逃避行

 ランスとQの問題と向き合うために、二人でホテルに泊まる事になった。高塔のチェックが入るのは重々承知の上で、ある。何かを考えているランスを横目に、ごろりと寝転がる。緊張感がない気もするが、体力回復のためだと自分に言い聞かせた。
 どちらも何も言わない。あまりにも静かすぎて、ライダーフォンを動かす音すら聞こえそうな気がする。
 まるで逃避行だ、と凛花は思う。実際にカオスイズムから逃げているのだから間違っていないのだが、凛花にとっては別の意味もあった。
「……魅上の事かな?」
 ランスが寝転がる凛花の隣に座る。鮮やかな青緑色の目は、物理的にも精神的にも凛花を捉えて離さなかった。
 魅上の事。その一言で身体が震えてしまった。
 才悟は今、カオス・サイゴにやられてリングの中に封印されている。そんな彼を助けるために、伊織陽真がリングの中に行ってしまっている。二人がどうなるかは、陽真の説得次第だ。
 解っている。あそこにいても自分にできる事はない。だからこそ、自分にしかできない事を一つずつ片付けて行くしかない。その自分にしかできない事の一つが、ランスとQをどちらも見捨てないように見守る事だ。どうすればいいのかまでは思いつかないけれど。
 だから、凛花は笑顔を作って「信じてるから」と答える。これも事実だ。あの二人なら無事に帰ってくる。そう信じていた。
 しかしランスの方は真剣な顔のままだ。自分の答えは正答ではない。そう凛花に訴えかけている。
「……何?」
「本当に、良かったのかい?」
「何が?」
「伊織に任せてしまって」
 ランスの言葉が、凛花の胸を鋭く貫いた。
 今すぐ才悟の元に行きたい。リングごと手を握って、大丈夫だよと何度も言ってあげたい。暗い闇の中にいるであろう孤独な魂を抱きしめてあげたい。だが実際にそれが出来るのは、同じカオスリングを持つ者ぐらいで、実際に陽真がそうしている。自分では傍にいるどころか、入る事すらできないのだろう。
「私は私に出来る事をするだけ」
「そうか……」
 聡いランスの事。この言葉で自分の気持ちを察してくれただろう。凛花は笑みを薄く浮かべ直した。そんな凛花の頭を、ランスがそっと撫でた。
「大丈夫さ。彼は君の事を大事に思ってる。凛花、君が考えている以上にね」
「それは、解ってるわ」
 よく言われる言葉だ。才悟は自分の事を一番に思っている。誰よりも好いている。深く想っている……。自分もそれはよく知っているし解っている。だが頭でそれを理解できても、隣にいる彼が頭をよぎり、心の深いところに不安がこびりつくのだ。
 結局、自分もまた逃げたに過ぎない。隣にいられない、今隣にいるであろう彼に嫉妬している自分を認めたくなくて、目の前の仕事に飛びついた。
 でもそれを、目の前の青年に話すわけにはいかない。何故なら、彼は彼で精一杯なのだ。そんな状態で、自分の事を持ち込むわけにはいかない。自分の我儘で苦しめるわけにはいかない……。そう思って体を起こすと、ランスと目が合った。
「これって、逃げだと思う?」
 最初ランスは問いの意味を理解できなかったようだが、吟味するうちに言いたい事を理解したらしい。ひょいと肩をすくめた。
「少なくとも、僕は逃げだとは思わない。困った時は目の前にある事を一つずつ片付けて行くのもまた、捜査に重要なファクターだ」
「ありがとう」
「恐らく彼も、事の重大さを知れば君を行かせただろう。そして……」
「そして?」
「自分を一番に見てくれない現状に、しょぼくれるんじゃないかな」
 思わずくすりと声を出して笑う。しょぼくれた才悟。是非とも見てみたい。

 ランスは思う。これは逃亡劇だと。
 自分は自身とQの問題から、凛花は自分と才悟の関係からの逃亡。二人とも、いずれ向き合う問題からこうして逃げている。そしてこうして苦しんでいる。
 お互いその苦しみが解るからこそ、深く問い詰めたり互いの気持ちを語り合うことはない。聞けば聞くほどドツボにハマるだけで、いい事など何一つありはしないのだ。ただ。
「凛花」
 つらいつらいと嘆いていても何も変わらない。お互いがお互いの知る事、思う事をぶちまけない限り、この問題は永遠に回答にたどり着けない。だから、先に彼女の問題に対するヒントを提示することにした。
「君が求めているのは、何だ?」
 少女の目が丸くなるが、すぐに伏目がちになる。その表情はとても印象的で、才悟が守りたいと思うのも無理はないとランスは思った。皆を守り、支えているとは言えど、やはり16歳。襲い来る様々な問題に対して非力な少女なのだ。
 現に凛花は変わらぬ顔のまま「解らない」とだけ答える。
「大事なものはもう心……魂の中にあると思うの。そんなあやふやなものだから、解らないわ」
「魂……」
 自分とQの境遇が頭に浮かぶ。一つの身体に一つの命、だけど魂は二つ。そんな自分たちが得られる未来は、どこにあるのだろう。ランスは見知らぬ天井を見上げた。当然、その天井にヒントは一つも書かれていない。
 凛花が才悟と陽真の仲に軽い嫉妬を抱いているのは解っていた。だからこそ、才悟との強い繋がりを求めているのだろうと思っていた。しかし、彼女が求めている……いや求めてすらいないとは予想外だった。それでも不安を感じているのは、恋自体は意識しているのだろうが。
 時計を見る。会話をしていただけだから、針は全然進んでいなかった。のどは乾いているはずなのに、何か飲みたいと言う気が起きなかった。

 凛花は思う。逃げているのは自分だけだと。
 ランスには解らないと告げたが、欲しいと思うものは一つある。それは、確固たる才悟との絆。エージェントとライダーを超えた何か。
 かちこちと時計の針が動く音すら聞こえる中、凛花は自分のつま先だけを見つめる。履き慣れていない白いスリッパは、当然何も答えない。だが、その白は、才悟の履いているシューズを思い出させた。履きやすくて動きを阻害しないからという理由だけで、それを選んだと陽真が言っていたのを思い出す。そんな思い出すら嫉妬に繋がりそうで、凛花は首を何度も横に振った。
「ランスはどうなの」
 彼と同じトーンで問う。問われた方は何の表情も変えず、「自由……かな」と答えた。
「少なくとも今のような状態からは解放されたいよ」
 今のような状態がホテルに缶詰めの状態の事を指すのか、それともQと身体の所有権を争っている事か、それとも両方か。
 凛花はテーブルに移動して置かれたままのコーヒーに口を付ける。高塔兄弟が出て行って時間が経っているから、味はともかくそのコーヒーはだいぶ冷めていた。ランスの方にコーヒーを向けたら、彼は黙って首を横に振ったのでそのままにする。後で雨竜が回収してくれるだろう。
 また部屋に沈黙が落ちる。
 外の様子を見たくなるけれど、おそらく外は何一つ変わっていないだろう。カオスイズムの手の者がうろついている以外は。
 才悟は無事だろうか。また彼に会いたいと思ったが、隣に座るランス……そしてQの事を考えるとそれはできない。エージェントとして、彼らもまた大事な仲間なのだから。
 だが、自分の嫉妬から目を背けるために、大事な仲間を利用している気がして心が重くなる。自分も向き合わないといけないのに、こうして別の問題に目を逸らしていた。皆は目の前の問題に全力でぶつかっているのに、だ。
「何だか愛の逃避行みたいね」
 皮肉気味に呟いた言葉に、ランスが「全くだ」と苦笑いを浮かべた。