DarkBoy ~Pride of Justice~「ソウルテイカー」(自覚編)

 誰もが悪だと人は言う。

 誰もが自分の正義を持っているから。

 

 

「……負けたのか、僕は……」
 倒れた嵩治がぼそりとつぶやく。あまりの悔しさに涙までにじんでいる彼に、将来は近づいた。
「結局僕は正しくなかったのか……」
「関係無いだろ。俺とお前にそんなもの必要ないんだよ」
 将来は嵩治に手を差し伸べた。

「本当に必要なのは、どうしてそう思ったか、だろ?」

 正しい事は、常に動いていて誰にも判断が出来ない。
 どちらが正しいかではなく、どうして正しいと思ったのか。

 嵩治は静かに涙を流した。

 最初に見えたのは見知らぬ天井だった。それから、将来の顔。
「あれ……?」
「翔!」
「翔ちゃん!」
「目が覚めたか!」
 一気にたくさんの声を浴びせられ、目覚めた翔は少し混乱した。
「これこれ、一応彼女は患者なんじゃから少しは抑えんかい」
 ディアン・ケヒトが笑いながら言う。言っても聞くような奴らではない事は分かっているのだが。
 翔は起き上がって、周りを見回した。その視線で、将来は誰を探しているのかを理解した。少し動いて、翔に見えるようにする。
「お兄ちゃん」
「翔……」
 兄の嵩治が申し訳なさそうに立っていた。久しぶりに見る兄に、翔はにっこりと笑う。
「あたしね、夢の中でお兄ちゃんと将来が『頑張れ』って言ってたから、頑張ったの。嫌な声がずっと聞こえててとても大変だったけど、お兄ちゃん達が応援してくれたから頑張れたよ」
「翔、お前……」
 一歩。嵩治は翔に近づく。
 翔が手を伸ばす。その手の先は、将来ではなく嵩治にあった。
「…………」
 将来が手に取るように、視線で促す。今、翔の手を取ることができるのは『癒しの薬』を持ってきた将来ではない。
 彼女のたった一人の兄だ。

 やった事は間違っていたかもしれない。
 だけど、やろうと思った気持ちに間違いは無かった。
 翔を助けたい気持ちに、嘘偽りも悪も無かった。

「お兄ちゃん、頑張ったよ……」

 翔の目覚めによって、将来と嵩治の仲も自然に修復されていった。元々天使たちの差し金で操作された感情だ。こうして原因がなくなった以上、元に戻るのも早い。
 ……とは言え、自分に厳しい嵩治がそうそう前のように明るく接するのはまだ無理だったが。
 とりあえず大きな目的を一つ達成し、これからのことで、嵩治と翔を交えて相談と相成った。
「ところで翔、お前夢の中で嫌な声が聞こえたとか言ってたよな?」
 将来がさっきの翔の言葉を思い出した。その言葉でちょっと顔を青ざめる翔だが、嵩治がそっと支えたのですぐに元に戻る。
「あのね、私が寝ている間に、お兄ちゃんが将来を憎むようになれって。憎んで戦って倒せれば、魔界に大きなダメージを与えられるって」
「天使だな」
 サバタがぼそりと言う。おそらくラグエルとか言う天使が、ミディールを使って翔を眠らせたのだろう。嵩治に将来を倒させるために。
 翔たちの話を聞いていた嵩治の顔にも怒りが宿り始めた。今まで自分を導いてきた天使が、実は裏で全てを操っていたと聞かされれば、いい気持ちはしないだろう。
「なら、さっさとその天使を倒すんや! たぶん、サン・ミゲルの人たちを操ってるのもそいつや。倒せばきっとみんな元通りになるで!」
 ザジがやる気マンマン!と言わんばかりにシャドーボクシングをする。リタほどではないが、切れと鋭さにサバタはこっそり冷や汗をかく。
 まあ、その強さが天使だけに向いているのなら、今はそれもよしだ。サバタはふふっと笑みを漏らした。
「戻るか? サン・ミゲルに」
 うなずくザジ、将来、クレイ、おてんこさま。皆の闘志はぱんぱんに膨れ上がり、あとは突撃開始の合図を待つばかりだ。

       *

 サン・ミゲル。螺旋の塔。
 ヨルムンガンドを封じる“槍”でもあるこの塔に、天使たちが集まっていた。
 彼らがここに集まる理由はただ一つ。大天使ラグエルがここを前線基地としての価値を求めたからだ。
 かつてここに落ちた太陽都市のパーツであるこの塔は、天使たちにはちょうどいい光の力を与えてくれる。

 そして何より、『太陽の街』と呼ばれるこの地こそ、『エンジェルチルドレン』という名のヒーローを出すに相応しいと思ったのだ。

 その螺旋の塔。今は少し騒ぎに満ちていた。
 エンジェルチルドレンの嵩治の連絡がディープホールで途絶えたのだ。
 呪いで眠らせていた翔の行方が分からなくなった時も騒ぎになったが、レイの報告で何とか居場所は突き止められた。だが今回はそのレイの報告すらない。
 嵩治とレイは、デビルチルドレンにやられてしまったのか。
 一応ミカエルの実子であるナガヒサがいる以上、天使たちの手駒が尽きたわけではないが、切り札に近いほどの力を持つ手駒の行方が知れないのは大問題だった。
 翔というエサもいない今、情報の損失は死に繋がるかも知れない。天使たちは街人も使い、サン・ミゲルを駆け回った。

 螺旋の塔最上階。急ごしらえで作られた椅子に腰掛けながら、ラグエルは客人を招いていた。
「君の手駒、どこに行ったんだろうね?」
「さあ? 元々あれにはあまり期待していなかったが」
 ラグエルは興味なさそうに答える。客はラグエルの薄情さに肩をすくめるが、彼の顔にも嵩治を心配する色は欠片もなかった。
「だいたい手駒ならまだある。ミカエルも知らん手駒がな」
「太陽少年かい?」
「それもいたな……。だが私の言う手駒はそれではない。今のところは……葛羽将来だ」
「自分の手のひらにいない駒を、『手駒』って言う?」
「言うのだよ」
 ラグエルは帝王の笑みを浮かべる。その自信を裏付けるように、手のひらに光を生み出した。
 光の中に、将来やサバタたちがいた。どうやら遠視の魔法のようだ。
「ほほう。どうやら襲撃は2日後にするようだ」
「ちょうどそのくらいじゃない? 太陽少年とデビルチルドレンが太陽都市にたどり着くのは」
「ふむ。ミカエルの奴にいい打撃を与えるチャンスかな」
 顎をなでる。ミカエルの動向はある天使によってこっちに筒抜けだ。世界を白紙にするなどと腰抜けな考えをする彼は、こちらのことには気づいていまい。
 例え気づいたとしても、もう遅い。種はすでにばら撒いた。後は発芽を待つのみなのだ。

 天使たちによる全ての掌握という名の発芽を。

「そういえば、暗黒少年はどう? あの子も結構面白いでしょ?」
「興味ないな。イモータルに近いだけのバケモノなど」
「酷いことを言う」
 客はクスリと笑った。こいつ、僕のことも笑ってるってことだね。
 彼がどのくらい馬鹿にされようとも僕には関係ないけど、暗に僕を馬鹿にするのならちょっと意地悪してやろうか。
「……そういえば、魔界のほうはイモータルの力に興味があるらしいよ」
「ほう」
 客の言葉に、初めてラグエルは興味を示した。
「魔界は空からの闇に抵抗する気はないということか」
「どうかな。そう思ってるならルシファーは最初からラグナロクなんて望まないよ。
 ……望むのは、君と同じ存在さ」
 ぴくり。
 兜の向こうに隠れたラグエルの眉が動いた。
「……アゼルか……!」
「毒をもって毒を制す。彼は結構手段を選ぶ奴じゃない。ま、気をつけてね。

 ……特に月のイモータルには」

 客はそう言い残してふわりと消える。後に残るのはラグエルのみだ。
 ラグエルは口を笑みの形に戻した。見た目には落ち着いているようだが、見方を変えるとあせっている心を落ち着けるための無理な笑みに見える。

「最後の最後で脅しを入れるか。まったく陰険な奴だ、高城ゼット」

 2日後。
 ラグエルの予想通り、その日にサバタたちは螺旋の塔に襲撃をかけた。唯一違ったのは、襲撃の時間が夕方だったことか。

 将来の手にいる魔剣のデビル・クラドホルグが天使たちを切り、その血をすする。
 サバタのガン・デル・ヘルが唸り、天使たちを葬り去る。
 ザジの魔法が炸裂し、天使たちを吹っ飛ばす。
 嵩治のデビライザーから光弾が放たれ、天使たちを落としていく。
 クレイの稲妻が、天使たちを片っ端から黒焦げにする。
 レイの風の刃が、天使たちを切り裂く。……その顔に苦痛があるのは仕方なかったが。

 おてんこさまはついて来た翔を守りながら、サバタたちの後を追う。
 悪鬼修羅すら裸足で逃げ出しそうな彼らの勢いに、止められる天使はいなかった。将来は調子のよさに鼻歌まで出るが、サバタの方はそうではなかった。
(おかしい。いくらなんでも手薄すぎる)
 いくらラグエルの派が天使の中で異端だとしても、数が少なすぎる。ナタナエルの話からするに、天界を二つに分けるほどの勢力になったはずなのだが。
 それに、天使たちの種類も少ない。何回か戦ったことのあるパワーに、ヴァーチャー、ドミニオン。それからケルビム。大半は太陽都市の方に行ったのだろうか。
(いや、たぶん……)
 奴は俺たちに会いたがっている。だからわざと手を抜いて、早く着くようにしているのだ。

 サバタの足が止まった。

 最上階。
 かつてダーインと戦ったその場所に、ラグエルはいた。
 簡素な椅子に座り、現れた将来たちを一人一人見やる。……と、その視線が嵩治とレイのところで止まった。
「……裏切るか、王城嵩治」
「僕は、もうお前の思う通りには動かない。お前の正義のためには動かない!」
「ふん。やはり人間の子供には分からないか」
「てめぇ!」
 嘲笑に反応したのは、嵩治ではなく将来だった。もうすっかりなじんだクラドホルグを構え、一歩前に立つ。その行動に、ラグエルは薄く笑う。
「正義とは、常に一つだよ。一人一人持っていても根本は同じ。大切なものを守りたい。変わらぬ日常を過ごしたい。愛されたい。ただそれを言うことが出来ずにご大層な主義主張を掲げる。
 私はね、もうすぐ終わりを迎えようとするのが許せないのだよ。例えラグナロクを発動させても、一時的な逃げに過ぎん。結局空からの闇に覆いつくされるのがオチだ。
 だが、誰かによって纏め上げられた力は、予想以上の力を発揮する。正義の力という奴だ。私はその力を信じている。その力こそが世界を救うのだとな」

 ラグエルが将来の前に立った。

「君はデビルと天使の力を持っている。メシアの条件である『光と闇』を持った、選ばれた者。
 君は誰を救いたい? 誰を守りたい? 誰と共に生きたい?
 そのためには何をすべきだと思う?」

 クラドホルグがからん、と落ちた。主人である将来の変化にクラドホルグは焦るが、剣である彼には何も出来ない。

「俺は……」
「私と共に来たまえ」

 手が差し伸べられる。

「「将来!」」

 誰かの声が聞こえる。
 でも俺には何だか分からない。分かるのは、今この手を拒絶するのはいけないということ。
 将来はラグエルの手を取ろうとする。

「大天使とあろう者が、ちゃちな工作をするものだな?」

 張り詰めた糸を叩き切ったのは、ガン・デル・ヘルを突きつける無骨な音だった。
「!」
 その音で、将来の意識が覚醒する。
「貴様……!」
「ふん。お前の精神操作のからくりがようやく読めた。……魂を抜く禁呪か」
「ひっ!」
 ガン・デル・ヘルを背中に突きつけたまま、サバタの視線はラグエルを捉えて離さない。その視線――暗黒仔の視線に射抜かれ、ラグエルはすくんだ悲鳴を上げる。
「魂を抜く禁呪だと!?」
 おてんこさまが聞き捨てならないフレーズを拾う。サバタは一つうなずいて話し始めた。

「言葉の中に呪をまぎれさせ、魂を引きぬき、そいつの言うことだけを聞くようになるだけの人形にする。
 サン・ミゲルの連中もそうだ。一度こいつは全員の前に現れ、魂を抜いた。魂だけの存在なら簡単だ。
 だが魂だけの存在ほど不安定なものは無いから、自分からそんな存在になろうなんて考える奴はいないがな」

「……私にとっては便利なものだよ」
「どうかな? 内包している魂が多ければ多いほど、消滅の可能性も高い。それに俺はお前を放って置く気はない。
 全員の魂を返してもらうぞ」
「そんなものを貰ってどうする? お前にそれをどうにかする方法があると?」
「あるさ」
 サバタはにやりと笑った。

「俺はイモータルではなく、月下美人だからな」

 暗黒弾が、放たれた。

 ――特に月のイモータルには気をつけたほうがいいよ。

 そうか、お前はこのことを指していたのだな。
 だが、最後の最後で貴様は徳等の忠告をしてくれたよ。

 おかげで私は……。

 

         *

 螺旋の塔から天使が消え、サン・ミゲルの住人もようやく元に戻った。
 彼らは操られていた――魂を抜かれていた時は眠っていたと思い込んでいたらしい。翔の時と同じだ。……元々、『闇の眠り』は相手の魂を抜く禁呪から来ているものなのかもしれない。
 だが、宿屋に戻ってきたサバタたちの顔は浮かない。
「なんつーか、やった!って気にならないんだよな……」
 将来が全員の気持ちを代表して言う。

 ラグエルは魂だけの存在になってまで、何をしたかったのか。
 何故彼は、ああもあっさり倒れたのか。

 ……彼が今際の際に浮かべたあの笑みは、一体なんだったのか。

 それらの疑問が渦を巻き、喉に突き刺さった骨のように引っかかっていた。
「ホント、ウチら最後まであいつらにいいように動かされていたような気がしてならないわぁ…」
 ザジが暗い声で言う。将来と嵩治の覚醒から、ラグエルとの戦いまで。
 結局天使たちの上で踊らされていたような気がする。

 重苦しい沈黙が、宿屋を満たす。

「でも、お兄ちゃんと将来、仲直りしたんでしょ?」
 空気を変えようと、翔が必死に明るい声で言う。将来と嵩治が翔の方を向いた。
「喧嘩したままだったら、ずっと私眠ったままだったんでしょ? それでよかったじゃない」

 それでよかったじゃない。

 確かに。
 引っかかることは多く問題は残ったままだったが、たった一つ救いがあるとすれば、将来と嵩治が仲直りしたということだろう。

 今はそれだけでも喜んでいいと思った。

 暗い宿屋が、少しだけ明るくなる。
 サバタはそんな様子を見て、ふっとため息をついた。
 ……笑顔で。

「全く、つくづく能天気な奴らだ」