声が聞こえる。
殺せと誰かが叫んでいる。
食い散らかすは漆黒の猛犬。
抉り取るは漆黒の大蛇。
刺し千切るは漆黒の鴉。
フェゴール曰く、サークルゲートは一つだけではない。
サークルゲートの効果はどれも同じだが、場所によっては不便な時もある。そのため、各世界には最低2つ以上のサークルゲートが用意されているらしい。
「転移魔方陣もサークルゲートの亜種なのかもしれへんな」
「あ? あれも確かにそうかもな。場所を移動する、っつーところで共通してるし」
ザジが興味深そうにフェゴールの話を聞いていた。元々好奇心旺盛な彼女、最初はディープホールの雰囲気に飲まれてはいたが、今はすっかり慣れているようである。
慣れていると言えば。
将来もクレイや同行しているディアン・ケヒトから、詳しく合体や交渉について話を聞いている。真剣な顔つきから見るに、慣れてしまうのはそう遠くないようだ。
サバタも、今はこのディープホールの空気から暗黒エネルギーを取り出せるようになっていた。ダークマターを直接吸収するよりかは少ないが、戦うには充分なエネルギー量だ。
とまあ、最初に比べて緊張もほぐれ、気が軽くなっていた。
そんな時だった。
空間の歪み。
「「!?」」
誰かが転移してくるものだと瞬時に察知し、全員戦闘体制を取る。
戦闘能力を持たないおてんこさまや、戦い慣れしていないディアン・ケヒトも気を引き締める。足手まといにならないようにするために必要なことだ。
全員が凝視する中、何も無い空間から金色の羽根が一枚はらりと舞い落ちる。
「天使のツバサか!」
転移魔法トラポートの代わりになるマジックアイテム。行ったことにない場所には転移できないデメリットがあるが、一度行きさえすれば転移可能という便利なアイテム。
金色の羽根が現れた辺りに、黒い穴が現れる。そこから現れたのは。
「嵩治……!」
デビライザーを握る手に力が篭る将来。右手の五芒星は強く発光し、その存在を皆に知らしめた。
「その五芒星……。悪魔の子デビルチルドレンの証だな!」
「くっ!」
慌てて右手の印を隠す将来。だが発せられる光はそれで抑えられるどころか、存在を主張するかのようにますます強く輝いた。
「僕には全然話さなかった。君は自分のことを僕にずっと黙っていた! 僕を騙し続けていたんだな!」
「そんなわけあるかよ! こいつはクレイに出会ってから出来たもんだ!」
「そうかな? レイは生まれたときからある紋章だと言ってたぞ! 僕のように!」
嵩治はそう言って、自分の右手の甲を見せ付けるようにかざす。
そこには将来のとは全く向きが違うが、全く同じモノがくっきりと浮かんでいた。
「この紋章は天使の子、エンジェルチルドレンの証。メシアになる素質を持つ子だけが持てる、聖なるものなのよ」
後ろに控えていたレイが自慢するように言う。それはどうかな、とサバタは心の中で反論した。
刹那たちから聞いたメシア――ノルンの鍵を持つ条件は「光と闇を宿すこと」。光の力だけでは駄目なのだ。
確かに嵩治には強い光の力があるかもしれないが、闇の力を宿してはいない。だからこそ、天使たちは光と闇…太陽と暗黒の力を持つジャンゴをメシアとして狙ったのだ。
エンジェルチルドレンのパートナーデビルであるレイがそれを知らないわけが無い。それなのにあえて嘘をつく理由はただ一つ。嵩治を操るためだ。
自分の推理通りの展開に、思わず笑みを漏らしそうになるサバタ。代わりに斜めに構えた態度で将来の前に立つ。
「で、そのメシア候補が何の用だ?」
サバタの口調にレイがきつい顔になるが、嵩治は平然とした顔で答える。
「決まっている! 翔を取り返しにだ!!」
コールされる嵩治の仲魔たち。下っ端のグリゴリから上位天使のドミニオンまで種類はさまざまだ。アクマなどを入れていない辺り、“エンジェル”チルドレンらしい。
そして。
「特別ゲストよ」
レイがそう語ると、空間がまた歪んだ。
新手の登場に、気を引き締める将来たち。だが、その『新手』にサバタとザジは目を丸くしてしまう。
出てきたのはジャンゴ、リタ、刹那、未来の4人だった。
奇妙な沈黙が場に満ちる。
そして、
「キャハ!」
ジャンゴが動いた。
ソル・デ・バイスが伸びてサバタの首を掴んだかと思うと、そのまま壁に叩きつける。
「ジャンゴ!? 何すんのや!?」
ザジが近づこうとするが、本当の意味でナイフのようになったリタの手刀に足を止める。その動きで、硬直していたフェゴールが叫んだ。
「お前ら、そいつらはドッペルゲンガーだ!」
「何だよそれ!?」
獣のような刹那の噛み付きを何とか避けた将来が、上ずった声で聞く。未来が投げてきたバレッタをサンダーボルトで落としながら、クレイが手短に説明する。
「天使たちのデビルだ! こいつらはこっちが大切にしている人間そっくりに変貌できるとんでもない奴らだぞ!」
「……そういう事か……!」
ガン・デル・ヘルでソル・デ・バイスを砕き、『ジャンゴ』の締め付けから開放されるサバタ。ずきずきと不自由を訴える身体をねじ伏せ、暗黒弾を連射する。
「ギャィィィィィィィィッッ!」
耳障りな声を上げて消滅する『ジャンゴ』。
「信頼している相手を差し向けるか。たいそうな正義の味方だな」
珍しいおてんこさまの挑発が、戦いの始まりとなった。
戦いは熾烈を極めた。
嵩治は仲魔の数で将来たちを攻める。普通、デビライザーで召喚できる数は限られているのだが、どうやら嵩治のデビライザーは天使たちの改造が加えられているらしい。
対する将来たちは数こそ少ないが、一人一人が並大抵の連中なら軽く叩きのめせるほどの実力の持ち主だ。暗黒銃や太陽魔法など、それぞれの特技が天使たちを抑えていく。
だが、いつもと違うフィールドでの戦いは、お互いに不利な状況を招いた。しかも、『ジャンゴ』を除くドッペルゲンガーはまだ健在なのだ。
「あ、あかん、もう無駄撃ちできへん」
太陽の光を受けられないザジがぽつりと弱音を吐いた。それをチャンスと見て、レイがソニックブームを放つ。
「させるかこの鳥野郎!」
直前に察知したクレイのサンダーボルトがソニックブームを吹き散らす。必然的に、クレイが相手をしていたデビルに隙を見せることになってしまった。
「キャハ!」
『未来』のドッペルゲンガーが、スカーフを変化させた剣を振りかぶる。将来は体当たりで機動をそらそうとするが、いつの間にか近くにいた嵩治に足払いをかけられ、無様に転んでしまった。
「嵩治!」
見上げた将来の顔に、嵩治の靴底がめり込む。
「お前は! お前だけはぁっ!」
恨みと憎しみを叩きつけるように、何度も何度も将来を踏みにじる嵩治。顔や身体をめちゃくちゃにされながら、将来はクレイの方を見た。
剣は確実にクレイの息の根を止めようとしていた。しかし、様子に気づいたサバタの暗黒弾が『未来』の上半身にあたり、クレイは九死に一生を得る。
「ギャィィィィッ!」
『ジャンゴ』と同じ声を上げて『未来』は消滅する。次の敵を定めに振り向いた瞬間、誰かに顔面をつかまれた。
何とか視線を動かして相手を見たサバタの目が、大きく見開かれる。赤いドレスに、つややかな黒髪を肩口で切った美少女。
「……カーミラ……!?」
カーミラのドッペルゲンガーは、軽々とサバタを持ち上げる。力が抜け、暗黒銃がからんと軽い音を立てて落ちた。
口元が、邪悪に歪んだ。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
凄まじい電撃がサバタの体内で荒れ狂う。絶叫が口からこぼれ、それが原因でまた凄まじい電撃がサバタを襲う。
「サバターっ!」
誰かの声が聞こえる。
―――コロセ
誰かの声が聞こえる。
「か、あ、み、ら……」
サバタの意識は、其処で途切れた。
「いかん! こっちに集まって伏せろ!!」
おてんこさまが叫んだ。
…………ずぐん
鳴動音。
サバタを襲っていた電撃が、途切れた。
力なく地面にひざをつくサバタ。彼は倒れない。倒れることが出来ない。
同時に、カーミラのドッペルゲンガーに大きな穴が開いた。
……サバタから発せられた黒い大蛇によって。
びくんっ!とサバタの体が大きく跳ねる。すると体から黒い鴉が大量に出てきた。鴉は近くにいたゼパールをつつき、体中穴だらけにする。
大量の血を噴出して、ゼパールは事切れた。
サバタの体がまた大きく跳ねる。今度は漆黒の狼だ。狼はドッペルゲンガーを喰い千切り、無残な死体にする。
大蛇が、鴉が、狼が、サバタの体から現れ、天使やドッペルゲンガーを喰らい、惨たらしい死体に変える。
たちまちあたりに死臭が立ち込め、地面が血塗られる。肉塊や血が吹き荒れ、将来たちの身体を濡らしていった。
「……うっ!」
あまりに残虐な光景に、嵩治が吐き気をこらえる。その光景から逃げ出そうと目を閉じようとすると、狼の一匹と目が合ってしまった。
漆黒の狼が、新たな獲物めがけて飛び込んでくる。ぎらりと輝く牙から目を背ける嵩治。
牙が彼を捉えかける。その時、
「太陽ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
おてんこさまが太陽結界を張った。たちまち結界の周りが血によって赤く染まり、視界を塞ぐ。おてんこさまを見て、ザジが杖を振って太陽結界を強化した。
さっきの狼は結界に弾かれたらしいが、それは漆黒の獣達に新しい獲物を知らせてしまった。結界を壊そうと、体当たりを始める。
「おい! これ、どうにかならないのかよ!?」
仲魔を全部デビライザーに戻した将来があせった声を出す。この太陽結界が壊れた時、それは自分たちの死の時だ。それより先にサバタをどうにかしなければならない。
「全く、イモータルが暴走するなんてね。これだから魔界の連中は……」
「何だと! もう一度言ってみろ、お前だけ結界の外に放り出すぞ!!」
レイの言葉にクレイが反応する。ゼットに説明してもらって以来、クレイにとってサバタはイモータルではなく月と闇の力を持つ仲間なのだ。ザジや将来たちも同じ気持ちだった。
嵩治はサバタの力にただただ呆然としていた。将来はその隣に座る。
「……レイが先走ったことをするから……!」
「本当にあの鳥だけのせいだと思ってんのかよ」
冷たい将来の言葉に、思わず嵩治は将来の顔を見る。将来の顔は、今まで見たことが無い怒りに満ちた顔だった。
「レイにあいつらを使えって言った奴、そいつは悪くないのかよ。翔を巻き込んだ奴、そいつは悪くないのかよ!」
「僕たち天使のせいだというのか!?」
「ああそうだよ! そこまでして正義の味方ごっこしたいのかよ! 何も悪くない奴らを追い詰めるのが正義で秩序なのかよ!」
「くっ……」
将来の顔とその声に、嵩治は苦悶の声を漏らした。
翔の呪いには天使たちが関わっているのは、嵩治もうすうす感づいていた。今まで将来への疑いの気持ちが勝っていたため、あまり疑問に思っていなかったが……。
しかし今、将来の顔に宿る怒りに、嵩治は自分の「正義」と「秩序」の形が揺らいでいるのを感じていた。
天使たちは「正義」「秩序」「計画」の3文字で自分を諭していたが、その3文字に正しさがあるのか?
親友――将来の言葉は本当に全てが嘘だったのか?
嵩治が悩み続ける中、結界にぴしっときしみ音が立つ。その音を聞いて、今までずっと様子を見ていたフェゴールが「オイラがなんとかしてくるか」と言った。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫大丈夫。オイラだって原種の欠片だぞ? そう簡単にやられるかって」
心配そうなディアン・ケヒトにウィンクまでして、フェゴールは結界の外に飛び出した。
早速大蛇がフェゴールを貫くが、彼は無傷だ。……というより、身体を貫く前に大蛇が消滅しているのだ。
ディープホールという深淵を支配する王に、闇の属性が効くことは無い。それはサバタの体内に宿るダークマターも例外ではない。
それでも自分の体にちょっかいをかけられるのは好きではないので、フェゴールはおまるを巧みに操り、獣達の攻撃を避けて行く。
惨劇の中心地、そこにサバタがいた。全ての始まりであるカーミラのドッペルゲンガーは、身体に大きな穴が開いていた。その顔にあったのは苦悶の表情ではなく、安らかな死に顔。
サバタの体が跳ねる度に獣が生まれていく。いまだ暴走は続いているようだ。
「正気にもどれよ!」
そーれ!と掛け声をかけて、フェゴールはサバタの頭めがけてメイスを振るう。ごっ、と鈍い音が鳴り、サバタがゆっくりと倒れた。
「……これが、お前らの正義かよ……」
サバタの身体は血塗れだったが、目の辺りだけ何故か血が洗い落とされていた。