サバタが完全に意識を失ったことで、暴走は収まった。
おてんこさまとザジが結界を解く。
たちまち立ち込める死臭に全員が顔をしかめた。
――未だに沈んだ顔の嵩治を除いては。
フェゴールが意識を失ったサバタを背負って戻ってきた。
「サバタ!」
ザジとおてんこさまがフェゴールに近づく。フェゴールは一つうなずいて、背負っていたサバタをおろした。
体内にあるダークマターを全て出し尽くしたのか、サバタの顔は真っ青だった。返り血を浴び続けていたらしく、服からぽたぽたと血が垂れている。
「ん……」
ディアン・ケヒトが気付け薬を嗅がせると、サバタは何とか意識を取り戻す。ブラッドレッドの眼が濁っているあたり、まだ本調子ではないようだ。
「食べるか?」
ザジが大地の実を差し出すと、ぎこちない動作でそれを取って齧った。二口ぐらい齧るとようやく意識もはっきりしてきたようで、そこからは勢いよく全部食べた。
残った芯を見つめながら、ぼそりとつぶやく。
「悪と決めたものなら徹底的に利用しても良心は痛まない、か……。一度ならず二度までも、あいつを……!」
ばきっと芯が折れた。僅かにこぼれ出る果汁は、まるでサバタの涙のように流れ落ちる。
その様子を痛ましげに見ていたザジだが、ふとあることに気がついて首をきょろきょろ動かす。
「そういえばあのエンチル、どこ行ったんや?」
全員それでようやく思い出したらしく、ザジと同じように首をきょろきょろ動かす。が、嵩治とレイはどこにもいなかった。天使のツバサも見当たらない辺り、歩いてこの場を立ち去ったのだろうか。
「……まあ、心配しなくてもすぐに会えるじゃろうな」
ディアン・ケヒトがふうとため息混じりにつぶやく。長い時を生きてきた老人特有の落ち着きが、他の連中を安心させた。
「ともかく、サークルゲートまで行こうか。みんなこの有様だけど、戻るわけには行かないしな」
将来がくんくんと自分の匂いを嗅ぎながら立ち上がる。その仕草でザジが今の自分の酷さを思い出し、不機嫌な顔になった。
そう。サバタの暴走で、全員頭から赤いペンキを被ったのではないかと思うくらいに服や体が赤く染まっていたのだ。しかもそれが血だから、かなりの異臭がする。
正直、この状態で外を出歩くと、たちまち不振人物としてマークされること請け合いである。だがディープホールにシャワーという便利な物はない。風の魔界で洗い流すしかないだろう。
精霊のおてんこさまはともかく、サバタや将来、ディアン・ケヒト、特に女の子のザジは早く洗わないと悲惨なことになる。
全員は足早にサークルゲートを目指した。
*
戦闘した場所からサークルゲートまでは意外に近かった。
近くに川か何かがあることを祈りながら、ディアン・ケヒトを加えたサバタたち一行はサークルゲートに乗った。
……フェゴールも行きたいと駄々をこねたが、血塗れの一行の一睨みはさすがに怖かったらしい。大人しくベリトと共に翔の警護につくと言った。
*
風の魔界。またの名をマーブルランド。
草木は穏やかに育ち、止まることのない風が優しい匂いを運んでくる。気温も常に暖かい温度を保っており、日差しも厳しくない。
ディアン・ケヒト曰く、ここは数ある魔界の中で一番過ごしやすい魔界らしい。それゆえ、町が一番多い魔界でもある。
カドマンドの街・バラモンの館。
バラモンはこの風の魔界を治める者たちであり、今は天使たちに協力している。規則に厳しい彼らは、秩序と安定を掲げる天使たちとウマが合ったらしい。
……天使たちの本性に気づいていないのか、それとも自分たちに災いが降りかかるのを恐れて黙っているのか、それはバラモンたちだけしか知らない。
貸し与えられた部屋で、エンジェルチルドレンの王城嵩治はベッドに寝転がりながらずっと考え事をしていた。
「嵩治」
レイが何回も声をかけるが、嵩治は返事をしない。
――……これがお前らの正義かよ……!
血塗られたあの惨状での誰かの言葉が、深く心に突き刺さっていた。
元々、自分は何故天使たちに力を貸そうと思ったのだろうか。天使の力を持っているから? メシアと称えられたから?
……天使の手によって眠らされた翔を救いたいから?
それなら天使たちに協力するのは本末転倒ではないか? 『癒しの薬』というエサをぶら下げられ、ただただ手のひらで踊らされているのに過ぎないのではないか?
レイは言った。デビルたちは全て敵だと。秩序の影で快楽と欲望だけをむさぼるケダモノだと。
では、今自分たちに部屋を貸しているバラモンたちは敵なのか? ケダモノと言える存在なのか? 何も知らずに自分を『旅人』と歓迎してくれた街の人たちは?
魔界に住む者――デビルたちは、本当に敵と言えるのか? 彼らは自分たち人間と同じく、明日のために昨日を越え今日を生きる、そんな存在ではないのか?
ならそのデビルたちを倒そうとしている自分は……。
こん、こん
嵩治の考えをさえぎるように、ドアがノックされた。しばらくして、少年――ザシキワラシが食事を持って部屋に入ってくる。
「嵩治さん。お食事を持ってきました」
「……ありがとう」
このザシキワラシはバラモンたちのリーダー・カーリーの息子で、年も近いということで嵩治の世話役になっていた。
レイに言わせれば、彼も汚らわしいデビルだと言う。
「食事、ここに置いておきますね」
簡素なテーブルの上に食事を置くザシキワラシ。その顔には、嵩治を疑ったり利用しようと企む黒いものは感じられなかった。寧ろ、同世代の子が来て喜んでいるように見えた。
「……君の周りには、同じくらいの年の子はいないのか?」
嵩治は食事に手をつけず、つい彼に質問してしまった。ザシキワラシの方は不躾な質問に怒ることなく、笑って「バラモンたちはあまり結婚とかしませんから」と答えた。
「母から『お前と同じくらいの子が来るよ』って言われて、どんな子だろうと思ってました。嵩治さんが予想以上にいい人で、僕はすごく嬉しかったです」
「……そうか……」
いい人。
そう言われて、嵩治は思わず「僕はそこまで言われるほどいい奴じゃない」と返しそうになってしまった。
見えない思惑に踊らされ、親友を憎み、妹を守れない自分。天使ッ子の名を授かりながら、天使のように振舞えない自分。
まるで自分のほうが汚らわしい悪魔のように思えた。
黙々と食事を食べていると、ふとあの時の親友の顔を思い出した。親友であった自分にも見せたことの無い、怒りと憎悪に満ちたあの顔。
彼は、どこまで自分のしている事を……自分の正義を信じているのだろうか。
レイがザシキワラシを下がらせた。それからパタパタと部屋を出て行く。おそらく天使たちと連絡を取るのだろう。
部屋には嵩治だけが取り残された。
サークルゲートを出たサバタたちは奇妙な光景に出くわした。
「あんたどうして10年間もそれ黙ってたのよ!」
「こ、怖くて言えなかったッス! こんな大ポカラグエル様に知られたら、オレどんなお仕置きされるか……」
「10年前に言うのも今言うのも同じよ! ……ううん、今言ったらもっと悪いわ!」
「ひぇ~~~~~!」
「ひぇ~じゃないわよ! 今どうなってるかあんたも知ってるでしょ!?」
「知ってるッスけど、10年前は知らなかったッスよ~!」
「言い訳無用!」
背中に羽を生やしたデビルの女の子と、赤ん坊のような男の子の天使が言い合い……というより、女の子が男の子に説教している。
将来が近づくと、女の子の方は彼らに気づいたらしい。お説教をやめて、将来のほうを向いた。
「貴方が葛羽将来ね?」
「…なんで俺の名前を知ってるんだ?」
自分の名前を言い当てた女の子に、将来は眼を丸くする。その隣で、クレイがいつでも飛びかかれるように警戒態勢を張っていた。
女の子はそんなクレイを安心させようと、自分の名前を名乗った。
「私はハーミル。ナタナエル様に仕えるインプよ。
で、貴方の名前を知っているのは、10年前にデビルの力を与えたのは私だから」
「「ええっ!?」」
ニコニコ笑うインプ・ハーミルの言葉に、全員の声が見事に唱和した。