ボクらの太陽 Another・Children・Encounter30「エモーショナル・クライシス」

 精神的な疲れが、とうとう足をすくった。
 倒れてすぐに起き上がろうとするが、身体が全然動かない。今日はこれが限界のようだ。
 どのくらい歩いたのだろうか、とふと思う。自分があの街から出てもう二日は経っている。歩いてきた距離を簡単に算出すると、まだまだ遠いとは言えなかった。
 でも、しばらくは時間が稼げるだろう。その間に、自分は事を済まさなければならない。
 ポケットをごそごそとさぐり、大振りのナイフを出す。場所が場所なので、ここで死んでも誰も気にも留めないだろう。彼も、きっと気づかない。
 右手でナイフを持ち、左の手首に当てる。ひんやりした感覚は、これからの事に対しての恐怖を一段と強めたが、それを超える絶望感が、手を動かした。
(さよなら……)
 心の中で全てに別れを告げ、さっと手首を派手に切る。吹き出す赤い血が、何故か綺麗に見えた。
 ……だが。
 血が吹き出すだけで、一向に彼女の命が消える事はない。しばらくすると勢いよく出ていたはずの血も止まり、傷口が見る見るうちにふさがっていく。
 死ぬ事が出来ない。自分で死に逝く事ができない。
「……どうして……」
 何度も何度も手首を切っても同じこと。血は出ても、死は出てこない。やがて、血まみれになったナイフを落とし、少女は泣き叫ぶ。
 どうして、死ぬ事ができない。どうして、自分は生きてしまうのだ。
 自分がいなくならないと、世界が壊れてしまう。世界が滅んでしまう。だから、自分は死なないといけないのに。
「……もういや……」
 生きる事も、死ぬ事も許されない。なら、自分はどうすればいいのだろう。
 自分が世界に――あの人にできることは、何だと言うのだ。

 ――お前はただ、動けばいい。そうすれば世界は救われる。

 闇が、弱った心につけ込んでくる。
 ここで飲み込まれたら負けだ。とにかく、抗って何とか切り抜けるしかない。
 例えその場しのぎであっても、チャンスはいつかめぐってくる。そのチャンスを手放すわけには行かなかった。
 とにかく自制に勤めると、蝕もうとしてきた闇は少しだけ弱まった。ほっとしたのもつかの間。
「お嬢ちゃ~ん、こんな所で何やってんの?」
 何も知らない男たちが、うずくまっている自分を見て声をかけてきた。状況がわからない彼らにとって、自分は格好のえさと見えたのだろう。
 こっちはそれどころではないのだが、相手はお構いないらしい。にやりと笑った男が、自分の肩に手をかけた。

 吹き飛ばされたシャレルを追うかどうか、リッキーはしばらく考えてしまったが、居場所がつかめないのとうかつに動けないのもあって、このままとどまることに決めた。
 さて、レビが来た時にどう説明しようか。
 素直に全てをべらべらと話すべきなのかもしれないが、それだと彼女はロケットのように従妹を助けに飛んで行ってしまうだろう。意外と過保護だからだ。
 だが大嘘をついたところでレビの事、瞬時に察して「本当のことを話せ」と問い詰めるに違いない。余計なことを切り捨てた彼女は、自分が必要だと思ったことに関してはひたすら鋭い。
(全く、そういうところは父親そっくりだのぅ)
 リッキーも話でサバタの事は知っている。彼がどんな人生を歩んできたか、そしてどのような性格なのかも。
 レビは外見こそ母親と面影の似た美人だが、中身はそっくりそのまま父に良く似ている。「外は母親、中は父親」とよく言われていた、とシャレルから聞いたことがある。
 そんな彼女に嘘はあまりつけないし、真実全てを話せるわけがない。とりあえず、適当なことだけを話して、後は黙っていようか。
「黙っておけばいいんじゃないの? どうせすぐに解っちゃうわよ」
 こっちの考えを読んだのか、ブリュンヒルデがあくびをしながら言ってきた。
「それで自爆しに行くような子でもないでしょ」
「従妹のピンチにはすっ飛んでいく子だぞ?」
「依存症だったら、最初からシャレルについて離れないわよ」
 なるほど、一理ある。
 従妹からしてそこまでレビにべったりではないし、レビ自身もシャレルにべたべたくっつくような子ではない。心配性なだけで、依存症ではないはずだ。
 それにしても。
 不穏な風が吹き荒れ、これから先どうなるか。自分でも読めない。一体これから先、人々はどうなっていくのだろうか。
 そしてあの姉妹や、アンデッドだった少年は……。

 

 まほろばから帰ってきたレビは、まっすぐにサン・ミゲルに向かった。
 あそこで聞いた少年の声が、こびりついて離れない。何か起きそうで、心の中のアラームが最大音量で鳴り続けている。
(一体何が起きようとしているんだ!?)
 父も焦っていた。行方不明になった誰かの事を心配し、そこから何かが起こることを恐れていた。
(しかし、何故それが?)
 何故父は、何かが起こると思ったのか。いなくなった誰かに、その何かが関係すると考えたのか。
 解らない。
 今の自分の周りにある手がかりやパズルのピースは小さすぎて、何一つ解らない。これから何が起きるのか、一体誰がどうなっているのか。
 だから今は走るしかない。従妹の無事を案じ、仲間の無事を案じ、自分が思いついた場所へと走るしかない。
 暗黒転移を使えばすぐにたどり着けるだろうが、スレードゲルミルに取り込まれていた影響がまだ残っているのか、長距離の転移は難しくなっていた。
 短距離転移を繰り返し、ようやくサン・ミゲルが見えるところまでたどり着く。疲れが少しにじんでいたが、それで立ち止まるわけにも行かない。
「……?」
 サン・ミゲルの方向は、と辺りを見回して違和感。
 一言で何とは言えないが、明らかに街はいつもとは大きく違っていた。目を凝らして見ても、その違和感の正体はつかめない。
「一体何が…?」
 嫌な予感が抜けず、レビは自分の足で走り始めた。今この辺の空気は歪んでいて、下手に転移を使うと目的地を超えてしまう可能性があるからだ。
 走ること三十分で、ようやく近くまでたどり着いた。呼吸を整えていると、遠くで何かの鳴き声が聞こえた気がする。
「ちっ!」
 もう事が始まってしまっているのか。レビは疲れた身体に鞭打って、残りわずかな道を走り始めた。

 街門が見えかけた頃、見覚えのある影が近くにあるのに気づいた。
「…ん? おーい!!」
 相手も自分に気づいたらしく、こっちに向かって手を振ってきた。無視する理由もないので、レビはそっちの方に向かう。
 数歩走ってようやく相手が誰だかわかった。小さな外見と大きな知識を持った精霊ッ子。
「仙狐か!」
「早い帰りだのぅ」
 リッキーの隣に立っている女性――イモータルの少女も、自分の帰りの早さに目を丸くしていた。まあそっちの方は、気にするつもりはない。
 それより、シャレルの姿が見えないのは何故だろう。
 確か最後に別れた時は、シャレルとおてんこさまも一緒にいたはず。そうそう別れるような子ではないはずなので、彼女がいないのが引っかかった。
 リッキーたちはレビの疑問に気づいてくれたらしく、「あやつは別行動だ」と教えてくれた。
「少し気にかかることがあるからの」
「……なるほど」
 その「少し気にかかること」を、レビはすぐに察した。彼女ほどの霊力の持ち主なら、このサン・ミゲルの不安定さもすぐに解るのだ。
 確かにここで事を起こされては、世界にどんな悪影響が起きるか解らない。さっきの鳴き声も、もしかしたらこの地の不安定さから来た鳴き声かもしれない。
 とすると、自分はどうするべきか。
 ここに残り続けると、自分にも悪影響が起きる可能性がある。月下美人の力がいい方向に流れてくれればいいが、霊力が暴発したら抑えられる者はほとんどいないだろう。
 しかし、どこに行けばいいのか解らない。シャレルの後を追うのも何となく、従妹が心配な姉馬鹿のような気がして嫌だ。
 シャレルの傍にいれば何かしらの事件に巻き込まれ、自分の力が必要となるだろうが、それでは独り立ちした意味がまるっきりない。だがシャレルを無視するわけにはいかない。
 と、そんな時、レビはまほろばを出た時に聞いた少年の声を思い出した。
 あの声は、確かに暗黒城で自分を襲ってきた少年の声だった。だが、あの時の彼は襲ってきた時のような危険な無邪気さは全然なかった。
 まるで、儚く消え去りそうな幽霊。
(幽霊……)
 心の中でその言葉を反芻させる。
 吸血人形だった亡霊は、今はその魂を自分と共に在る。だがあの幽霊は、魂そのものからして不安定で、出来損ないのような気がした。
 砂の城が風によって崩れるように、彼も何かによって崩されようとしているのか。だとしたら、その何かとは……?
「……まさか……」
 思考がとんでもない飛躍をし、彼女の脳内で最悪の結果を導き出した。
 どうしてこんな考えに至ったのか解らないが、この考えは間違っていないと確信した。同時に、シャレルの身が不安になっていく。
「私はシャレルの後を追うぞ!」
 ぽかんとしたままのリッキーとブリュンヒルデを置いて、レビはまた飛び出した。

 ――俺のカンが当たっていれば……
 ――私の予感が間違っていなければ……

 ダークが、そこまで来ている。

 流される先が見えてきた。おてんこさまは空を飛べるからいいものの、シャレルは何とかしないと全身骨折どころの問題ではない。
 ばたばたと無様に足掻きながらも、何とか体制は整った。その間にも、地面は彼女の目の前に広がっている。
「ひょわっ!」
 妙な悲鳴を上げながらも、上手く着地を決めるシャレル。足がじんじんとしびれてしまったが、そんな事で唸っている場合ではない。
 ふらりと立ち上がると、目の前にいる異形に視線を向けた。

「……エフェス」

 異形ではあるが、それがエフェスだとすぐに解った。
 大きな生物的な檻の中に、見覚えのある顔がちらちらと見える。おそらく、スレードゲルミルと同じように彼を介して誰かが操っているのだろう。
 だとすると、この異形は新たな原種の欠片か。しかし、発せられる気配は、原種の欠片よりもはるかに闇に満ちていた。
 どす黒く、暗い闇。近づこうとしただけでも堕ちそうな暗い波動が、すでにこの異形から発せられている。
 瞬時に悟った。こいつこそ、ダークがこの地に降り立った姿なのだと。
「…我は……監視者(レジセイア)」
 異形――ダークがエフェスの口を使って、シャレルたちに語りかける。さしずめ、エフェス=レジセイアといったところか。
「我は……歪んだ血脈を排除し……真なる血脈を生み出すもの…………。監視と共に…創造するもの……」
「創造だと!?」
 エフェス=レジセイアの言葉に、おてんこさまが大きく反応した。
 長い間銀河意志ダークと戦い続けてきた彼にとって、エフェス=レジセイアの言葉は今までの戦いの根底をひっくり返されそうなほどの重要発言だったのだ。
 一体ダークは何を考えているのか。歪んだ血脈などのキーワードは、何を意味しているのか。
「…話は……終わりだ……」
 こっちは聞きたいことがいっぱいあるのだが、エフェス=レジセイアはもう語るつもりはないらしい。骨を思わせる大きな爪を振り上げ、こっちめがけて攻撃してきた。
 当然当たってやる義理もなく、その攻撃はかわす。大きな身体なので、ちょこまか動くシャレルを捕らえる事は出来ないようだ。
 それでは反撃、と剣を振りかぶるが、硬い装甲に阻まれてダメージは全然与えられない。ならば、とガン・デル・ソルを引っ張り出して、装甲の付け目を狙い始めた。
 しかしどんなに攻撃しても、どうもダメージを与えているどころか、攻撃が当たっているのかすら解らない。圧倒的な防御力で防いでいるのでもなく、驚異的な回避能力で避けているわけでもない。
 遠くから攻撃しているわけでもないのに、何故か攻撃が当たっているかどうかが見極められないのだ。
(これもダークの力? それとも……)
 そんな事を考えていると、自分の思考にノイズが乱入し始めてきた。

 ――ル……レル…レル、ャレル………ャレル………レル…………

「へ?」
 意味不明の言葉がシャレルの脳内を埋め尽くす。泉がこんこんと湧き出るように、その言葉は絶えることなく広がっていく。
 誰かを呼ぶように。誰かに思いを伝えるように。

 ――ル・マリ……シャ……マリア…………ャレル…リア……シャレ…………ア……

 此処まで来ると、さすがにレジセイアもおてんこさまもノイズが聞こえてきたらしい。全員の視線が、レジセイアの腹――取り込まれているはずのエフェスに集中した。