無理をした結果、仮面カフェで倒れてしまった。
 当時客がいなかったのが不幸中の幸いで、急ぎレオンが自室まで運び医者を呼んだ。
 医者の見立ては無理をした故の疲労と風邪。薬を飲み、ゆっくり寝ることで回復するだろうとのことだった。

『……そういうわけだから、明日は調査行けねぇって執事さんが言ってた』

 明日は慈玄が調査に付き合うという話だったのだが、彼女が倒れたから日を改めさせて欲しいと連絡が来た、と慈玄がライダーラインで伝えてきた。
「なるほどなー」
 同じライダーラインを見ていた陽真がスタンプで反応し、続いて紫苑が「だったらお見舞いに行かない?」と返信してきた。
「お見舞い……」
 才悟はぼんやりとつぶやく。
 彼女が無理をしていたとは思わなかった。そういうのに気付けなかった。才悟にはそれがショックだった。
 とりあえず固まった指を動かして、「解った」と打ち込む。その隣で、「何か買っていこうかな」とのんびり呟きながら、陽真が同じような言葉を打ち込んでいた。

 教育地区のスーパーで慈玄と紫苑と合流し、果物を買って、倒れたエージェントのお見舞いに行く。
 家に着いてインターフォンを鳴らすと、すぐにレオンが顔を出した。
「わざわざご主人様のために……ありがとうございます」
「いえ、あの子はどうしてます?」
「つい先ほど起きられました。ジャスティスライドの皆様がお見舞いに来たとあれば、きっと喜びますよ」
「それは良かった」
 紫苑とレオンの会話を聞きつつ、最近ようやく見慣れてきた廊下を5人で歩く。さほど時間をかけずに、目的の部屋に着いた。
 レオンのノックに「どうぞ」と彼女の声が返ってくる。それを聞いて、レオンは静かにドアを開けた。
「ご主人様、ジャスティスライドの皆様がお見舞いに来てくれましたよ」
「ありがとう」
 淡々とした声。だが少し弱々しく聞こえるのは、自分の気のせいだろうか。
「みんな、来てくれたのね」
「具合はどう?」
「熱は下がった感じだけど、正直まだ無理はできないわね。蒲生くんには悪いけど……」
「気にするな。無理される方が困る」
「そうそう。休みをもらったと思って、思いっきり休んどけって!」
 仲間たちがワイワイと会話する中、才悟は彼女のベッドの周りに目を向けた。空の皿と小さなフォーク、それから……。
「ほら、才悟も何か言えって」
 何も喋ってないから遠慮していると思われたか、陽真が自分を前に押し出した。しかし前に出されたものの、聞きたいことは先に言われてしまっている。
「……食事はしたのか?」
 少し気になっていたことを聞くと、彼女は「さっきリンゴを食べたわ」と返してきた。なるほど、空の皿とフォークはその名残のようだ。
「もっと食べた方が良い」
「ありがとう。でもお腹空いてないのよ」
「それでも食べた方が良い」
 詰め寄ると、彼女は「努力するわね」苦笑いを浮かべた。
 それからまたみんなであれこれと話をしていると、部屋の時計が18時を指し示した。確か入って来た時は17時半だったはず。時間が過ぎるのは早い物だ。
「……そろそろおいとました方がいいかな?」
 陽真たちも時間に気づいたらしく、名残惜しそうな笑顔を浮かべる。それを皮切りに、紫苑や慈玄も名残惜しそうにそうだな、と賛同した。
「じゃ、おれたち帰るから。お大事にな!」
 陽真が才悟の肩を叩いたので、才悟も微笑んで手を振る彼女に背を向ける。レオンの案内を受けてそのまま帰ろうとした瞬間。

 ――いかないで

 声を、拾った気がした。
「……?」
 気になって彼女の方を振り向くと、既に彼女も背中を向けていた。気のせいか、と思って再び背を向けると。

 ――ひとりにしないで

 ――さびしいよ、こわいよ

 確かに、聞いた。
「……」
 4人の後ろだったのをいいことに、さっとドアを閉めて部屋の中に1人残った。

 

 皆の手前、ああは言ったものの、かなり疲れていたらしい。
 目を閉じたら、闇の中に落ちるように眠ってしまっていた。

 暗い中、一人でいた。

 一人は平気だ。何故なら、今までずっと一人で生きてきたから。
 母親を亡くしてからは、一人で生きるために頑張って来た。頑張り続けてきた。だから寂しくないし、辛くもない。
 今まで大丈夫だったのだから、これからも大丈夫なはずだ。

 なのに何故だろう。今は怖く、寂しく感じる。

 闇に押しつぶされそうで、怖い。誰もいないから、寂しい。でも、それを口に出したら駄目だ。
 きっと大丈夫だから。一人でも大丈夫だから。
 そう呪文のように呟いていると、握っている手が暖かくなり始めた。

 

 才悟は、暗い中改めて周りを見る。
 サイドテーブルに置かれていたのは空の皿とフォーク、そしてカオストーンの情報をまとめた資料の束。恐らく、一人でいる時に読み込んでいたのだろう。
「大丈夫だ。どこにも行かない」
 椅子を引き寄せて座り、完全に寝入っている少女の手を、そっと握る。
 自分より幼い少女。それなのに、自分よりもしっかりしていて、自分よりも大人びている少女。
 ……何より、自分よりも無理をし過ぎる少女。
「オレは、キミを一人にさせたりなんかしない」
 どうしていつも、こうなる前に気づかないのだろう。彼女の本音を探ろうとしなかったのだろう。
 彼女はこうして心の中で悲鳴を上げているのに。今もこうして一人にしないでと泣いているのに。
「ここにいる。だから安心してくれ」
 思いを込めて、手を握り直した。
 自分はこれぐらいしかできないけれど、せめて少しは安心して眠れるように、と。

 ……彼女の寝顔が、ほんの少し和らいだ気がした。

「……」
 相変わらず寝息は落ち着いていて、悪い夢は見ていないように思える。見ていないで欲しい。夢の中までは助けに行けないから。
「キミは一人で頑張り過ぎだ」
 何かと言う言葉だが、彼女はそれを笑って聞き流す。慣れているから大丈夫だ、と。
 しかし、その笑みを見る度にこっちの胸が締め付けられるようになることに、彼女は気づいているのだろうか。頼って欲しい、頼られたいと思っていることを、彼女は知っているのだろうか。
 知らないだろう。だから無茶をするし、本当に助けを求める声も口に出すことはない。
 ジャケットのポケットに入れたライダーフォンが鳴る。恐らくついて来ていないことに気づいた陽真が、心配してかけてきたのだろう。
 無視したらますます心配をかけると思い、電話に出た。
『才悟、今どこにいるんだよ!』
「あの人の部屋だ」
『え』
 淡々と答える。
「今日は帰らない。あの人の傍にいる」
『そ、そうか』
 電話の向こうの陽真が困惑しているのが解るが、才悟はそこまで気を回す余裕はなかった。言いたいことは全部言ったので、有無を言わせずに通話を切った。
 彼女の方に視線を向けるが、起きる気配はない。このまま朝まで起きないかまでは解らない。
 途中で目が覚めたらなんと説明しようか。あれこれ言い訳を考えるが、多分どれも信じてもらえないだろう。それでも。気持ちは通じてほしいと思う。
「……」
 才悟は改めて手に力を込めた。