Change Your Way・41「運命の定義」

 それは戦いというものではなかった。ただ二人は静かに立っているだけだ。
 リタは両手で「自我を導く本」を抱きしめ、ヤプトは「嘲笑う鈴」を手に持っている。本のページをめくることはないし、鈴も鳴らされる事はなかった。
 凄腕の戦士ならにらみ合いだけで決着をつけてしまうらしいが、二人の間にはそういう緊張感はない。むしろ、静かで何も考えることのない安らぎを感じられた。
 一つ大きな変化があったのは『ジャンゴ』の水晶像で、今まで柔らかな光を放っていたそれは、急に何度も激しい明滅を繰り返している。
 ヤプトに導かれるまま――騙されたまま――に、自らの魂を「純応」化させて「自我の導き手」となった『ジャンゴ』。
 あの時は「自我を導く本」がなく、ヤプトに罠に嵌められた形だったが、今は「自我を導く本」がある。不安定な形で「自我の導き手」になることなどないと思えたが……。

 ――まだ、思い出してないことがあるだろ……。

『ジャンゴ』の一言で、ジャンゴの思考は『過去』へと飛ぶ。

 僕は、リタを助けられなかった。
 ダークの意思を尊重するイモータルを倒した後、僕の心の中にあったのは空虚な闇。
 あの子がいない世界。それにどんな価値があるんだろう。
 彼女の願いの一つだった「同じ痛みを知る人たちを救ってほしい」。その言葉に従って、僕は何人もの亜生命種を助けてきた。だが、その行為に対して世界は僕を「邪悪」と決め付けた。

 本当に世界は、救う価値のあるモノなのだろうか?

 何度も湧き上がる黒い疑問。
 それを何度も打ち消しながらも、僕はリタや兄のいない世界を生きてきた。いつしかその疑問が、僕を深淵の闇へと堕としていくのだろうと思いながら。
 やがて、その限界が訪れた時。いつしかいたあの男――ヤプトが、たった一つの方法を提示した。
 世界を支える柱……意思あるものの父へとなれば、少なくともダークの意思に従おうと思う存在は出てこなくなる、と。
 そして人々に「神」の存在を認めさせれば、少なくとも今の仲間たちへの虐待はないだろうと。
 自分を慕う者たちは全員そろって反対した。しかし、もう自分にとって世界は守るべきものではなく、どうでもいいものだった。ただ、イモータルがうるさくなくなれば、それはそれでいいと。
 そして自分は、ヤプトの言うとおりに術を自分自身に施し、自我の導き手へと純応させた。その結果、イモータルは何処かへと姿を消し、世界は救われたのだ。
 だが、人の意思は「神」一つで大きく変わることはなかった。
 神に祭り上げられたのはいいものの、自分が救ってきた亜生命種たちは全員「神殺し」の汚名を着せられ、前以上の酷い仕打ちを受けることになった。
「唄女」の女性は、それでも歌を唄うことで人の憎悪を和らげてきたものの、霊力の姉弟や、裏太陽仔はその行き過ぎた正義の的になってしまった。
 世紀末世界と呼ばれた頃よりも世界が混沌としてきた頃、またもヤプトが案を出した。
 それは紙一枚隔てた世界へと跳ぶという、とんでもない方法だった……。

「エィメン……」
 リタの声が、鏡のような湖面に木の葉を落として波紋を描くかのように響き渡る。その声に反応して、光り続けていた四つの宝珠がリタの周りに集まって砕け散った。
 驚いたのはジャンゴたちよりもヤプトだった。バラバラになった宝珠が地面に落ちるのをぽかんと見ていたが、しばらくしてその顔が険しくなる。
 ヤプトの豹変振りを見て一歩踏み出そうとするジャンゴだが、その足は大きな揺れによって止められた。
「地震なんか!?」
 突然の大揺れに、ザジがケーリュイケオンを握り締めて裏返った声を上げる。
「…いや、『シヴァルバー』自体が崩れているぞ!」
 サバタの言葉を裏付けるかのように、壁や柱に細かな亀裂が入り、ぱらぱらと細かな破片が落ちてきた。最初は途切れ途切れだったが、あっという間に雨のようになる。
 亀裂は完全に繋がりあい、崩れるのは時間の問題のように思えた。
『シヴァルバー』の起動キーである四つの宝珠。それを破壊してしまえば、当然『シヴァルバー』は崩壊する。ここ自体が強力な力を持つゆえ、破壊するのは当然ともいえた。
 それに、ここはあちら側の記憶を持つジャンゴとリタにとっては嫌な場所であった。ここは『ジャンゴ』が生贄神にさせられた場所であり、ここを起動させたことにより世界は「壊れた」。
『シヴァルバー』は起動すると空へと浮上し、ある一定の場所まで浮上すると精神に大きく関わる結界を張る。その結界内にいる人の心は均一化し、皆異常をきたすのである。
 揺れ具合からするに、浮上はしていない。このまま崩壊してくれれば御の字だが、ヤプトがそれを許してくれるかどうかは解らなかった。
「リタ、急いで!」
 聞いてくれないだろうとは思いながら、ジャンゴはリタに声援を送る。兄が急げと言わんばかりに肩に手を置くが、ジャンゴはそれを振り払った。
「兄さんたちは急いで逃げて」
「お前やリタはどうなる!?」
「大丈夫だから。……僕はリタをちゃんと連れて帰る」
 事の顛末を全て知っているかのように答えると、サバタは諦めたようにその手を下ろした。

「……うう……」
 大揺れで、ようやく彼女の意識が戻った。
 あれからどのくらいの時間が経ったのかは知らないが、ジャンゴたちはもうさっさと先に進んでいることだけは解る。頭を振って意識を元に戻した。
 また大揺れが彼女を襲う。地震とは違う人為的な揺れに、何が起きているのかを悟った。
「行か、ねば……」
 もう時間はない。やれる事はないのかもしれないが、それでもこのままここにいるよりかはマシなはずだ。
『明日もまた日は昇る』
『いつも心に太陽を』
 生贄神――『ジャンゴ』が教えてくれた自分とリタの口癖。どんな時でも諦めてはいけないという教えそのもの。
 諦めちゃいけない。ここで諦めたら、本当に『ジャンゴ』が報われない。自分がここまで頑張ってきたのは、最初に自分を救ってくれた『ジャンゴ』を助けるためなのだ。
 何とか気力を振り絞って立ち上がると、一歩一歩足元を踏みしめて先へと進む。崩壊の影響で足元が何度もふらついたが、そんな事は気にしていられない。
 転移するほどの魔力が残っていれば、と思ったが、今は黙って歩くしかないようだ。杖を支えにして『シヴァルバー』内部に続く道を行く。
 ぼろぼろの翼が、重かった。

 崩れ行く『シヴァルバー』。
 だが、ある一点を境に、その崩れ方が大きく変わった。

「リタぁーっ!!」
 サバタたちを外に逃がしてから、ジャンゴは改めてリタの方を向く。もう一度彼女の名前を呼ぶと、今度はリタに大きな変化があった。
 リタの足元が、水晶像へと変化させる霧に包まれている。まだ水晶化にはなっていないが、このまま均衡を崩せば彼女は『ジャンゴ』と同じになってしまうだろう。
 慌ててリタの肩に手をかけようとするが、不可視のフィールドに弾き飛ばされて近づくことすら出来ない。それでもジャンゴはリタに近づこうと何回も飛び込んでいく。
 リタは努力も虚しく何度も弾き飛ばされるジャンゴをその目に捉えていたらしい。いつしか無表情のはずだったその瞳に、涙がいくつもいくつもこぼれた。
『ジャンゴ、さま……』
「…今、行くから……助けるから…!」
 不可視のフィールドを破ろうと剣を叩きつけるジャンゴは、リタの口がこう動くのを確かに見た。

『コ、ナ、イ、デ……』

 彼女の小さな手に収まっていた本が急に開いて、不気味な暗褐色の輝きを放つ。その輝きに反応して、ヤプトの持っていた鈴も絶え間なく鳴り始めた。
 そして、急変。安定した(?)崩壊を続けていた『シヴァルバー』が急に支離滅裂な破壊へと変わり、同時に大きな縦揺れ――浮上を始めたのだ。
 凄まじい縦揺れに傷が痛み出したジャンゴは膝をついてしまう。その間にも、リタの足元を取り巻く霧がどんどん濃くなっていく。
『ジャンゴさま、来ないで……。もういいんです……』
 水晶化の霧に包まれながらも、リタはジャンゴを止める。止めたいのはこっちなのに。もういい、と言いたいのは自分なのに。
『助けたかった。貴方の枷を取り払いたかった。貴方の支えになりたかった。
 だけど、もうそれもできない……。私は何の力にもなれない……』
「バカ、何で今更!!」
 憤りと共に立ち上がる。そして気づいた。リタは自分をまだ見ていない。確かに視界に捉えてくれたはずなのに、リタは自分を見ていないと思った。

『私は、結局、貴方を想っていても、貴方のためにはなれなかった……』

 今になってさらけ出されるリタの本心。すがり付いていたと思っていた相手は、誰よりも自分にすがりつきたかった。自分よりも弱く、それでも自分のために強くあろうとした少女。
 強く、それでいて純粋な愛情。自分はそれに気づいていただろうか? 自分はそれを受け止めていただろうか?
「バカヤロォォォォォォォォォォッ!!」
 ジャンゴは叫んだ。腹の底から。心の底から。思いっきり。
 破壊の轟音にかき消されるその叫びは、リタに向けられていたのか、それとも自分に向けられていたのか。全然解らなかった。
『シヴァルバー』はゆっくりではあるが確実に浮上を続ける。ジャンゴはそれに気づいていなかったが、『ジャンゴ』は気づいたらしい。慌てたように明滅する。

 ――『シヴァルバー』が、浮上してしまう……!! ダメだ、このままじゃあ!

「ははははは! 所詮大きな波には勝てぬということだよ!!」
『ジャンゴ』の焦りを笑うヤプトに、ジャンゴは剣先を彼の方に向けた。
 厳しいまなざしを受けながらも、ヤプトは笑いを止めることはない。それどころかますます深くして、狂ったかのように笑い声を響かせた。
 崩壊と浮上の影響で大声で叫ばないと聞こえないはずなのに、ヤプトの笑い声はいやというほどに耳に入ってくる。これも『運命を嘲笑う者』としての力なのだろうか。
「あちら側でもそうだった! 人でありながら人ではないモノ、そんな生き物になったお前は罪から逃げ出した! その結果がこれだ!! この運命だ!!
 例え小細工をしたとしても、運命からは逃げられん!! 運命には抗えん!!」
「ふざけるなぁぁぁっ!!」
 ジャンゴはありったけの力を込めて剣を地に刺し、大きく叫ぶ。
「運命なんて、その時には気づかないものなんだ!! お前が何度「運命」と叫んだとしても、お前がいくら「罪と罰」を叫んだとしても、僕は絶対に諦めたりなんかしない!!」
 その時、ジャンゴの脳裏に浮かんだのはリタの笑顔だった。