煙が晴れ、そこにいる『誰か』をジャンゴは確認し……目を疑ってしまう。
いたのは一人だけだった。それも、ユキでもなくミホトでもない全く別の存在がそこにいた。
「てけり・り、てけてけ、てけり・り、り……」
意味不明な言葉を話しながら、ゆらりと立ち上がったのは一人の少年。左頬にあのクストースの証でもあるに地色のプレートが張り付いている。
鎌とハンマーが融合した武器を右手に持ち、マントに近い大きなマフラーを羽織った少年の顔はユキにもミホトにもよく似ていた。
くりっとその顔がこっちの方を向く。大半は髪に隠されているものの、その目は人の目というより何かの悪魔の目を思わせる。
だっと地を駆ける音が聞こえたかと思うと、少年はジャンゴと運命王の間に割って入って武器を振るった。
「てけぁっ!」
奇声を上げて鎌槌――そう呼ぶことにする――を閃かせる少年。攻撃のせいで、ジャンゴと運命王は大きく離れてしまった。
「精霊王グリーヴァ……」
運命王がぼそりと呟いたのをジャンゴは聞き逃さなかった。その言葉の意味を問いただそうとすると、どこからともなくクスクスと笑う声がした。
声に聞き覚えがある。ザナンビドゥを浄化した時に現れたあの黒ずくめの男。名前は確か、混沌王ヤプト。
『運命王。最後のクストース、目覚めてしまいましたねぇ』
「……目覚めさせたのは貴様だろうに!!」
『そう言われましても。きっかけはミホトシロノの発動ですよ? ユキツホリ君はそれに巻き込まれただけです』
「ちっ……」
飄々としたヤプトの言葉に、運命王は大きく舌打ちをしてその場から消える。珍しく動揺したまま消えた彼女に首を傾げるが、グリーヴァの視線にそっちの方を向いた。
ユキによく似たその顔立ちが向ける視線に、ジャンゴは寒気を感じてしまう。洗脳されたわけでもなく、強い暗示をかけられたわけでもない。ただ自分という存在がそうだと確信している目。
にまり、とグリーヴァが笑った。
『お久しぶりです。太陽少年君。浄土王ザナンビドゥ、深海王セレン、飛天王カリフスの三人が倒れた今、彼が唯一にして最後のクストースです。あの姉弟の中に封じ込められていた、ね』
「ユキとミホトはどうなったんだ!?」
思念を飛ばしている相手に向って、ジャンゴは大きく怒鳴る。あのグリーヴァが目覚めてから、ユキとミホトの姿を一度も見ていない。
グリーヴァに倒されてしまったとしても、その遺体がないのが逆に不自然だ。このクストースは登場も唐突で、全てが謎に包まれている。
ジャンゴに疑問の視線を向けられたグリーヴァは首を傾げた。仕草はどこにでもいそうな普通の子のものだが、目だけはそれを大きく裏切っていた。
ヤプトはそれをしばらく見ていたらしく、一息ついてまたクスクスと笑う。
『どうなったも何も。グリーヴァはミホトシロノ嬢とユキツホリ君ですよ。彼女達の魂で封印されていたモノが、そこのグリーヴァです』
「なっ……!?」
信じられない事実にジャンゴは息を飲んだ。
『ユキツホリ君たちの一族は、古き世で生み出された戦闘人形がいましてねぇ。あまりの強さと非情さに、代々の巫女や長老達の手で封印されたんですよ。魂の中にね。
時は流れて、今の時代ではミホトシロノ嬢とユキツホリ君の中にグリーヴァが封印されていたわけで』
ミホトがユキにこだわった理由は、無意識のうちに封印を守ろうとしていたのだろう。片方が死んでしまえば、どう影響されるか解らないし、それだけ封印が弱まりやすいことなのだ。
あの地にユキが封印されていたのも、おそらく封印を持つ者同士を引き付け合わせて封印を弱めるためのものだったのかもしれない。
ミホトがユキを取り戻しにこっちに来るのは予想がつくし、ユキの責任感と優しさが姉への対抗へと繋がっていくのは、シナリオを修正するほどの事でもなかっただろう。
結局、ユキとの出会いも含めて、自分はヤプトの筋書き通りに踊らされていたのだ。
その事に対して怒りが沸いてくるが、目の前にいるのはユキでもありミホトでもある存在だと知ってしまった以上、剣を取るのをためらってしまう。
もしかしたら、助け出せるのかもしれない。……いや、助け出したい。その気持ちが、ジャンゴの手を迷わせていた。
何も知らずに戦い、大切なものを奪っていた痛みは今まで散々味わってきた。だからこそ、グリーヴァを――ユキとミホトを助け出したい。
だが対するグリーヴァにはジャンゴをただの敵として認識しているらしく、ジャンゴのためらいに対して理解できないと言わんばかりに首を傾げる。
『言っておきますけど、彼は彼です。ユキツホリ君でもミホトシロノ嬢でもありません。
封印を解かれた以上、封印の楔である彼らの意思は既に消えてますから』
ジャンゴの意思を読み取ったらしく、ヤプトがタイミングよく説明してきた。グリーヴァの方も、「てけ」と軽く答える。どうも彼は完全な人語を話す事ができないようだ。
グリーヴァの性格がどうなのかはわからないが、少なくとも自分を友好的な存在とは見ていない。こっちが嫌だと言っても、彼は普通に攻撃を仕掛けてくるだろう。
それでも。
ジャンゴは彼の中にユキやミホトの意識がないと思いたくなかった。
あんなに強い意思を持っていたユキが、あそこまで執念と信念を持っていたミホトが、そう簡単に別のものに乗っ取られてしまうだなんて思いたくもなかった。
――全ては同じになってしまう。
だけどね、忘れないで。これからを決めることが出来るのは、今を生きる君だけだということを……。
……明日もまた、日は昇る……。
クストースの聖地に運命王が帰ってきた。
「お帰りなさいませ」
わざとらしく言うヤプトを大きく杖で殴り飛ばし、その胸倉を掴む。普段堂々としている彼女らしくない、野蛮な行為だった。
「どういう意味です?」
「どういう意味もない! 解封の魔法を使って、奴を目覚めさせたな!?」
噛み付きそうな彼女の剣幕にも、ヤプトは平然とずれたメガネを直す。その余裕も彼女をイラつかせた。
元々こういう性格だとは解っている。だが、今回に限ってその態度で煙に巻かれる訳には行かない。自分はあくまでもクストースの主なのだ。
彼らの望まぬ事をやった以上、彼には重い罰を与えなくてはいけない。そう思って彼に手を上げようとするが、その時ヤプトは懐から鈴を取り出した。
「!?」
いつもなら自分たちを招き寄せるだけの鈴。人を招く効果しかないはずの鈴が、軽く鳴らされる。
ちりん、と涼やかな音色が響いたかと思うと、自分の手から力が急に抜けていった。
(……魔力……? いや、これは違う……!)
魔力や霊力とは違う、精神の根本的な何かからひっくり返されるような苦しみが運命王を襲う。恐れや脅え、迷い、憎しみなどの負の感情が、彼女の中で暴れまわった。
杖を落としてもだえ苦しむ運命王の頭を踏んづけて、『混沌王』ヤプトは大きく笑う。
「無様なのものですね! 運命も所詮は人が生み出した都合のいい幻影ですよ。そしてその運命を司る貴女は、ただの人形。
……誰が貴女を拾ってここまで仕立て上げたか、忘れたとは言わせませんよ?」
「くっ……!」
頭を踏まれながらも運命王はきっと厳しい目でヤプトを睨みつけるが、絶え間なく続く鈴の音にやがて意識を失ってしまった。
ヤプトはそんな彼女をしばし見ていたが、やがてごみを捨てるかのように運命王を適当に放り投げる。
「……太陽仔が。二人……いや、三人そろって私の邪魔をするとはね」
だが、その邪魔も結局は大きな流れに流されるものだ。人の意志など、所詮は大海にある小島のようなもの。さざなみ一つであっという間に飲み込まれるシロモノだ。
頭上を見上げる。闇に隠されてはいるものの、そこにはクストース――自分以外のクストースが崇める神がいるはずだ。
あちら側の数年前、彼のあの選択を突きつけたのは自分だ。そして、ここでも自分は『彼』に同じ選択を突きつけるのだ。
全ては同じように事が運んでいく――同じように事を運ばせている事を、思い知らせなければならない。
人一人の意思で世界を変えることは出来ないと、改めて解らせないといけないのだ。その上で、彼らが立ち上がれるのかを見極める。
銀河意思ダークや太陽意思ソルの戦いも、元は自分と人々の戦いに過ぎない。だいたい、宇宙や星に意思があると思い込んでいるのは人間だけなのだ。
その人の意思がここまで世界を大きくし、ここまで世界を追い詰めている。その矛盾。
「矛盾といえば、貴方も矛盾そのものですよねぇ」
水晶像がある場所に向って視線を向けるが、彼からの答えは何もなかった。
ぱちんっ、とグリーヴァが指を鳴らすと、虚空から赤い宝珠が現れた。
宝珠は受け止める者がいないので、自然に地面に落ちる。ひびが入る代わりに、ジャンゴが持っている理性の宝珠に合わせて光を放ち始めた。
理性の宝珠が、クストースの持つ宝珠と共鳴現象を起こしている。という事は、あれが最後の宝珠――「感情の宝珠」のようだ。
『ご存知でしょうが、それは『シヴァルバー』への道しるべであり、起動キーでもある宝珠です。優しいグリーヴァは条件次第では貴方にあげるそうですよ。
……自分に勝てたら、らしいですけど』
グリーヴァがヤプトの解説を裏付けるようににっこりと笑った。
一歩。グリーヴァが前へ進み、ジャンゴは後ずさる。ユキによく似た笑顔が、あまりにも怖かった。冬でもないのに、何故か鳥肌が立つ。
怖いんだ、とジャンゴは悟った。
グリーヴァに勝つ、という事はユキとミホトの命を奪うことに他ならない。ヤプトはもう彼らの意思はないと言っていたが、それでもこのグリーヴァの元になったのはあの姉弟なのだ。
助けたいが、その方法がわからない。結局自分は彼を殺すしかないのか、とうつむきそうになってしまった。
「……ユキ、ミホト……」
声をかけてみるが、グリーヴァは始めて聞いたかのように首をかしげる。ジャンゴが小声だったのもあるかもしれないが、あの顔は何も知らない顔だ。
彼は自分を閉じ込めていた檻が砕け散ったことで、自由になれた喜びに満ち溢れている。その折に鍵をかけ続けていた人物の事は、全然知らないようだ。
もう戻れないのだろうか。ジャンゴの剣は、大きく揺れた。
ぽつ……、と知らないうちに雨が降り出していた。
世界すらジャンゴの辛さにあわせたかのように、重く暗い空気が立ち込めて行く。
『改めて紹介しましょうか。彼は第四のクストース、精霊王グリーヴァ。
最後にして、最強の力を持つ亜生命種の戦士ですよ……』
ヤプトの哄笑が、戦いのゴングとなった。