Change Your Way・43「きみのとなり」

 Change your way……

 まだ自分を拒もうとする本は片手で払って、ジャンゴはリタの肩を抱く。まだ完全に水晶化していない彼女は、見開いた瞳に大粒の涙をこぼし、ジャンゴを見ていなかった。
「こっちは色々覚悟決めて言ったってのに……」
 ジャンゴはつい膨れっ面になってしまう。また届かなかったが、今度は届くようにすればいい。言葉と同じくらいに大切な行動が、一つある。

「ホント、バカ!」
 膨れ面のままそう言い放つと、ジャンゴはためらいもなくリタの唇に自分の唇を押し付けた。

 テクニックもへったくれもない、ただ押し付けるだけの単純な口付け。もしかしたらファーストキスの時も下手なものかもしれないが、一番暖かく感じられた気がした。
 懐かしいその感覚に、どんよりと濁っていたリタの瞳に焦点が戻る。間近に感じられるジャンゴのぬくもりに顔を赤らめ、そっと胸を押してきた。
 離されてしまったジャンゴは、それだけでは足りないと言わんばかりにリタを強く抱きしめる。
「あ、あの…」
「もう、離さないからね。……リタのこと、大好きなんだからっ」
 耳元ではっきりと聞いた言葉に、完全にリタの顔は真っ赤になった。様々な思いが入り乱れ、ころころと表情が変わるが、最後には嬉しそうな笑顔でこくりとうなずく。
 誤解もしたし、遠回りもした。余計な気遣いも多かったが、今はこうして思いを伝えられただけでもいい。
(きっと、僕たちの運命もここから変わっていけるんだ)
 今でもこうして触れ合っているだけで、ぬくもりと一緒に相手の気持ちが伝わってくる。何度も重なり合っても伝わらなかったこのぬくもりから、優しさと信頼、愛情を感じられた。
 リタも万感の思いを込めて、二言だけ返す。
「ありがとう、大好きです……」
 自分にはジャンゴが大切で、掛け替えのない人。そして疑う余地もないくらい、リタも同じ事を思ってくれている。これからもずっと。きっと、ただそれだけのことなのだ。
 そう思っていると、がくりとジャンゴが自分に寄りかかってくる。慌てて横顔を見ると、彼は意識を失っていた。のしかかるジャンゴの重みに、リタは大分前にこんな事があったのを思い出す。
 喧嘩していた頃、大量のグールに襲われて絶体絶命かと思っていた時、ジャンゴが自分を心配して駆けつけてくれた。その時初めて口付けを交わして、ジャンゴは意識を失ったのだ。
 それだけいつもジャンゴは自分に関しては必死だった。それがリタにとっては嬉しく、困ることでもあった。
「看病する身にもなってくださいね」
 くすっと笑って、リタはふわふわと周りを浮いていた『自我を導く本』に触れた。片腕から感じられるジャンゴのぬくもりが、今は何よりも力を与えてくれる。
 水晶化を促進する霧はあっという間に消え、黄金の蝶の羽を象っていたジャンゴの真紅のマフラーは元通りになった。
 全てが元に戻る中、リタは静かに本に向って告げる。
「眠りなさい……」

 そして。
 本は閉じられ、世界は正しき姿に戻る。

 人の心に、僅かながらも希望と太陽の欠片を与えて。

『行きたい所へ行ける
 なりたい自分になれる
 生き方を変えることができる
 行きたい所へ行ける
 なりたい自分になれる
 自信を持って、ポジティブになるの……』

 

「おいジャンゴ! イモータルらしき反応があったぞ!」
「またかよ~!」
 その日、ジャンゴは復活したおてんこさまからイモータル反応を聞いて大げさに嘆いていた。
 粉々に砕け散ったソル・デ・バイスは回収する事はできなかったし、根元から折れたグラムはスミスの腕を持ってしても修復不可能だった。
 結局、最近ジャンゴは最後まで無事だったガン・デル・ソルと、倉庫に放っておいたロングソードを携えてヴァンパイア退治に出かける羽目になっている。
 それにしてもいつも肝心な時にいないくせして、どうしてこうどうでもいい(おてんこさま本人にとってはどうでもよくないが)時にはやけに元気なのだろう。ジャンゴはそう愚痴りたくなった。
「行くぞ、場所はサン・ミゲルから東の方だ!」
「はいはい」
 意気込んでるおてんこさまの隣で、ジャンゴはこっそりため息をついた。

 あれから一週間。ジャンゴたちの周りもようやく元の形を取り戻しつつある。

 ジャンゴは意識を失っていたのでよく分からないが、あの後、リタが本の力を使って自分たちを兄たちの元へと転移させたらしい。その本は、力を使った後すぐ消えたとか。
 おそらく、リタが『自我の導き手』たる資格を失ったので、ポジティブとネガティブの戦いは一時お預けになったのだろう。あの後、『運命を嘲笑う者』であるヤプトも行方不明だ。
 行方不明といえば。
『ジャンゴ』の水晶像と、運命王カルソナフォンもあの後ぷっつりと行方をくらましている。意識を取り戻してからすぐに『シヴァルバー』の残骸を調べたのだが、彼女ららしい手がかりは皆無だった。
 カルソナフォンはともかく、エターナルに等しい存在である『ジャンゴ』が死ぬことはない。もしかしたら、彼女らは自分たちの世界に帰ったのかもしれない。ジャンゴは何となく寂しい気持ちになった。
 あの事件で知り合ったユキも、もういない。ジャンゴはあの後、ユキだけではなくザナンビドゥを除くクストース全員を遺体のない墓に弔った。
 人々の狂気の剣に追い回され、自分たちの世界とは違う場所で命を散らした彼らに対する懺悔とつぐないを込めて、ジャンゴたちは暇があれば花を手向けに行っている。
 さてその例外であるザナンビドゥ――ビドゥは、今はリタの果物屋ですっかりマスコットとして定着していた。同じ猫もどきとして、クロと仲良くなっているらしい。
 ビドゥ自身クストースの記憶はないはずなのだが、時たまこっちをからかうかのようにリタに甘えて見せるので、それが腹立たしく、同時に猫にまで嫉妬する自分が情けないと思った。

「ん、出かけるのか?」
「ああ、イモータル反応があったからね」
「お気をつけて」
 兄とカーミラも、最近は仲睦まじくやっている。カーミラが復活してから、大分兄の表情も豊かになってきたと思う。この前、面と向ってそう言ったら「バカなことを言うな」と一蹴されたが。
 そのカーミラ、最近はリタの果物屋を手伝おうかと考えているらしい。最近ジャンゴが果物屋に寄る度、彼女たちがなぜか真剣に話し合っているのをよく見る。
 ザジはケーリュイケオン――セイと共に、気ままにどこかに出かけては帰ってくる。師からの命は全て終わったはずだが、ここに残っている辺り、やはりジャンゴたちと一緒にいるのがいいのだろう。
 家を出ると、早速知り合いが自分を見つけて挨拶してくる。ジャンゴはそれに手を振ることで答えた。
 街の人にも散々迷惑をかけた気がする。あの事件から帰ってきた後、サン・ミゲルは自分が生まれた故郷だけでなく、自分が帰るべき大切な場所となっている。
 いつかはこの街を出て、一人旅に出るのだろうと思っていたが、それは間違いだった。ここに心配し、待ってくれる人がいる限り、自分は必ずここに戻ってくる。そう思えた。
 遺跡や地下水路にあった禁呪の部屋は気にはなったが、闇に葬られた理由を考えるとあのままの方がいいと思った。知ったところで役に立つどころか、余計な間隙にはまることだからだ。

 倉庫に行って適当にアイテムを補充すれば、もう出かける準備は万全だ。ジャンゴは倉庫を出てまっすぐに果物屋へと向う。
「いらっしゃいませ!」
 明るい声が、やって来たお客を歓迎する。ジャンゴは看板娘であり店長でもあるリタににっこりと微笑みかけた。
「僕もお客なのかい?」
「お店の物を買ってくださるのなら、どなたでも」
「そりゃそうだ」
 苦笑して大地の実を手に取る。最近曇り空続きだったので、色はお世辞にも良いとは思えなかったが、効果には関係ないだろう。
 色々物色していると、リタが不思議そうに首をかしげていた。
「……仕事ですか?」
 リタの眼がきらりと光る。その輝きには「私もお手伝いしますよ」という意思が読み取れた。
 彼女が半ヴァンパイアになってからも、「リタをこれ以上巻き込みたくない」という気持ちから、ジャンゴは常に一人で仕事を片付けていた。でも今は違う。
 リタは自分が命を預けられる掛け替えのないパートナーだ。年中べったりはさすがにごめんだが、常にそばにいて、自分を支えてくれる。それが大事なのだ。
 だが、今回は楽な仕事だ。リタの手を借りるほどの大事にはならないだろう。もちろん、大事になれば即座に戻って来て力を貸してもらうことになるが。
 リタのほうもそれが解っている。ジャンゴが自分を支えてくれる限り、自分はジャンゴの助けになり、支えになるのだ。それに対して、何の否があろうというのか。
 すっかり二人の世界に飛び込んでいるジャンゴとリタをはやし立てるように、ビドゥがにゃーんと鳴く。その声で二人はすぐに顔を赤らめてしまった。
 どんなに思いが通じ合っても、これだけは一生治りそうにない。心こそ深く繋がりあっているものの、彼らが大手を振って世の恋人と同じように行動できるのはいつの日のことだろう。
 それはさておき。場を元に戻すために、ジャンゴはこほん、と咳を一つした。
「とりあえず仕事。でも、おてんこさまが言うにはそう力のないはぐれイモータルだって。だからすぐに決着つけて戻ってこれると思う」
「そうしてくれると嬉しいですね。……覚えてます? もうすぐ私たちが会って一年になるんですよ」
 当然、と言わんばかりにジャンゴが照れる。
 忘れもしない。あの血錆の館で、二人は出会ったのだ。それから様々な事件があり、彼らの立場は大きく変わっていった。
 辛いことも、哀しいこともあったけど、今自分たちがこうして立っている。それがジャンゴは素直に嬉しかった。
 大切な人と共に生きる一瞬が、こんなに幸せで、こんなに暖かいものなのだと、ようやく気づけた。そして自分以外の人たちも、その一瞬を生きている。
 それを守るのが自分の仕事――太陽少年としての役目なのだ。
「それじゃ、行ってくるね」
 いくつかアイテムを見繕って精算した後、ジャンゴはリュックを背負って挨拶する。
「いってらっしゃい」
 扉を開ける時、リタがそう見送ってくれた。

 空は青い。
 そして、緑萌える大地はどこまでも続いている。
「ゆくぞ、太陽少年! 太陽と共にあらんことを!!」
「ああ!」
 太陽少年と、太陽の精霊の旅が、また始まる。

 

 青い空の向こうで、誰かが微笑んでくれた気がした。

 

 

 

   ――いつでも、きみの、そばに――