かくりよのうみ

 夜の海は好きだ。とは言っても、今日初めて見たのだけれど。
 暗いので海と空の境目が解らないところ、波が軽く押し寄せては音を立てるところ、小さな光が明滅するところ。
 昼の海とは全く違う世界が、そこにあった。
(まるで異世界への扉が開いたみたい)
 だとすると、打ち寄せては引く波は異世界につながる道か。

 ここは、コスモス財閥のプライベートビーチ。
 エージェントの少女は、日頃の感謝を兼ねて、ライダーたちを連れて遊びに来たのだ。
 だが16人全員ではない。ある者は用事があったり、またある者は出かけることを面倒くさがったりして、結局これたのはジャスティスライドとマッドガイの2クラスぐらいだった。
 とは言え、楽しい海水浴だった。いつものように狂介と為士が些細なことでいがみ合ったり、松之助と紫苑が美味しい料理を作ったり、珍しい石を探して才悟が迷子になりかけたり……。それぞれが夏の海を満喫していた。
 そして夜。同じく用意しておいた宿泊施設で、全員がそれぞれ楽しい夜を過ごしている(為士だけは創作意欲が沸いたと言ってとんぼ返りしてしまったが)。そんな中、少女は一人外に出たのだ。

 サンダルを履いたまま、海の中に入る。一瞬足をすくわれそうになるが、ちょっとふんばることで耐えた。
 ひんやりとした水と、ぬるりとした砂の感覚。それを纏ったまま歩いて行く。
 ああ、気持ちいい。
 一歩歩くたびに、まるで何かを引きずっていくような感覚にとらわれる。すり足で歩けば、布を纏って歩くかのよう。勢いよく蹴り上げて、水を払ってみた。蹴り上げられた水の雫が飛び、綺麗な弧を描く。
「うふふ」
 ついこぼれる笑み。
 雫が魔法なら、きっと自分は今異世界にいるのだろう。その異世界は、きっと静かな場所に違いない。
 もう一度水を蹴り上げて、雫を飛ばしていく。
 と。

「何をしてるんだ?」

 魅上才悟がいた。普通なら寝ている時間のはずなのに、二本の足で立ってここにいる。
「ね、寝てたんじゃないの?」
 思わず慌てた口調で聞くと、才悟は「目が覚めた」と端的に答えた。
「軽く走ろうとしたら、キミを見つけた」
「そうなの……」
 才悟が夜中に目が覚めるとは思わなかった。一度寝たら朝まで起きないイメージだったのだ。
「キミは何をしているんだ?」
 再度の質問に、水浴びかな、と答える。別に理由があってやっているわけではない。ただ、夜の海を堪能したかっただけだ。才悟の方はやや納得がいってないのか、少し首を傾げた。
 不思議そうな顔をする才悟は、実年齢よりも幼く見える。そんな顔めがけて水をかけたくなる衝動にかられた。
 ……いや、実際にかけてやった。
「わっ」
 唐突な攻撃に、さすがの才悟も目を丸くする。
 昼の時と同じだ。確か水着の感想を求めた時にろくでもない事を言ったから、腹を立てて水をかけてやったのだ。そこから何故か自分+マッドガイVSジャスティスライドの水かけ戦となったのだが(最終的にぐだぐだになって勝ち負けもなかったが)。
 だが昼の時とは違い、才悟は反撃しなかった。
「反撃してこないの?」
「夜の海は危険だ」
 まるで蒲生慈玄のようなお言葉。まあ確かに夜の海はお互い初めてだし、何があるか解らない。はしゃぎまわるのは程々にした方がいいだろう。
 それからは無言で海を見る。昼とは違う海が、自分を誘っているように見えた。
「夜の海って、昼とは大きく違うわね」
 才悟は無言で頷く。
「私、夜の海って好き」
 何も見えないところが好き。どこか異世界に繋がっていそうなところが好き。
 そう言うと、才悟がまた不思議そうな顔をした。
「何も見えないから好き? 何故」
「未知の何かに誘ってくれるって感じがしない?」
「よく解らないが……」
 まだ不思議そうな顔の才悟。まあ詳しく説明できるようなものでもないし、くすくすと笑うだけに留めた。
 そんな顔を見て、才悟が首を傾げる。小首をかしげて不思議そうに眼を瞬かせる仕草は、夜でもはっきりと見えた。
「異世界だと言うなら」
 才悟が口を開く。
「キミは、この世界から消えていなくなるのか?」
 予想外の質問に、ちょっと面食らってしまう。
 異世界に繋がる道のように見えても、本当に異世界に行きたいと思ったことはない。ただ、少しだけ覗き見できそうな神秘的な空気が好きなだけだ。
「いなくならないで欲しい?」
 わざと嫌みのような言い方をしてみると、才悟は真面目な顔で頷く。こちらは冗談で言った分、彼の真面目さについ申し訳なくなってしまった。
 ごめんなさいね、と謝罪すれば、気にしていない、と答えが返ってくる。それでも、ささやかな冗談が彼を苦しめたのだろうかと思うと、少しやりきれなくなった。
「大丈夫よ。いなくならないから」
 異世界には憧れるが、この世界を捨ててまで行きたい場所ではない。むしろ、この世界で生きる方がいい。
 大好きな人がいると言うだけで、この世界は愛おしい。
「私はちゃんといるわ」
 そう言って手を差し伸べると、引き寄せられて抱きしめられる。引きはがそうとしても、力を込められて逃げることを許してもらえない。
 どうして、という言葉は、口の中で消えた。ただ一つの冗談が、彼の心に恐怖をもたらすのだと気づいたから。
 代わりに大丈夫だから、と告げれば、少しだけ相手の力が緩んだ。
「キミがいなくなるのは嫌だ」
「解ってるわ」
 精一杯の告白を、その胸にしっかりと刻み込んだ。

「帰ろう。そろそろみんなが心配する」
「ええ」
 そう決まれば、あっという間に身体は離れていく。
 それでもぬくもりとこころに灯った暖かさは、決して薄れることはないだろう。ここに互いを求めるこころがある限りは。
 二つの足跡が寄り添い合い、一つの道を作る。
 それこそが、この世界に二人がいるというしるしであり、二人がこの世界で作っていく道。