ある日の仮面カフェ。
いつも通りに水を頼み、それを飲んでいると、景気よくドアベルが鳴って颯が入ってきた。
「やっほー! ……あれ、才悟?」
颯はこっちに気づくと、ぱたぱたとこっちに近づいてくる。別に一人で飲みたかったわけでもないので、黙って席を少しずらした。
何より、今回は少し彼に聞きたい事がある。
「颯」
「なーに?」
「乙女心と言うのを知っているか?」
「え゛」
何故か颯が固まった。
……実はこの質問は初めてではない。
伊織陽真に聞いてみたところ「ウィズダムシンクスなら知ってるんじゃないか」という返答を得た。女性たちから情報を集める彼らなら、何かしら知っていると思い、才悟は聞いて回った。宗雲からは「お前にはまだ早いかもな」、浄からは「君に理解できるとは思えないし、理解できても上手く扱えるかは別問題」、皇紀からは「んなもん知るか」の返答をそれぞれ得たが、当然納得いくのものではない。
そして颯。彼からはまだ聞いていない。最後の希望と言うと大げさだが、才悟は少し期待していた。
「何で乙女心を知りたいの?」
「少し前に、仮面ライダー屋の依頼で依頼人に言われた。乙女心を知った方がいいと」
「ふむふむ」
「だから知りたい。勧められたドラマも見たが、よく解らなかった」
「ふーん、君らしいっちゃ君らしいね」
僕はてっきり……と颯は口をもごもごさせていたが、何を言ってるかは聞き取れなかった。ただ視線に何か別の意味が籠った感じだが、それもよく解らない。
やはり独学で学ぶべきなのだろうか。同じ女性であるエージェントが知らないようだったので、男の自分では相当難しい問題だと思うのだが。
せめて何か手掛かりがあれば……と思っていたら、颯が口を開いた。
「だいたい、乙女心を知りたいのって本当にそれだけ? それなら別に今知る必要なくない?」
「ふむ」
確かに、言われたから知りたいと言うのはいまいち説得力に欠けるかも知れない。しかし依頼人に知った方が良いと言われたのは事実だし、それがきっかけだったのもまた事実だ。
そこまで考えて、1つ理由が頭に浮かんだ。
「あの人の助けになるかも知れない」
きっぱりと答えると、颯が目をぱちくりさせた。
「あの人って、エージェントさん?」
「ああ。彼女がオレたちを支えるように、オレも彼女を支えたい。乙女心が解れば、もっと的確にできると思う」
「なるほど」
エージェントの少女はたまに無理をする。才悟たちが引き留めても、「大丈夫だよ」と返して無茶をするのだ。もし乙女心を理解できたなら、もっと的確に彼女を引き留めることが出来るのではと思ったのだ。
この理由には颯も納得したらしく、うーん、と大げさに腕を組む。しかし沈黙タイムは3秒までというモットーの颯。すぐに腕組みを解いて、才悟の方を見た。
「そう言うことならさ、相手の女の子がちょっと元気になるおまじないを教えてあげる」
「おまじない?」
「そうそう、僕の保証付き! これやったら元気になるよ?」
何故かえらく自信満々に勧めてくる颯。だが。
「オレが知りたいのは乙女心なんだが」
「まあまあ。絶対に知って損はないから!」
乙女心とおまじないは大きく違う。しかし依頼人はジンクス……おまじないを信じて行動していた。もしかして、これも乙女心を知るきっかけになるのだろうか。
才悟は首をかしげるが、颯はいつもの笑顔のまま「おまじない」を話し始めた。
「はぁ……」
さてこちらは、コスモス財閥次期総帥候補とされる少女。
その地位に負けないほどの重責と仕事のラッシュで、心身ともに疲れ切っていた。理知的、大人びていると称賛を受ける物の、その実まだ未成年と言う少女。大人たちの世界で戦うには気力が少し足りていない。しかし、先代の娘という立場はそれを許してくれないのだ。
「えーと、明日の予定はっと……」
何とか気力を振り絞って、バッグから手帳を出していると。
「エージェントさん」
後ろから呼びかけられて、いきなり抱きすくめられる。一歩間違えればセクハラ、痴漢と言われるようなこの行動。このような所業を行うのは、たった一人しかいない。
「颯さん、今はそういうのはやめ」
て、と言葉を紡ぎつつ振り向くと、そこにいたのは桃色の髪の優男ではなくネイビーブルーの髪の青年。
「みみみ魅上くんっ!!?」
「ああ」
それが何か、と言わんばかりの顔と声で応じられる。いつもと変わらない、ややぼんやりとした眼差しがまっすぐこっちに向けられている。
「い、いったい何の真似!?」
「何の真似と言われても……おまじないだが」
「おまじない?」
「ああ、颯に教わった。こうすると女の子はちょっと元気になると」
才悟の説明に頭を抱えたくなった。何も知らない純真な才悟に何を教えてるんだあの桃色。
肝心の才悟は首をかしげるだけで、元気になっていないこっちに疑問を持ち始めているようだ。このままだと何故何故モードに切り替わりかねない。
実際、こっちの様子を見た才悟は眉根を寄せている。
「おかしい。キミが元気になっている様子がない。何故だ? オレは手順か何かを間違えたのか?」
「い、いや、別に手順とか間違えてないから! ちょ、ちょっと驚いただけなの!」
ほらもう元気元気、とカラ元気を振り絞ってアピールすると、やっと才悟も納得したらしい。そうかと返事してくれた。ただし抱き着いたままだが。
しかし颯にそそのかされたとはいえ、才悟の行動が突拍子なさ過ぎる。いったい何があったと言うのか。
内心首をかしげていると、「本当に元気になったのか」と再度才悟が尋ねてきた。このままだと疑われるので、さらに大げさに元気アピールをした。
「本当に大丈夫だって。魅上くんありがとう」
しかし、才悟の表情はやや浮かない。こっちのカラ元気を見抜いているような顔で、まだ抱き着いたままだ。
「キミはいつもそう言ってつらいのを誤魔化しているから、信じきれない」
そこまで言われて、ようやく才悟の謎行動の真意を理解した。
最近はあちこち財閥の方に顔を出したり、頭を下げることが多くなった。それに加えてライダーたちのサポートやカオストーン探しも加われば、疲労困憊にもなる。才悟は、ずっとそれを気にしていたのだ。
彼なりに何とかしたいと考え、颯に相談したのだろう。そして教えられたのがこれと言うわけか。
(変な事教えないようにきつく言い聞かせるべきかしら)
そうでなくても、最近颯から色んな事を教わっているらしい才悟。人生の楽しみを教わるにはいいが、変なことまで教わったら大変だ。
でも、今はとりあえず。
「ありがとう。でも本当に大丈夫」
さっきの効いたからと付け加えると、やっと才悟は安堵して拘束を解いてくれた、
「キミが少しでも元気になって、良かった」
わずかながら浮かぶ、安堵の笑み。よく観察しないと解らないほどの薄いものだが、自分にとっては一番好きな笑顔だった。
(ダメだ、この顔には弱い)
この顔どころか色んな顔には弱いのだが、そこまでは考えないでおく。惚れた弱みというやつだ。
不思議そうな顔で覗き込む才悟に、再度笑顔で応じる。
「ありがとう、魅上くん」
「どういたしまして」
現金なもので、才悟の言葉で本当に少し元気になった気がする。彼の真摯な気持ちが通じたのかも知れない。
とは言え、颯のやったことを許せるかは別問題だ。このまま放置していたら、どんな事を教えられるか解らない。
しかし、彼が教えるものにはカプセルトイやコーヒーと彼にいい影響を与えるようなものもある。しかも彼自身悪気は全然ないからまた厄介なのだ。
咎めるべきか、放置すべきか。
しばらくはこれで悩みそうだ、と彼女は深々とため息をついた。