ボクらの太陽 Another・Children・Encounter45「Snow」

 鋭い爪の一撃は、たやすく斧で切り払われる。
 だが、シャレルにとって爪の一撃はあくまでけん制。本命の一撃を決めるために、シャレルは攻撃を繰り返す事でフート=レジセイアの動きを操っていく。
(一つ、二つ、三つ……)
 心の中でカウントを数え、十になった瞬間に大きく踏み込む。回転蹴りから始まる鋭い乱舞――パラサイトステップが、構えている斧ごとその腕を大きく砕く……と思われた。
 が、その考えはしっかり読まれていたらしい。相手は斧を引かずに、そのまま攻撃を受け止めてきた。つばぜり合いを不利と見たのか、すぐに引いて均等を崩す。
 反撃はすぐに始まった。背後の偶像が動かない代わりに、フート本人が大きく動く。攻撃パターンは、偶像とフート本人に分けられているのだろうか。
 そんな事を考えていると、フートが床を強く踏む音と共に、偶像が動いた。
 神々しく翼を広げ、何か大きな力を溜めているような動作。光の弾が生まれる前に、シャレルはそれが大きな攻撃の合図だと感づいた。
「審判ノ日は、来たれリ!」
 轟音と光が、爆裂する。
「ひゃああああああああ!!!」
 シャレルは大きく離れることで避けようとするが、規模の大きさにそれが叶う事はなかった。
 目が焼かれそうなほどのまぶしい光を見ていられず、とっさの判断で目を閉じる。それでも光が収まる事はなく、暗いはずの世界は光で埋め尽くされていた。
 意識が、遠く感じる。
 落下感をわずかに感じながら、シャレルはぼんやりと閉ざされた中での光を見ていた。フォーリンメサイア時特有の、血の感触も戦いへの狂気も、どんどんこそげ落ちていく。
(これ、死ぬのかな……?)
 うっすらと、そう思う。
(いやだな、死ぬのは……)
 何で死にたくないのか。それが解らないままに、それだけを思う。
 硬く閉ざしている目を、ゆっくりと開く。どうせ開いた所で、見えるのはまぶしいだけの光だ。

 

 シャレルがフートの精神領域に飛び込んでから、もう二時間は経つ。
 その間、レビはずっと二人の元を離れることはなかった。ずっと椅子に座って、手を繋いだまま意識が戻る事のないシャレルとフートを見つめ続けている。
 顔は憔悴しきってるが、目は光を失っておらず、逆にそれが彼女に凄まじい何かを与えていた。近寄ってはいけない。誰もがそう感じていた。
 最初はリッキーやブリュンヒルデが心配して声をかけたが、レビは何一つ答えずただ黙って二人の元にいた。
 見届けないといけない。この二人がどのような結末を迎えるのか、それを見届けないといけない。レビの信念が、そこにはあった。
 例え何があろうともここにいることこそ自分の使命。
 だからレビは、ここから一歩も動かない。誰が何と言おうとも、彼女は反応を示さない。
(無事に帰って来い)
 ただそれだけを願いながら。
 そう祈るぐらいしか、自分には出来ないのだ。例え持ちえた力が凄まじいものであったとしても、その場に選ばれる事がなければ、意味のないものに等しい。
 あまりにも静かなレビの戦いは、続く……。

 その動きを決めた時、ジャンゴの心の中は真っ白だった。
 死への恐怖も、命をかける覚悟も、自分亡き未来への危惧もなく、ただ真っ白な世界の中に、一つの思い出だけが浮かんでいた。
 ぼろぼろになった大樹の前に立つ少女と、自分。
(ああ、このために僕たちは出会ったのかな……)
 人と人との出会いに必ずしも意味があるのなら、自分とリタの出会いはこの時のためだけにあったのだろうか。自分の思いは、このためだけに存在したのだろうか。
 ジャンゴは、迫り来る彼女に対して静かに目を閉じた。

 ――痛みを感じるのは、ほんの一瞬。

 視界が赤く染まり、意識が急速に薄れていく。ダークがリタの顔で目を見開いていたが、ジャンゴにとってそれはどうでもいいことだった。
 ああ、これが死。これがすべての終わり。
 浮き上がりそうな感覚と押しつぶされそうな痛みが、自分は刺されたのだというのをはっきりと解らせる。
 自然と唇が開き、血と共に言葉がこぼれ出た。
「……帰ろう……一緒に……」
 いるべき場所はここじゃないから。
 ジャンゴは、ゆっくりと手を差し伸べる。激痛のせいで手が震えているが、それでもしっかりと彼女の手を握れるような形になっていた。
 ゆらりと一歩前に出ると、リタは怯えた顔で一歩後ずさる。その揺らぎはダークのものなのか、それともリタのものなのか、ジャンゴには解らなかった。
 リタのものであってほしい。そう思う。だがダークの支配が強固な以上、それは望めない。
 それでもジャンゴがこんな無謀な事を考えたのは、ひとえにダークの読みを大きく外すためだった。敵を倒すという感情ではなく、ただ守りたい感情。
 君を守ると誓う。その感情が導く結論に、ジャンゴは素直に従ったまでのことだった。
「……リタ……、帰ろう……」
「いやだ……」
 差し伸べた手に対して、いやいやと首を横に振るリタ。
「何故……死すら……超えようとするか……! 何故、時の恐ろしさに背を向けようとするか……!」
 ダークとしての一言に、ジャンゴはたった一言だけ――元々長く言える状態ではなかったが――答えた。

「……明日もまた、日は昇るから……」

 時間は恐怖であり、狂気でもあり、絶望でもある。
 だが同時に、時間は歓喜であり、慈愛でもあり、希望でもある。
 今こうしてリタのために死に掛けているという事が恐怖なら、過去にリタと出会った事は歓喜。未来の滅びが絶望なら、未来にあるだろう幸せは希望。
 だから、帰ろう。
 改めて手を差し伸べると、おずおずとだがリタが――そう、もう茶色の髪に緑の瞳に戻っていた――その手を握る。
 握られた手は暖かく、彼女の中にはダークがいないということが解った。ジャンゴの一言に負けを感じたのか、それとも何かの策略でもあるのか。それは解らない。
 ただ、その手のぬくもりがあるのなら、後はどうでもよかった。

 ゆっくり、ゆっくりと意識が消える。
 その中で、ジャンゴは確かに舞い散る何かを見た。白くて、儚いモノ。
(……雪……?)
 幻想的な白の中で、ジャンゴは目を閉じた。

 そして、目を開けると、そこは見覚えのある世界だった。
「ジャンゴ!」
「無事か!?」
「しっかりせぇや!」
 ちょっと目を開いた程度なのに、周りがやけにうるさくなる。意識がしっかりするにつれ、その声は兄やおてんこさま、ザジだと解ったが。
 起きるのは億劫だったので、顔だけを仲間の方に向ける。そんな小さな動きでも、彼らはジャンゴの意識がしっかりしている事を確認したらしい。
 今自分の視界に入っている人々の数を数えてみる。一人目――兄のサバタ。二人目――頼りにならないが導き手であるおてんこさま。三人目――ちょっとがめつい親友のザジ。
 ……誰かが、いない。四人目になる誰かが欠けている。
 少し目を閉じて……すぐにその四人目を思い出す。四人目――いつも傍にいてくれるリタ。
「リタは?」
 そう聞くと、サバタがさっと動いて隣のベッドを見せてくれる。リタは、隣のベッドで寝ていた。
 見た以上怪我はなさそうだが、実際無傷なのかはよく解らない。近づいて確かめたいが、そこまで大きく動けるほどまだ体力は回復していなかった。
「大丈夫や。怪我はどこもあらへんし、安静に寝てりゃすぐ治る」
 ジャンゴの心配を悟ったか、ザジがにっこりと微笑んでこっちの頭を軽く叩く。ザジがそう太鼓判を押すのなら、リタは安心だろう――ダークが潜んでいなければ。
 ふと、何故リタだったのだろうと思う。
 大地の巫女。太陽樹を守り育てる者。太陽仔の一番近くにいる者。理由はぽんぽんと思いつくが、どれもが微妙にずれているような気がした。
(もっと、昔から……)
 そう、自分とサバタとの絆とはまた違った、深く永い絆が、闇を呼んだような気がする。
 でも同時に思う。
 それらは、今の自分にとってどのくらい重要なことなのだろうか、と。
 自分のモノではない過去からのものが、どれだけ今の自分の想いを大きく縛れるのだろうか。どれだけ、あの時の彼女の心の弱さを守れたというのだろうか。
 ダークに乗っ取られたのは、過去の女性ではなくリタだ。そしてそのリタの心を弱らせたのは――間違いなく自分だ。
 例え自分にその気は無くても、彼女がどう取るかは解らない。少なくとも、リタは自分の行動一つ一つに心を弱らせ、それでも必死になって耐えていたのだろう。
 強い子だと、改めて思う。そんな彼女を、自分は……。
「……う、ううん……」
 隣のベッドから声がした。
 全員がそっちの方を――ジャンゴも身体を起こして――見ると、リタがうっすらと目を開けながら身体を起こしているところだった。
「大丈夫か?」
 おてんこさまが声をかけるが、リタは無言だ。……リアクションしてるのかもしれないが、ジャンゴにはよく見えない。
「……まあ、二人が起きた以上、俺たちがここにい続ける理由は無いだろう」
 そう言ってサバタがザジの背中を叩く。背中を大きく叩かれたザジは叩かれた場所をなでながら、のろのろと部屋を出て行く。その後を、サバタとおてんこさまが追った。
「え? あ、あの……」
 引き止めようとしたのは一体どっちだったのか。
 しかし三人はジャンゴたちの言葉に足を止める事は無く、部屋にはジャンゴとリタだけが取り残された。
 遠くから鳥の鳴き声や、子供たちの歓声が聞こえる。カーテンから漏れる日差しからするに、外は晴れているのだろう。ジャンゴが命がけで守った平穏が、外にはあった。
「……あの」
「何?」
「……済みませんでした」
 うつむいているリタの顔は、暗い。その顔を見るたびに、ジャンゴの心は悲しく沈みそうになる。
 ずっと笑っていてほしいのに。心配のあまり涙を見せられても、不器用な自分には何も言えないのに。
 無論リタも困らせようと思って、こんな顔を浮かべているわけではない。逆に彼女も、自分の足手まといにならないために必死なのだろう。何も出来ないから。
(何も出来ない? 違うよ)
「気にしないで」
 ジャンゴが微笑みながらそう言うと、リタはうっすらながらもようやく笑顔を見せた。

(笑ってくれれば、それでいいから)