少女は、虫が好きだった。
クラスの男の子たちに混じって虫を追いかけ、捕まえては笑顔になっていた。同世代の女子が可愛いシールを集めている頃、少女はセミの抜け殻を集めて満足していた。
だが、親をはじめとした周りは、そんな彼女の趣味を理解せずに心配するばかりだった。綺麗な服や可愛い小物を与えて女の子らしくさせようとしてきて彼女を困らせた。全く興味ない物に興味を持てと言われても困ったし、それよりも昆虫図鑑を眺めている方が楽しかった。だからそんな親たちの要求を跳ね除け、ひたすら虫を追いかけた。そうしていると、いつしか親も諦めたのか、彼女の自由にさせてくれた。
そんな彼女の夏休みの自由研究は、当然虫だった。
だが、何を研究すればいいのか解らない。とりあえず、何か興味を引きそうな虫を探そうと、少女は公園に赴いた。
教育地区の中央公園。そこは色んな虫が見つかる、少女が一番好きな場所だった。
虫取り網と虫かご。それを持ってあちこち見てみるものの、これだと言う虫が見つからない。こういう時、自分の背の小ささを嘆いていると、近くでどすっという何かを蹴る音が聞こえた。
何だろう、と思って音の方へ行くと、知らない男性が木を蹴っている。木を折ろうとしているのではないかと思い、思わず声をかけた。
「だ、ダメだよ!」
少女が声をかけた事で、男性が少女の方を向く。どこかぼんやりとした印象がある、濃紺の髪の青年だ。
「ダメ? 何故? オレは虫を取ろうとしているだけなんだが」
「え?」
少女の疑問に答える代わりか、青年が別の木を蹴る。そうすると、何か――虫がぼとぼとと落ちてきた。中にはカブトムシなどもいる。
「すごい!」
落ちたカブトムシを虫かごに入れる。クワガタムシもいれば良かったが、そこまで望むのはさすがに我儘だろう。
「虫が好きなのか?」
青年の問いに対し、少女は素直に頷く。知らない人に声をかけられたら逃げなさい。そう教えられていたが、何故かこの青年は大丈夫だと思えた。同じ虫好きだからだろうか。
少女が笑顔で頷いたからか、青年が少し考えこむ素振りを見せる。何を考えてるのか気になって来た時、青年が顔を上げた。
「なら、あっちの方を探すといい。ツノアリツノツノが見つかるはずだ」
「ツノアリツノツノ!」
少女の顔がまた輝く。ツノアリツノツノ。虹顔市でしか見られないという貴重な虫が、この辺りで見つかるとは思わなかった。見つけられれば、夏休みの自由研究のテーマにぴったりだ。
青年の指さす方へ走っていくと、何故かその青年も後をついて来る。振り向くと、「一人で行くのは危険だ」とごくごく普通な注意が返って来た。そこまで心配されるほどではない、と言いたくなったが、ツノアリツノツノを知ってるのは彼だけなのでついて行ってもらう事にした。
走る事しばし。「ここだ」と青年が言うので、少女は足を止めた。他の場所と比べて木が多いので、青年について来てもらって良かったと心から思う。
「ここも木を蹴るの?」
「いや、ツノアリツノツノは木に登らない。探すなら地面だ」
「わかった!」
少女は目を凝らしてツノアリツノツノを探す。ツノアリツノツノ自体は見たことはないが、本で姿かたちは知っている。そうそう見逃すつもりはない。……のはずなのだが。
「見つからない……」
草をかき分けたりして見ても、ツノアリツノツノの姿は見つからない。何かが飛ぶ影は見るのだが、それがツノアリツノツノなのかも解らない。幸い、後ろについてくれる青年が「それはピーコックカマキリ」「それはナナイロツノナシツノツノ」と教えてくれるから助かるのだが。
それよりツノアリツノツノだ。本で読んだが、ツノアリツノツノは足が速いらしいので見つけるのは苦労するらしい。そう言うわけで、必死になって走って追いかけている。
「あまり焦らない方がいい」
後ろの青年が落ち着かせる。その言葉で少女は一旦走り回るのを止めた。
「……ねえ、お兄ちゃんはツノアリツノツノを見た事あるの?」
気になったので聞いてみると、青年は「ある」と答えた。
「仲間とピクニックに来た時に見つけた。その時は仲間と遊んでいたから、捕まえることはできなかったが」
「……」
仲間。つまり友達と来た事があるらしい。一般的な少女趣味を持たない自分には縁のない言葉だ。
羨ましい。
昔は男の子に混じって虫取りをしていたが、成長していくにつれ女の子だからと入れてもらえなくなった。一人でも大丈夫と意気込んでいても、限界はある。
やはり虫取りという趣味は止めて、女の子らしい趣味をするべきなのだろうか。
「どうした?」
青年が不思議そうな顔をして少女の顔を覗き込む。
「女の子が虫好きなのって、やっぱりヘンなのかなぁ」
「?」
青年の不思議そうな顔は変わらない。それどころか、なおさら不思議そうに目を瞬かせた。
「パパもママも今は分かってくれてるけど、友達からはヘンだって言われるの。でも、虫ってすごくおもしろいし、見てて楽しいからやめられないの」
どうすればいいかなぁ、と少女が空を見上げると、ぱたぱたと蝶が飛んでいく。ナナイロピカピカだろうか。
「何故、止める必要がある?」
同じように蝶を視線で追っていた青年が、ぽつりと聞く。
「虫が好きなんだろう? それなら好きなままでいい。自分がやりたい事をやればいい。趣味とはそんなものじゃないのか?」
「……そうなのかなぁ」
「オレはそうだと思っている」
はっきりと言う青年。
その断言っぷりに、少女の心は少しだけ救われたような気がした。と。
ぶーん……
視線の横を何かが横切った。見覚えがあるようなないような、そんな虫の影。少女はよく解らなかったが、青年はすぐにそれの正体を見極めたようだ。真剣な顔で「ツノアリツノツノだ」と言う。
「え?」
「急げ、ツノアリツノツノは飛ぶ速度が速い」
「わ、分かった!」
少女は虫取り網を手に走る。確かに飛ぶ速度は速いが、少女の足と比べると遅い。あっという間に追いつき、虫取り網で捕まえた。
虫取り網の中でばたばたと飛び回るツノアリツノツノ。どうやって落ち着かせようかと思っていると、青年がさっと捕まえて虫かごに入れてくれた。これで少女の虫かごの中にはカブトムシとツノアリツノツノが入ったことになる。本当は別々の虫かごがいいのだろうが、あいにく虫かごは一つしか持ってこなかったので、虫には我慢してもらう事にした。
「やったぁ!」
二匹が入っている虫かごを見ていると、自然と笑顔になる。どっちを観察しようか、それとも両方とも観察しようか。わくわくが止まらない。
そうだ。これだから虫好きはやめられないのだ。ばたばたと飛び回る虫はかっこよかったり、綺麗だったりとそれぞれ違うし、人間と全く違うけど、人間のようにも見えるから面白い。
「良かったな」
青年もはしゃぐ少女を見て、自分のことのように喜んでくれた。カブトムシとツノアリツノツノが入った虫かごを覗き込んでくる。
「お兄ちゃんはいいの?」
ツノアリツノツノを見つけてくれたのは青年だ。だから青年に渡すのが筋だとは思うのだが、青年は首を横に振った。
「キミが大事に育ててくれるならそれでいい」
「……うん、分かった。大事にする」
虫かごを大事に抱きしめると、中の虫が少し大人しくなった気がする。まるで、よろしく、と挨拶しているかのようだった。
夜。
二つの虫かごにそれぞれ入れると、今日の事を思い出す。
好きなら好きなままでいい。やりたい事をやればいい。青年は確かにそう言った。そうしてやめて帰らなかった結果、今この二匹がいる。
(私も、やめずにこのままやっていこう)
真っ白なノートに「カブトムシかんさつ日記」と、「ツノアリツノツノかんさつ日記」と書く。今年の夏休みの自由研究だ。
「……」
虫かごの中の二匹が、がんばれ、と応援してくれてるように見えた。