Change Your Way・36「裏切り、そして断ち切り」

 腹に食らったのは拳だったので、そこから血は出なかった。その代わり、酷く咳き込んでいるうちに血を吐いた。
 黒ジャンゴだったら興奮したかもしれないが、赤ジャンゴである今は焦りしか感じられない。切られたダメージもあるので、いよいよもってやられる可能性が高くなってきた。
(決め手を誤ったら死ぬ……!)
 口元を拭って、ジャンゴはソル・デ・バイスにセットしてあったレンズをソルに変える。相手はアンデッドやイモータルではないので、有効とはいえないのだが……。
 グリーヴァの方は武器を拾いなおし、もう一度必殺の「布瑠之言」を決めようと構えてきた。攻撃のテンポはもう完全に見切っているのに使ってこようとする辺り、もう一つ手を隠しているに違いない。
(奥の手の一枚目を使ってみるか)
 ジャンゴは我流ながらもいくつか技を持っているが、その中でも「成功する可能性が低い」のと「自分で編み出したものではない」技があるのだ。
 自分では「奥の手の一枚目」、「奥の手の二枚目」と適当に呼んでいるが、実際にはきちんと名前をつけてはいたりする。その一枚目を切り札にしようというのだ。
 剣を左手に持ち替え、呼吸を整える。奥の手の一枚目は成功した回数が低く、正直ここで使うのはかなり分の悪い賭けだった。
 力強く握っているわけでもないのに、ソル・デ・バイスがきしきしと軋み始める。ジャンゴの持つなけなしの魔力が吹き上がりそうになっているのに、大きく反応しているのだ。
 空もジャンゴの気迫に押されたのか、雨が小降りになってくる。太陽が見えない今、雨が少しでも止んでくれるのはかなりのラッキーだった。
 グリーヴァはただ黙って立っているジャンゴに、何か策があるのかと思案したようだが、結局は自分の技に任せることにしたらしい。
「てけぁァァァーーーーーーーーーーーーッッッ!!」
 一回後ろに大きく下がったかと思うと、テンポよく自分の方に飛び込んでくる。今までで最大の霊力が篭った鎌槌が、ぎらぎらと輝いた。
 白銀に輝く軌跡を残して鎌槌が大きく振り下ろされようとするその瞬間、ジャンゴはあえて彼のリーチ内に飛び込み、右手でその腕を強く握り締める。
 切っ先が自分の体に触れるまで約四センチほどというギリギリラインで、今度は剣を持った左手が動いた。カウンター狙いでグリーヴァのプレートを砕こうというわけだ。
 だがそれを読んでいないグリーヴァではない。腰紐が動いて、ジャンゴの傷口をもっとえぐろうとする。
「……甘いね!!」
 左手の剣で腰紐を捌いて、傷口を守る。カウンター合戦は引き分けかと思われたが。
「まだ終わりじゃない!!」
 ジャンゴの動きはそれだけでは終わらなかった。
 何と武器を押さえていた右手をひねって、引き寄せる原理でグリーヴァに回し蹴りを放ったのだ。つまるところ、カウンターすらオトリにして本命の一撃を決めたのだ。
 相手の手を全て出し切らせてから本命の一撃を決める。言うのは簡単だが実際にやるのはかなりの至難の業だ。成功した回数が少ないのはそれが理由である。
 ジャンゴの奥の手の一枚目――リフレクト・クリティカル――は成功し、グリーヴァはプレートを傷つけられて吹っ飛んだ。
 ひびが入っただけで、完全に割るまでにはいかなかった。そのあたりは完全に成功とはいえないが、これで状況はこっちに優勢になった。
(でもダメージはこっちの方が大きい。早めに決着をつけなくちゃあ)
 もう一度剣を構えなおす。さっきの一撃でプレートにひびを入れることには成功した。後もう一押しすれば、完全に破壊できるだろう。
 だがグリーヴァもそれは解っているはずだ。もうだまし討ちなどの手には引っかかってくれないだろう。力でごり押しされたらジャンゴに勝ち目はない。
 何か気をそらすものがあれば。ジャンゴはそう思う。
 ザナンビドゥ戦では父のマフラーで足止めしたが、あれは完全な不意打ちもあって成功したようなモノだ。それに今度やったら絶対にマフラーは千切れるだろう。
「りィッ!」
 考え事をしていると、グリーヴァが飛び込んできた。プレートにひびが入ったせいか、力は大分落ちている。チャンスといえばチャンスだ。
 今度はジャンゴが力に任せてグリーヴァを圧倒する。怪我の痛みがジャンゴを引き止めるが、それに構っていられる余裕はなかった。
 最強のクストースといえど、力の象徴であり命に繋がるプレートにひびが入ってしまえばその力は半減される。しかも相手の攻撃はほとんど見たことのある攻撃ばかりなのだ。
 やがて、ジャンゴがグリーヴァを追い詰める時が来た。ちょっとした引っ掛かりにつまづいて転倒するグリーヴァに、ジャンゴは容赦なく剣を突きつけた。
 グリーヴァは反撃しようとするものの、自分の霊力がもうほとんどそこを尽きているらしく鎌槌を振り上げることも出来なかった。

 そのままどちらも動かなくなる。

 グリーヴァは勿論、ジャンゴも動けなかった。そのまま剣でプレートを砕けばグリーヴァはやられる。だが、それは同時にユキとミホトを殺すことになるのだ。
 また自分は大切なものを失ってしまう。それがジャンゴをためらわせていた。もうユキはいない、そう思っていても、ユキによく似たその顔が剣を震えさせる。
 ようやくジャンゴが剣を振り上げたその時。

『最後のクストースでも、貴方を止められませんか』

 今までの戦いを見ていたのか、ヤプトがタイミングよく声をかけてきた。ジャンゴの意識がそっちに行った瞬間、グリーヴァが立ち上がるが、それ以上の事はしなかった。
『グリーヴァは私達にとっては切り札の一つでしたが、こうなっては仕方ありません。彼も他のクストースと同じように扱わなければなりません。正直、時間がもうありませんからね。
 精霊王グリーヴァ、貴方も死して私達の力となりなさい!』
 光が落ち、ジャンゴとグリーヴァの目の前に、あの灰色のパイルドライバーが設置されている穴が出現した。グリーヴァはそれを見るや否や、走って穴のふちまで行く。
 ジャンゴは始めて見る灰色のパイルドライバーを前に、これから先のことがわからずにただ立ち尽くしていた。グリーヴァが「てけ!」と言ったのを聞いて、ようやく彼が何をするのかを悟る。
 痛みだらけの体を無理やり動かし、全力で走りだした。

「やはり、そう来ますよねぇ」
 クストースの聖地で全てを見ていたヤプトはそう呟く。
 グリーヴァと戦うことになってから、ジャンゴの心の動きはある程度予想はついていた。彼が今までの事を飲み込んでグリーヴァと戦うことや、最後の最後で情けをかけようとすることも。
 予想以上に自分の考え通りに動いたことに、ヤプトはくつくつと笑い出す。
「ですけど、世の中上手くは行かないということをちゃんと解らないといけませんねぇ」

 グリーヴァが灰色のパイルドライバーに飛び込んだ。
「くっそぉぉぉっ!!」
 ジャンゴは一か八かで手を伸ばす。幸運なことに、ジャンゴの伸ばした手は、何とか彼の左腕を掴んでいた。
「……?」
 引っ張られる感覚で、グリーヴァはようやくジャンゴの存在を思い出したらしく、顔をこっちの方を向けた。何故自分の手を引っ張るのか解らない……、彼の目はそう語っている。
「放って、おけないからだよ……。ユキ!」
 もう聞こえないし、聞いてはいないだろうと思ったが、ジャンゴはそう呼びかけずにはいられなかった。ジャンゴの脳裏には、ユキと出会ってからのことがいくつもよぎっていた。
 あの禁じられた部屋で封印されていた姿。
 自分や姉が狙われた理由を探したいと言った姿。
 姉と再会した時の顔。
 ぽつりぽつりと過去を語った時の顔。
 自分が追い詰められ、援護に入った時の言葉。
 戦っている時の姿。
 人に狙われて応戦していた時に言った言葉。
 数こそ少ないかもしれないが、掛け替えのないユキとの大切な思い出の数々。それらが今のジャンゴを突き動かしていた。
 例えグリーヴァにユキやミホトの意思がなくてもいい。彼がユキとミホトの技を持つ――「ユキとミホトの記憶」を持っている事が大切だった。
 虹色のプレートにひびが入っている以上、ここで助けてもすぐに死ぬのかもしれないが、それでもあの灰色のパイルドライバーに飛び込ませるよりかはいいと思った。
 何とかバランスを取って、彼を引っ張り上げようとするジャンゴ。グリーヴァは止めることも出来たはずなのに、何故か黙ってジャンゴに引っ張られていた。
(あの武器さえ落としてくれれば……)
 グリーヴァを予想以上に重くしているのは、彼が右手に握ったままの鎌槌だった。アレさえ手放してくれれば何とか持ち上げることも出来るのだろうが、グリーヴァは離そうともしない。
 バランスを取っている左腕を離そうかと思った瞬間、ジャンゴの耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。

「……けて……」

「!?」
 はっとなってグリーヴァの顔を見ると、その目はさっきまでの目とは全く違っていた。戦いへの歓喜に満ち溢れた「壊れた」目ではなく、はっきりとした人の意思があるその目。
「……ユキ!?」
「…助けて……ジャンゴさん……」
 何があったのかは知らないが、グリーヴァの意識を抑えてユキの意思が目覚めたのだ。ジャンゴの顔はさっと明るくなり、引っ張る手にも力が篭る。
 グリーヴァ――ユキの方は状況がいまいち理解できずにばたばたと暴れそうになるが、ジャンゴが声をかけると落ち着いて大人しくなった。
 ユキの左手が穴のふちにかかりそうになる瞬間。

「……てけ!」
 彼の目から、ユキの意識が消えた。

「ユキ!?」
 ジャンゴが呼びかけても、もはやその目にユキの意識はなかった。グリーヴァはジャンゴが自分を灰色のパイルドライバーから引きずり出そうとしているのに気づき、鎌槌を大きく投げる。
 つい反射的に大きく体をそらすことで鎌槌を避けるジャンゴ。その時、ジャンゴとグリーヴァの手が離れてしまった。
「っ、しまった!?」
 慌てて手を伸ばすが、今度はもう届く事はない。
 灰色のパイルドライバーの元に落ちるまで、グリーヴァは笑っていた。

 そして、ジャンゴの目の前で光の柱が生まれる。

「……」
 ジャンゴの後ろで、主を失った鎌槌が地に大きく突き刺さり……そしてぼろっと崩れた。