ぴぴぴぴぴ、とアラーム音が鳴る。
その音で朝が来たことに気づいた凛花は、むっくりと体を起こした。
今日は完全なオフの日。
仮面カフェは内部改装のために一日だけ臨時休業だし、財閥の方もレオンの方が顔を出すからと昨日から張り切っていた。
「おなかすいた……」
空腹が自分が起きているのだと言う事を改めて思い出させる。ひんやりとした床に素足で立ち、ぺたぺたとキッチンまで歩いて行った。
ストックしている食パンを二枚トースターに突っ込み、冷蔵庫を開けて同じくストックしているゆで卵と牛乳を出す。牛乳、ゆで卵、マーガリンを縫ったトースト二枚。昔から変わらない、凛花の朝食メニューだ。
「いただきます」
手を合わせて挨拶し、トーストをかじれば、いつも通りの味。一人で食べるのはもう慣れているので、何とも思わない。
食事を済ませ、昨日着た衣類などを洗濯すると、あっという間に暇になる。
こういう時、蒲生慈玄や高塔雨竜なら本を読むんだろうなと思い、本棚に並ぶ本を一冊手に取って読んでみる。……が、いつもならすいすいと頭の中に入ってくるであろう内容が、一つも入ってこない。
(こういう時、どうしてたっけ?)
本を手に、じっと考える。昔はこういう時、どうしていた? 思い出せない。
「掃除でもしようかしら……」
押し入れから掃除機と雑巾を取り出す。これで少しでも時間を潰せればいいのだけれど、と思っていたが、元々几帳面で気になる所はすぐに掃除してしまう性格。忙しい時は家政婦に頼むこともあって、掃除もあっという間に終わってしまった。
時間を見ればまだ九時にもなっていない。とうとう本当にやる事が無くなってしまった。
「何しよう……」
ぽつりと呟く。
動いていないと落ち着かない。悲しい体質だった。
娯楽施設まで足を運ぶ。
ダメ元でカオストーンが見つからないか探すのもあるが、一番の目的はスラムデイズのアジトだった。自由をモットーとする彼らの事だから、誰か相手してくれるのではと思ったからだ。
チャイムを鳴らす。普段ならこれでルーイ以外の誰かが顔を出すのだが、今回は珍しく誰も出てこない。もう一度チャイムを鳴らすが、結果は同じだった。
「みんな出かけてるの?」
珍しい。ゲームセンターに新台が追加されたとかあったのだろうか。
そうなると、わざわざゲームセンターにまで足を運ぶのは悪い気がする。きっとルーイは今頃新台で楽しく相手を叩きのめしている所だろうから。
ランスや静流はどこにいるか解らない。後者はおそらくどこかのバーだろうが、前者は仕事を片付けている真っ最中かもしれない。電話して何をしているのか聞くのもおっくうだ。
「……」
当てが外れてしまった。
スラムデイズなら誰かが相手してくれると思ったのだが、その誰もが自分のやりたい事・やるべき事を優先している可能性を考慮していなかった。
(そうなると、ほとんどの人が除外されるわね……)
企業戦士なタワーエンブレムは最初から期待していない。ウィズダムシンクスは颯か浄が構ってくれるかもしれないが、二人ともスラムデイズと同じぐらい自分の事を優先しているだろう。宗雲は論外だし、皇紀も今頃狩りに出ているか、厨房で何か作っているに違いない。
ギャンビッツインはどうだろう。駆は行商でどこをうろついているか解らないが、フラリオなら暇を持て余しているかもしれない。
(あ、でもそろそろオーディションが近いとか言ってた気がするわ)
この情報が正しいなら、彼は今頃練習に勤しんでいるはずだ。邪魔をしては悪い。しかしダメ元で行く意味はありそうだ、と、凛花は下町地区まで行く事にした。
中央地区を通るついでに仮面カフェに寄ってみるが、臨時休業の看板がちゃんと掛けられていた。明日の仮面カフェに思いを馳せつつも、また歩く。
そうして着いた下町地区。早速二人が住んでる家に行こうとしたのだが、駄菓子屋のおばあちゃんに「あの二人は家にいないよ」と言われ、出ばなをくじかれた。
「駆ちゃんもフラリオちゃんも朝から出ちゃっててねぇ。帰ってくるのは夜になるんじゃないかしらね」
「そうなんですか……ありがとうございます」
駄菓子屋のおばちゃんに礼を言って、下町地区を出ることにした。
さて残る当てはマッドガイとジャスティスライド。どっちにしようかと考えた時、タイミングよくお腹が鳴った。真っ先に頭に浮かんだのが市場だったので、工業地区の方に向かって歩き出す。企業地区を横切り、工業地区の市場に向かう。
市場で狂介か松之助に会えるかと思っていたのだが。
「あらやだ、魚屋のお兄さん今日お休みなの?」
「えー、肉屋のにーちゃん今日いないのかよー」
あいにく二人とも揃ってバイトは休みだった。たまたま休みの日が被ったようで、彼らのファンである客が残念そうにつぶやいているのを聞いてしまった。
寝床にしている廃ホテルに行けば会えるのかも知れないが、そこまで足を運ぶ気力がいまはなかった。仕方ないので、パンやおにぎりを買って市場を出る。
せっかく外に出たので、外で食べることにした。いい天気だし、家で食べるのは寂しすぎる。
(どこで食べようかしら)
こういう時人気なのは、教育地区の中央公園。あそこなら歩き疲れた体を休めるのに向いてるし、何よりジャスティスライドの誰かがいるかも知れない。まあ今日の遭遇運の悪さを考えると、誰もいないだろうけれど。
買ったパンとおにぎりを持って、教育地区へと向かう。一応Siruは起動しっぱなしだが、カオストーンの情報は全く入ってこない。とても平和な日だ。
さて目的地の中央公園。いい天気なのもあって、所々で自分の子供を遊ばせている母親たちを見かける。仮面ライダー屋が混ざっていないか目を凝らしたが、やはりいなかった。
「まあ、仕方ないわね」
こんな日だってある。そう思って、ベンチに座って市場で買ったおにぎりを口に入れる。厳選された梅干しと米で出来たおにぎりはとても美味しかった。でもなぜだろう。あと一つ何かが足りない……そう感じた。
「はぁ……」
ため息を付く。
あちこち歩き回ることで暇は潰せたが、逆に言えば暇潰しにしかならなかった。カオストーンの情報はないし、ライダーの誰にも会えなかった。得られたのは思い付きで行動しても、ロクな結果にならないという教訓ぐらいか。
「……帰りましょ」
もう外でやる事はない。散々歩き回ったことで疲れてしまったし、残りは家で食べてもいいだろう。
凛花はベンチから立ち上がった。
家に帰り、食べないでいたパンをテーブルに置いて、床に寝転がる。
今日は、結局何をしたのだろうか。
一人で家にいても寂しいだけだからと言って外に出て、結局誰とも出会えずに終わった。ただ虹顔市を歩き回っただけだ。
こんな日もある。それは十分解っている。何故なら、彼らは彼らの都合で生きているのだから。逆に彼らに何も起きなかった事を喜ぼうではないか。
それでも。
「私って、本当は一人なのね……」
いつも誰かがいるからずっと忘れていた感覚。レオンも、ライダーの皆も、誰も傍にいない。
レオンが迎えに来るまでは自分はずっと一人でも寂しくないと思っていた。だけどそれは生きることで精いっぱいだっただけで、余裕ができてしまった今、その一人というのが寂しくてつらい。
力なく持っていたライダーフォンを見ると、まだ午後一時。みんな何をしているんだろうと思いながらも、目を閉じた。
夢を見た。
暗い中歩きながら、思いつく限りの人々を呼んでいた。だが当然、返事は来ず、声も暗闇の中に消える。
それでも諦めきれずに呼び続け……最後には絶対に返事が来ないであろう人――母親を呼ぼうとした。
ぴんぽーん
「!」
いつの間にか寝ていたらしい。突然のチャイム音に、凛花はがばりと身を起こす。二度目のチャイム音が鳴った時、服の皺や髪の乱れも気にせずにタワマン玄関と繋がっている通話スイッチを押した。
「――え」
そして目を開く。本来ならいないであろう人物――魅上才悟がそこにいたからだ。
「み、魅上くん、どうしてここに?」
『キミに会いに来たからだ。開けてくれないか』
「わ、解ったわ。今開けるわね」
慌ててオートロックを解除して、才悟を家まで上げる。仮面ライダー屋の仕事があったのか、彼はジャンパーを着たままだ。
「大丈夫か?」
部屋に上がった才悟の一声目はそれだった。おじゃましますではなく、心配の一言。何故と思うが、「大丈夫よ」と答える。
しかし才悟の顔はまだ暗い感じで、心配しているように見えた。本当に大丈夫だからとも付け加えるが、それでも彼の表情は変わらないようだった。
「どうしたの?」
あまりにも変わらないので声をかけると、才悟が「公園でキミを見た」と答えてきた。
「え、いたの?」
「ああ、いた。一人でおにぎりを食べていたな」
誰もいないと思っていたのだが、才悟が近くにいたらしい。獣ばりの視力を持つゆえか、すぐに凛花を見つけられたようだ。
声をかけてくれれば良かったのに、と素直に言えば、才悟はえ、と言う顔で良かったのかと聞いてきた。
「あの時のキミは何か思いつめたような顔をしていて、話しかけられそうじゃなかった」
才悟の言葉に、今度は凛花がえ、と言う番になった。そんな顔をした覚えはないのに、彼の目にはそう映っていたようだ。
「だから仕事をすぐに切り上げて、ここに来た。キミに何かあったかも知れないと思うと、オレは心配だ」
そんな大げさな、とは言えなかった。
何かあったのではなく、何もなかった。それが寂しくて、とぼとぼと帰って来た。だがそんな事を才悟に話していいのだろうか。エージェントとして、そんな弱音を吐いていいのだろうか……。
そう思っていると、才悟が凛花の顔を覗き込んで、「オレじゃダメか?」と聞いてきた。真摯な瞳にとうとう心の中でせき止められていた何かが溢れてしまった。
凛花はぽろりと涙をこぼし、才悟の胸に飛び込む。
「さ、寂しかったよぅ……」
「……そうか」
才悟は最初困ったようだったが、すぐにそっと頭を撫でた。その手が暖かくて、更に涙が溢れてくる。
「辛い時にはオレに言え。何もできないが、キミの傍にいることぐらいならできる」
「でも」
「キミが元気がない方がオレは嫌だ。それに……」
放り捨てられていたライダーフォンを拾う才悟。そこにあったのは。
『凛花、何かあったのか? 駄菓子屋のばあちゃんから来たって聞いたぞ?』
『お前2回チャイム押す根性あるなら3回押せよ。気づかなかっただろーが』
『凛花ちゃーん、一人で昼ご飯食べるんだったら誘ってよ~。僕、市場で見かけて声かけたんだよ? 聞こえなかった?』
『魚屋に顔出したんだって? すまないな。今度お詫びにどこか行こうか』
『途中で見かけたのですが大丈夫ですか? 何か疲れているのなら相談に乗りますよ』
『凛花大丈夫か? まあ才悟がすっ飛んでいったから心配はしてないけど、次からは電話とかしてくれよな!』
『ご主人様、今仕事を終えましたのですぐに参ります!』
自分を心配するライダーとレオンのメッセージがずらりと並んでいる。
「うわ……」
「みんなキミを心配している」
「そうね」
文面を読み進めていくうちにまた涙があふれる。皆の思いやりが、心に染みていくのを感じた。
「キミは一人じゃない」
「ええ」
才悟の言葉に、凛花は泣き笑いのまま頷いた。
その後、仕事を終えたと言うレオンが正に「飛び込んで」きたのは、また別の話だ。